Date: 2月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その4)

MQAを開発したボブ・スチュアートによれば、
MQAをもっともよく再生するD/Aコンバーターは、
いうまでもなくメリディアンのULTRA DACである。

二番目はMSBテクノロジーの非常に高価な製品。
三番目は、というと、意外にもLG電子のLV30である。

LV30? どんなD/Aコンバーターなんだろう、と思われるだろうが、
LV30は、十万円以下で買えるスマートフォンである。

2019年のOTOTENでのMQAのイベントでのボブ・スチュアートが語ったことだ。

音を追求していった結果に、
大きくなってしまったオーディオ機器は、いくつもある。

けれど大きなオーディオ機器の場合、往々にして信号経路も長くなってしまう傾向にある。

一方で小型化をめざした製品の場合、信号経路はかなり短縮される。
その結果として、音質面での改善もある、と考えられる。

大きいから音がよい──、ということが成り立つと仮定したとして、
だからといって小さいから音が悪い、とはいえない。

D/Aコンバーターにかぎっても、CHORDのMojo、
メリディアンの218などを聴くと、小型ゆえ、といいたくなるところを感じないでもない。

LV30はまだ聴いていないが、
スマートフォンなんだろう……、そんなモノで音楽が聴けるか、
と切り捨てる人もいようが、
MQAに音の良さを感じている人ならば、
ボブ・スチュアートが、三番目にLV30を挙げているのだから、
そのことに素直に耳を傾けたい。

LV30もいいとして、手元に218がある。
iPhoneもある。

まずこの組合せで聴いてみることにした。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
ミハイル・プレトニョフのシューマンの交響的練習曲(SACD)と
児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集(SACD)は持っていく。

それから菅野先生録音の柳兼子のCD、
少し前に書いているシャルラン レコードのエリック・ハイドシェックのCDは、
ベートーヴェンの二枚とブラームス、
私の好きなピアニスト、アニー・フィッシャーのベートーヴェンのビアノ・ソナタ全集、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はもう一組、
アルトゥール・シュナーベルの古い録音を、
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲(1981年録音)のSACDなどである。

必ずしも優秀録音盤ばかりではない。
ピアノだけの録音でもない、
ピアノが主の録音だけでもない。

私が持っていくのはクラシックが中心になるが、
ジャンルは問わない。

ピアノ好きの人に聴いてもらいたい、と思っているディスクを持参してくだされば、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その3)

○○だから、音がよい、
その反対に、○○だから、音が悪い──、
そんなことは私がオーディオに興味をもった以前からいわれ続けていることだ。

1980年ごろ、日本のオーディオメーカーは平面振動板のスピーカーの新製品を出してきた。
ステレオサウンド 54号の特集はスピーカーシステムで、
そこには平面振動板のモデルがいくつも登場していた。

特集の巻頭座談会で、瀬川先生は、
《試聴するときも、特に平面だからどうという意識は持っていない》、
《平面型を否定はしませんが、平面型にすればすべてが良くなるということはないと思う》、
他にも平面型について語られているが、
要約すれば、平面型だから──、ということをまったく意識しないで聴いている、ということだ。

たとえば真空管でいえば300Bが、音のよい真空管としてよく知られているが、
だからといって300Bを使ってさえいれば、すぐれた音のパワーアンプにすべてが仕上がるわけではない。

他にもいくつもある。
すべてを書いていくのは無理があるほどに、この「○○だから」というのはうんざりするくらいある。

最近の例では、ハイレゾだから、というのがあるといえよう。
ハイレゾだから、音がいい、とは必ずしもいえない。

それでも、これから先も、いろんな「○○だから──」というのは登場してくるはずだ。

まったくあてにならない「○○だから……」なのだが、
ここにきて、私のなかでは「MQAだから、音がよい」といえる、
そうおもえてきている。

ただし条件つきである。
私が「MQAだから、音がよい」とするのは、
これまで録音されてきたものについて、である。

つまりアナログ録音にしてもデジタル録音にしても、
これまでLPやCDで聴いてきて、よい音の録音と感じてきたものにかんしては、
MQAになることで、音はよくなっている。

