Date: 5月 6th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その4)

岩崎先生の文章は、ジャズを聴いてきた人の文章だ。

だからといって、ジャズを聴いていれば、岩崎先生のような文章が書けるようになるとはいえないけれど、
ジャズを真剣に聴いてこなければ書けない文章、そう以前から思っている。

ジャズをあまり聴いてこなかった私でさえつき動かされるわけだから、
ジャズを熱心に聴いてきた人は、私なんかよりももっと早い時期から、もっと強くつき動かされてきたはず。
そういう人は少なくないと思う。

オーディオ業界の中では、細谷信二さんと朝沼予史宏さんがそうだ。
きっとメーカーや輸入商社に勤めている人の中にもつき動かされた人はいるはずだが、
オーディオ雑誌に名前が出てくる人では、細谷さんと朝沼さんのふたりが、いる。

ステレオサウンドから出た遺稿集「オーディオ彷徨」は、
当時ステレオサウンド編集部にいた細谷さんがまとめられた、ときいている。
それだけでなく岩崎先生が亡くなられた後も、
たびたび岩崎先生のお宅を訪ねてはオーディオ機器の手入れをされていた、ともきいている。

岩崎先生が愛用されていたエレクトロボイスのエアリーズ。
ウーファーのエッジがダメになってしまったのを元通りにされたのも細谷さん。
ジャズオーディオで使われていたトーレンスのTD224のチェンジャー機構は壊れてしまってそのままだったのを、
レコパルでの撮影のため借り受けたときにきちんと動作するように手配したのも細谷さんである。

朝沼さんは、まだ編集者だったころ(つまり本名の沼田さんとして仕事をされていたころ)、
なかば居候といえるくらい、岩崎先生のお宅で夜を明かされていた、そうだ。

そういえば朝沼さんはダルキストのスピーカーシステムDQ10を使われていたことがある。

DQ10はQUADのESLによく似た外観の、しかしダイナミック型スピーカーユニットによる5ウェイ。
DQ10は、岩崎先生も新しいタイプのスピーカーシステムとして注目され、評価も高かった。
DQ10はESLを意識したスピーカーシステムで、そのESLを岩崎先生も朝沼さんも使われていた。

岩崎先生も、朝沼さんも細谷さんも小学館が発行していたFMレコパル、サウンドレコパルで仕事をされている。

朝沼さんは2002年12月に、細谷さんは2011年2月に亡くなられた。
細谷さんと朝沼さんとはステレオサウンドで何度も会っていた。
岩崎先生のことを訊いておけば……、と思っている。

Date: 5月 5th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その3)

岩崎先生の万年筆を手にしたからといって、ああいう文章が書けるようになるわけではない。
そんなことはわかっている。
そして、岩崎先生の文章の魅力は?、ときかれたら、読む人を惹きつけるところにある、とまず感じている。

私はこれまでにも書いているとおり、岩崎先生に関しては「遅れてきた読者」である。
しかもジャズよりも、圧倒的にクラシックを聴いている時間が長い。
にも関わらず、深夜ひとりで「オーディオ彷徨」を読んでいると、
無性にジャズが聴きたくなってくる。

ステレオサウンドを辞めて、すぐに就職したわけではない。
しばらくぶらぶらしていた時期がある。
冬の寒い時期であった。「オーディオ彷徨」を読んでいた。
それ以前にも「オーディオ彷徨」を読みたいところから読むことはしていたが、
最初から最後まで読み通すことははじめてやったのは、実はこのころのことだった。

そういう心理的なものも作用してのことだったのかもしれない。
でも「オーディオ彷徨」を読んだ友人も、まったく同じことを言っていたから、私だけのことでは決してない。
近所に深夜までやっているレコード店がもしあったら、
すぐさま駆け込んで、
いま読んだばかりの「オーディオ彷徨」の章に出てくるジャズのレコードを買いに行きたくなる。
読み手を駆り立てるものが、岩崎先生の文章にはある。

いま岩崎先生の文章を集中的に入力している。
レコード(ジャズ)についての文章だけでなく、オーディオ機器についての文章を読み入力していると、
昨日まではほとんど関心をもてなかったカートリッジなりアンプなりスピーカーシステムなりが、気になってくる。
聴いたことのあるオーディオ機器はもう一度聴いてみたい、と思うし、
かなり古く聴いたことのなかったオーディオ機器は、一度聴いてみたい、と思ってしまう。

