Date: 11月 4th, 2023
Cate: バッハ, マタイ受難曲

ヨッフムのマタイ受難曲(その7)

少し前に、クレンペラーによるバッハのロ短調ミサ曲が、
2023年リマスターでTIDALで、MQAで聴けるようになっていた。
なので、そろそろクレンペラーによるマタイ受難曲も2023年リマスターで聴けるようになるはず。
あと少しだ、と首を長くして待っていた。

ようやく昨日の午後からTIDALで配信されるようになった。
これまでもクレンペラーによるマタイ受難曲はMQAで聴けていた。
44.1kHzでMQAだった。

今回の2023年リマスターは、192kHz、24ビットでMQA Studioである。
昨晩、インターナショナルオーディオショウから遅くに帰宅してその後入浴。
日付がかわる少し前に、マタイ受難曲を見つけた。

最初だけを少し──、そんなふうにして聴き始めたら、
第一部を聴き終っていた。

途中で止めることはできるのに、聴いていた。
第二部も聴きたかったけど、寝不足になってしまうのであきらめた。

五味先生は、クレンペラーのマタイ受難曲について書かれている。
     *
バッハの『マタイ』は、ペテロをワルター・ベリイにうたわせるクレンペラー盤と、同じペリイがイエスで登場するオイゲン・ヨッフム盤があり、マザー(注:晃華学園校長マザー・メリ・ローラ)はそのどちらも拙宅で聴いた。レコードとしては、いつもながらテンポののろい、体質的に私などにはその勿体ぶった重厚さの我慢ならないクレンペラー盤が、この『マタイ』に限っては、かえって崇高感の横溢した〝偉大なバッハ〟を聴かせてくれる。ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』と共に《勿体ぶり屋クレンペラー》の数尠ない名指揮の一に挙げられるだろう。それでも、ヨッフム盤を一度でも聴いてしまえば現代感覚では、クレンペラーはもう過去形でしか語れない。まるまるレコード一枚分、クレンペラーの方がテンポがのろく、しかもバッハ音楽の神性の流露でヨッフムに劣る。マザーもこれに同意見である。ただ、前のペテロの登場に限っては、ヨッフムのペテロはクレンペラーのそれよりもさらに弱々しい。醇朴だが気の荒い漁師ではなく、まるでインテリの声だ。ことわるまでもないが、ナザレの大工の息子を支持したのはインテリでなかった。知識階級には、蔑みの眼で見られた人たちだった。いつの時代にも神の子はインテリに嘲られ、付和雷同する民衆には石もて追われ、最底辺の極貧の人々にのみ慕われる。ペテロをインテリにしたのでは当時のイエズス・キリストの悲劇は分らない。この点、ペンデレツキは正しかった。
     *
勿体ぶり屋クレンペラー、たしかにそう感じることはある。
クレンペラーを、だからそれほど多く聴いてはこなかった。

それでもマタイ受難曲は早いうちに買って聴いていた。

Date: 11月 4th, 2023
Cate: ショウ雑感

2023年ショウ雑感(その13)

ていねいに聴いていこうと思えば、三日間では足りない。
それぞれのブースでも、時間帯によって鳴らすスピーカーやシステムが替わる。

それらをすべて聴いていこうとしたら、三日間では無理なほど、
それぞれのブースは、すこしでもいろんな音を聴いてもらおうとしている。

十年以上前は、三日間、朝から最後までいたこともあったが、
いまやるのは、ちょっとしんどく感じるようになってきた。

今年も聴きたい音(ブース、時間帯)があったけれど、すべてはまわれなかった。
明日は用があって行けない。

どうしても聴けない音がある。
聴きたいのに聴けない音がある。

体は一つだから、時間帯がかぶってしまうと、どちらかを選ぶしかない。
それにそんなに長くいるつもりはなくて入ったブースで、
しっかり、じっくり聴いてしまうということもあるから、聴き逃した音の方が多いといえよう。

そんななかで、今回印象に残ったブースについてふれていく。
私にとって鳴っている音も大事なのだが、どういう選曲なのかも同じくらい楽しみにしている。

今年、選曲で面白いと感じたのはタイムロードとナスペックである。
他にあったのかもしれないが、あくまでも私が聴いた範囲では、この二つである。

タイムロードは昨年もそう感じていたことを、今年、音を聴いていて思い出した。
スピーカーはNODEのHYLIXAだ。
イギリスの、卵形状のエンクロージュアのモデルである。
アンプは同じイギリスのChordのプリメインアンプ、Ultima Integrated。

クラシック、クラシックっほい選曲はそうは感じないのだが、
それ以外の選曲は、個人的に面白いと感じている。

今回聴いた上記のシステムの音の特徴によくあう曲を選んでいたように思う。
それにそういう曲は、あまり私が聴かないジャンルであったり、
まったく知らない曲であったするのだから、iPhoneで何の曲かを検索したりする。