MQAだから、MQA-CDだから、といって、すべての録音がいい、とは思っていない。
MQAを前提にした録音のすべてを聴いているわけではない。
いいものもそうでないものもあろう。

それは録音というものがそうであるように、である。

だからくり返すが、名録音、優秀録音とこれまでいわれてきたものが、
MQA-CDになったり、MQAで配信されるようになって、
それらを聴いていると、いままでのところ、私の期待が裏切られたことはない。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その3)

音のためならば──、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がそうであろう。

多少大きくなろうが、多少使いにくくなろうが、
音がよくなるのであれば、そういったことは我慢もするし、
そもそも我慢とは思っていないところもある。

それでも……、と思うのは、
最近のCD再生に必要なシステムの大掛りなことである。

音をよくするためといえ、
なぜ、ここまで大掛りなシステムになってしまったのか、と思う。

dCSのフラッグシップモデルをみると、
その価格よりも、すべてをあわせた大きさに疑問を抱いてしまう。

音を聴けば、そんなこと問題ではなくなる、
気にならなくなる──といった問題だろうか。

dCS以外にも、なぜここまで大掛りになってしまったのか、と思う製品はある。
コンパクトディスクなのになぁ……、といったことをおもいだす。

買えない者の僻みと受けとられようとかまわない。
あれだけの大掛りな構成と大きさ、
そこになんの疑問も抱かずに聴いていられる神経の鈍感さ、
それこそは、もうお見事、というしかないのか。

メリディアンの218で音楽を聴くようになって数ヵ月。
物量を投入しなければ得られない音の世界があるのは実感しつつも、
なんなんだろうか、あの大きさと大掛りさは……という気持は深くなっていくばかりだ。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その2)

昨晩(2月5日)のaudio wednesdayは、
iPhoneとメリディアンの218を使っての音出しだった。

iPhoneには、e-onkyoで購入した曲を入れていた。
再生アプリは、オンキヨーのHF Player(有料)を使った。

いつもはCDプレーヤーのマッキントッシュのMCD350を置く位置に、
iPhoneと218と、D/DコンバーターのFX-AUDIOのFX-D03J+を置く。

三つあわせても、MCD350よりもコンパクトである。
オーディオマニアだから、コンパクトであるかどうかよりも、
問題は音である。

音がひどければ、コンパクトにまとまっていようが、
何の意味も持たない──、とまで言い切れる。

でも、CDはCompact Disk(コンパクトディスク)の略である。
フィリップス(マランツ)とソニーのCDプレーヤー一号機は、
他社製がいわゆるコンポサイズだったのに対し、コンパクトに仕上げられていた。

私が初めて聴いたCDの音は、以前何度か書いているように、
フィリップス(マランツ)のCD63である。

あとでわかったことだが量産機のCD63とはピックアップメカニズムが違っていた。
そのおかげだろうが、
そのころステレオサウンドのリファレンスプレーヤーであったExclusive P3が色褪た。

きいた編集部みなが驚いていた。
もちろんすべての面でLP再生を凌駕していた、とはいわないが、
プレーヤー自体のサイズの大きな違いが、いっそうCDのすごさを印象深いものにした。

その後、ソニーは二号機(CDP701ES)からはサイズが大きくなった。
そしてLo-Dと同時期にセパレート型を出してきた。

音のためにプレーヤーのサイズは大きくなっていく。

Date: 2月 5th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayは、ピアノを中心とした録音を聴きたい、と考えている。

別項で書いているように、最近、ピアノ録音の優れたものを聴きたい、と思うようになっている。
なのでプレトニョフのシューマンの交響的練習曲のSACDを、
ヤフオク!で手に入れた。

