Archive for 9月, 2021

Date: 9月 21st, 2021
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その14)

(その13)へのfacebookへのコメントには、
個人的な経験からの結論として、
タンノイの10インチの同軸型ユニットの場合、
12インチ、15インチとは異なり、EL34の方が相性が良いような気がする、とあった。

なるほど、そうかもしれない。
そうだとしたら、EL34のプッシュプルとなると、
パワーアンプの回路は、デッカのデコラのそれをそのままコピーするという手がある。
そのことは(その4)に、ちょっとだけ書いている。

デコラのEL34のプッシュプルの回路については、
真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その1)」で触れているように、
出力段の結線が違うだけで、
ウェストレックス・ロンドンの2192Fと同じである。

伊藤先生が、
サウンドボーイ(1981年8月号〜10月号)に発表されたアンプの範となっているアンプが2192Fである。

デコラのEL34プッシュプルは三極管接続で、
2192FはUL接続である。

どちらをとるかは悩ましいところであるけれど、
個人的に多極管の三極管接続は好きではない。
技術的に、とか、性能的に、とか、そういった理由からではなく、
なんとなく好きではない(嫌いとはいえない)からだ。

これも以前書いていることなのだが、多極管を三極管接続しても、
その多極管の内部構造に変化が生じるわけではない。

三極管と多極管の音の違いは電気的性能の違いもあるけれど、
電極の構造に起因しているところも大きいと考えているだけに、
多極管は多極管として扱うのが潔いと思っている。

それでいてもデコラの音を聴いて憧れをもつ男にとっては、
EL34の三極管接続のプッシュプルの音というのも、一度は聴いてみたい。

Date: 9月 20th, 2021
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その13)

タンノイのコーネッタを鳴らすためだけのKT88のプッシュプルの、
しかもプリメインアンプを自作するのか、と問われれば、
その可能性はかなり低い、と答える。

そうであっても、コーネッタのためのKT88プッシュプルのプリメインアンプについて、
あれこれ、回路構成、コンストラクション、デザインなどについて考えていくのは、
ほかの人はどうであろうと、私にとってはけっこうな楽しみの一つだ。

出力は50Wは欲しい、と以前書いた。
プッシュプルで50WとなるとA級動作では無理である。
なのでAB級動作となる。

プッシュプルだから、位相反転回路がどこかで必要になるわけだが、
ここで構想しているのはプリメインアンプなのだがら、
インテグレーテッドされた一台のアンプの中で、位相反転回路を設ければいい。

いまの私にとって入力は、ライン入力だけでいいともいえるのだが、
プリメインアンプと形態をとる以上、フォノ入力も当然考えている。

フォノ入力を省いてしまっては、
レベルコントロール付きのパワーアンプと何が違うのか──、
そのことを考えるはめになってしまう。

それからアンプとしてのサイズ、これも重要である。
大きすぎるプリメインアンプには絶対にしたくない。

そのために必要なことは、使用真空管の数を減らすことが、まず挙げられる。
トランスだけでも、電源トランスが一つ、出力トランスが二つ。
最低でも三つのトランスをかかえることになるのだから。

そこにフォノ入力という、微小レベルの信号を扱うことは、
かなり大きい制約となる。

フォノイコライザーは、トランス類から距離的にも遠ざけて、
しかもトランス同士の干渉も配慮して、
さらにはアンプ全体の重量バランスも重要になってくる──、
何かを優先させれば、どこかが犠牲になるわけで、
うまくバランスをとりながらパズルを完成させていくみたいなおもしろさがある。

Date: 9月 19th, 2021
Cate: 終のスピーカー

最後の晩餐に選ぶモノの意味(その9)

シーメンスのオイロダインで聴く、ということは、
私にとっては、ドイツの響きを聴きたいからである。

ドイツの響き。
わかりやすいようでいて、決してそうではない。

ドイツの響きときいて、何を連想するかは、みな同じなわけではないはずだ。
ドイツの作曲家を思い出すのか、
ドイツの指揮者なのか、ドイツのピアニストなのか、ドイツのオーケストラなのか、
ドイツのスピーカーなのか、それすら人によって違うだろうし、
ドイツの作曲家と絞っても、誰を思い出すのかは、また人それぞれだろう。

ドイツの響きとは、シーメンスのオイロダインの音。
オイロダインの音こそ、ドイツの響き、
──そう書いたところで、オイロダインの印象も人によって違っているのはわかっている。
オイロダインを聴いたことがない、という人がいまではとても多いことも知っている。

何も伝わらない、といえばそうなのだが、
私にとってドイツの響きといえば、二人の指揮者である。

フルトヴェングラーとエーリッヒ・クライバーである。

Date: 9月 19th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その13)

その12)のつづきとして、
1980年代に手に入れた、何枚かの初期盤のつくりについて書こう、としていた。

他にもいくつか例をあげて、パッケージメディアへの愛着について書こう、としていた。
パッケージメディアとしての魅力についても書こう、としていた。

でも、めんどうに思えてきた。
なので、私の結論のみを書いておく。

愛でると愛する、は違うということ。
そして、ステレオサウンド 49号で、
黒田先生が「サンチェスの子供たちを愛す」で書かれていること。
《好きになる相手をまちがえたらいけない。人形を恋するより、音楽のむこうに感じられる人間を愛したいと思う》

これにつきる。

ほかの人がどう考えいようと、それはそれでいい。
否定することではない。

それぞれが《音楽のむこうに感じられる人間を愛》するのに必要な選択をすればいい。
それだけのことだ。

Date: 9月 19th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その71)

オーディオの想像力の欠如した者のオーディオは、
バラストのないオーディオなのかもしれない。

Date: 9月 18th, 2021
Cate: 表現する

熱っぽく、とは(補足)

