Archive for 12月, 2021

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その4)

1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。
このサウンドコニサーの試聴で、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いた。

このディスクが出ていたことは、
ステレオサウンドの音楽欄で知っていた。
安原顕氏が紹介されていて、絶賛に近い評価だったと記憶している。

黒田先生も、「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、取り上げられている。
《音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。》
と書かれていた。

いまでこそ“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”といっているけれど、
当時、日本では「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のほうが通りがよかった。

サウンドコニサーの取材(試聴)では、
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、試聴レコードには入っていなかった。

けれどアクースタットのModel 3の音を聴かれた黒田先生が、
このディスクを、とリクエストされたのが「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」だった。
このことはサウンドコニサーに載っているし、
別項「黒田恭一氏のこと」のところでも書いている。

とにかくアクースタットで聴いた「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、
試聴室の雰囲気を、最初の一音で変えてしまった。

音が鳴っていないときのアクースタットのスピーカーは、単なる板である。
しゃれっ気がない、ただの板である。
オーディオ機器としての魅力には、その点では乏しい。

けれどひとたび音が鳴ってくると、
特に「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」では、
聴き終ったあと、みなが静かな昂奮状態にあったといえる。

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いた私は、
夏のライヴ録音だと思ってしまっていた。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その3)

1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”ならば、
1980年12月6日は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”である。

昨夏、“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”が発売になる、
というニュースがあった。
2021年発売の予定ではあったが、音沙汰はなかった。

日本の日付は変ってしまったが、
アメリカはまだ12月6日なので、ようやく発表があった。

2022年夏に発売である。
CDだけでなく、SACD、LPも発売になる。

TIDALでMQAで聴けるようになるのかどうかはいまのところ不明だが、
可能性はけっこう高いと思っている(信じている)。

夏といっても、何月なのかはわからない。
7月なのか、8月なのか。
それとも泳げる季節を夏とするのか。

とにかく発売になるのは間違いない。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 書く

オーディオにおけるスケッチとは(その5)

ワルター・ギーゼンキングが「ピアノとともに」(白水社刊・杉浦博訳)で語っている。
     *
なんらかのとくべつな指や手の運び方に、美しい音が出る原因をさがそうとするのはむだなことだと思うのである。わたしの確信によれば、響きの美しい演奏法習得の唯一の道は、聴覚の体系的な訓練である。
     *
「耳」の想像力とは、このことが含まれるはず。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その12)

去年(2020年)は、五味先生の没後40年であり、
今年(2021年)は、生誕100年である。

1921年12月20日なので、あと二週間で、ちょうど百年。

百年の年に、私は五味先生の享年と同じ歳になった。
他人にはどうでもいいことであっても、
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に入った私には、
いろいろとおもうことがあった一年だった。

Date: 12月 6th, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その10)

(その7)で書いているように、
LS8/1の存在に気づいたのは、LS5/1の復刻版について、
何か知りたくて、グラハムオーディオのウェブサイトを見たからだった。

そこにはLS5/1の文字はなかった。
なのに、今日ふと輸入元の横浜サウンドトレードのウェブサイトを見たら、
LS5/1のページが公開されている。

今年の6月21日に入荷した、とある。
知らなかった。半年ほど前に日本に来ていたのか。

LS5/1の復刻とはいえ、エンクロージュアのプロポーションは違う。
LS5/1はスタンド付きのフロアー型だったのに対し、
復刻版はセレッションのDitton 66を思わせる、ややトールボーイのフロアー型である。

LS5/1(及びLS5/1A)は、二つのトゥイーターを単純に並列接続しているわけではなく、
上側に配置されているトゥイーターに関しては、3.5kHz以上でロールオフさせている。
そのため専用アンプで高域補整を行っている。

復刻版もトゥイーター二基搭載だが、オリジナルのような仕組みは採用していない。
専用アンプなしで使えるようにするためである。

その変更による音の変化、
というよりも私が気になるのは、LS5/1の定位の良さがどの程度再現されているのかだ。

LS5/1が変則的ともいえるトゥイーターの使い方をしているのは、
トゥイーターの複数使用による定位の不明瞭になっていくことを抑えるためである。

音は聴いてみないとなんともいえないのだから、
この点に関しては、これ以上書くことはない。

ただ私が驚いたのは、その価格である。
3,000,000円(税抜き、ペア)となっている。

正直、高い、と思ってしまった。

Date: 12月 5th, 2021
Cate: pure audio

オーディオと偏愛(その3)

