Date: 5月 1st, 2020
Cate: 「オーディオ」考

オーディオにおける「かっこいい」とは(その3)

オーディオの普及のためには、
オーディオを何も知らない人がみて、かっこいい、と思われないとダメだ──、
そんなことをSNSで見かけたことがある。

基本的には、というか、簡単に言葉にしてしまえば、私も同じ考えだ。
でも、SNSでそんなことを発言していた人のオーディオは、
私は少しもかっこいいとは思えなかった。

薄っぺらだな、と感じただけだった。
専用のリスニングルームに、高価な器材が並べてある。

そんな発言をしている人のリスニングルームだけにかぎったことではない。
同じように感じてしまう写真が、インターネットにけっこうあふれてたりする。

確かにこれだけの器材を買うだけでも、それだけの情熱は必要になる。
そんなことはわかったうえで、薄っぺらだ、と感じてしまうのは、
オーディオの楽しさが、少なくとも写真から伝わってこないからだ。

スイングジャーナルでずっと以前に載った瀬川先生のリスニングルームの写真を見て、
カッコイイと思った人は、
あの写真から、オーディオの楽しさを感じとっていたからではないのか。

岩崎先生の部屋に憧れる、といった人も同じだったのではないか。

Date: 5月 1st, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その9)

長岡鉄男氏のファンは多かった、といっていいだろう。
こんなふうに書くのは、私の周りに、長岡鉄男氏のファンがいなかったからだ。

ステレオサウンドを辞めて十年ぐらい経ったぐらいのときに知りあった人が、
10代からハタチにかけてのころは長岡ファンでした、といっていたくらいである。

長岡鉄男氏のファンのことはよく知らないわけだが、
長岡鉄男氏の文章が載っていれば、そのオーディオ雑誌を買うのだろう。

私が中学、高校のころはFM誌全盛時代だった。
週刊FM、FMfan、FMレコパルがあった。

同級生にオーディオマニアはいなくても、FM誌を読んでいる者は何人かいた。
彼らはオーディオマニアではないから、長岡鉄男氏への関心もなかったはずだが、
彼らはどういう基準で、FM誌を選んでいたのだろうか。

オーディオマニアであれば、長岡鉄男氏の連載がある、ということが理由だっただろう。

私はFMfanがメインだった。
理由は単純だ。瀬川先生の連載が載っていたからだ。
週刊FMにも、1981年ごろか、巻頭のカラー見開きで瀬川先生の連載が始まった。
この時は週刊FMも買っていた。

私の知る限りでは、FMレコパルには書かれなかったはずだ。
その7)に書いたように、サウンドボーイにも一切書かれなかった。

そのころの私にとって、No.1のオーディオ雑誌はどれかという意識はあまりなかった。
とにかく瀬川先生の書かれたものを読みたかった。

Date: 4月 30th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その4)

スレッショルド、PASS LABの創業者であるネルソン・パス。
パスのスピーカー遍歴は興味深い。

いまパスが使っているスピーカーは、
Cube Audioのフルレンジユニットを使ったシステムである。

どのくらいになるのかまでは正確に憶えていないが、
パスはフルレンジユニットを中心としたシステムを、けっこう長くやっている。

今回のシステムにしても、
フルレンジを取り付けている平面バッフルの底部には、
エミネント(だったと思う)のウーファーが床に向けて足されている。

以前はフルレンジ+スロットローディングの低域というシステムだった。
とにかくフルレンジユニットの低域を増強する方向である。

そういえばBOSEもそうだった。
501という小型のシステムがあった。

小口径のフルレンジユニットを、キューブ状のエンクロージュアにおさめ、
二段重ねにし、センターウーファーを加えたシステムだった。

フルレンジがけっこう小口径で高域がそこそこ再生可能だったから──、
という見方もできるが、それでもウーファーを足している点に注目したい。

日本のメーカーならば、トゥイーターを先に足すのではないだろうか。
日本のオーディオマニアも、少なからぬ人が、
フルレンジで始めて、次のステップとしてはトゥイーターであろう。

トゥイーターを先に足せば、繊細感は増す。
けれど、そのことで、歌手の肉体の再現が増すかといえば、そんなことはない。

人によって優先順位は違う。
フルレンジに、ウーファーよりも先にトゥイーターを、という人は、
私とは優先順位が違うだけなのだろう……、と理解はできなくはないが、
それでも歌手の肉体の復活を最優先してこその、オーディオならではの愉悦ではないのか。