タイムロードはNODE以外のブランドのスピーカーも扱っている。
別のスピーカーでの選曲がどうだったのかは知らないが、
まったく同じ曲をかけているとは思わない。

Date: 11月 4th, 2023
Cate: ショウ雑感

2023年ショウ雑感(その12)

インターナショナルオーディオショウは、毎年三日間だ。
この三日間をちょうどいいと感じるか、短い、もしくは長いと感じるのか。

毎年のことなのだが、ブースにちょっとだけ入ってすぐに出て行く人はいる。
今年もいる。写真だけを撮って出て行く人も少なからずいる。

オーディオ雑誌の編集者なのかと思って、首からさげている入場証は一般参加である。
この人はなにをしに来ているのか?

人が多いよりも少ない方が聴く側からすればいいことなのだが、
ソーシャルメディアにアップするためだけに来ているのだろう。

写真を撮ってすぐ、という人もいれば、ちょっとだけ聴いてすぐに出て行く人は、
ソーシャルメディア以前からいる。

そういう人は、いい音かどうか、一瞬でわかるから、長居は無用と自慢気に言う。
実際にそういう人を数人知っている。

そして、こういう人たちは決って、どこもまともな音で鳴っていなかった、ともいう。

確かに、毎年ひどい音でしか鳴らしていないブースがあるのは事実だ。
広いスペースを毎年使っていて、鳴らしている機器も高価なモノばかりなのに、
毎年毎年、貧相な音しか出していない。

私だけがそう感じているのであれば、私の聴き方が悪い、特殊とか、そういうことになのが、
私の周りの人たちも、同意見だ。
ほんと、毎年ひどいよね、と口にする。

ここよりも、ずっときちんとした音を鳴らしているのに、人の入りが悪いブースもある。
結局、扱っているブランドの知名度なのか。

Date: 11月 4th, 2023
Cate: ショウ雑感

2023年ショウ雑感(その11)

今年のインターナショナルオーディオショウの客層は、これまで明らかに違っていた。
いい方向だけに違っていたら喜ばしいのだが、
マナーのなっていない人も、今年は増えていたように感じた。

みんなが聴いているのに、なぜかスピーカーの前に行き、
スピーカー、パワーアンプを眺めている人(写真を撮る)が何人かいた。

なぜ、いま眺めるの?、と言いたくなる。
どんなスピーカーなのか、どんなパワーアンプなのか、じっくり見たいのはわかる。
けれど、それは音が鳴っていない時にやればいいことであって、
それぞれのブースの人がまじめに音を出している時、
多くの人がまじめに、その音を聴いているのに、
なぜそんな無神経なことができるのか。

こんな人たちを、今回はじめてオーディオショウに来た人たちは、どうおもって見ていたのだろうか。

こういうひどいマナーのなっていない人もいたけれど、
スマートフォンでニュース動画を見ながら、という人もいたし、
音を聴くよりも、スマートフォンでやりとりしている人もいた。

私がみた範囲では、若い人ではなく、私よりも上の世代の人たちだった。
誰かの邪魔になっているわけではないとはいえ、
この人たちは家でもそういう聴き方をしているのだろうか。

家での聴き方は、その人の自由だから、なにかをしながら聴いても、
他人の私がとやかくいうことではないのはわかっているが、
その習慣を、こういうショウの会場でもやってしまうのか。

これも老いからくることなのか。

Date: 11月 4th, 2023
Cate: ショウ雑感

2023年ショウ雑感(その10)

昨日(3日)から開催中のインターナショナルオーディオショウ。
ソーシャルメディアに、老人しか来ていない──、
そんなことを今回も書きこむ人がいるのどうか。

昨日と今日、行ってきた。
まず感じたのは、若い人が増えていること。
それに女性の方も、あきらかに多かった。

男性に連れられて、という感じの方もいたけれど、
女性だけで来られている人が少なくなかった。

今日、入場受付をしていたら、隣りでは、
女性三人が受付中だった。

小さな女の子、その子の母親、そして祖母、
親子三代(みな女性)だった。

客層が明らかに変ったことを今年は感じた。
これが今後も続いていき、よい方向に結びついていってほしい。

昨日は、11時30分ごろに会場に着いた。
六階でエレベーターを降りたところで、
二人組の男性とすれ違った。

彼らの話し声が耳に入ってきた。
「このフロアは制覇したな」。そう言っていた。

開場は10時からだから、一時間半で彼らは六階の出展社をすべてまわってわけだ。
その時間の長さをいいたいのではなく、
「制覇した」という表現である。

「このフロアはとりあえず聴いてまわったな」だったら、わかる。
まずは各出展社をざっとまわったうえで、あとからじっくりということなのだろうから。

けれど「制覇した」である。
私は違和感をおぼえていた。

Date: 11月 2nd, 2023
Cate: audio wednesday

第十三回audio wednesday (next decade)