岩崎先生が書かれたオーディオ機器すべてではないけれど、
岩崎先生の文章によって気になってきたオーディオ機器がいくつも、すくなからず浮上してきている。

岩崎先生の文章には、読む者をつき動かす衝動(impulse)がある。

Date: 5月 4th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その2)

audio sharingの公開当初は、瀬川先生の文章と岩崎先生の文章は、いわば無断公開していた。
本来なら許諾を得ての公開なのだが、ご家族の連絡先がわからず、ことわりをいれた上での公開だった。

だから岩崎綾さんのメールを届いたとき、
本文を読むのは、半分不安だった。もし公開しないでほしい、と書かれてあったら……。
でもクリックしてメールを読むと、嬉しい内容のメールだった。
メールの最後に、「母も喜んでいます」と書いてあった。
公開の許諾をきちんといただけたこと以上、この最後の行が嬉しかった。

このメールが届いた日から、ほぼ12年。
何度かメールのやりとりはあったものの、お会いしたことも電話で話したこともなかった。
だから5月2日が初対面だった。

5月2日の夜は楽しかった。
楽しかったうえに、「おみやげがあります」といって万年筆をいただいた。
岩崎先生が使われていたパーカーの万年筆を、2本も。

そういえば、深夜、検問で止められたとき「職業は?」ときかれ、
ひと言「物書き」と岩崎先生は答えられた、という話が、ジャズ・オーディオに通い、
岩崎先生の運転する車に同乗されたこともある方からのメールにあった。

岩崎先生は、小学校のとき担任から「いい文章を書くから、物書きになったらいい」といわれたとのこと。
担任の名前は角川源義氏。
角川書店の創立者の角川氏からそう言われた岩崎少年は、物書きを夢見ていたのか、目ざしていたのか──、
はっきりとしたことはわからないけれど、「物書き」と答えられたのだから……、と思ってしまう。

そんな岩崎先生の万年筆が、いま手もとにある。

Date: 5月 3rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日)

昨夜(5月2日)は毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会であり、
テーマは「岩崎千明氏について語る」であり、
ここで何度かお知らせしたように岩崎先生の娘(綾さん)さんと息子さん(宰守さん)が来てくださった。

夜7時開始で、3時間ちょっと夜10時すぎまで話が尽きることはなかった。
昨夜の例会での3時間、その後、帰り道が途中まで同じということもあって、さらに2時間弱、
ずっと話をしていた。

ほぼ5時間の会話によって、「やっぱりそうだったのか」「えっ、そうだったのか」と思うことがいくつもあった。
昨夜のことは、これから先このブログのあちこちに書いていく。

岩崎綾さんは私が降りる駅の数駅前で下車された。
それからの10数分間、ひとり、電車のなかで思っていたことがある。

ステレオサウンドで働いていたときは、
こうやって岩崎先生のご家族の会う日がくるなんてまったく想像できなかった。
岩崎先生だけではない、瀬川先生のご家族と会うことも思いもよらなかった。

それが、昨夜、初対面にも関わらず、ずっと話が続いていく──

岩崎綾さんは、私が2000年8月にaudio sharingを公開して数ヶ月後、メールをくださった方だ。
audio sharingを公開したばかりとはいえ、まったく反応はなかったときに、
いつもの同じように、今日もaudio sharing宛のメールは届いていないんだろうな……
と思いながらメールチェックしていた。
その日の嬉しさはいまでもはっきりと憶えている。
メールの件名は「岩崎千明の娘です」だった。

目を疑った。
目を疑う、とはこういうことなのか、と思い、もう一度件名を確認した。

Date: 5月 2nd, 2012
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その22)

オーディオは音楽を聴くものであるから、
聴く音楽(再生するディスク)によって、その表情をがらりと変えてくれないと困る。

音楽はひとときたりとも同じ音、同じ表情をしていない。
つねに変化していく。同じフレーズをくり返していてもまったく同じということはない。

録音では、同じフレーズのくり返しに最初のフレーズの演奏をそのまま使うこともできる。
そうすれば物理的にはまったく同じフレーズであり、そのくり返しになるといえるわけだが、
音楽としては、そのくり返しのフレーズの前後に出てくる別のフレーズによって、
まったく同じくり返しであっても、聴き手にとっては、音楽的にはまったく同じくり返しにはならない。

