Date: 2月 2nd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その3)

TOKYO AUDIO BASE 2020の会場に着いて、
最初に入ったブースはほぼ満席だった。
座れるところは空いてなかったので、後方で立って聴いていた。

座っている人のなかに、気になる人がいた。
音が鳴っているときに、両手を耳に後にあてている。

手の大きさの分だけ外耳が大きくなるのと同じだから、
聴こえもよくなるわけだが、この人は自宅でもそうやって聴いているのか。
だとしたら、腕が疲れないのだろうか。

そんなよけいな心配をしていたのだが、よく見ると、
どうも手で耳をなかば塞いでいるようなのだ。

そのブースでの音量は、こういうオーディオショウでは大きくも小さくもない、と感じるくらいだった。
私は後方にいたし、その人は前列のほうだった。

多少離れていたとはいえ、その位置でも大きな音量とはいえない。
ただ、これはあくまでも私の感じ方であって、
耳を塞ぎ気味で聴いていた(と思われる)人にとっては、それでも大きすぎたのかもしれない。

すべての人にちょうどいい音量の設定は、まず無理である。
人には、それぞれ許容範囲がある。
その範囲内におさまっていれば、不満はほとんど出ないであろう。

それでも許容範囲が広い人もいれば狭い人もいるはずだ。
聴いている人に配慮した音量設定はできない、と考えるものだ。

結局、鳴らす音楽に配慮した音量設定をするしかない。
そうなると、あのブースでの小さすぎる音量での「THE DIALOGUE」は、
誰に対して、何に対しての配慮のもとでの音量設定だったのか。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その2)

TOKYO AUDIO BASE 2020でのこと。

来場者の一人が、菅野先生録音の「THE DIALOGUE」を持参して、
各ブースでかけて聴かれていたようだった。

ネットワークジャパンのブースを出る時に、
「このディスク、かけてもらっていいですか」とスタッフに訊ねていた。

私は次のブースに行きたかったので、
そこでの「THE DIALOGUE」がどんなふうに鳴ったのかは聴いていない。

次に入ったブースで二曲ほど聴いたところで、
「THE DIALOGUE」が鳴りはじめた。

さきほどの人が、ここでもリクエストしての「THE DIALOGUE」だった。

それにしても、音量が小さすぎる。
「THE DIALOGUE」を、こんな音量で聴いても……、と心の中でつぶやいていた。

そのブースのスタッフが、「音量は、このくらいでいいですか」と持ってきた人にきいていた。
「もう少しあげてください」との返事。

もう少しだけ、音量はあがったけれど、
それでも私としてはあまりにも「THE DIALOGUE」には小さすぎると感じる。

あまり大音量だと、ほかの来場者の迷惑になるかも、という心配(配慮)もあってかもしれない。
それでも、こういうオーディオショウなのだから、
ふだん自宅では鳴らせないような音量での再現を、
「THE DIALOGUE」を持参された人は望んでいたのかもしれない。

そのへんのことを訊ねたわけではない。
その人は、私が不満に感じた音量に満足されていたかもしれない。

オーディオショウでは不特定多数の人が集まる。
そこでの音量設定は難しいといえばそういえる。

けれど……、とも思う。

Date: 2月 1st, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その5)

TOKYO AUDIO BASE 2020に行った帰りに、秋葉原に寄ってきた。
特に目的はなかった。
ぶらぶらして、ある部品店に入った。

USB A(オス)-USB B(オス)変換コネクターがあるかな、と思ってのことだった。

iPhoneとメリディアンの218を接続するに、
Lightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターを結ぶUSBケーブルがいる。

いままでは、20cmほどの短いケーブルを使っていた。
ここのケーブルをあれこれ試してみるのは面白いだろう、と思う反面、
ケーブルをなくしたい、と思っていた。

USBの変換コネクターがあるはずだ、と気づく。
amazonで検索してみると、あった。
即注文しようとしたけれど、秋葉原に行ったときにでも、
部品店をのぞいてみよう、と思いなおした。