その少し前には、児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集、
これもSACDで買っている。

どちらも菅野先生のリスニングルームで聴いている。
優れたピアノの録音である。

これらだけではなく、オーディオ・ラボから出ていた柳兼子のCD。
もちろん菅野先生の録音なのだが、ピアノの音がめっぽういい。

このCDを聴いていると、菅野先生は、ほんとうにピアノがお好きだったんだな、と感じる。
だから聴いていて、こちらも楽しくなってくるところがある。

そういうピアノの録音を、3月のaudio wednesdayでは聴いていきたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その9)

ステレオサウンドが、全国のオーディオクラブを取材していたころは、
SNSなんてものは存在していなかった。

SNSはやらない、とはいわない。
やっているし、便利だと感じているところもある。
しばらくは、続けていく。

でも距離はある程度はいつもとっておきたい、とも思う。
SNSで感じられる、距離をとっておきたい、と思うのは、
仲良しクラブ的雰囲気が、どことなく漂ってくるからだ。

仲良きことは美しき哉、
武者小路実篤の、名言といわれているものだ。

けれど、私がSNSから感じている仲良しクラブ的雰囲気は、
美しい、とはとうてい感じられない。

それは仲良しごっこなためなのかもしれない。

オーディオの関係者の仲がいいことは、ほんとうに望ましいことなのか。
オーディオの関係者には、いろんな人たちが含まれる。

オーディオ関係の出版社の人たち。
この人たちも、編集者もいるし、営業・広告の人たちもいる。
広告代理店の人もいる。

オーディオ雑誌になにか書いている人たちもいる。

メーカーの人たちのなかには、開発の人、営業・広報の人がいる。
輸入代理店の人もいる。

販売店の人たちも大勢いる。

そういう人たちが、みな仲良しクラブ的にやっていく──、
それはほんとうに望ましいことなのか。

オーディオの関係者のなかには、
オーディオに関係する人たちみなが仲良くやっていくことはよいことだ──、
そんなことをいっている人がいる、と聞く。

誰なのかは知らないから、どんな人がいっているのか、
どういう意図なのかもわからない。

そこに、わずかな気持悪ささえ感じていないのか。
感じながらも、あえてそんなことを言っているのと、
まったく感じずにいっているのとでは、まるで違う。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その3)

宿題としての一枚、ときいても、
すぐには何も思い浮ばない人もいることだろう。

すべてこなしてしまった、と断言できる人なのだろう、きっとそういう人は。
それはそれでいい、と思う。

関係のない私がなにかいうことでもない。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: 「本」

オーディオの「本」(あるムックを手にとって思ったこと)

オーディオ関係のムックを、先月手にとった。
昨年末ぐらいに出たムックのはずだ。

ムックのタイトルは書かない。
おもしろいムックなのかそうでないのかは、読んだ人が判断すればいいことだから。

ただ思ったのは、このムックは自費出版じゃないのか、ということだった。
ある出版社から出ている。

自費出版を主とする会社ではない。
でも手にとって眺めてみると、
タイトルのつけ方といい、全体の構成といい、自費出版としか思えなかった。

自費出版なのだ、と私はほぼ確信しているが、そうでないかもしれない。
どちらでもいい。
自費出版にしか思えないムックを出すのか──、ということに少なからぬ衝撃を感じている。

ここまで、この出版社は切羽詰っているのか。

自費出版、もしくはそれに近いかたちでの出版にしろ、
もう少し工夫のしようはあったはずだ。

なのに、こんなかたちで出してしまっている。
そうとうに厳しい状況なのか。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: audio wednesday

第109回audio wednesdayのお知らせ(iPhone+218)

明日(5日)のaudio wednesdayには、
André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958”も持っていく。

