Archive for 1月, 2022

Date: 1月 14th, 2022
Cate: 老い
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老いとオーディオ(若さとは・その8)

心に近い音について、あれこれ書いているところだ。
耳に近い音より心に近い音──、
私が嫌う老成ぶる若いオーディオマニアのなかには、
心に近い音を求めています、という人がきっといるように思えてならない。

若いうちから、心に近い音がほんとうにわかるものだろうか。
私は、この三年ほどぐらいから、心に近い音をなんとなく考えるようになってきて、
すこしばかり自信をもって心に近い音と書けるようになってきた。

若いオーディオマニアにいいたいのは、
若いうちから心に近い音を求めることはやらないほうがいい。

耳に近い音を求めてもいいのだ。
むしろ積極的に求めていってもらいたいぐらいだ。

その耳に近い音にしても、さまざまな音を求めて、そして出してきてこそ、
ようやくわかることのはずなのだ。

無理に、自分自身を小さな枠にはめ込もうとしない方がいい。
小さな壺のなかにこもってしまい、孤高の境地を味わうのが老成ぶることなのかもしれないが、
そんなことを若いうちにやっていて、何になるというのだ。

若いうちはお金もあまりなかったりする。
そのため、あえてそういうところに身をおいて、自分を誤魔化し続けているのが、
ラクといえば楽なのだろう。

それでしたり顔ができるのならば、その人的には満足なのかもしれない。
でも、それはオーディオでなくてもいいはずだ。

あえて、いまの時代にオーディオを趣味としているのであれば、
無茶無理をしてほしい。老成ぶるのだけはやめてほしい。

そんなオーディオをやっていては、どんなに齢を重ねても、
心に近い音は見つけられないようにおもえてならないからだ。

Date: 1月 13th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その20)

私には、マークレビンソンやマッキントッシュが、
自社製品のパチモン的新製品を出す理由が理解できない、というか、納得できない。

マッキントッシュは立て続けにパチモン的新製品を出してくる。
ということは、売れるからなのだろう。

売れるモノを作らなければならない──、
そのことはわかっている。

どんなにいいモノを作っても、売れなければ、それで終りである。
事業を継続するためにも売れるモノが必要となる。

それがパチモン的新製品だとしたら──。

これからもマッキントッシュからはパチモン的新製品が出てくる、と思っている。
マークレビンソンからも、ML50がすぐに完売でもしたら、
同じように続けて出してくる可能性もある。

ブランド(メーカー)の論理とオーディオマニアの論理は同じではない。
そのことはわかっていたつもりだった。

けれど、パチモン的新製品が続いていること、
拡がっていく気配があること、
そんな空気を感じとっているいまは、
それぞれの論理の違いをわかっていなかったと思い知らされている。

Date: 1月 13th, 2022
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その42)

別項「PCM-D100の登場」で書いているように、録音も自作である。
ソフトウェアの自作である。

私ぐらいの世代だと、中学生、高校生のころ、
カセットテープに、好きな曲ばかりを集めた、
いわゆる自分だけのベスト盤(テープ)を作っていた人もけっこういるはずだ。
それから友達に渡すためのテープを、同じように作っていた人もいよう。

私は、FM放送で聴きたい曲を録音するくらいで、
LPの音をカセットテープに録音して、それで聴くというのはやらなかった。

カセットテープに録音すれば、その分だけ音が悪くなるし、
音が悪くなることに時間と手間をかけることが無意味に思えたからだった。

やっと買えたLPを傷つけないためにも、
カセットテープに録音して聴いていた──、という話はよくきく。

その気持はわかるけれど、アナログプレーヤーの調整をきちんとやっていれば、
そうそうレコードの盤面(溝)は傷むものではないし、
それに粗悪なカートリッジではなく、きちんとしたカートリッジでかけることを、
私は重視していた。

