Date: 3月 13th, 2017
Cate: 「オーディオ」考
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豊かになっているのか(贅沢な環境)

三日前の「会って話すと云うこと(その12)」で書いた
「若い才能は育ってきているけれど、贅沢な環境は失われつつある」。

昨晩「瀬川冬樹という変奏曲(その6)を書いていて、気づいたことがある。
瀬川先生はマランツのModel 7を買ったときのことを書かれている。
JBLのSA600を輸入元の山水電気から借りて、初めてその音を聴かれたことを書かれている。
JBLの175DLH、375と蜂の巣ホーンのことを書かれている。

そこには瀬川先生の驚きがある。
     *
 何度も書いたように、アンプの回路設計はふつうにできた。デザインや仕上げにも人一倍うるさいことを自認していた。そういう面から選択を重ねて、最後に、マランツの回路にも仕上げにも、まあ一応の納得をして購入した。さんざん自作をくりかえしてきて、およそ考えうるかぎりパーツにぜいたくし、製作や調整に手を尽くしたプリアンプの鳴らす音というものは、ほとんどわかっていたつもりであった。
 マランツ7が最初に鳴らした音質は、そういうわたくしの予想を大幅に上廻る、というよりそれまで全く知らなかったアンプの世界のもうひとつ別の次元の音を、聴かせ、わたくしは一瞬、気が遠くなるほどの驚きを味わった。いったい、いままでの十何年間、心血そそいで作り、改造してきた俺のプリアンプは、一体何だったのだろう。いや、わたくしのプリアンプばかりではない。自作のプリアンプを、先輩や友人たちの作ったアンプと鳴きくらべもしてみて、まあまあの水準だと思ってきた。だがマランツ7の音は、その過去のあらゆる体験から想像もつかないように、緻密で、音の輪郭がしっかりしていると同時にその音の中味には十二分にコクがあった。何という上質の、何というバランスのよい音質だったか。だとすると、わたくしひとりではない、いままで我々日本のアマチュアたちが、何の疑いもなく自信を持って製作し、聴いてきたアンプというのは、あれは一体、何だったのか……。日本のアマチュアの中でも、おそらく最高水準の人たち、そのままメーカーのチーフクラスで通る人たちの作ったアンプが、そう思わせたということは、結局のところ、我々全体が井の中の蛙だったということなのか──。
(ステレオサウンド 52号より)
     *
ここには、きっと驚きだけでなく悔しいという感情もあったのではないだろうか。
井の中の蛙だったということなのか──、と書かれている。

当時の、どんな日本のアンプもModel 7には遠く及ばなかったのだから。
そこに悔しいという感情がないはずがない。

そして悔しいというおもいが、
その後の、いま私が贅沢な環境だったと感じている時代につながっていっているはずだ。

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