第十三回audio wednesday (next decade)は、12月6日。

参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。

facebookをやられていない方は、私宛てにメールをください。

Date: 11月 2nd, 2023
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade)のこれから(その2)

来年(2024年)から、audio wednesdayは音を鳴らす。
1月の第一水曜日は3日なので、第二水曜日の10日に、
リハーサル的な音出しを行い、2月から行う予定でいる。

これまで通り第一水曜日のaudio wednesdayは、音出しを中心に行う予定。
その一方で、音を聴きながら、音楽を聴きながら、
音楽、オーディオについてざっくばらんに話す場も設けたいと考えていた。

こちらも来年から行う予定でいる。
こちらは上記の場所とは別のところとなり、毎月開催となるか、
水曜日なのか、それとも別の日なのか、そのへんはいまのところ決っていないけれど、
どちらも私にとっては楽しみとなる。

今日もaudio wednesdayだった。
オーディオについて話していると、こんなに楽しい趣味はほかにないのではないか、
そうおもえてくるほど、話していくのも実に楽しい。

来年はおもしろくなりそうだ。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: スピーカーとのつきあい
1 msg

Acoustic Research LST(その1)

別項「終のスピーカー」で書いているように、
私にとってのジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、まさに終のスピーカーである。

ジャーマン・フィジックスをよりよく鳴らすこと、
もうそれだけともいえる──、
けれど、やはりオーディオマニアとして、鳴らしてみたいスピーカーはいくつかある。

JBLのパラゴンは、どうしても外せない。
ヴァイタヴォックスも、その陰翳濃い音を自分の音としたい。
シーメンスのオイロダインも、フルトヴェングラーを聴くためだけに欲しい。

そんなふうにいくつかのスピーカーのことが頭に浮ぶ。

こういうスピーカーとは少し違う意味で、気になるスピーカーもやはりある。
そのうちの一つが、ARのLSTである。

LSTには、さほど興味がなかった。
LSTを聴く機会はなかった。

けれどマーク・レヴィンソンがCelloを興し、
スピーカーシステムの第一弾として発表したAmati(アマティ)は、
まさにLSTをマーク・レヴィンソンが復刻したといえるモノだった。

Amatiは、オールCelloのシステムで聴いている。
Celloのアンプには、登場ごとに感心し、驚かされたが、
Amatiに関しては、心が動くことは一度もなかった。

Amatiを含めLSTは、私にとっては、そういう存在でしかなかった。
けれど、なぜかここ一年くらい、少し気になってきている。

LSTのユニット配置は、あれでいいとは考えにくい。
なのに、LSTというよりもLST的なスピーカーはおもしろいのではないのか、
そう考えるようになってきている。

高忠実度再生を目指して、というスピーカーとしてではなく、
もっと大らかな気持でスピーカーというからくりをとらえるならば、
LSTはなかなか興味深い存在といえる。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: ワーグナー

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・番外)

マランツのModel 7とマッキントッシュのC22。
同時代の管球式コントロールアンプであり、
どちらも製造中止になってからでも、その評価は高い。

中学生の私にとって、どちらも憧れの存在だった。
それからしばらくすると、Model 7のほうが魅力的に思えてくるようになった。

マッキントッシュの管球式パワーアンプ、
たとえばMC275を持っているならば、Model 7ではなくC22を選ぶ。

マランツの管球式パワーアンプを持っていれば、C22を選ぶことはない。
やはりModel 7である。

そういう組合せ前提の選択ではなく、
コントロールアンプ単体としての完成度で選ぶとなったら、
迷うことなくModel 7である。

多くの人がそうなのだろう。
だからこそModel 7の中古市場での値上りは、すごいことになっている。
C22は、それほどではないから、このことからもModel 7の人気の高さがわかる。

先日、あるところでC22を見て触ってきた。
天板と底板をとって内部をじっくり見てきた。

一度もメインテナンスされていないにも関わらず、
六十年ほど前の器械とはおもえないほどきれいだった。

カップリングコンデンサーの外側にひび割れはまったくなかった。
イコライザーアンプ部の初段のカソードのバイパスコンデンサーが、
白く粉を吹いた状態だったぐらいで、あとは驚くほどだった。

ボロボロになっていてもおかしくない。
にも関わらず、新品の状態をほぼ維持している。
外観は多少古びているだけに、その内部のきれいさは、
こうやって書いていても驚きしかなかった。