それからカセットテープを交換する相手もいなかった。
とはいえ、カセットテープにそうやって録音していく行為は、自作の一歩ではある。

CDをリッピングしたり、ストリーミングを利用している人が、
プレイリストを作る。
これもカセッテープに好きな曲を集めて録音(ダビング)していたのと同じ行為、
そんなふうに思えてくる。

TIDALもプレイリストを、当然作れる。
けれど、プレイリストをまったく作っていない。

カセッテープに好きな曲を集めて聴くのと、
TIDALでプレイリストを作って聴くのとでは、音質の劣化が生じないという違いがある。

どんな最新の注意を払って、最高の機種で録音したところで、
カセットテープへのダビングでは、音質が少なからず悪くなる。

けれどTIDALでどんなプレイリストをつくろうとも、
そのプレイリストのまま再生しても、プレイリストを使わない時の音と、
違いはない、といえる。

ならばプレイリストを作ったほうが、聴きたい曲をすぐに聴けるというのはわかっている。
それでもTIDALで頑なにプレイリストを作らないのは、
プレイリストを作ることで、聴く音楽の範囲が狭められるような感じがするからだ。

Date: 1月 12th, 2022
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その4)

ベートーヴェンの音楽を理解したいがためのオーディオという行為。
私にとっての「オーディオ」はまさにこれであり、このことを問い続けていくしかない。

Date: 1月 12th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その76)

オーディオの想像力の欠如した者は、上書きしかできないのだろう。
上書きしかできない者は「心に近い」音を求めることは無理なのかもしれない。

Date: 1月 12th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その19)

マークレビンソンもマッキントッシュも、創業者の名前がつけられたブランドである。
この二社だけでなく、他にも創業者の名前がそのままブランドになった会社はいくつもある。

創業者はいつかは、そのブランドからいなくなる。
会社から去っていくこともあるし、この世から去っていくこともある。

創業者がいなくなれば、そのブランドも変っていく。
そういうものであり、その変化は嘆くことではない。

そうとわかっていても、今回のマークレビンソンのML50、
マッキントッシュのいくつかの製品を見ると、そういうこととは何か違うような気がしてならない。

創業者が去ったことだけによる変化なのだろうか──、と思ってしまう。
投資会社に買収されたことによる変化だけなのだろうか、とも思う。

陳腐なことをいうんだな、と笑われそうだが、
愛の不在だ、としか、いいようがない。

ルコントを再建したベイクウェルには、愛があった。
だからこそ、といえる。

いまマッキントッシュ、マークレビンソンに残っている人たちに、
同じ意味での愛はあるのだろうか。

愛ゆえのパチモン的新製品だとしたら、もうほんとうに終りでしかない。

同時に、ルコントは洋菓子のブランドである。
洋菓子は嗜好品である。

ではオーディオは?
そのあたりのことも考えているわけだが、
ここから先は、ここでのテーマとは大きく離れてきそうなので、割愛する。

Date: 1月 11th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その18)

マークレビンソンのML50が、つい最近発表になったばかりだから、
ついML50だけを取り上げてしまったけれど、
ML50だけではない、自らのブランドのパチモンを出してくるのは。

ここ数年のマッキントッシュの一部のモデルは、
マッキントッシュのパチモンとしか思えないかっこうをしている。

「マークレビンソンがマークレビンソンでなくなるとき」よりも早く、
「マッキントッシュがマッキントッシュでなくなるとき」がおとずれていた。

ただ、こちらも、現行のラインナップのすべてがパチモン的なわけではない。
マッキントッシュらしいアンプもある。
けれど、パチモン的新製品が、あまりにもパチモン的すぎる。

今回のマークレビンソンのML50が、いまのところ、これ一機種だけである。
ML50があっさり限定台数が売り切れてしまったりしたら、
この路線が今後続いていくことだって考えられる。