Date: 4月 30th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その2)

パブロ・カザルス指揮によるモーツァルトを聴いていると、
「細部に神は宿る」について、あらためて考えさせられる。

なにもモーツァルトでなくてもいい、
カザルス指揮のベートーヴェンでもいい、シューベルトでもいい、
私にとって指揮者カザルスによって生み出された音楽を聴いていると、
これこそ「細部に神は宿る」と実感できる。

「細部に神は宿る」ときいて、どんなことを思い浮べるか。
細部まで磨き上げた──、そういったことを思い浮べる人が多いかもしれない。

そういう人にとって、カザルスが指揮した音楽は、
正反対のイメージではないか、と思うかもしれない。

丹念に磨き上げられ、キズひとつない──、
そういった演奏ではない。

それなのに「細部に神は宿る」ということを、
指揮者カザルスの音楽こそ、そうだ、と感じるのは、
すみずみまで、血が通っているからだ。

太い血管には血が通っていても、
毛細血管のすべてにまで十分に血が通っているわけではない、ときく。

毛細血管の端っこまで血が通っていなくとも、
指先の手入れをきちんとやり、爪も手入れも怠らない。
そういう演奏は少なくない。

そういう演奏を「細部に神は宿る」とは、私は感じない。

カザルスの音楽は、そうじゃない。
毛細血管の端っこまで充分すぎるくらいの血が通っている。

Date: 4月 29th, 2020
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その29)

非反転増幅回路も反転増幅回路も、
OPアンプなので、回路図はシンプルだ。

OPアンプ(三角形の記号)と抵抗(二本)の回路図での説明である。
OPアンプ内部の回路のことがよくわからなくても、
アンプの働き的なことは理解できる。

ある日、気づいた。
反転増幅の回路図を少し描き直すと、
“straight wire with gain”ならぬ、“straight wire with register”になる、ということに。

増幅度をもったワイアーならぬ、増幅度をもった抵抗、ということになる。

反転増幅の場合、入力に直列に抵抗が入る。
この抵抗の出力側にOPアンプの反転入力が接がる。
と同時に、この箇所にNFB用の抵抗も接がる。

一般的な回路図の描き方だと、
入力抵抗の出力側からまっすぐのびたところにOPアンプの反転入力があり、
その少し手前の箇所から垂直に上にのばしたところで、
OPアンプの出力へと接がる抵抗(NFB用)があるわけだ。

回路図的には、
入力用抵抗とNFB用抵抗とは一直線には並んでいない。
けれど、ちょっと描きなおして、一直線になるようにする。

つまり信号経路に二本の抵抗が直列に挿入される。
出力側の抵抗(NFB用)に並列にOPアンプがぶらさがるようなかっこうになる。

こう描くと、まさしく“straight wire with register”にみえてくる。

Date: 4月 29th, 2020
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その28)

“straight wire with gain”(増幅度をもったワイアー)がアンプの理想像、
そんなことが私がオーディオに興味をもったころはよくいわれていた。

アンプの増幅という動作を理解するために、
電子工学を一から学んでいくのがいいのだければ、
中学生の私は、ともかくも極端な理想形を考えた。

カートリッジとスピーカーを、ダイレクトに接続する。
カートリッジの出力レベルも小さいし、
それにカートリッジの大半は速度比例型だから、
高域と低域とではレベル差が生じる。つまりRIAAカーヴが必要になるが、
そんなことはとにかく無視して、スピーカーとダイレクトに接続するモデルを考える。

どんな高能率のスピーカーをもってきても、蚊が鳴くような音さえ出ないだろう。
次に考えたのが、“straight wire with gain”である。

カートリッジとスピーカーを接続するケーブルが増幅度をもっていたら、いいわけだ。
実際のシステムでは、それがアンプということになるわけだが、
現実のアンプは、“straight wire with gain”ではない。

