冒瀆か(その1)
昨年大晦日の紅白歌合戦に登場した美空ひばりは、冒瀆だ、という声を、
SNSでよくみかけた。
私は見ていないので、なんともいえないが、
冒瀆とは、辞書には、神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと、とある。
NHKによる、あの美空ひばりは冒瀆だ、といっている人たちは、
誰に対して、何に対して冒瀆だ、と思っているのだろか。
あの企画は、NHKが美空ひばりの遺族に無断に行ったことではないはずだ。
遺族の許諾を得てのものであったはずだ。
美空ひばりのホログラム、
そしてAI技術(ディープラーニング)による歌唱の出来がひどすぎて、
遺族が冒瀆だ、というのならば、周りがとやかくいうことではない、と思う。
けれど実際に放送されている、ということは、
遺族は出来に、どの程度かはわからないものの満足している、ということのはずだ。
ならば第三者である人たちが、冒瀆だ、ということは、どういうことなのだろうか。
出来があまりよくないと感じたためなのか。
そもそも、こういう企画自体を冒瀆だ、と思っているのか。
美空ひばり自身が、自分の死後に、こういうことは絶対にやるな、ということを残していたら、
確かに冒瀆である。
けれど美空ひばりが生きていた時代には、
こういうことが可能になるとほとんどの人が想像していなかった。
美空ひばりも、こういう時代が来るとは、夢にも思っていなかったのではないのか。
ならば誰が冒瀆かそうでないかを決めるのか。
やはり遺族ということになろう。
こんなことを書くと、その遺族が……、ということを言い出す人がきっといよう。