だから千変万化していく音を、オーディオに求めるし、音の判断の重要なポイントでもある。
いわゆる音色的魅力の濃厚な、特にスピーカーシステムにおいては、
その音色の濃さが音楽の表情の変化への対応を鈍らせてしまうことになる。

スピーカーシステムには、どんなスピーカーシステムであろうと固有の音色がある。
その固有の音色は、オーディオを介して音楽を聴く上では、
必ずしも不要なものであったり、悪であったりするわけではない。
録音から再生までを広く眺めたときには、その固有の音色はうまく作用することがあるからだ。
このことについて述べていくと長くなってしまうから、ここではこれ以上書かないが、
そうであっても濃すぎる音色は、過剰であり、その音色が支配的になってしまうことが多い。

そうなってしまうと、音(音色)を聴いているのか、音楽を聴いているのか、その境が曖昧になる。

聴き手として音楽を聴くこと(再生すること)を最優先すれば、濃すぎる音色は邪魔になる。
とはいうものの、音色の魅力は、オーディオマニアにとっては格別のものがある。
良質の好きな音色がたっぷりと出てくれれば、音楽の聴き手としての強い気持が揺らいでしまうところが、
すくなくとも私にはある。

私にとって以前のBBCモニター系列のスピーカーシステムの音がそうだし、
フィリップスのフルレンジユニットの音がまさにそういう存在である。

Date: 5月 2nd, 2012
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その21)

その音を聴いて、コロッと参ってしまったフィリップスのフルレンジユニットはAD7063/M8である。
17.8cm口径のダブルコーンの、このフルレンジをおさめた知人による自作スピーカーから出てきた音は、
冷静に判断すれば非常に個性的な音であり、この音がダメな人にとっては癖の強い音ともなろう。

フィリップスのユニットは、素直な音、癖の少ない音を出そうとしてつくられたスピーカーユニットではないことは、
誰の耳にはっきりとわかるくらいに、その音は人工的な、といいたいところがあり、
この音が好きな者にとってはなんとも心地よく、巧みな音の美しさ、とも思えてくる。

プレス製のフレームに、ダブルコーン仕様、価格も1979年当時で6500円。
物量を投入したつくりではないし、高性能を追求したユニットではない。
周波数特性のグラフをみても、音を聴いても、ワイドレンジを狙ったものではない。

すべてがほどほどに、バランス良くうまくまとめられたユニットであるから、
このAD7063/M8で高忠実度再生を目指そうとは思わないし、
たとえばこのユニットから始めて、トゥイーターを追加してその次にはウーファー……、
といった瀬川先生が発表されている発展的4ウェイ自作スピーカーに使いたいとは思わない。

このフルレンジユニットは、もうこれ一本だけで使おう、というところで心が落ち着く。

なぜ、そういう気持になるのかといえば、フィリップスのフルレンジユニットの音には、
このユニット、この音ならではの説得力があるからではないだろうか。

Date: 5月 1st, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その7)

CD(Compact Disc)はフィリップスによる名称であり、
CDに規格が統一される前、メーカー各社から発表されていたいくつもの規格のディスクのことを、
DAD(Digital Audio Disc)と呼んでいた。

1982年のCD登場から30年後のいまになって考えているのは、
フィリップスによる名称には、digitalの文字はないこと、である。

カセットテープのオリジネーターであるフィリップスだから、
コンパクトカセットテープのディスク版ということでのコンパクトディスク(Compact Disc)なのは、
誰でも気がつくことで、私もそう理解していた。

CDはフィリップスとソニーによる規格である。
もしCDが日本のメーカーだけによってつくられた規格であったとしたら、
間違いなく名称のどこかにdigitalの文字が入っていた、と思う。
DADのままだったり、Digital Compact Disc(略してDCD)とかなどである。

なぜ、フィリップスはDigital Discということを名称で謳わなかったのだろうか。
深い意味はなかったのかもしれない。
名称にはなくても、CDのロゴにはDIGITAL AUDIOの文字があるからだ。
それでも、digitalを使わなかったことは、いまになって考えると意味深長な名称だと思う。