販売店で買いたいモノをチェックして、amazonで購入という人が増えている、と、
もう十年以上前から耳にするようになった。

amazonのほうが安いことが多いからだろうが、
すべての商品がそういうことではない。

今回のUSB変換コネクターは、amazonの半額以下で秋葉原で売られていた。
安価なモノだから、半額以下といっても差額は数百円である。

たった数百円のために、わざわざ秋葉原まで行くのか。
今回はついでの用事があったし、秋葉原に行けば、目的以外にも楽しめることはけっこうある。

と、ここまでは無駄話である。
USBケーブル(数千円した)から変換コネクターに換える。

予想できたこととはいえ、音の違いは大きかった。
USBケーブルは、オーディオ用ということで、端子は金メッキが施されている。

変換コネクターは安価なモノゆえに、そんなことはなされていない。
安っぽい、といえばそうだ。

でも大事なのは、音である。

それにしてもiPhoneとD/Dコンバーターを結ぶ、わずかなこの部分による音の違いは、
カートリッジのシェルリード線の音の違いによく似ている、と感じる。

Date: 2月 1st, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その1)

TOKYO AUDIO BASE 2020に行ってきた。

ネットワークジャパンのブースで、
ギターのライヴ演奏とMQA-CDを鳴らすという企画に興味があったためだ。

ネットワークジャパンのブースでは、
スピーカーシステムはクアドラルのAURUM TITAN 9、
CDプレーヤー、アンプはラックスで、
MQA-CDの再生のためにメリディアンのULTRA DACが加わる、というラインナップ。

ギターの演奏は、井上仁一郎氏。
T-TOCから出ている「GuitArr」のなかから、一曲目と七曲目が、
井上氏による演奏、CDによる再生、MQA-CDによる再生だった。

短い時間とはいえ、
それにシステムのセッティングが十全とはいえないにもかかわらず、興味深かった。

井上氏は、今回はじめてMQA-CDを聴かれた、とのことだった。
その感想も、演奏する側にとっては、そういうことになるのか、と思った。

厳密な意味での比較ではない。
CDとMQA-CDの音に関しても、そういえるところがあった。
やりようによっては、もっと興味深い内容になるのに、と思うところもあった。

それでも、行って聴いてきたことで得られるものはある。

Date: 1月 31st, 2020
Cate: ディスク/ブック

Pletnev plays Schumann(その1)

ミハイル・プレトニョフのピアノ(シューマンの交響的練習曲)。
2005年5月19日、菅野先生のリスニングルームで聴いている。

《いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 これこそは真にレコード音楽というものであろう》
これは「五味オーディオ教室」で出合った。

とはいえ、実際に、このような音を聴くことがかなったのは、
菅野先生のリスニングルームで、いまから十五年前のことである。
「五味オーディオ教室」から二十九年経ってのことだ。

この録音のすごさを理解しない人がけっこういる──、
そんなふうに嘆かれていた菅野先生のことも思い出す。

プレトニョフのシューマンの交響的練習曲のCDをすぐに買った──わけではなかった。
このCDはすごい、と会う人にすすめはしたけれど、なぜだか自分では買わなかった。

シューマンがあまり好きでないことが、その理由かもしれない。
自分でも買わなかった理由がよくわからない。

数年経ち、買おうかな、と思ったときには廃盤になっていた。
買っておけばよかった、とは思わなかった。

なにかきっかけがあったわけではない。
なのに、今日、ふとプレトニョフの交響的練習曲のことを思い出した。

あいかわらず、いまも廃盤のままだった。
けれどSACDが出ていたことを、今日知った。

あの日、菅野先生のリスニングルームで聴いたのはCDだったはず。
菅野先生が見せてくれたCDのケースは、SACDのそれではなかった。

こうなると欲しくなってくる。
ヤフオク!にはあるかな、とチェックしていたら、偶然にもあった。
しかもあと三十分ほどで終了。誰も入札していなかった。

落札できた。
まだ手元にはない。

SACDだから、といって、
あの日の菅野先生のリスニングルームでの音が再現できるとは思っていない。

それでも、最近、無性に、ピアノのいい録音を聴きたいという気持が高まっている。

Date: 1月 31st, 2020
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(味も人なり、か・その2)

私は、同世代の友人と二人で、その吉祥寺の中華屋に行った。
夜からしかやっていない店だった。

二人ともお酒は飲まないから、チャーハンだけを注文した。
(その1)で書いているように、味は最高だった。

店のオヤジは、痩せていて無愛想だった。
でも、そんなことは気になるほどのことではなく、
二人で、チャーハンの美味しさに驚いていた。

店を出てからも、美味しかったな、と話すぐらいだった。

菅野先生が「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれたのをきいて、
まず思ったのは、店が汚いからなのか、だった。

