Date: 4月 11th, 2016
Cate: マッスルオーディオ
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muscle audio Boot Camp(その4)

オーディオマニアである以上、マルチアンプシステムにできるだけ早く挑戦してみたい、
そんなふうに高校生のころの私は思っていた。

HIGH-TECHNIC SERIES-1は、そんな私に、マルチアンプシステムこそが……、と思わせてくれた。
けれどこのHIGH-TECHNIC SERIES-1から約半年ほど経ってから、ステレオサウンド 47号が出た。

巻頭に「続・五味オーディオ巡礼」が載っている47号である。
     *
 言う迄もなく、ダイレクト録音では、「戴冠式」のような場合、コーラスとオーケストラを別個に録音し、あとでミクシングするといった手はつかえない。それだけ、音響上のハーモニィにとどまらず、出演者一同の熱気といったものも、自ずと溶けこんだ音場空間がつくり出される。ボイデン氏の狙いもここにあるわけで、私が再生音で聴きたいと望むのも亦そういうハーモニィだった。どれほど細部は鮮明にきき分けられようと、マルチ・トラック録音には残響に人工性が感じられるし、音の位相(とりわけ倍音)が不自然だ。不自然な倍音からハーモニィの美が生まれるとは私にはおもえない。4ウェイスピーカーや、マルチ・アンプシステムを頑に却け2ウェイ・スピーカーに私の固執する理由も、申すならボイデン氏のマルチ・トラック毛嫌いと心情は似ていようか。もちろん、最新録音盤には4ウェイやマルチ・アンプ方式が、よりすぐれた再生音を聴かせることはわかりきっている。だがその場合にも、こんどは音像の定位が2ウェイほどハッキリしないという憾みを生じる。高・中・低域の分離がよくてトーン・クォリティもすぐれているのだが、例えばオペラを鳴らした場合、ステージの臨場感が2ウェイ大型エンクロージァで聴くほど、あざやかに浮きあがってこない。家庭でレコードを鑑賞する利点の最たるものは、寝ころがってバイロイト祝祭劇場やミラノ・スカラ座の棧敷に臨んだ心地を味わえる、という点にあるというのが私の持論だから、ぼう漠とした空間から正体のない(つまり舞台に立った歌手の実在感のない)美声が単に聴こえる装置など少しもいいとは思わないし、ステージ——その広がりの感じられぬ声や楽器の響きは、いかに音質的にすぐれていようと電気が作り出した化け物だと頑に私は思いこんでいる人間である。これは私の聴き方だから、他人さまに自説を強いる気は毛頭ないが、マルチ・アンプ・システムをたとえば他家で聴かせてもらって、実際にいいと思ったためしは一度もないのだから、まあ当分は自分流な鳴らせ方で満足するほかはあるまいと思っている。
     *
HIGH-TECHNIC SERIES-1には、瀬川先生の、フルレンジから出発する4ウェイ・システム構想も載っていた。
どのフルレンジユニットから始めて、どう4ウェイまでいくのか、
マルチアンプへの移行はどの時点で行うのか、
そんなことをHI-FI STEREO GUIDEをみながら、あれこれ空想していたころに、
47号の五味先生の、この文章である。

そうなのか……、と思ってしまう。
まだマルチアンプの実際の音を一度も聴いたことのない高校生である。
もし聴いていたとして、その音が優れなかったとしても、
それは調整に不備があってのことで、マルチアンプシステムそのものを疑わなかったであろう、
そんな私も、47号の五味先生の文章によって、考えをあれこれめぐらせるようになった。

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