Date: 4月 30th, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その6)

私が最初に聴いたCDの音は、
以前書いた通り、フィリップス(マランツ)のCD63の試作モデルで、小沢征爾指揮の「ツァラトゥストラ」だった。
このときの音についてはすでに書いているのでそちらをお読みいただきたいが、
とにかく、その安定度の高さに驚いたことだけは、くり返し伝えておきたいことである。

CDが登場する以前、1970年代中頃からデジタル録音によるLPが発売されるようになってきた。
デンオンからまず始まったデジタル録音は、海外でも行われるようになってきた。

このころのレコード評をいま読み返すと、デジタル録音のLPはかなり高い評価を得ていることが多い。
デジタル録音によるLPのすべてが優れていたわけではないのは、
アナログ録音のLPのすべてが優れていたわけではないのといっしょで、
優れた録音に関しては、アナログだろうとデジタルだろうと、聴き手としての関心はあっても、
実のところどうでもいいことである。
いい音でいい音楽が聴きたいのだから。

CDが登場した1982年秋は瀬川先生が亡くなられて1年後のことであった。
だから、「瀬川さんがCDを聴かれたらなんと言われるだろう……」「どんな評価をされるのだろうか」ということを、
幾度となくきいている。

私も瀬川先生はどうCDを評価されるのか、知りたかった。
このとき私は、CDの音をデジタルの音だと思っていた。
CDプレーヤー・イコール・デジタルプレーヤーであると思っていた。

それが勘違いであることに気がつくには、けっこうな時間を必要とした。

Date: 4月 29th, 2012
Cate: 電源

電源に関する疑問(その25)

伊藤先生の349Aプッシュプルアンプは、初段がEF86で位相反転にはE82CCが使われている。
E82CCのカソードは結合されてはいるものの、いわゆるムラード型の位相反転ではなくオートバランス型である。

つまり+側の信号はEF86、E82CCという信号経路だが、
−側はEF86、E82CC、E82CCと信号経路としてE82CCを一段余計に通る。
NFBは+側のE82CCのプレートからEF86のカソードにかけられている。

ウェストレックスのA10も回路は同じで、
初段が6J7、位相反転6SN7、出力管が350B、という使用真空管の違いだけである。
伊藤先生の349AプッシュプルアンプはA10のスケールダウン仕様といえる。

でも、この回路構成が低音がボンつかない理由とはいえない。

349Aプッシュプルアンプは無線と実験に発表されたものだが、
実際に製作されたアンプと掲載されている回路図は多少異る点がある。
そのもっとも大きな違いは、出力トランスの1次側インピーダンスで、
無線と実験に載っている回路図、部品表ではラックスのCSZ15-8、
つまり1次側インピーダンスが8kΩということになっているけれど、実際に搭載されているのはCSZ15-10、
1次側インピーダンスが10kΩ仕様であり、
このことは低音がボンつかない理由に関係しているとは思えるものの、それほど大きな理由とは思えない。

このことは、しばらく疑問のままだった。
アンプの回路を信号部だけを見て考えていたままだったら、
いまでも、なぜだか低音はボンつかない、としかいえないままだったはずである。

アンプの回路は、信号部と電源部から成っている、という当り前すぎることを再認識すると、
ウェストレックスのA10、伊藤先生の349Aプッシュプルアンプは、
ビーム管、五極管を出力段に使いながらオーバーオールのNFBがかけられていないということと、
電源部に直列に1kΩの抵抗が挿入されていることは切り離せないことではないか、と気づく。

Date: 4月 28th, 2012
Cate: 電源

電源に関する疑問(その24)

向ったのは六本木にあるおつな寿司。
上杉先生は、ここのいなり寿司が好物だ、とこのとき聞いた。

上杉先生との食事は楽しかった。
いろいろな話があったが、さきほどまで真空管アンプを作られていたわけだから、
真空管、真空管アンプに関する話題が当然出てくる。

このときすでに349Aのプッシュプルアンプを作ろうと考えていたので、
たしかNさんが上杉先生にこのことを話されたので、こういう回路のアンプを作ろうと説明した。

上杉先生から返ってきたのは、「出力トランスからNFBはかけないんですか」だった。
出力管に五極管の349Aを、五極管接続で使用するのだから、上杉先生がそういわれるのはもっともである。
上杉先生の経験からも、どんな球であろうと、五極管、ビーム管をオーバーオールのNFBなしで使用したら、
低音がボンついてまともな音はしない、ということだった。