(その1)で書いているが、確かに汚い。
カウンターで食べていたけれど、小さなゴキブリが一匹這っていた。

でも、汚い店だということは事前に伝えてあった。
菅野先生は奥さまとお嬢さまと三人で行かれた。

菅野先生もお酒は飲まれない。
家族三人で行って、チャーハンが目的とはいえ、
チャーハンだけというのは失礼だ、と思い、ほかの料理も注文されたそうだ。

にもかかわらずオヤジの機嫌を損ねてしまった、ときいた。
おそらく、われわれがお酒をのまなかったからだろう、と菅野先生はいわれた。

汚い店である。
場末の中華屋という感じの店である。

けれど店主は、きちんとした中華料理店という意識なのだろう、
そこに家族三人で行って、お酒を頼まずに料理だけ、というのが、
機嫌をそこねた理由なのだろう、とのことだった。

それでも料理に手を抜かれたわけではなく、
チャーハンは絶品だった、といわれた。
また食べたいけれど、もう二度と行きたくない、とも。

Date: 1月 31st, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(番外)

音元出版のPHILE WEBが、
ハイファイオーディオ 総合ランキングを毎月公開していたのは知っていた。

知っているだけで、パッと見るだけに終っていた。
でも今回、2019年12月のランキングに、見出しを見て最後まで読んだ。

そこには、『アキュフェーズ創立50周年記念超弩級機「E-800」が堂々首位 』とあったからだ。
これまで眺めていただけであったが、それでもなんとなくの傾向は掴んでいた。
だからこそアキュフェーズのE800が、
セパレートアンプ、プリメインアンプの部門で首位というのは意外だった。

E800は980,000円で、税込みだと1,000,000円をこえる。
ランキングに入ってくる機種のほとんどは中級機クラスが多い。
そこにポツンとE800が、初登場で首位である。

売れている、という話はまだきいてなかったけれど、
かなり注目されている、とはきいていた。

別項でE800のプロポーションに関しては、ボロクソに書いている私でも、
E800の音は、かなりの実力だ、と、
じっくり聴いたわけではないが、感じている。

E800の首位を見て、そういえば──、と思い出して、過去のランキングを見てみた。
探していたのは、
デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONである。

垂れ流し状態のタイアップ記事の、この二機種はどうなのか。
入っていなかった。

E800が首位になっても、デノンはそうではなかった。

音元出版のハイファイオーディオ 総合ランキングは、
全国すべてのオーディオ店の集計ではないし、
《各商品ジャンルにおける台数別の売れ筋ランキングのデータを、1位5ポイント、2位4ポイント、以下、5位1ポイントの要領で得点化》したものでもある。

これだけですべてを語れるわけではないにしても、参考にはなる。

私はデノンの、この二機種は聴いていない。
どの程度の実力なのかは、まったく知らない。
それに、タイアップ記事垂れ流しの音を聴きたいとも思っていない。

デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONは、780,000円(税抜き)である。
E800よりも少し安い価格だが、プリメインアンプのなかでは、同クラスといえる。

E800の購入を考えている(いた)人は、デノンとの比較も行っているような気がする。

売れているほうが音がいい──、
そう単純なことではないのだが、E800は首位であり、
PMA-SX1 LIMITED EDITIONは五位までに入っていないことだけは事実であり。
この事実をどう受け止めるかは人それぞれのところもあるだろうが、そうでないところもある。

Date: 1月 30th, 2020
Cate: オリジナル

冒瀆か(その2)

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある──、
という話を以前きいている。

これが事実ならばだ、
アルテックのA7以外のスピーカーで美空ひばりの録音を聴くことは、
冒瀆ということになるのではないか。

もっといえば美空ひばりがそういった時の音を出していたのと同じシステム、
同じ部屋で同じ音を出しているか、
少なくともその音と本質的に同じである音で聴いているのであれば、
美空ひばりを冒瀆していない、といえるが、
そうでなければそれも冒瀆である、といえるはずだ。

もちろん美空ひばりがアルテックのA7から、「私の声がしている」と感じたとはいえ、
それ以外のスピーカーから鳴ってくる美空ひばりの声を冒頭だ、とはいわなかったはずだ。

