アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その3)
音のためならば──、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がそうであろう。
多少大きくなろうが、多少使いにくくなろうが、
音がよくなるのであれば、そういったことは我慢もするし、
そもそも我慢とは思っていないところもある。
それでも……、と思うのは、
最近のCD再生に必要なシステムの大掛りなことである。
音をよくするためといえ、
なぜ、ここまで大掛りなシステムになってしまったのか、と思う。
dCSのフラッグシップモデルをみると、
その価格よりも、すべてをあわせた大きさに疑問を抱いてしまう。
音を聴けば、そんなこと問題ではなくなる、
気にならなくなる──といった問題だろうか。
dCS以外にも、なぜここまで大掛りになってしまったのか、と思う製品はある。
コンパクトディスクなのになぁ……、といったことをおもいだす。
買えない者の僻みと受けとられようとかまわない。
あれだけの大掛りな構成と大きさ、
そこになんの疑問も抱かずに聴いていられる神経の鈍感さ、
それこそは、もうお見事、というしかないのか。
メリディアンの218で音楽を聴くようになって数ヵ月。
物量を投入しなければ得られない音の世界があるのは実感しつつも、
なんなんだろうか、あの大きさと大掛りさは……という気持は深くなっていくばかりだ。