Date: 1月 30th, 2020
Cate: オリジナル
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冒瀆か(その2)

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある──、
という話を以前きいている。

これが事実ならばだ、
アルテックのA7以外のスピーカーで美空ひばりの録音を聴くことは、
冒瀆ということになるのではないか。

もっといえば美空ひばりがそういった時の音を出していたのと同じシステム、
同じ部屋で同じ音を出しているか、
少なくともその音と本質的に同じである音で聴いているのであれば、
美空ひばりを冒瀆していない、といえるが、
そうでなければそれも冒瀆である、といえるはずだ。

もちろん美空ひばりがアルテックのA7から、「私の声がしている」と感じたとはいえ、
それ以外のスピーカーから鳴ってくる美空ひばりの声を冒頭だ、とはいわなかったはずだ。

美空ひばりを、神聖・尊厳な存在としてとらえている人であれば、
美空ひばりが「私の声がしている」といった音以外で聴くことは、それこそ冒瀆ということになろう。

私は、美空ひばりをそんなふうにはとらえていないし、
アルテックのA7で聴いた美空ひばりこそがほんとうの美空ひばりの声である──、
とは思っていない。

そうとらえてしまった時点で、オーディオは自由を失い、終ってしまう。

では、美空ひばりの清純とは、何を指すのか、どういうことなのか。
それをけがしているのならば、冒瀆ということになるけれど、
清純についてどれだけのことが語れる、というのだろうか。

結局のところ、個人的に気にくわないことをやっていることに対して、
安易に「冒瀆だ」といっているだけではないのか。

そうでない「冒瀆だ」もあるだろうが、多くの「冒瀆だ」はそういうことなのではないのか。

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