Date: 9月 4th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その6)

その3)で、コーネッタに搭載されているHPD295Aの低音について触れた。
過大な期待をしているわけではないが、もう少し良くなってくれれば、とやっぱり思う。

HPD295Aの低音への不満は、どこに起因しているのか。
心当たりは、コーネッタを鳴らす前からあった。

HPD295Aにはじめて触れたのは、ステレオサウンドだった。
なぜか一本だけあった。

それまでEatonにおさまっている状態、
つまりユニットの正面はみたことはあっても、
ユニットを手にとってすみずみまで見ることはなかった。

HPD295Aで、まずびっくりしたのは、マグネットカバーの材質だった。
それまで、なんとなく金属製なのかな、と思っていた。
実際は、プラスチック製だった。

このマグネットカバーは、フェライト化されたときからなくなっている。
カンタベリー15で、アルニコマグネットを復活したが、
マグネットカバーはなしのままだった。

ユニット単体を眺めているだけならば、マグネットカバーはあったほうがいい。
けれど、音を鳴らすとなると、このカバーは邪魔ものでしかない。

たとえ材質が金属で、しっかりとした造りであっても、
磁気回路はカバーのあいだには空間がある。
ここが、やっかいなのだ。

コーネッタを手に入れたときから、
マグネットカバーを外して鳴らそうと思っていた。

7月、8月のaudio wednesdayでは、
とにかくコーネッタの音を聴きたい、という気持が強かった。

三回目となる9月のaudio wednesdayでは、
最初からカバーを外すつもりでいた。

作業そのものは特に難しいことではない。
けれど、コーネッタの裏板は、けっこうな数のビスで固定されている。

ユニットがバッフル板についている状態では、
カバーを取り付けているネジは外せない。

一般的な四角いエンクロージュアであれば、その状態でもなんなく外せることがあるが、
コーナー型ゆえに、ドライバーが奥まで入らない。

ユニットを一旦取り外してカバーを取り、またユニットを取り付け、
裏板のネジをしめていく。

エンクロージュア内部の吸音材はグラスウールで、
作業しているときも、作業後も腕がチクチクしていた。

それでも、出てきた音を聴けば、そんなことはどうでもよくなる。
低音の輪郭が明瞭になる。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その4)

今回使ったケーブルは、私の自作だ。
いま喫茶茶会記で、メリディアンの218に使っているのも、私の自作で、
どちらも同じケーブルを使っている。

なので、今回の比較は、多少長さの違いはあっても、
同じケーブルでのトランスの有無(一次側巻線の並列接続の有無)である。

この実験は、ずっと以前に、
自分のシステムで、まだアナログディスク時代に試している。

今回、ひさしぶり(30年以上経つ)の実験である。
前回の記憶は、けっこう曖昧になっているけれど、
なんとなくの感触は、まだ残っていた。

けれど、今回の音の違いは、あのころよりも大きかったように感じた。
スピーカーもアンプも、なにもかもが違うわけだが、
それにしても、こんなに違うのか、と、私だけでなく、
いっしょに聴いていた人も、そう感じていた。

池田圭氏は、
《たとえば、テレコ・アンプのライン出力がCR結合アウトの場合、そこへ試みにLをパラってみると、よく判る。ただ、それだけのことで音は落着き、プロ用のテレコの悠揚迫らざる音になる》
と書かれている。

昔も、そう感じた。
今回も、まったく同じであるのだが、その違いが大きくなっているように感じた。

児玉麻里/ケント・ナガノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番(SACD)で、
ケーブルの比較を行った。

A8713の一次側側巻線が並列に接続されると、
ピアノのスケールが違ってくる。

並列にした音を聴いてから、ない音を聴くと、
ピアノがグランドピアノが、どこかアップライト的になってしまう。
オーケストラもピラミッド型のバランスの、下のほうが消えてしまったかのようにも聴こえる。

もう一度、巻線を並列に接続した音に戻すと、悠揚迫らざる音とは、
こういう音のことをいうんだ、と誰かにいいたくなるほどだ。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その3)