持っていく、と書いてしまったが、
CDと違って物理的に持っていくわけではない。
すでにiPhoneにダウンロードしているのだから、
iPhoneを持っていく・イコール・クリュイタンスのフォーレも持っていくことになる。

audio wednesdayで、これまでレクィエムと呼ばれる作品は、かけてこなかった。
一度だけ、クルレンツィスのモーツァルトは鳴らしている。

特に理由はなかったともいえるが、
アルテックのスピーカーで、レクィエムと呼ばれる作品を聴きたい、とおもう気持になれなかった。

今回はそのへんが少し変ってきている。
鳴らすのかどうかは、当日の音の鳴り方次第なのだが、
クリュイタンスのフォーレを鳴らすかもしれない。

鳴らすとしても、会の終りごろに鳴るだろう。

システム全体がいい感じで鳴ってくれるようになったときに、かけるかどうかを判断する。
MQAのエヴァンジェリストとして、鳴らしてみたい、という気持になりたいし、
来られた方が、聴いてみたい、という気持になってくれれば、と思う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 3rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958(その4)

クリュイタンスのステレオ録音では、
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが歌っている。

ロス・アンヘレスは好きな歌い手の一人だ。
ビゼーのカルメンならば、マリア・カラス(プレートル指揮)、
それからアグネス・パルツァ(カラヤン指揮)、
それぞれの役どころのカルメンに惹かれるとともに、
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ビーチャム指揮)も好ましい、と思っている。

ファリャの三角帽子。
名盤といわれるのはアンセルメ/ベルガンサのそれだが、
私としてはフリューベック・デ・ブルゴス/ロス・アンヘレスのほうが、ずっと好ましい。

ロス・アンヘレスは歌曲シェエラザードも忘れてはならない一枚である。

ロス・アンヘレスを熱心に聴き続けてきたとは胸を張ってはいえないけれど、
ずっと好ましい歌手だと思っている。

そのロス・アンヘレスがクリュイタンスのステレオ録音では歌っている。
でも、モノーラル録音のマルタ・アンジェリシの歌唱を聴いたあとでは、
黒田先生がいわれていた、音楽の身振りが大きくなっていることを感じてしまう。

特にMQAで聴くマルタ・アンジェリシの歌唱のあとでは、より強く感じてしまう。

クリュイタンスのモノーラルのほうを、
フォーレのレクィエムの名盤中の名盤というつもりはない。

私が聴いているフォーレのレクィエムはそう多くない。
私よりも、ずっと多くのフォーレのレクィエムを聴いている人は多くいることだろう。

そういう人は、もっとよい演奏をご存じかもしれない。
その演奏と、私はもうであわないであろう。

それを残念だな、とは思わないし、
これから先、これまで聴いてこなかったフォーレのレクィエムの多くを聴いていこうとも思っていない。

堕落した聴き手といわれればそうである。
それでもクリュイタンスのモノーラルでの第四曲の美しさを、
MQAでほんとうに聴けた、といまはそうおもえている。

このことこそが勘違いなのかもしれない。
それでもいい──、
そういいたくなるほど、美しいのだから。

Date: 2月 3rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958(その3)

e-onkyoで、
“André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958”の配信は、
2018年に開始になっている。

でも、そのころはMQAのことは知ってはいても、まだ聴いていなかった。
e-onkyoの存在は知っていても、アクセスすることはなかった。

2019年秋に、メリディアンのULTRA DACを聴く機会があった。
このとき、はじめてMQAの音を聴いた。
このときのことは別項で書いているので、ここではくり返さないが、
そのときの昂奮はいまも続いている。

ULTRA DACの日からほぼ一年後に、218で自宅でもMQAの音を聴けるようになった。
そうなるとe-onkyoへのアクセスが、日課のようになってきた。

いまではほぼ日課といってもいいぐらいだ。

クリュイタンスのモノーラル録音のCDボックスがMQAで配信されているのに気づいたのは、
昨年の終りちかくだった。
フォーレのレクィエムのモノーラル録音が、MQA(96kHz、24ビット)で聴ける。

このことの嬉しさを、どれだけの人がわかってくれようか。
そうおもいつつも、一人でも多くの人が、クリュイタンスのレクィエムのモノーラルのほうを、
MQAで聴いてくれるようになったら、ともおもう。