現実のアンプが理想のアンプにはほど遠いから、そう考えたのではない。
アンプに入力された信号が、文字通り増幅されて出力されるわけではないからだ。

電源の直流を、入力信号に応じて変調したものが出力されるわけであって、
入力信号が増幅されているわけではない。

でも、そのことすら、中学生の私は完全に理解していたわけではなかった。
当時、OPアンプの活きた使い方(こんな感じのタイトルだった)という書籍があった。

OPアンプだから、増幅回路を全体を三角形で表わしている。
この本で、非反転増幅、反転増幅回路があることを知る。

いうまでもなく、世の中の大半のアンプは、非反転増幅。
つまり入力と出力の極性は同じである。
反転アンプは、入力が180度反転して出力される。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その3)

グレン・グールドが語った「コンサートは死んだ」。
新型コロナ禍のいま改めて「コンサートは死んだ」を考えると、
「コンサート(ホール)は死んだ」なのかもしれない。

グレン・グールドはコンサート・ドロップアウト後も、テレビ用に演奏している。
カメラの向う側、テレビの向う側に聴き手に向けてのコンサートである。

それにゴールドベルグ変奏曲もDVDが出ているくらいだ。
その他にも、グールドの映像は、
ホールでの演奏会を頻繁に行っている演奏家よりも、ずっと多い。

そんなグールドがいうところの「コンサートは死んだ」は、
コンサートホールは死んだ、ということかもしれない。

しかもコンサートホールそのものが消滅するということではなく、
そこに大勢の観客が集まってのライヴ演奏が死んだ、ということなのか。

グールドのいうように「コンサートが死んだ」としても、
コンサートホールは、特にクラシックの録音に関しては、録音の場として残っていくだろう。

だとすれば、ライヴ会場としての「コンサート(ホール)は死んだ」なのか。

グールドは指揮者としての活動も始めていた。
ワーグナーのジークフリート牧歌の録音が残っている。

それにグールドは別の場所にいて、テレビカメラでオーケストラがいる場と中継して、
離れた場所から指揮するという試みも行っている。
いまから40年ほど前のことだ。

コロナ禍により、STAY HOMEである。
クラシックの演奏家に限らず、いろんなジャンルの音楽家(演奏家)が、
自宅からインターネットのストリーミングを里余しての演奏を公開しいてる。

さらには離れた場所にいる数人がインターネットを介して、いっしょに演奏している。

昔、グールドがやっていたこととほぼ同じことをやっている、とも見える。
もしいまグールドが生きていたら、まっさきに演奏を公開していたのではないだろうか。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その16・補足)

1996年に出たステレオサウンド創刊30周年別冊「世界のオーディオブランド172」、
その巻頭鼎談の最後のほうでも、菅野先生は、こう語られている。
     *
僕は、21世紀を考えますと、ハイテクとローテクがどう結びついていくかにすごく興味があるわけです。
 それで、今のハイテクの象徴、一般的にそれはパーソナル・コンピューターですね。あんなチャチなプラスティッキーな作りのパソコンにも一流ブランドがあるか? 強いて言えば唯一あります。マック、アップルのマッキントッシュ。マックはほとんどアニミズムみたいに愛されているブランドです。ハイテクとアニミズム、いかにも人間らしい。
 アップル社の創業者たちは、あのブランドを、かのオーディオのマッキントッシュ社に使用権料を払ったほどのこだわったんです。素晴らしいことですよ。僕もあのアンディ・ウォーホールのアップル・マークには惹かれるし、マック・ファンの気持ちもわかりますね。テクノロジーは普遍的であり収斂性あるのみなのに、未発達の古いマックが愛される。奇妙なことです。人間って、奇妙なものですよ本来。
     *
ここでもハイテクとローテクについて語られている。
そしてハイテクとアニミズムである。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その17)

半導体式パワーアンプの出力段は、
ほぼすべてといっていいくらいにSEPP(Single Ended Push-Pull)である。
いうまでもなくトランジスターならばNPN型とPNP型、
FETならばNチャンネル、Pチャンネルによるプッシュプルである。

もちろんそうでない回路を採用しているパワーアンプもないわけではないが、
ごくわずかであり、ほぼすべてSEPPといっても言い過ぎではない。

NPN型、PNP型トランジスターが、
完全に対になる特性を実現しているならばいいのだが、
現実はそうではない。

そこに出力段の動作方式が加わる。
A級動作とB級動作である。

実際は純B級といえるパワーアンプは存在しないといっていいだろう。
市販されている製品は、A級かAB級である。

どうも世の中には、AB級を勘違いしている人が少なからずいる。
オーディオ関係の出版社にもいるようで、
製品の解説で、小出力時はA級動作で、出力が増すとAB級動作に移行する──、
こんな感じのことを書いている。