ルコントのレアチーズケーキはどうだったのか。
世の中に、こんなに美味しいケーキがあるのか。
大袈裟でなくそう感じていた。

赤坂のトップスには申しわけないが、
どちらもレアチーズケーキであっても、同じには語れない。

ルコントのレアチーズケーキは小さい。
大きな口の男なら、一口で喰おうと思えばできないサイズではない。

フォークで、ルコントのレアチーズケーキを一口分、
ちょっぴりだけフォークにのせて口に運ぶ。

二口目は少し大きめにして口に運ぶ。
味わいながら、何口で食べ切ろうか、とも考えていた。

一気に食べてしまいたい気持と、ちびちび味わいながら、という食べ方。
どちらもしたい。
なんならレアチーズケーキをもう一つ注文しようか、とも思っていた。

でも、目の前のケーブルにはレアチーズケーキの他に、
シャルロットポワールのフランポワーズのソース添えがある。

こちらは皿も大きく、ケーキそのものも大きく、
レアチーズケーキよりも見た目も華やかだ。

ルコントのことをステレオサウンド 53号の編集後記に書いているOさんによれば、
シャルロットポワールのフランポワーズのソース添えは、
レアチーズケーキ以上の衝撃(美味しさ)である、とのこと。

Date: 12月 4th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その20)

悪友。
辞書には、よくない友人。親しみをこめて、親友や遊び仲間にもいう──、
とある。

良友。
辞書には、よい友達。つきあってためになる友達。益友──、
とある。

その18)で、バーンスタインのマーラーを聴いて、ひどい録音だ、と言った人に、
ある人が、その欠点をそれとなく指摘した人がいた、と書いた。

それまでの友達関係がそれで崩れてしまった──。
欠点を指摘した人は、
指摘するまではバーンスタインのマーラを聴いて、ひどい録音だと、言った人にとって、
良友だったのだろうか、そして指摘後は悪友になったのか、それともどちらでもなくなったのか。

私にも同じ経験はある。
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出ているから、来ませんか」といった知人とは、
なんだかんだ二十五年のつきあいだった。

割と頻繁に会うことも多かったので、周りからは友達関係だと思われていたはずだ。

けれど、別項で書いているようにあまりにもひどくおかしな音を出していた。
そのことを指摘した途端に、友達関係は終った。

指摘したことをまったく後悔していない。
そのことをまた書いているのは、知人にとって私は、当時良友だったのか悪友だったのか。
指摘後は、どうだったのか。そのことを、この項を書いていて思ったからだ。

知人は、いまでは良友との関係を大事にしているようである。
互いの音の良さを認め合う(褒め合う)、そういう関係を築いているようでもある。

良友しか求めない、良友しか周りにいないオーディオマニアがいる。
悪友と呼べる仲間がいるオーディオマニアがいる。

Date: 12月 4th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その18)

音量設定が同じならば、
聴感上のS/N比が良くなっていくと、
聴感上の音量はどう変化するのか。

ここで意見というか、考えがわかれる。
聴感上のS/N比を良くしていかなければ──、と同じ考えの人たちであっても、
その結果得られる音量の変化に対しての判断が正反対にわかれる。

私は聴感上のダイナミックレンジが広くなるため、
音量は増して聴こえるようになる、と考えているし、
実際にそうやって調整していっている。

でも反対に聴感上の音量は減る、とする人たちがいる。
音量設定が同じで、聴感上のS/N比を良くしていくと、
音量は減ったように感じられる──、という捉え方である。

私にいわせれば、音量が減ったように感じられるのは、
聴感上のS/N比を悪くしていった場合の音の変化である。

このことは以前も書いている。
なのに、またくり返し書いているのは、そういうことである。

Date: 12月 4th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その17)

物理特性上のS/N比は、数値ではっきりと表示される。
数値が高い方がS/N比がいいのは事実なのだが、
これすらも測定方法(条件)によって、違ってくる。

入力ショート時でのS/N比と入力に実際の機器を接続した状態、
たとえばフォノ入力であればカートリッジを接続した状態、
つまり実装時でのS/N比は、機器によってはけっこう違う数値となることがある。

入力ショート時と実装時のS/N比が同じ数値の機器もあれば、
実装時のS/N比の数値が低くなる機器もある。

どちらの機種が優秀なのかといえば、いうまでもない。
以前のアンプでは、入力ショート時と実装時の数値に開きが多いアンプが、
少なからずあった。

カタログスペックでは高S/N比なのに、実際に聴いてみると、そんな感じではない──。
ステレオサウンドでは1970年代、アンプの総テストのときには、
S/N比に関しては、どちらも測定していた。

この実装時のS/N比も、聴感上のS/N比ということになる。
聴感上のS/N比うんぬん、ということは、いまでは多くの人が言ったり書いたりしている。

それらすべてに目を通しているわけではないが、
なんとなくだが、聴感上のS/N比が良くなった場合、
どういう音の変化があるのかについて、誤解している人がいる、と感じている。