ステレオサウンドの製作記事のオルソンアンプもオーバーオールのNFBはかかっていない。
無帰還アンプである。出力管はEL34。五極管ではあるが、
オリジナルのオルソンアンプでは6F6を三極管接続している。上杉先生はEL34を三極管接続で使われている。

五極管、ビーム管を無帰還で使うのならば三極管接続するのが、いわば常識的にいわれていた。
上杉先生は、だから「三結にもされないんですか」ときかれた。「五極管接続です」とこたえた。
さらに伊藤先生の349Aのプッシュプルアンプでは、低音がボンつくことはなかったことを説明したものの、
上杉先生を納得させるだけの説明を、このときの私には無理だった。

私自身、なぜ伊藤先生の349Aプッシュプルアンプではそういったことがおこらないのか、
その理由がまったくわからなかったのだから、しょうがない。

349Aがウェスターン・エレクトリックの球だから、ということは理由にもならない。
コンデンサーや抵抗といった部品にいいものを使ったからも、この理由にはならない。
伊藤先生が作られたから、も、もちろん、その理由にはならない。

Date: 4月 28th, 2012
Cate: 電源

電源に関する疑問(その23)

上杉先生によるオルソンアンプの製作記事はステレオサウンド 64、65、66号に載っている。
65号には実際の製作過程が写真で載っていて、このときの撮影には立ち合うことができた。
目の前で上杉先生のアンプ作りを見ることができたのは、幸運だったと思う。

65号は1983年発行のステレオサウンドで、当時20の私よりもいまの私の方が、
つぶさに見れたことを幸運だと思っている。

完成品の内部を見る機会はいくらでもある。写真で見たり、実物の天板をとって中を覗いてみたりなどができる。
けれど、なかなかその製作過程を最初から最後まで見る機会はめったにない。

誌面上でどれだけ写真を多用して事細かに説明文をつけたとしても、
写真と写真のあいだにあったことを伝えるのは、まず無理だといっていい。

真空管アンプで、プリント基板を使わずに手配線によって製作していくには、
製作者の流儀といえるものがある。
その流儀は、上杉先生には永いアンプ作りから身につけられた流儀があり、
伊藤先生には伊藤先生の流儀がある。

このころから、私は真空管アンプに関しては伊藤先生の流儀をなんとか身につけたい、と思っていた。
だからといって、ほかのアンプ製作者の流儀が参考にならないか、というとそんなことはまったくない。
直にアンプが形を成していく過程をじっと見ていけば、そこから学べることはかなりのものがある、といっていい。

記事のためのアンプ作りなので、製作過程の要所要所で撮影をするわけで、
しかも撮影カット数は記事で使われている写真点数よりもずっと多い。
撮影のたびにアンプづくりの手を止められるわけではないが、
細かいところの撮影などで手を休めてもらうことになる。
だから、こういう記事のためのアンプ作りは、実際のアンプ作りよりもずっと時間を必要とする。

もう30年近く前のことだから、何時ごろから始まったのかは忘れてしまった。
憶えているのは撮影が終って(つまりアンプが完成したあとに)、
上杉先生とこの記事の担当者のNさんと三人で遅い食事に行ったことだ。

Date: 4月 27th, 2012
Cate: 電源

電源に関する疑問(その22)

ウェストレックスのA10にしても伊藤先生の349Aのプッシュプルアンプにしても、
出力トランスからNFBはかかっていない。
伊藤先生の349AのアンプはA10を範とした設計だから、
NFBのかけ方も同じで位相反転の+側出力を初段のカソードに戻している。

出力管に三極管を使った真空管アンプでは無帰還のものは少なくない。
けれど五極管、ビーム管を出力段に使ったパワーアンプでは、
ほぼすべてといっていいほど出力トランスの2次側から初段のカソードへとNFBがかけられている。

伊藤先生も五極管、ビーム管では適切なNFBをかけることが重要だといわれている。
にもかかわらず349Aのプッシュプルアンプには出力トランスからのオーバーオールのNFBはない。