その2)で書いていることを、昨晩のaudio wednesdayで試した。

使ったトランスは、タムラのA8713だ。
一次側が20kΩ、二次側が600Ωのライン出力用トランスである。
手に入れたのは30年ほど前のこと。

(その2)か、池田圭氏の「盤塵集」のどちらを読んでほしいのだが、
A8713の一次側の巻線のみを使う。

ラインケーブルに並列に、一次側の巻線が接続されるだけである。
二次側の巻線は使わない。
一般的なトランスの使い方からすれば変則的である。

ようするにCDプレーヤー(もしくはD/Aコンバーター)の出力に、
A8713の一次側の巻線が負荷として接続された状態である。

これならばトランス嫌いの人でも、手持ちのトランスがあれば実験してみようと思うかもしれない。
CDプレーヤーの出力にトランスといっても、
CDプレーヤーが登場してしばらく経ったころに、
ライントランスを介在させると、CDプレーヤーの音が改善される──、
そんなことがいわれるようになったし、メーカーからもいくつか製品として登場した。

いくつか試してことはあるし、
SUMOのThe Goldを使っていた関係で、
TRIADのトランスを使ってバランスに変換して、
The Goldのバランス入力へ、という使い方はやっていたが、
CDプレーヤーの出力に、安易にトランスを介在させるのは、決して絶対的なことではない。

けれと
池田圭氏の使い方は、上記しているように、ちょっと違う。
今回はA8713の一次側は20kΩのまま使った。

一次側、二次側とも巻線は二組あるから、結線を変えれば、インピーダンスは低くなる。
同時にコイルの直流抵抗も小さくなる。

今回のようなトランスの使い方では、
コイルの直流抵抗の低さが、かなり重要になるような気がしてならない。

できればインダクタンス値が高くて、直流抵抗が小さい、
そんなトランスがあればいい。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: audio wednesday

audio wednesday (今後の予定)

10月のaudio wednesdayは、すでに告知しているとおり、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん、二人のDJによるmusic wednesday。

12月は、ベートーヴェンの誕生月ということ、
今年は生誕250年なので、ベートーヴェンばかりをかけるつもりでいる。

11月はまだ決めていない。
1月もまだ決めていないが、
2011年2月2日に始めた、この会も十年やったことになる。

ここで一区切りにしたいので、
やれるかどうかはなんともいえないが、これまでとは違うことを考えている。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その26)

昨晩のaudio wednesdayは、三回目のコーネッタだった。
一回目、二回目とは鳴らし方のアプローチを変えた。

結果を先に書いてしまうと、うまくいった。
人には都合があるからしか。たないことなのだが、
一回目、二回目に来てくれた人に聴いてもらいたかった、と思っている。

昨晩は、途中から喫茶茶会記の常連の方が参加された。
オーディオマニアではない方だ。

こういうことはいままでも何度かあったが、昨晩の方は、最後まで聴かれていた。
それに一曲鳴らし終ると、小さな拍手をそのたびにしてくれた。

昨晩は、ディスクをけっこうな枚数持っていった。
そのなかで、私がいちばん印象に残っているのは、
カラヤンの「パルジファル」だった。

五味先生の、この文章を引用するのは、今回で三度目となるが、
それでも、また読んでほしい、と思うから書き写しておく。
     *
 JBLのうしろに、タンノイIIILZをステレオ・サウンド社特製の箱におさめたエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器である──の再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たく即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめタンノイのスピーカーから出る人の声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳に快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を持たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ。しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
     *
《前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する》、
これまでも「パルジファル」は聴いてきている。
クナッパーツブッシュのバイロイト盤を聴いている。

回数的には少ないけれど、カラヤンの録音も聴いている。
それでも、今回ほど、五味先生の精神状態を追体験できたと感じたことはなかった。

アンチ・カラヤンとまではいわないものの、五味先生の影響もあって、
私は、熱心なカラヤンの聴き手ではない。

そんな私でも、カラヤンのワーグナーは、美しいと、これまでも感じていた。
それでも今回ほどではなかった。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その3)

一人のオーディオマニアの人生も、
分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)だ、とおもう。

一人で暮らしていると、それは自由と思われがちだし、自由といえることも多い。
あれこれやる時間がたっぷりとある。

でも、それをやるためには、一人でできることもあればそうでないこともある。
一人でできること、とおもえていることであっても、
実のところ、ほんとうに一人でできているのかもなんともいえない。

今年の4月と5月はひとりで過ごすことが大半だっただけに、
このことを強く実感する。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: audio wednesday

第116回audio wednesdayのお知らせ(music wednesday)

9月のaudio wednesdayでは、器材よりもディスクを優先したが、
10月7日のaudio wednesdayでは、すでに告知しているように、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さんの二人にDJをやってもらうから、
私がディスクをもっていく必要はない。

なので10月のaudio wednesdayでは、
メリディアンの218をはじめ、200V用のトランス、アクセサリー類などしっかり持っていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その8)