美空ひばりを、神聖・尊厳な存在としてとらえている人であれば、
美空ひばりが「私の声がしている」といった音以外で聴くことは、それこそ冒瀆ということになろう。

私は、美空ひばりをそんなふうにはとらえていないし、
アルテックのA7で聴いた美空ひばりこそがほんとうの美空ひばりの声である──、
とは思っていない。

そうとらえてしまった時点で、オーディオは自由を失い、終ってしまう。

では、美空ひばりの清純とは、何を指すのか、どういうことなのか。
それをけがしているのならば、冒瀆ということになるけれど、
清純についてどれだけのことが語れる、というのだろうか。

結局のところ、個人的に気にくわないことをやっていることに対して、
安易に「冒瀆だ」といっているだけではないのか。

そうでない「冒瀆だ」もあるだろうが、多くの「冒瀆だ」はそういうことなのではないのか。

Date: 1月 30th, 2020
Cate: オリジナル

冒瀆か(その1)

昨年大晦日の紅白歌合戦に登場した美空ひばりは、冒瀆だ、という声を、
SNSでよくみかけた。

私は見ていないので、なんともいえないが、
冒瀆とは、辞書には、神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと、とある。

NHKによる、あの美空ひばりは冒瀆だ、といっている人たちは、
誰に対して、何に対して冒瀆だ、と思っているのだろか。

あの企画は、NHKが美空ひばりの遺族に無断に行ったことではないはずだ。
遺族の許諾を得てのものであったはずだ。

美空ひばりのホログラム、
そしてAI技術(ディープラーニング)による歌唱の出来がひどすぎて、
遺族が冒瀆だ、というのならば、周りがとやかくいうことではない、と思う。

けれど実際に放送されている、ということは、
遺族は出来に、どの程度かはわからないものの満足している、ということのはずだ。

ならば第三者である人たちが、冒瀆だ、ということは、どういうことなのだろうか。
出来があまりよくないと感じたためなのか。
そもそも、こういう企画自体を冒瀆だ、と思っているのか。

美空ひばり自身が、自分の死後に、こういうことは絶対にやるな、ということを残していたら、
確かに冒瀆である。

けれど美空ひばりが生きていた時代には、
こういうことが可能になるとほとんどの人が想像していなかった。
美空ひばりも、こういう時代が来るとは、夢にも思っていなかったのではないのか。

ならば誰が冒瀆かそうでないかを決めるのか。
やはり遺族ということになろう。

こんなことを書くと、その遺族が……、ということを言い出す人がきっといよう。

Date: 1月 29th, 2020
Cate: audio wednesday

第109回audio wednesdayのお知らせ(iPhone+218)

一週間後のaudio wednesdayが、待ち遠しい。

昨秋から、メリディアンの218に毎回を手を加えて、
新ヴァージョンといっては、音を聴いてもらっている。

でも昨年は、当日の午前中か前日の夜に、218に手を加えていたため、
音がどう変化したのかを自宅で確認していたわけではなかった。

そんなことをやっていたので、当日が近付くと、
早くやらねば、と慌ただしく感じられていた。

今回は、ほぼ二週間前に手を加えた。
翌日にもさらに手を加えている。

二週間、その音をずっと聴いているから、
2月のaudio wednesdayが待ち遠しいわけだ。

早く聴いてもらいたい、という気持が日増しに強くなっている。
来られた方(聴かれた方)が、どんな反応をされるのかをふくめて、楽しみである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 28th, 2020
Cate: ベートーヴェン

シフのベートーヴェン(その7)

(その6)を書いてから気づいたことがある。
結局のところ、なぜベートーヴェンを聴くのか、
その理由を知りたいことに、いまさらながら気づいた。

そして、こんなことをおもうのはベートーヴェンだけである。
モーツァルトを、ワーグナーを、マーラーを、ブラームスを、バッハを、
なぜ聴くのか、ということを、これまで考えたことはなかった。

ベートーヴェンだけである。
なぜ、ベートーヴェンを、私は聴くのだろう……

Date: 1月 28th, 2020
Cate: ベートーヴェン

シフのベートーヴェン(その6)

アンドラーシュ・シフはハンガリーのピアニストである。
ハンガリーのピアニストには、私の好きなアニー・フィッシャーもいる。

アンドラーシュ・シフは1953年12月21日、
アニー・フッシャーは1914年7月5日うまれ。
二世代ほど離れている。
アンドラーシュ・シフは男、アニー・フッシャーは女。