一般的に五極管、ビーム管のオーバーオールのNFBなしのアンプだと、
低音が、いわゆるボンつくようになって聴けたものではない、と昔からいわれ続けている。
なのに私が聴いた伊藤先生製作の349Aアンプには、そういった傾向はまったく感じられなかったどころか、
むしろ低域のすっきりした透明感の高さに驚き、すっかり魅了されていた。

この349Aのアンプを聴いたとき、どういう回路になっているのかはまったく知らなかった。
聴いた後で、無線と実験に掲載された記事のコピーを、当時のサウンドボーイの編集長だったOさんにもらった。
そして、オーバーオールのNFBがないことを知った。

なのになぜ低音がボンつかないのか。
ちょうど349Aのアンプを作ろうと部品を集めていたころに、
ステレオサウンドで上杉先生がオルソンアンプの製作記事を発表された。
この記事はNさんの担当だった。
Nさんはウェスターン・エレクトリックの350Bのプッシュプルアンプを作ろうとしていた。
ふたりとも伊藤先生のアンプの世界に魅かれていた──。
そういう時期の、上杉先生のオルソンアンプの製作記事。ふたりで盛り上っていた。

Date: 4月 27th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その60)

なぜなのかは、ステレオサウンドでも井上先生が述べられているはず。
まずフォノイコライザーアンプがなければ、電源部にそれだけ余裕ができる。
それからフォノイコライザーアンプはゲインが高いこともあって発生しているノイズも少なくない。
このノイズが電源部を介したり、飛びつきなどによってラインアンプに影響を及ぼしている。
これらに較べると影響の度合いは小さいものの、おそらく機械的な共振の面でも、
ある面積をもつプリント基板がアンプ筐体内からなくなることの音質面でのメリットもある、と考えられる。

さらに細かいことを書けば、アンプ・モジュールの数が少なくなるということは、
その分だけメインのプリント基板への荷重も減るわけで、
そのことによるメインのプリント基板へのテンションも軽減されるし、
重量分布が変化すれば、メインのプリント基板の振動モードもとうぜん変化する。

こんなふうに、なぜ音が変化するのか、その理由について考えていくといくつも出てくるわけだが、
そういった理屈を全部抜きにしても、音は確実に良くなる。

国産アンプの中には、
フォノイコライザーを使わないときにフォノイコライザーへの電源の供給を停止する機能をもつものもいくつかある。

そして、この音の違いを一度でも聴いてしまうと、
CDを聴くときにはめんどうでもフォノイコライザーを外してしまいたくなる。
そのたびにアンプの天板をネジを外して天板をとり、フォノイコライザーの基板を取り出す……、
こんなことはやりたくないし、無理に勧めもしないけれど、
ThaedraやLNP2、JC2、その他にはQUADの44もそうだし、チェロのAudio Suiteなどをお持ちならば、
一度は、その音の変化を自分の耳で確かめてみてほしい、と、やはり思ってしまう。

一度試してみれば、これらのアンプの姿(性能、音、性格など)をより知ることになるからだ。

Date: 4月 27th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その59)

Thaedraのリアパネルは、真横から見るとL字型になっていて、底辺の水平部分に入出力端子は取り付けられている。
一般的なアンプのリアパネルは垂直面に端子が取り付けられているからケーブルは水平に差し込むのに対し、
Thaedraは垂直にケーブルを差すようになっている。

どちらが使いやすいかは、コントロールアンプをどう設置するか、
その設置環境によっても変ってくるため一概にはいえないものの、Thaedraのようなスタイルは使いやすい。

ボンジョルノが、このスタイルをとったのは使いやすさということもあってだろうが、
それよりも内部コンストラクションとの兼ね合いで、こうせざるをえなかったほうが強い。

Thaedraの内部は底部に信号ラインや電源ラインとなるメインのプリント基板がある。
この基板に対して、MCカートリッジ用フォノイコライザー、MMカートリッジ用フォノイコライザー、
ラインアンプ、これら3枚のプリント基板が垂直に挿し込まれている。
メインのプリント基板とはコネクターで接続され、3枚のアンプ基板はリアパネルに固定される。
さらにラインアンプはスピーカーを直接鳴らせるだけの出力をもつだけに、
発熱もコントロールアンプとは思えぬほど多い。リアパネルはラインアンプ出力段のヒートシンクも兼ねている。
ゆえにリアパネルに入出力端子を取り付けるのは、やや無理がある。