その7)へのfacebookのコメントを読んで、
改めてオーディオ機器のジャンル分けというか、
呼称が微妙なところをもつようになった、と感じている。

CDプレーヤーまでは、よかった。
明確に、この製品はCDプレーヤーである、とか、D/Aコンバーターである、
そんなふうにはっきりといえた。

けれどコンピューター、ネットワークといった要素がオーディオのシステムに関ってくるようになると、
私が、ここでD/Dコンバーターと便宜上呼んでいる機器も、
ほんとうにそれでいいのか、ということになる。

メリディアンの210のことを書いているが、
210を単にD/Dコンバーターという言い方で紹介できるのか。

確かに210の機能は、D/Dコンバーターといえる。
とはいえ、いま私が使っているFX-AUDIOのFX-D03J+と210を、
D/Dコンバーターという同じ括りで捉えてしまうことの難しさがある。

FX-D03J+は、ほぼ単機能といえる製品である。
D/Dコンバーター以外の呼称はない、といっていい。

それに、ここでのカテゴリーは「アクセサリー」である。
FX-D03J+はアクセサリー的製品である。

けれど、210やミューテックのMC3+USBなどは、アクセサリー的製品といえるのか。
そう捉える人もいるだろうし、いや、立派なコンポーネントだと捉える人もいる。

210の正式名称は、210 Streamerであるから、
210はD/Dコンバーターと呼ぶよりも、ストリーマーと呼んだ方がいいのか、となると、
そうとも思えない。

これから先、それぞれのメーカーが、独自の呼称をつけてくるかもしれない。
それに従うのには、抵抗がある。

それにデジタル入力とデジタル出力のオーディオ機器、
つまりアナログ入力、アナログ出力をもたない機器は、
D/Dコンバーターと呼んでいい、と考える。

Date: 9月 1st, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その4)

聴きたい(買いたい)録音がすべて買えるほどの経済力を持っていない。
だから購入を迷うディスクと、ためらわないディスクがある

購入を迷うディスクだと、その時の懐事情に左右されもする。
厳しい時はガマンしよう、ということになる。
ほかにも聴きたい録音があるのだから、そちらを優先することになる。

それでも迷うディスクというのは、
私の場合はたいてい、あまりなじみのない音楽のことが多い。

気になっているんだけれども……、
最近は、そういう場合でも、MQAで出ていると、買おう、になってしまう。

つい最近も、それで買ってしまった。
シェールの「Dancing Queen」を、e-onkyoからMQAで買ってしまった。

「Dancing Queen」のアルバムタイトルからすぐにわかるように、
シェールがABBAの曲をカバーしている。

MQAといっても、44.1kHz、24ビットである。
スペック的には魅力は感じない。

MQAでなかったら、あとで買おう、といって、ずっとずっとそのままにしていたはずだ。
私にとって、MQAであることが、ポンと背中をおすような存在になっている。

そうやっていくことで、聴く音楽の領域が少しではあっても拡がっていく。
これはいいことなのだが、同時にオーディオ的には、もっと普及してほしい、と思うところがある。

それは、たとえばアクティヴ型スピーカーだったりする。
デジタル信号技術の進歩によって、
それ以前のアクティヴ型スピーカーと、現在のアクティヴ型スピーカーの性能は、
驚くほど向上している。

聴いてみたい、と思う製品も少なくない。
そのことはけっこうなことなのだが、
これらのアクティヴ型スピーカーにも、ほとんどの機種でデジタル入力がついている。

アクティヴ型スピーカーが、MQA対応にならないのか、ということだ。

Date: 9月 1st, 2020
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その8)

私がオーディオに興味をもったころには、アンプのキットがいくつもあった。
有名なところではダイナコ、ラックスキットである。

ダイナコの場合、完成品と同じモデルがキットになっていた。
つまり完成品の音を聴こうと思えば聴けた。

自分で組み立てたダイナコのキットの音と、
完成品のダイナコのアンプとを比較試聴しようと思えば、それは可能だった。

ラックスキットは完成品のアンプすべてがキットになっていたわけではなかったし、
キットになっているアンプの完成品がすべてあったわけでもない。

それでも完成品とキット、両方出ているモデルもあった。
たとえばコントロールアンプのCL32のキットは、A3032だった。

だから、ラックスキットもダイナコと同じように、完成品の音、
つまり、そのアンプ本来の音を聴ける(確認できる)。

NwAvGuyのヘッドフォンアンプ、D/Aコンバーターは、どうだろうか。
NwAvGuyの指定通りに組み立てられた完成品が、二社ぐらいから出ている。
けれど、その音を、NwAvGuyが聴いて、本来の音が出ていると確認している、とは思えない。
NwAvGuyが匿名のエンジニアだからだ。

