André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958(その4)
クリュイタンスのステレオ録音では、
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが歌っている。
ロス・アンヘレスは好きな歌い手の一人だ。
ビゼーのカルメンならば、マリア・カラス(プレートル指揮)、
それからアグネス・パルツァ(カラヤン指揮)、
それぞれの役どころのカルメンに惹かれるとともに、
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ビーチャム指揮)も好ましい、と思っている。
ファリャの三角帽子。
名盤といわれるのはアンセルメ/ベルガンサのそれだが、
私としてはフリューベック・デ・ブルゴス/ロス・アンヘレスのほうが、ずっと好ましい。
ロス・アンヘレスは歌曲シェエラザードも忘れてはならない一枚である。
ロス・アンヘレスを熱心に聴き続けてきたとは胸を張ってはいえないけれど、
ずっと好ましい歌手だと思っている。
そのロス・アンヘレスがクリュイタンスのステレオ録音では歌っている。
でも、モノーラル録音のマルタ・アンジェリシの歌唱を聴いたあとでは、
黒田先生がいわれていた、音楽の身振りが大きくなっていることを感じてしまう。
特にMQAで聴くマルタ・アンジェリシの歌唱のあとでは、より強く感じてしまう。
クリュイタンスのモノーラルのほうを、
フォーレのレクィエムの名盤中の名盤というつもりはない。
私が聴いているフォーレのレクィエムはそう多くない。
私よりも、ずっと多くのフォーレのレクィエムを聴いている人は多くいることだろう。
そういう人は、もっとよい演奏をご存じかもしれない。
その演奏と、私はもうであわないであろう。
それを残念だな、とは思わないし、
これから先、これまで聴いてこなかったフォーレのレクィエムの多くを聴いていこうとも思っていない。
堕落した聴き手といわれればそうである。
それでもクリュイタンスのモノーラルでの第四曲の美しさを、
MQAでほんとうに聴けた、といまはそうおもえている。
このことこそが勘違いなのかもしれない。
それでもいい──、
そういいたくなるほど、美しいのだから。