こういう内部構造になっているため、フォノイコライザーは使わない、とか、
使うけれどもMCカートリッジの昇圧には外付けのトランスやヘッドアンプを使うから、
MCカートリッジ用のフォノイコライザーは不必要だ、とか、その反対にMMカートリッジ用が要らない、とか、
そういうときにフォノイコライザーアンプのプリント基板をメインのプリント基板から抜く。

このときの音の変化は、
個々のアンプをモジュール化してメインのプリント基板に挿すタイプ(マークレビンソンのLNP2やJC2など)は、
電源部に余裕があっても音は確実に変化する。
変化する、というよりも確実に音は良くなる、といえる。

Date: 4月 26th, 2012
Cate: audio wednesday, 岩崎千明

第16回audio sharing例会のお知らせ(岩崎千明氏について語る)

何度かお知らせしているように、来週水曜日(5月2日)のaudio sharing例会のテーマは
「岩崎千明氏について語る」です。

「岩崎千明氏について語る」といっても、
一回の例会で語り尽くせるはずもなく、「岩崎千明氏について語る」がテーマであっても、
さらにテーマを絞ることになるわけで、どこに絞るかを、いま考えているところであって、
岩崎千明という人物は、純粋な欲張りさんなのかもしれない、と思っている。

欲張りといってしまうと、あまりいいイメージではそこにはないわけだが、
そういうイメージの欲張りとはあきらかに違う、いわば子供のような純粋な欲張りなような気がしている。
大人の欲張りは、どこか人の目を気にしているようなところがないわけではない。
欲しいモノを手に入れる、という行為に、どこか趣味を同じくする周りの人の目を多かれ少なかれ気にしてしまう。
そのことを意識している、意識していないに関わらず、
そのこととまったく無関係にモノを選び自分のモノとしていくのは、簡単のようであって難しい面も含む。

しかもオーディオ評論家という、常に読者の目が向いている──、
なにも読者の目だけではない、編集者の目もある、メーカーの目もある、輸入商社の目も、
自分に向いていることを意識せざるをえない環境の中で、
純粋に自分の欲しいモノをそういう、いわばしがらみ的なことをバッサリ断ち切ってオーディオを選ぶことを、
ほんとうに楽しげにやられていた人が岩崎千明という人物ではないか、と思う。

自分の使っているオーディオ機器、手に入れたオーディオ機器のことを誰にも話さない、教えないのとはわけが違う。
だから、私は岩崎先生を、純粋な欲張りさん、と呼びたい気持に、いまなっている。

それに日本ではいまも昔も、ストイックであることのほうが、
なにかカッコイイと受けとめられることが多いような気がする。
私も20代のころは、そう思っていた。意味もなく、深く考えもせずに、
ストイックであること自体、もしかするとそう見せかけることがカッコイイ、と大きな勘違いをしていた。

それだからこそ、純粋な欲張りさんには憧れも含まれている。

私は岩崎先生の文章を同時代の人間としては、ほとんど読んでいない。
1977年の3月に亡くなられているから、1976年からオーディオにはいっていって私にとって、
それはごく短い期間であったし、すでに体調を崩されていたのだろう、
1977年1月、2月発行のオーディオ雑誌で、岩崎千明の名を見ることはほとんどなかった。
少なくとも私が住んでいた田舎の書店に置いてあるオーディオ雑誌では目にすることができなかった。

しかも私はジャズは、クラシックに比べれば聴く時間はかなり少ない。
ジャズ好きの人からみれば、
そんなもの聴いているうちにはいらないといわれてしまいそうなぐらいしか聴いていない。
私は、岩崎千明氏に関しては、あきらかに遅れてきた読者である。

そういう人間の見方だから、「純粋な欲張りさん」は的外れなこと想いということもあるかもしれない。
それでも、いまは、純粋な欲張りさんだ、とおもっている。
明日には変っているかもしれないが、
5月2日のテーマは、純粋な欲張りさんということから語りはじめるつもりでいる。

5月2日のaudio sharing例会は、いつも同じ、四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。

当日は岩崎先生の娘さんの岩崎綾さんと息子さんの岩崎宰守さんも来られます。