聴感上のS/N比を良くしていくと、聴感上のダイナミックレンジは広くなる。
フォルテシモでの大きさは物理的には同じであっても、
ピアニシモがより小さな音まで聴こえてくるようになってくるために、
聴感上のダイナミックレンジは広くなる。

ここまではいいのだが、聴感上のS/N比が良くなって、
聴感上のダイナミックレンジが広くなると、音はどう変化するのか。
ここで意見が食い違う。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 映画

JUDY(追補)

映画「JUDY」(邦題:ジュディ 虹の彼方に)。
映画公開は2020年3月ごろだったから、意外と時間がかかったけれど、
Amazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その9)

グラハムオーディオのLS8/1のページには、
いままで以上のパワーハンドリングを可能にした、とある。

BCIIは、確かにパワーハンドリングの面では弱かった。
大音量で聴くスピーカーではなかった。

それでもD40で鳴らすBCIIは、さほど大きくない音量においてでも、
他のアンプで鳴らすよりも、不思議とエネルギー感のある音だった。

BCIIと同世代のイギリスのスピーカー、
BBCモニター系列のスピーカーは、ほとんどがパワーということでは弱かった。
アメリカのスピーカーと同じような感覚では、
ボリュウムをあげていったら、スピーカーの破損にすぐにつながるし、
こわさないまでも、そこまで音量をあげると、良さが失われがちでもあった。

けれど小音量で聴いている時の量感の豊かさが、
これらのスピーカーに共通する良さと、私は感じていた。

簡単にいえば、小音量でも音が痩せない。
クラシックを小音量で聴いていると、その良さをひしひしと実感できる。

この量感の豊かさを、私はいまMQAに感じている。
MQAがイギリスから生れたのは当然だ、とも思っている。

グラハムオーディオのLS8/1の音の量感はどうなのだろうか。
とても気になるところだ。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その11)

今年(2021年)は、瀬川冬樹没後40年ということもあって、
ステレオサウンド 220号には、
『没後40年 オーディオの詩人「瀬川冬樹」が愛した名機たち』が載っている。

一年半前のステレオサウンド 214号には、
五月女 実氏の「五味康祐先生 没後40年に寄せて」という記事が載った。

けっこうなことである──、
と思いつつも、
2017年のステレオサウンドには、
岩崎先生の没後40年に関する記事が、どうしてなかったのか。
そのことを今年は思ってしまった。

2027年発売のステレオサウンドに、没後50年ということで岩崎先生の記事が載るのだろうか。

Date: 12月 2nd, 2021
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その4)

今日(12月2日)は、マリア・カラスの誕生日。
二年後の2023年は、生誕百年になる。

マリア・カラスを聴いていた。
いわゆるベスト盤の「PURE」を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。

「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)ももちろんそこに収録されている。
別項で、「清らかな女神よ」は、マリア・カラスの自画像そのものだ、と書いた。
いまもそう思っているだけでなく、そう確信している。

「PURE」のなかの一曲である「清らかな女神よ」だけを聴いても、
このベスト盤のタイトル「PURE」の意味をあらためて考える。

ピュアな、だとか、純粋だ、とか、書いたり言ったりする。
そんなふうに使われるピュアとここでのマリア・カラスにつけられたといえる「PURE」とでは、
ずいぶん意味の重さが違う。

意味そのものも違うようにも感じる。

誰が「PURE」とつけたのかは知らない。
けれど、ピュアということと裸の音楽ということが、少なくとも私の裡ではつながっていく。
ここには薄っぺらい意味でのピュアはない。

Date: 12月 2nd, 2021
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その10)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
マリア・カラスの歌を聴いていて、ふと、これも裸の音楽なのかもしれない、と思う。

Date: 12月 2nd, 2021
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(夢の中で……・その2)

六年前の(その1)で、あるオーディオ業界の人から、
ステレオサウンドから去ったことについて、「負け組だね」といわれたことを書いた。

言った人のことをとやかくいいたいわけでもなし、
悪気があったとも受け止めていない。

その人はステレオサウンドにいまも関っているのだから、
その人的に勝ち組ということなのだろうし、私は負け組ということになる。

勝ち組だと思っている人はどう思うかわからないけれど、
世間一般の評価では「負け組だね」といわれる側の私だけど、
ネルソン・マンデラの、この言葉は、勝ち組と思っていては理解できなかっただろう。

“I never lose. I either win or learn.”
「私は決して負けない。勝つか、学ぶかどちらかだ」