小出力時がA級動作で、出力が増えるとB級動作に移行するのがAB級であるにもかかわらずだ。
こんな基本的な勘違いが、いまだ続いている、というか、昔ならばなかったことである。

そしてアンプに入力される信号は、交流である。
プラス側にもマイナス側には信号はふれるわけで、
プラスからマイナス、マイナスからプラスへとうつる際には、0Vの瞬間がある。

これら三つのことを考え合わせると、
パワーアンプの出力インピーダンスは変動していても不思議ではない、と考えられる。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

虚構を継ぐ者(その1)

別項で後継者について書いていて、
ふと思いついたのが「虚構を継ぐ者」だ。

思いついただけであるのだが、
虚構を継ぐ者→「虚構」を継ぐ者、とも考えた。

さらに者は、ものであるから、もの、モノ、物、というふうにもなるから、
虚構を継ぐ「もの」か。

継ぐもそうだ。
つぐは、嗣ぐもあるし、接ぐ、注ぐ、告ぐ、などがある。

そんなことをぼんやり考えながらの「虚構を継ぐ者」を考えていると、
瀬川先生がいわれていた、「ナマ以上にさえ妖しく美しい音」というふうに虚構を捉えれば、
瀬川先生も「後継者」であるのか──。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その8)

瀬川先生が、若い世代の書き手を育てよう、とされていたのは事実である。
けれど、このことが、イコール後継者を育てる、ということではない、と私は考える。

それに、そもそも、ということになるが、瀬川先生は誰かの後継者ではない。
ここでまたくり返し長島先生が書かれたことを引用する。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
(サプリームNo.144より)
     *
オーディオ評論そのものが、瀬川先生が始めた、
瀬川冬樹から始まった、といっていいのだから、
瀬川先生は誰の後継者でもない。

もちろん影響を受けた人は何人かいるはず。
五味先生もその一人だし、
菅野先生からきいた話では、佐藤信夫氏のレトリックの本の影響を受けていた、とのこと。

私が知らないだけで、他にもそういう人はいたはずだ。
それでも、そういう人たちは、たとえ五味先生であっても、
瀬川先生は五味先生の後継者ではない。

つまり瀬川先生に、オーディオ評論における師はいなかった。
ここでおもうのは、優れた師をもたなかった者は、
優れた師にはたしてなれるだろうか、である。

ラジオ技術の金井稔氏が、
《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》と書かれていた。

そうなのだろう、とおもう。
自分の感性に当惑していた人が、後継者を育てられるだろうか。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その7)

後継者ということに関しては、
個人規模のメーカーに対してだけでなく、オーディオ界ほぼ全般についていえることだ。

たとえばステレオサウンド 66号の菅野先生の「ベストオーディオファイル訪問」。
永良公二氏が登場されている。

そこに後継者について語られているところがある。
     *
永良 ぼくは、いまオーディオジャーナリズムを槍玉にあげましたが、実は、それをも含めて、社会全体の、より上の世代から、より若い世代に対する、ひとつの責任としての、広い意味での教育のありかたに欠陥があるのかもしれません。
菅野 そういう責任はたしかにあると思う。瀬川君ともおなじ主題で話しあったことがあります。
永良 瀬川さんに、あんたは後継者を育ててないじゃないか、と批判したことがあります。つくっていなきゃ、あんたがやってきたことを、だれが評価するんだ、と。えらそうに文章を書いて、自分だけのものにしているのでは、マスターベーションにすぎないのではないのか、後継者を育て、そのなかに自分の考えが浸透していくのを見届けてこそ、一人のオーディオで道を立ててる人間としての、あるべき姿ではないのか、と。
菅野 耳が痛いね。でも後継者としてふさわしい人がなかなか現われない。
     *
66号を読まれた方ならば記憶されているだろうが、
永良氏は、瀬川先生が鳴らされていたJBLのエンクロージュアとウーファー(LE15A)を、
譲ってもらった人である。

