Date: 5月 4th, 2012
Cate: 岩崎千明
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岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その2)

audio sharingの公開当初は、瀬川先生の文章と岩崎先生の文章は、いわば無断公開していた。
本来なら許諾を得ての公開なのだが、ご家族の連絡先がわからず、ことわりをいれた上での公開だった。

だから岩崎綾さんのメールを届いたとき、
本文を読むのは、半分不安だった。もし公開しないでほしい、と書かれてあったら……。
でもクリックしてメールを読むと、嬉しい内容のメールだった。
メールの最後に、「母も喜んでいます」と書いてあった。
公開の許諾をきちんといただけたこと以上、この最後の行が嬉しかった。

このメールが届いた日から、ほぼ12年。
何度かメールのやりとりはあったものの、お会いしたことも電話で話したこともなかった。
だから5月2日が初対面だった。

5月2日の夜は楽しかった。
楽しかったうえに、「おみやげがあります」といって万年筆をいただいた。
岩崎先生が使われていたパーカーの万年筆を、2本も。

そういえば、深夜、検問で止められたとき「職業は?」ときかれ、
ひと言「物書き」と岩崎先生は答えられた、という話が、ジャズ・オーディオに通い、
岩崎先生の運転する車に同乗されたこともある方からのメールにあった。

岩崎先生は、小学校のとき担任から「いい文章を書くから、物書きになったらいい」といわれたとのこと。
担任の名前は角川源義氏。
角川書店の創立者の角川氏からそう言われた岩崎少年は、物書きを夢見ていたのか、目ざしていたのか──、
はっきりとしたことはわからないけれど、「物書き」と答えられたのだから……、と思ってしまう。

そんな岩崎先生の万年筆が、いま手もとにある。

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