同じことは、無線と実験やラジオ技術に発表されるアンプについてもいえる。
回路図もプリント基板のパターンも、実体配線図も記事に載っているし、
部品の指定も、金田アンプの場合は、かなり細かい。

けれど、記事に発表されたアンプ、
つまり記事を書いた本人が組み立てたアンプの音を聴いている人は、ごくわずかだろう。

金田アンプの試聴会は、開かれている。
そこで使われている金田アンプは、金田明彦氏本人が組み立てたアンプである。
とはいえ試聴会で聴いたから、といって、
比較対象となるほかのアンプもない状態で、どれだけ正確に、
金田アンプ本来の音を聴いた、といえるだろうか。

Date: 9月 1st, 2020
Cate: audio wednesday

第115回audio wednesdayのお知らせ(夏の終りに)

明日(9月5日)のaudio wednesdayでも、タンノイ・コーネッタを鳴らす。
これまで二回の鳴らし方とは、違う鳴らし方をする。

メリディアンの218を使うようになってから、
218でレベルコントロール、トーンコントロールをして、
マッキントッシュのMA7900はパワーアンプ部のみ使っていた。

今回は久しぶりに、MA7900を本来のプリメインアンプとして使う。

218を持参するようになって、荷物が増えた。
200Vのトランスも持参しているわけで、その他にも電源コード、
デジタ出力用のケーブル、その他218に取り付けるいくつかのアクセサリーなどで、
けっこうな嵩張るようになってきた。

そのせいで、CDの枚数が犠牲になっていた。
これもこれも持っていきたいけど、カバンに入らないし、けっこう重くなる。

なので、今回はCDを優先して、218も200Vのトランスも持参しない。
喫茶茶会記の218もversion 9にしている。

それでも218を持参していたのは、version 9からさらにいくつか手を加えているからだ。
そういう違いが、今回は生じるから、あえて鳴らし方のアプローチも変えてみる。

それもあって、別項「境界線(その15)」で書いているラインケーブルも持参する予定。

過去二回のコーネッタの音から、がらり変ることはないが、
決して小さくない音の変化はあるはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 8月 31st, 2020
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その7)

1978年に、日本マランツからModel 7KとModel 9Kが発売になった。
型番末尾にKがつくことがあらわしているように、キットである。

この高価なキットの資料には、次のようなことが書いてある。
     *
ニューヨークの倉庫からする古い青図を私達は入手し、パーツリストをたどってオリジナルのパーツを極力探す努力をしました。ただし年月も経ち今や百パーセントオリジナルパーツの入手はもとより不可能です。従って完成品の再現ではなくして、こよなく♯7、♯9を愛しておられる方に、そして管球式アンプをよく熟知された高度なマニアに部品を提供し♯7、♯9を再現していただこうということになりました。
     *

オリジナルにより近いということでは、このキットのほぼ20年後に出た7と9のほうだろう。
だからこそ、キットではなく完成品として、この時は出してきた。

マランツ Model 7はオープンソースなのかについて、考えるうえで、
キットの存在は忘れてはならない。

ステレオサウンド 49号の記事には、資料からの引用がさらに続く。
     *
通常のキットとはかなりその意味が異なります。オリジナルな音の記録は現実にはありませんし、現状の古いアンプもパーツの老化を含めて本来の音の保証もありません。この音についてはより知っておられるユーザーに作っていただこうという趣向です。
     *
本来の音、
マランツ Model 7の本来の音。
それを知っている人がどれだけいるのだろうか。

私のModel 7はオリジナルだ、
その音こそ、オリジナルのModel 7の音だ、
こんなことを主張する人はいる。

それでも、その人がそう思い込んでいるだけであって、
オリジナルの音そのままだという保証は、どこにもない。

その6)で、アメリカのNwAvGuyと名乗る匿名のエンジニアのことを書いた。
彼が設計したヘッドフォンアンプとD/Aコンバーターは、回路図はもちろん、
プリント基板のパターンも公開されている。

指定通りに製作すれば、NwAvGuyの意図したとおりの、
つまり本来の音が出せるのか。

出てくるはず、と考えられるが、
NwAvGuyのヘッドフォンアンプ、D/Aコンバーターのオリジナルの音、
つまりNwAvGuyが製作したこれらの音を聴いている人は、
おそらくほとんどいないと思われる。