瀬川先生は、後継者を育てようとされていたのか、そうでなかったのか。
永良氏は、後継者を育ててないじゃないか、と批判されている。

けれど、66号の数年後、さらにその数年後、別々の人から、
瀬川先生が若い書き手を育てよう(見つけよう、かもしれない)とされていた、ときいている。

若い人たち数人に、何か書かせるようにされていた、ということだった。
けれど、そこから先の話は、どらちの人からもなかった。

永良氏と後継者の問題について、どれだけ話されていたのかは、はっきりとしないし、
瀬川先生が何もされていなかったわけでもない。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その13)

高校総体も中止になった、というニュースがあった。
夏の甲子園もどうなるかなんともいえない。

一時的な収束はあっても、年内の終息はないのでは……、
私はそんなふうに思っているから、11月のインターナショナルオーディオショウは、
時期が時期だけに、第二波に備えて、ということになれば、
開催はどうなるかなんともいえないのではないか。

そんなことを考えていると、
完全終息ということにならなければ大晦日の紅白歌合戦も中止になるのか。

先のことはわからない。
そんな可能性があるかも──、というだけなのだが、
OTOTENの中止は予想できたことであって、特に残念というふうには感じていないが、
それでも2019年のOTOTENにいきなり出展したESD ACOUSTICは、ちょっと気になる。

今年のOTOTENに出展予定だったのかどうかは知らない。
出展してほしい、と思っていたメーカーである。

日本での代理店は決まらなかったようだ。
ESD ACOUSTICのサイトを見ると、昨年よりもよくなっている。
製品の写真も見ても、昨年の、いかにも試作品的な印象は薄れ、
製品っぽくなってきている。

完成度は増してきているようだ。
音はどうなのか。

この一年で、どれだけ進歩したのか、していないのか。
それを自分の耳で確かめる機会は、今年はなくなってしまった。

Date: 4月 26th, 2020
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その16)

動的なダンピングファクター、
つまり動的な出力インピーダンスについて考えるきっかけとなったのは、
ステレオサウンド 64号での長島先生によるパワーアンプの測定である。

パワーアンプの負荷を8Ωから1Ωに瞬時に切り替えた際の電流供給能力を測定し、
グラフと実際の波形で表している。

これとは別に参考データとして、
8Ω/4Ω瞬時切替THD測定データが、九機種分載っている。
こちらはあくまでも参考データということで機種名はふせてある。

この全高調波歪で、一機種のみ圧倒的に優れた特性を示している。
これがケンウッドのL02Aである。

そして瞬時電流供給能力の波形とグラフをみても、
L02Aが瞬時の負荷抵抗の変動に対応しているのがわかる。

64号をもっている人は、L02Aと、他の機種との比較してほしい。
L02Aは、もっと物量投入型のモデル、高価なモデルよりもきわめて優秀な特性である。

このころは、L02Aは電源が大容量なのだ、と最初は考えた。
けれど、64号ではプリメインアンプだけでなくパワーアンプの測定も行なっている。

電源の容量の大きさならば、L02Aよりも上のモデルがある。
それよりもL02Aは優れている。

単に電源の容量だけでなく、配線を含めての設定がうまいのか──、
次にそう考えた。

それでもL02Aだけが、ここまで測定結果が優れている理由の説明には足りない。
他にどんなことが考えられるか。
一年ほどあれこれ考えた結果が、出力インピーダンスの変動ではないか、だった。

Date: 4月 25th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その6)

「日本のオーディオ、これから」ということが、ここでのテーマであり、
2015年に復活したNIRO Nakamichiには、その意味でも関心をもっていた。

NIRO Nakamichiの製品は、オーディオ雑誌にほとんど登場してない。
ステレオサウンド 198号には、スピーカーシステムのHE1000が取り上げられているくらいか。

オーディオ販売店においても同様だ。
東京のオーディオ販売店で、HE1000が展示されているところに遭遇していない。

型番に1000がついている。
HE1000は、ナカミチ時代にラインナップにはなかったスピーカーシステムである。
最初のスピーカーステムに、1000がつけられているということは、
それだけの自信作という表明であるはずだ。

少なくとも私はそう受けとっている。
NIRO Nakamichiのウェブサイトをみても、ずっと更新されていないようだ。
新製品もない。

HE1000は、それだけの自信作なのだから、
これ以上のモノは、もう開発できない──、ということなのかもしれない。

そんなふうに思いながらも、
日本のオーディオ、これから、というテーマで考えると、
どうしても後継者という問題が浮んでくる。