でも、いまのところML50だけである。

マッキントッシュは、もうそうではなくなっている。
一つ一つ機種名をあげたりは、もうしない。
別項で、これまで書いてきているからだ。

こういうパチモン的新製品を見るのは、つらい。
特に、昔憧れていたブランドの製品だと、よけいにそうである。

オーディオ・ブランドも、いまや投資対象であり、
一つのブランドがある会社が買収し、また別の会社に買収され──、
そんなことがけっこう続いている。

買収されることが、すべて悪とは考えていないけれど、
時にはそう口走りたくなることがある。

別項「オーディオと偏愛(その4)」で、ルコントのことを書いている。
だからよけいにML50の写真を見ていると、愚痴ってしまいたくなる。

Date: 1月 10th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その17)

一年ほど前の(その16)で、この項は終りのつもりでいた。
けれど、いまこうやって、また書いているのは蛇足かもしれないと思いつつも、
やっぱり書いておこう、という気持のほうが強い。

その1)は七年ほど前。
だから、少しくり返しになるが、黒田先生の「風見鶏の示す道を」のことを書いておく。

《汽車がいる。汽車は、いるのであって、あるのではない。りんごは、いるとはいわずに、あるという。りんごはものだからだ。》

ここから「風見鶏の示す道を」をはじまる。

駅が登場してくる。
幻想の駅である。

駅だから人がいる。
駅員と乗客がいる。

しばらく読んでいくと、こんな会話が出てくる。
     *
「ぼくはどの汽車にのったらいいのでしょう?」
「どの汽車って、どちらにいらっしゃるんですか?」
「どちらといわれても……」
     *
不思議な会話である。
駅でなされる会話とはおもえぬ会話があった。

13歳のときに、「風見鶏の示す道を」を読んでいる。
それだけに記憶に強く残っている。

どこに行きたいのか掴めずにいる乗客(旅人)は、
レコード(録音物)だけを持っている。

このレコード(録音物)だけが、行き先を告げてくれる。
けれど、その携えているレコードを、乗客(聴き手)は、どうやって選んだのだろうか。

嫌いな音を極力排除して、
そんな音の世界でうまく鳴る音楽だけを聴いてきた旅人が携えるレコードが示すのは、
どこまでいっても、耳に近い音なのではないだろうか。

心に近い音を示してくれることはないはずだ。

Date: 1月 10th, 2022
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その43)

つきあいの長い音──、心に近い音であること。ただそれだけである。

Date: 1月 9th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その17)

別項で「オーディオがオーディオでなくなるとき」を書いている。
そこで、「ステレオサウンドがステレオサウンドでなくなるとき」についても、
考えて書いていきたい、としている。

今回マークレビンソンのML50の写真を見て、まず思ったのは、
「マークレビンソンがマークレビンソンでなくなるとき」が、
いよいよ来たな、だった。

個人的には、マーク・レヴィンソンが離れた時点で、
「マークレビンソンがマークレビンソンでなくなるとき」だったわけだが、
それでもNo.20は、新体制の意気込みを感じさせるに足る製品で、
あえて、そんなことを言葉として発することはしなかった。

mark levinsonのロゴも少し変更になってから、
ずいぶん変ってしまったなぁ……、とは感じていた。

でも今回のML50を見ていると、
「マークレビンソンがマークレビンソンでなくなるとき」が来たな、と感じたのは、
マークレビンソンがマークレビンソンのパチモンを作ってどうするんだ!──、
そういう想いが根底にあるからだ。

しかも創立五十周年記念モデルである。
どういう発想から、こんな製品を出すことになったのだろうか。
ここが、ほんとうに知りたい。

私がオーディオに興味をもった1976年において、
マークレビンソンのLNP2とJC2は、すでに高い知名度と評価を得ていた。

その約一年後にML2が登場した。
ほんとうにわくわくして、その登場を待っていたし、
実際のML2の音を聴いた時は、衝撃でもあったから、
LNP2の登場に、当時、衝撃を受けた人たちの気持はわからないわけではない。

そのマークレビンソンが五十年を迎える。
その記念モデルがML50とは、なんとも寂しい、という気持以上に、
落ちぶれてしまった感が強い。

しかも現行のラインナップもそうであるならば仕方ない、とあきらめるしかないのだが、
そうではないのだから、よけいに理解に苦しむ。

Date: 1月 9th, 2022
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その8)