指定通りに製作して、その結果として出てきた音を、
本来の音と信じるしかない、ともいえる。

Date: 8月 31st, 2020
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その8)

別項で書いているようにiPhoneを、
メリディアンの218に接続して音楽を聴くことが、私にとって当り前になってきている。

CDプレーヤーも使っている。
SACDを聴くときには、CDプレーヤーのアナログ出力をアンプに接続する。

それ以外、つまり通常のCDやMQA-CDを聴く場合には、デジタル出力を218に接続している。
CDプレーヤーの二つの出力(アナログとデジタル)を使い分けているわけで、
だからといってアンプの入力セレクターで対応はせずに、
その度にケーブルを接ぎかえている。

そこにiPhoneが加わると、接ぎかえが増える。
手間といえば手間だが、大変なことではない。
それでも、そろそろなんとかしようとは思いつつも、こんなことをいちいちやっているのも、
iPhoneでのMQA再生が、なかなかいいからである。

iPhoneとCDプレーヤー。
その大きさと重さは、比較するまでもなく、大きく違う。
消費電力もかなり違う。

ここでのテーマ、redundancy in digital(デジタルにおける冗長性)でいえば、
iPhoneは、冗長性の徹底的な排除をはかっている、といえるはずだ。

その成果は、iPhoneをオーディオ機器として捉えても、あると考えている。
デジタル機器としての完成度を高めるためには、
冗長性をなくしていくことは重要なことのようにも感じている。

そう思いながらも、(その2)で書いているように、
ワディアのWadia 2000、X64.4、同時代のD/Aコンバーターが気になってもいる。

ワディアの初期のD/Aコンバーターは、あのころ衝撃的だった。
おそらく、瀬川先生がマークレビンソンのLNP2をきいた時にうけられた衝撃に近い、
もっといえば同種の衝撃だった、とさえ思っているくらいだ。

その衝撃が、まだ残っているからなのもわかっている。
それでも、いまWadia 2000、X64.4を聴いたら、どんな印象を受けるのか、は気になる。

聴く機会はなかったけれど、ワディアのPower DACは、その意味でもっと気になる。

いま愛用している218は、冗長性は小さい、といえる。
そのD/Aコンバーターで、ラドカ・トネフの「FAIRYTALES」を聴いていると、
デジタルにおける冗長性について、どうしても考えてみたくなる。

Date: 8月 30th, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その7)

一年前に、メリディアンから210 Streamerが登場した。

しばらくすれば日本に入ってくる──、そう思っていた。
ところが、しばらくしたら210のニュースどころか、
メリディアンの輸入元がオンキヨーに変る、というニュースだった。

オンキヨーがメリディアンを扱う。
いろんなサイトで取り上げられていた。
それから、ほぼ一年。

オンキヨーのサイトをみると、メリディアンのページはあることにはある。
ただし、2020年1月から、日本での販売代理店になった、という告知のみである。

ニュースでは2019年12月からだったのが、一ヵ月遅れて、である。
さらに、少しも進んでいない。

210の取り扱いも始まっていない。
どうなるのかは、いまのところなんともいえない。

218と組み合わせるD/Dコンバーターの候補の一つは、210である。
けれど……、という状態が、これからも続くのか。

210以外では候補として考えているのは、ミューテックのMc3+USBである。

MC3+USBは、16万円ほどする。
218との組合せ前提なので、価格的には、このあたりを上限としたい。

もっと高価なD/Dコンバーターがあるのは知っている。
試してみたい、と思うモノもある。
けれど、大きさと価格を考慮すれば、MC3+USBより上のモデルは候補から外れる。

Date: 8月 30th, 2020
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その14)

9月のaudio wednesdayでも、タンノイ・コーネッタを鳴らす。
コーネッタが、喫茶茶会記のアルテックよりもいいスピーカーだから、というよりも、
鳴らしたいから、というのが、理由にならない理由である。

喫茶茶会記のアルテックも、古いタイプのスピーカーといえる。
コーネッタもそうだ。
コーナー型で、フロントショートホーン付き。

アルテックよりも、古いといえば、いえなくもない。
そういうスピーカーを、今回もまた鳴らす。

7月に鳴らして、8月も鳴らした。
9月も鳴らすわけだから、三ヵ月続けてのコーネッタである。

鳴らしたいから、は、聴きたいから、でもある。
そして聴きたいから、は、聴いてほしい、ということでもある。

コーネッタの音を、聴いてほしい、と思うのは、
どこか、コーネッタの音を、必要とされる音と感じているからなのかもしれない。