第99回audio wednesdayのお知らせ(三度ULTRA DAC)
瀬川先生が「続コンポーネントステレオのすすめ」に書かれていることが、
そのままメリディアンのULTRA DACにもあてはまる。
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さて、カートリッジに望む第二条件は、そうしてあらゆる音楽(レコード)をきちんと鳴らしてくれるばかりでなく、そこに、そのカートリッジでなくては聴けない音の魅力がなくてはならない。そうでなくて、どうして、そのカートリッジをあえて選ぶ理由があるのだろう。
この音の魅力というのを、カートリッジの音のクセと混同して頂きたくない。あらゆる音楽に、その音楽固有の音色の魅力がある。それぞれに異なる音楽の魅力をうまく抽き出しながら、しかもつい聴き惚れてしまうほどの美しい音楽的なバランスの良さが必要だ。どことなく無機的な、いわゆる蒸留水のような音は私は最も嫌う。だいいち、もとの音楽には演奏家の心をこめた気迫もあれば、色や艶もあり、そこにかもし出されるえもいわれぬ深い味わいがある。そういう音楽の魅力を、まるで鳴らしてくれないカートリッジがある。低音から高音までフラットでバランスが良い。ひずみもきわめて少なく、トレースは全く安定していて、どんなレコードも心配なく鳴らしてくれるのに、その音に味わいも艶も余韻の微妙な美しさもなくて、ただ白痴のような美しさだけ聴かせる。そんなカートリッジはどこか間違っていると私は思う。いや、正しいか間違いかなどはこの際問題ではない。そういうカートリッジではレコードの世界の深さを聴き手に伝えてくれないから、思わず時のたつのを忘れてあとからあとからレコードを聴き耽るというような気持にさせてくれない。結構な音でございます、では音楽の魅力は伝わってこない。だが、そういう音だけのカートリッジが、世間では案外、良いカートリッジ、みたいに言われている。
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カートリッジをD/Aコンバーターに置き換えて読む。
《思わず時のたつのを忘れてあとからあとからレコードを聴き耽るというような気持にさせて》くれるのが、
ULTRA DACである。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。