こんな違いをならべたところで、
二人のベートーヴェンの演奏の違いに、どこかつながっていくとは思っていないけれど、
まったく無関係とも思っていないところが、私にはあるようだ。

だから、つい書いてしまうのだろう。

アニー・フッシャーもベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音している。
フンガロトンから出ている。

録音は、1977年から78年にかけて行われている。
2002年にCDが出た。
買いそびれてしまっていた。

2014年にふたたび出た。

アニー・フッシャー自身は、この録音に満足していなかった、とも伝えられている。
それでも聴いていると、素晴らしいベートーヴェンだ、と私は思う。

どこが不満なのか、どこに懐疑的だったのかは、いまのところ私にはわからない。
おそらく、これから先もわからないままなのかもしれない。
でも、ずっと聴きつづけていくであろう、とおもっている。

最初は、「アニー・フッシャーのベートーヴェン」というタイトルで書こうと考えていた。
なのに、ここで書いているのは、二人ともハンガリー出身という共通点を思い出したからだ。

とはいえ、二人のベートーヴェンの演奏を逐一比較しながら書いていこう、とはまったく考えていない。
書きたい、というよりも、私自身がその理由を知りたいのは、
私にとってアンドラーシュ・シフの演奏は、デッカ時代、いまのECMの録音をふくめて、
聴いてしばらくは何度も聴いていたのに、ある時からパタッと聴かなくなってしまう。

素晴らしいピアニストだ、ということを疑ってもないのに、
なぜ、そんなふうになってしまうのか。それが知りたいだけである。

Date: 1月 28th, 2020
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その3)

一年前の(その1)で書いたマリア・ラカスのホログラムコンサートが、
ようやく日本でも行われることが決った。

主催はエイベックス・クラシックス・インターナショナル。
5月16日、17日に行われる。

2018年秋から、世界各国で行われているコンサートが、やっと日本に来る。
もう行われないのかな、と思っていただけに、嬉しいし行きたいコンサートだ。

つい最近、NHKが、美空ひばりをAI技術とホログラムで甦らせる、という番組をやっていた。
といっても、テレビを持っていないので見ていない。
紅白歌合戦も見ていない。

このことについては、ここでは語らないが、
マリア・カラスのホログラムコンサートは、美空ひばりのそれとは違う。

比較して語ることなのか、という疑問もないわけではない。
実際にマリア・カラスのホログラムコンサートを体験すれば、
あれこれ考えることが出てくるように思っている。

それに、これがマリア・カラスだから、というのもある。
たとえばグレン・グールドだったら、とも考える。

Date: 1月 28th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(もうひとつおまけ)

メリディアンの218を、単体のD/Aコンバーターとして使うだけなら、
218を買ってくるだけですむけれど、その機能を使いこなしていくためには、
iPhone(もしくはiPad)とIP Controlというアプリが必要だった。

androidのスマートフォンを使っている人にとっては、
ここが導入に踏み切れない理由の一つになっていたかもしれない。

MQAのフルデコードの音を、きちんとした条件で聴いてみたい──、
そう思った時に、218は好適な存在である。

それでもiPhoneがなければ……、androidユーザーにそう思わせていたのも事実だろう。

android用のIP Controlが登場した。
androidのスマートフォンを持っていないので試すことはできないが、
iPhone用のIP Controlと同じ機能を持っているはずだ。

Date: 1月 27th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その12)

別項「オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)」で書いたことをもう一度くり返す。

十数年前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことだ。

人を待っていたので、国際フォーラムのB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
この二人は、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

ここでのインターネットのオーディオ関係のサイトとは、
個人サイトのことを指している。

オーディオ雑誌社のウェブサイトは、少なかった時代であり、
ステレオサウンドも、まだウェブサイトを持っていなかった時代である。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
このことはいまも昔も変っていない、といえる。

だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。

過去に戻れるのならば、いまのオーディオ雑誌のウェブサイトを見てご覧なさい、と、
この時の二人にいいたくなる。

デノンのタイアップ記事が、オーディオ雑誌だけでなく、
ウェブサイトにおいて垂れ流し状態になっているのを、
この時の二人は、なんというだろうか。

オーディオ雑誌には志がある、と、まだいうのだろうか。