そういうC22を目の当りにすると、とたんにC22が魅力的に思えてくる。
不思議なものだ。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: Jazz Spirit

二度目のナルシス(その6)

先日(10月25日)、新宿のジャズ喫茶、ナルシスに行ってきた。
これで七回目のナルシス。

ナルシス初めてという二人といっしょに行ってきた。
二人ともナルシスをとても気に入ってくれた。

一人の方は、
新宿駅で乗換えなので、これからちょくちょく行きます、と言われた。
三人で行ったため、カウンターには座れなかった。

これまでずっとカウンターだったから、奥のテーブル席は初めて。
エアコンを必要としない、いまの季節、
ガラス窓は少し開けてある。

そこから歌舞伎町の雑踏、ざわめきが入ってくる。
それが邪魔と感じることはなかった。

むしろ、カウンター側から鳴ってくるジャズと、
その反対側から忍び込んでくる繁華街のざわめきとが、
なんともいい感じで融合している、そんなふうに感じていた。

私だけがそう感じていたのではなく、同行の二人も同じように感じていた。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade)のこれから(その1)

昨年9月から再開したaudio wednesdayだけれど、
くり返し書いてきているように、どこか特定の場所を確保して、というわけではない。

なので以前のように音を出すことはできないでいる。
このまま、ずっとそうなのか、それとも音を出せるところが見つかるのか。

特に探すこともしていないのだから、見つかるわけはない。
そうなのだが、「ここで試聴会とかやりませんか」といってくれる人がいる。

とてもありがたい。
どんなふうになるのかははっきりしたことは伝えられないが、
来年からは、年に数回は音を鳴らすことができよう。

継続していくことで、いつかは変化が訪れるのだろう。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: 正しいもの
1 msg

正しいもの(その24)

この項で何度も書いてる井上先生の、
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》。

ステレオサウンド 94号(1990年春)の特集、
CDプレーヤーの試聴でのEMTの921の試聴記の最後に、こう書かれていたから、
このころの音の傾向についての井上先生のあえてのひとことなのだろう、と当時は受けとめていた。

一週間ほど前に、ある訃報に接した。
その時、そうだったのかも──、と思った。

CDプレーヤーの試聴記だから、
井上先生は《それが優れたオーディオ機器なのだろうか》とされているが、
《それが優れた音なのだろうか》としたら、どうか。

そのことに気づいた時、
井上先生のこのひとことは、ある人に向けてのメッセージだったのかもしれない、と。

ほんとうのところは、いまとなってはわからないし、
ある人が、この井上先生の試聴記をどう読んだのかもわからない。

それでも、そんなふうにおもえてならない。

Date: 10月 23rd, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこれから(とTIDAL・その10)

今日は23日。あと一週間ほどで10月が終る。
Qobuzは、10月に日本でのサービスを開始するということなのだが、
日本での正式な発表はまだない。

10月に間に合うのか、
それとも年内になんとか開始ということになるのか、
始まらずに来年以降ということになるのか。

TIDALの日本でのサービス開始も、どうなるのだろうか。
突然、始まるのか。

Date: 10月 23rd, 2023
Cate: デザイン

Where We Are – ヤマハデザイン研究所60周年企画展(その2)

最終日の今日、行ってきた。
平日の夕方にもかかわらず、会場には多くの人がいた。

熱気があった、と感じた。
できれば初日に行って、なにか書こうと思っていたのだけれど、
なかなか都合がつかずに、これを書いている時には、もう終ってしまっている。

いわゆるオーディオ機器の展示はなかったけれど、
無指向性スピーカーはあったし、
オーディオに関係しているといえるモノもあった。

もう少し会期が長ければ、とか、他のところでも開催してくれれば、とは思う。

今日、みてきたモノが、
これから先のヤマハのオーディオ機器のデザインにどう取り入れられていくのか、
それはいまのところなんともいえないが、
少なくとも期待してもいいのではないかと感じることがあった。

見終って会場をあとにしようとしたとき、入り口にあったパネルにある文章を読んでいた。
するとスタッフの方(おそらくデザイン研究所の方だろう)が、話しかけてこられた。

その話の内容に頷きながら、その人の熱っぽさを感じていたからだ。

Date: 10月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その3)

2010年1月に買ったアリス・アデールの「フーガの技法」。
聴いてすぐに感じたのは、
グレン・グールドがピアノで「フーガの技法」を演奏していたら──、だった。
同じ感銘を受けただろう、である。

だからといって、グールドとアリス・アデールの演奏がまったく同じということではなく、
いいたいのは感銘が同じということだ。

ここでもグレン・グールドのことばを引用しておくが、
グールド、こう語っている。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
グールドが語る《芸術の目的》を、アリス・アデールの「フーガの技法」に感じていた。