老いとオーディオ(若さとは・その8)
心に近い音について、あれこれ書いているところだ。
耳に近い音より心に近い音──、
私が嫌う老成ぶる若いオーディオマニアのなかには、
心に近い音を求めています、という人がきっといるように思えてならない。
若いうちから、心に近い音がほんとうにわかるものだろうか。
私は、この三年ほどぐらいから、心に近い音をなんとなく考えるようになってきて、
すこしばかり自信をもって心に近い音と書けるようになってきた。
若いオーディオマニアにいいたいのは、
若いうちから心に近い音を求めることはやらないほうがいい。
耳に近い音を求めてもいいのだ。
むしろ積極的に求めていってもらいたいぐらいだ。
その耳に近い音にしても、さまざまな音を求めて、そして出してきてこそ、
ようやくわかることのはずなのだ。
無理に、自分自身を小さな枠にはめ込もうとしない方がいい。
小さな壺のなかにこもってしまい、孤高の境地を味わうのが老成ぶることなのかもしれないが、
そんなことを若いうちにやっていて、何になるというのだ。
若いうちはお金もあまりなかったりする。
そのため、あえてそういうところに身をおいて、自分を誤魔化し続けているのが、
ラクといえば楽なのだろう。
それでしたり顔ができるのならば、その人的には満足なのかもしれない。
でも、それはオーディオでなくてもいいはずだ。
あえて、いまの時代にオーディオを趣味としているのであれば、
無茶無理をしてほしい。老成ぶるのだけはやめてほしい。
そんなオーディオをやっていては、どんなに齢を重ねても、
心に近い音は見つけられないようにおもえてならないからだ。