別項「B&W 800シリーズとオーディオ評論家」を書きながら、
この項のテーマを思い出していた。

B&Wの800シリーズのスピーカーシステムは、
感覚の逸脱のブレーキなのか、
それともアクセルなのか。

もしかすると、そのどちらでもなく自動運転のようなものなのか。

Date: 1月 8th, 2022
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その15)

いまも管球式のプリメインアンプは、数社から出ている。
けれど、多くがアマチュアが組む管球式プリメインアンプと同じスタイルといえる。

出来がいいとか悪いとか、そういうことではなく、
メーカー製プリメインアンプらしいスタイルではない、ということだ。

数センチの高さのシャーシーをベースにして、
その上部(天板)に真空管、トランス類を配置していく。

昔ながらの自作アンプのスタイルである。
自作アンプと、つい書いてしまったが、
自作パワーアンプのスタイルである。

このスタイルを、いまではメーカーも採用することが多い。
個人的には多すぎる、と感じている。

ラックスのSQ38のように、フロントパネルをもつ管球式プリメインアンプは、
ほんとうに少なくなった。
管球式プリメインアンプはこれからも登場するだろうが、
フロントパネルをもつ管球式プリメインアンプは、もう絶滅機種かもしれない。

アマチュアが管球式プリメインアンプを作るのであれば、
このスタイルがいちばん手間がかからない。
同じスタイルを、オーディオメーカーもとるのか。

心情的に納得がいかない、といえば、そうである。
それならばプリメインアンプにすることはない、
セパレート型のほうが、よほどすっきりする。

管球式プリメインアンプであるのならば、
管球式パワーアンプに、入力セレクターとボリュウムをつけました的ではなく、
しっかりと管球式プリメインアンプであってほしいだけである。

Date: 1月 8th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その16)

コロナ禍のためCESがオンラインで開催されていて、
そこでの新製品の発表のニュースが、いくつか続いている。

別項で触れたJBLの4305Pがそうだし、
JBLと同じハーマン・グループのマークレビンソンからは、
初のヘッドフォンが登場し、さらにマークレビンソン創立五十年を記念しての、
ML50も発表になっている。

Mark Levinsonの頭文字MLを型番につけていたのが、
マーク・レヴィンソンが会社を離れ、新体制になったことで、
型番の頭にはNo.とつけられるようになり、最初の製品がNo.20だった。

ML2の出力を25Wから100Wに増したNo.20は、やはりA動作のパワーアンプだった。
ML50もモノーラル・パワーアンプである。

型番はML2風、フロントパネルのラックハンドルはNo.20風、
フロントパネルの意匠は、いまのマークレビンソンのアンプ風である。

これがなんともちぐはぐな印象でしかない。
音はどうなのかはわからない。
マークレビンソンのパワーアンプなのだから、それなりのクォリティであることは確かだろう。

それはいいのだが、このML50(限定モデルでもある)を欲しがる人は、
いったいどういう人なのだろうか。

限定というキャッチフレーズ、
創立五十周年記念というキャッチフレーズ、
そういったことに心がグラッとくる人向けなのだろうか。

その15)で、
新製品の登場は、新性能の登場である。
たまには旧性能の登場といえるモノもないわけではないが、
基本的には、新製品は新性能の登場である、と書いている。

ML50のベースモデルは、No.536とのこと。
当然、そのままというわけではなく、細部のブラッシュアップが図られていることだろうし、
音もNo.536そのままというわけではないはずだ。

その意味では、No.536の音を高く評価している人にとっては、
安心して購入できるアンプということになる。

ハズレ、ということはないアンプである。
けれど、そのことは、わくわくしない、ということにもつながっていく。

Date: 1月 7th, 2022
Cate: pure audio
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オーディオと偏愛(その4)