第四曲 ピエ・イェズ(Pie Jesu)だけでもいい。
オーケストラがソプラノ独唱によりそうように奏でる三分ほどの、
この短い曲を、MQAで聴いてみるといい。

マルタ・アンジェリシというソプラノ歌手を、
クリュイタンスのモノーラルのレクィエムで知った、というよりも、はじめて意識した。

Date: 2月 3rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958(その2)

フォーレの作品にかぎったことではないが、
レクィエムと呼ばれる作品は、あれこれ聴き比べするようなものではないと感じている。

よりよい演奏を求めて、発売される録音をできるかぎり集めて聴いていく──、
クラシックの聴き手としての、その楽しみは十分わかっているつもりだ。

それでもレクィエムだけは、であえた録音(演奏)だけでいいのではないだろうか、
最近はとくにそうおもうようになってきた。

フォーレのレクィエムは、これまでクリュイタンスのモノーラルとステレオ、
それからジュリーニの三枚だけしか買っていない。

これら以外の録音(演奏)はもちろん聴いている。
友人・知人のところで聴いている。
それでもいままで聴いたフォーレのレクィエムは、十指に満たないかそのぐらいでしかない。

ほとんど聴いていないに等しいではないか、といわれれば、そうである、と認めるしかない。
でも、それでいい、と正直なところおもっている。

これら三枚のディスク、
もっといえばクリュイタンスのモノーラルのほうとジュリーニがあれば、ともおもう。

クリュイタンスのステレオ録音のほうはSACDにもなっている。
エソテリックとEMIから出ていた。

モノーラル録音のほうは、テスタメントによる復刻もあるが、通常のCDでしかなかった。

二、三年前にクリュイタンスのモノーラル録音のボックスCDが、65枚組で出た。
オリジナルのマスターテープから96kHz、24ビットでマスタリングがなされた、とあった。

そのころから期待はしていた。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その1)

2月5日のaudio wednesdayは、
CDプレーヤーを使わずに、iPhoneとメリディアンの218を使う。

私はiPhoneを持っていくが、
ほかの方がandroidのスマートフォン、Raspberry Pi、
ノート型パソコンなど、CDプレーヤーを必要としない音出しが可能なモノの持ち込みは自由である。

iPhoneは音楽再生専用機ではない。
ポータブル型ということにこだわっても、専用再生機を選んだ方が、
音はよくなる可能性があるのはわかっている。

それでも、あえてiPhoneにこだわっているのは、
アンチテーゼとしての「音」なのかもしれない。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: オリジナル

冒瀆か(その3)

冒瀆ということでいえば、
私がメリディアンの218に手を加えてくることも「冒瀆だ」といいたい人はきっといよう。

以前も書いていることのくり返しになるが、
そういう人が、まったく手を加えていないのかというと、決してそうでないことが多い。

電源コード一本交換しても、それは手を加えていることである。
でも、それを認めない人が、私がやっていることを「冒瀆だ」というのだから、
あれこれいっても無駄だ、という気もしてくる。

これもくり返しになるが、218に関して、ハンダゴテは一度も使っていない。
元の状態に戻すことは十分程度でできる。

元に戻してしまえば、メリディアンの人が中を見ても、手を加えた痕跡は見つけられないはず。

だからといって、私がやっていることは、全く冒瀆にはならない、とまでは考えていない。
218の開発者が「冒瀆だ」といえば、それはすんなり受け入れよう。

けれど受け入れながらも、
手を加えた218とノーマルの218とを比較試聴してほしい、という。

音を聴いたうえで、冒瀆かどうかを判断してほしいからだ。
そのうえで、やはり「冒瀆だ」といわれれば、冒瀆である。

それを認めたうえで、では218をどうするか、といえば、元に戻して使うわけではない。
手を加えた218で、これから先も聴いていく。

私のなかには、手を加えた218を聴いた後で、
ノーマルの218のままで音楽を聴いていくことこそが、
音楽に対する冒瀆のような感じるところがあるからだ。