素朴な音、素朴な組合せ(その22)
オーディオは音楽を聴くものであるから、
聴く音楽(再生するディスク)によって、その表情をがらりと変えてくれないと困る。
音楽はひとときたりとも同じ音、同じ表情をしていない。
つねに変化していく。同じフレーズをくり返していてもまったく同じということはない。
録音では、同じフレーズのくり返しに最初のフレーズの演奏をそのまま使うこともできる。
そうすれば物理的にはまったく同じフレーズであり、そのくり返しになるといえるわけだが、
音楽としては、そのくり返しのフレーズの前後に出てくる別のフレーズによって、
まったく同じくり返しであっても、聴き手にとっては、音楽的にはまったく同じくり返しにはならない。
だから千変万化していく音を、オーディオに求めるし、音の判断の重要なポイントでもある。
いわゆる音色的魅力の濃厚な、特にスピーカーシステムにおいては、
その音色の濃さが音楽の表情の変化への対応を鈍らせてしまうことになる。
スピーカーシステムには、どんなスピーカーシステムであろうと固有の音色がある。
その固有の音色は、オーディオを介して音楽を聴く上では、
必ずしも不要なものであったり、悪であったりするわけではない。
録音から再生までを広く眺めたときには、その固有の音色はうまく作用することがあるからだ。
このことについて述べていくと長くなってしまうから、ここではこれ以上書かないが、
そうであっても濃すぎる音色は、過剰であり、その音色が支配的になってしまうことが多い。
そうなってしまうと、音(音色)を聴いているのか、音楽を聴いているのか、その境が曖昧になる。
聴き手として音楽を聴くこと(再生すること)を最優先すれば、濃すぎる音色は邪魔になる。
とはいうものの、音色の魅力は、オーディオマニアにとっては格別のものがある。
良質の好きな音色がたっぷりと出てくれれば、音楽の聴き手としての強い気持が揺らいでしまうところが、
すくなくとも私にはある。
私にとって以前のBBCモニター系列のスピーカーシステムの音がそうだし、
フィリップスのフルレンジユニットの音がまさにそういう存在である。