私が大好きな洋菓子店のルコントは、2010年に閉店している。
それが2013年に突然、広尾に復活した。

ルコントの最初の店舗が東京に開店したのは六本木だった。
そこが本店だった。
その後、青山ツインタワーに店舗ができ、そこが本店となった。

2013年の再オープンからは、広尾が本店である。
残念なことに、この広尾本店も2021年10月に閉店となっている。

とはいえ、ルコントがなくなったわけではなく、
広尾本店が閉店しただけのことなのだが、
残る店舗はすべてテイクアウトのみなのが少し残念でもある。

一度閉店した店が、なんらかの理由で再び開店する。
その場合、経営は変っていることが多い。

ルコントも変っている。
ベイクウェルという会社が、ルコントを経営している。

どんな会社なのか知らなかった。
特に調べようともしなかった。

いまのルコントは、昔のルコントそのままといっていい。
変ってしまったなぁ……、と嘆くことはない。

昔からのルコントの定番であるフルーツケーキは、いまも美味しい。
日持ちするお菓子だから、手土産にぴったりでもある。
つい最近も、ひじょうに喜んでもらえた。

それにしても、これはすごいことである。
一度閉店し、経営の母体がかわっての再オープン。
なのに昔のルコントのイメージをまったくこわしていない。

なので、ようやく今日、ベイクウェルがどんな会社なのか、
なぜ、この会社がルコントを経営してるのか検索してみた。

料理王国の記事朝日新聞の記事が見つかった。

詳しいことは二つの記事を、ぜひ読んでほしい。
ベイクウェルの代表取締役社長は黒川周子氏。

黒川氏自身、ルコントのファンだったそうだ。
料理王国の記事では、黒川氏の実家は菓子店とある。
そして実家の近くにルコントがあった、ともある。

どんな菓子店なのだろうか、と思いながら、料理王国の記事を読んでいた。
その後に、朝日新聞の記事を見つけた。

黒川氏の実家は虎屋である。
いうまでもなく、あの虎屋だ。

納得がいった。
そういう人だから、ルコントはルコントのままなのだ。

Date: 1月 6th, 2022
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その20)

ダンピングファクターは、スピーカーの駆動力だと思っている人が、
キャリアの長い人であってもけっこう多い。

ここではくり返さないが、
ダンピングファクターとは、スピーカーのインピーダンス(つまり8Ω)を、
アンプの出力インピーダンスで割った値でしかない。

なので出力インピーダンスが低いほどダンピングファクターは当然高くなるわけだが、
この出力インピーダンスというのは、アンプのスピーカー端子のところでの値でしかない。

そして、何度もくり返すが、あくまでも静的なダンピングファクター(出力インピーダンス)だ。

ダンピングファクターが高ければ高いほど駆動力の高いアンプである──、
中学生のころは、わりと信じていたが、
NFBをかける前の周波数特性と出力インピーダンスのカーヴとの関連性に気づくと、
実質的なダンピングファクターの高さとは? と考えるようになってきた。

そして決定的だったのは、伊藤先生製作の349Aのプッシュプルアンプを聴いてからだった。
ウェスターン・エレクトリックの349Aは小型の五極管。
6F6と差し替えられる。

なので349Aでアンプを作るのであれば、
一般常識的には出力トランスの二次側からのNFBが必須である。
NFBがなければ出力インピーダンスはかなり高く、
いわゆるまったくダンピングのかからない低音になってしまう──、
つまりブンブンとうなってばかりで、締まりのない低音である。

伊藤先生のアンプはウェストレックスのA10の回路を採用したもので、
出力トランスの二次側からのNFBはかかっていない。
NFBは位相反転回路までで、出力管はそこに含まれていない。

なので349Aのプッシュプルアンプのダンピングファクターは、そうとうに低くなる。
それでも実際に音を聴くと、まったくそんな感じがしない。
ボンつくことがない。
むしろ澄明な低音が鳴ってきた。

出力わずか8Wのアンプだから、ウーファーを牛耳って、という感じではまったくないが、
いい音だな、と聴き惚れていたし、なんといっても音の減衰のしかたがほんとうに美しかった。