あるスピーカーの述懐(その35)
どれほど音がリアルであったとしても、
細部の音にいたるまでリアルであったとしても、
それだけで、マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
マリア・カラスの自画像そのものだ、と感じられるわけではない。
リアリティがあってこそ、
マリア・カラスの自画像と感じられるし、
マリア・カラスの自画像と感じられる音こそが、リアリティのある音だ。
どれほど音がリアルであったとしても、
細部の音にいたるまでリアルであったとしても、
それだけで、マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
マリア・カラスの自画像そのものだ、と感じられるわけではない。
リアリティがあってこそ、
マリア・カラスの自画像と感じられるし、
マリア・カラスの自画像と感じられる音こそが、リアリティのある音だ。
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