豊かになっているのか(その5)
オーディオにおける音の追求は、あくまでもいい音で聴きたい、なのであって、
人よりいい音で聴きたい、と思う気持ちが、人よりもいいモノを持ちたい、という気持を生んでしまう。
人よりいい音で聴きたい、という気持を全否定はしたくない。
こんな気持も、必要な時期が人にはあるだろうし(私にはあった)、
この気持を持ったことがない、という人よりも、そんな時期があったな……、という人の方がいい。
けれど、そんな気持も行き過ぎてしまうと、別項で書いた人のようになってしまうかもしれない。
誰かに自分の音を聴いてもらう、
今度は誰かの音を聴かせてもらう、
けっこうなことではある。
けれど、このことが「いい音で聴きたい」気持よりも「人よりいい音で聴きたい」気持を肥大させはしないだろうか。
そして「人よりもいいモノを持ちたい」気持へとなっていく。
この「人よりもいいモノを持ちたい」気持をもってしまった人を見逃さない人がいる。