「熱っぽく」を公開して、
「オーディオにおけるジャーナリズム(特別編)」を思い出す人が、
いったいどれだけいるだろうか。
一人もいないだろう──、そんなことを思っていた。

「オーディオにおけるジャーナリズム(特別編)」は、
2010年1月1日に公開した。

その1)で触れているように、瀬川先生による
新しいオーディオ雑誌創刊のための企画書の下書きである。
おそらく1977年に書かれたものと思われる。

今回のことを書いていて、(その3)の内容を思い出していた。
今日、あらためて読みなおした。

Date: 9月 18th, 2021
Cate: 表現する

熱っぽく、とは(その1)

ステレオサウンド 50号の巻頭座談会で、瀬川先生が語られている。
すでに何度か引用しているから、またか、と思われるだろうが、
やはり読んでほしい、と思うのは、
ソーシャルメディアがこれほど普及してきたことも関係している。
     *
 そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
 オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
《熱っぽく》とある。
《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか》
ともある。

熱っぽく読んでもらうには、熱っぽく書くということなのだろうか。
強くそうだ、と思っているわけだが、反面、そうでもない、とも思う。

そして、この《熱っぽく》が難しいのは、
オーディオ、もしくはオーディオ機器について《熱っぽく》語っている(書いている)、
語っている(書いている)本人は、そのつもりなのだが、
それを聞いている(読んでいる)方は、
自分を《熱っぽく》語っている(書いている)だけじゃないか、と受けとっていることもある。

ソーシャルメディアには、オーディオ関係者もいる。
そういう人たちが、自身に関係するオーディオ機器(技術)について、
熱っぽく投稿していることが、けっして少なくない。

どれが、とはいわないが、その中には、
読んでいると、書き手の《熱っぽさ》に白ける、とまでいうと、
少し大袈裟なのだが、しらーっ、としてしまうことがないわけではない。

この人は、何を《熱っぽく》語っているのだろうか──。
つまるところ、自分自身を《熱っぽく》語っているのではないのか。

そんな疑問が少しでもわいてくると、またか、と思ってしまうようになる。
本人には、そんなつもりはまったくないのかもしれない。

そうであっても、受け手が必ずしもそう感じているわけではない。
《熱っぽく》語る人だ、そんなふうに受け止めている人は少なくないのだろう。

でも、私みたいに受け止めている人も、またいるはずだ。
《熱っぽく》は微妙で難しい。

Date: 9月 17th, 2021
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その3)

いま、ふと気づいたのだが、
窓のない試聴室とリファレンススピーカーとしてのB&Wの800シリーズ。
無関係ではないような気がする。

Date: 9月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

レンミンカイネン組曲

シベリウスのレンミンカイネン組曲。
いま、誰の演奏が高く評価されているのだろうか。

ほとんど、というか、まったく知らない。
私にとってのレンミンカイネン組曲は、
ユッカ=ペッカ・サラステ/トロント交響楽団による演奏でストップしたままだ。

菅野先生のところで、このディスクを初めて知って、初めて聴いた。
驚いた。
スピーカーから、こういう表情でシベリウスが響いてくるとは、
まったく想像できていなかったからだ。

オーケストラもトロントならば、録音場所もトロントである。
なのに北欧とは、こんな感じなのか、と錯覚できるほどに、
フィンランディアによる録音は素晴らしい。

今日、ふと思い出して、またTIDALで検索したところ、
MQA(44.1kHz)で配信されている。

こんな時間なので、ヘッドフォンで聴いていたけれど、
スピーカーで、しかも大きな音で聴いてこそだ。

それでも思うのは、ピストニックモーションを追求しただけのスピーカーからは、
絶対に、あの日、菅野先生のリスニングルームで響いていたシベリウスは再現できないこと。

Date: 9月 16th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その12)

2014年に、マリア・カラスのEMIでのスタジオ録音すべてのCDボックスが出た。
69枚組で、25,000円ほどだった。

買おうかな、と思いつつも、他のCDを優先して買わずにいた。
2018年になって、タワーレコードからのメールで、かなり安くなったことを知る。
一万円を切っていた。

カラスのCDボックスには、139ページの本がついている。
写真やエッセイを集めたもので、附録とはいえないつくりだ。

カラスのCDもだけど、この本が見たかった(手に入れたかった)。
発売から四年経って、ようやく購入。

このCDボックスを、2019年1月のaudio wednesdayに持っていった。
マリア・カラスばかりをかけた回だった。

写真家の野上さんも来られていた。
カラスのCDボックスの本を見て、野上さんも購入されたくらいに、
この本の魅力は大きい。

いまではカラスのスタジオ録音は、TIDALで聴ける。
96kHzのMQA Studioで聴ける。
e-onkyoでも購入できる。

マリア・カラスの魅力を存分に味わいたければ、MQAで聴く。
なのでCDボックスで聴くことはなくなった。
おそらく、これからもないはずだ。

CDプレーヤーを買い替えることがあったら、
それぞれの良さを楽しむのに聴くことも出てくるだろうが、
いまのシステムでは、CDの出番は、マリア・カラスに限ってはない。

それではCDボックスを購入したのは、まったくの無駄とは思っていない。
価値が下ったとも感じていない。

それは本の存在があるからだ。

Date: 9月 16th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(ARCAMのこと)

オーディオ関係のサイトで、
ハーマンインターナショナルがアーカム(ARCAM)の取り扱いを開始する、と記事にしている。
JBLのSA750のベースモデルのSA30も10月から発売になる。

今回の発表にひっかかったのが、PHILE WEBの記事だ。

そこには、
《なおハーマンインターナショナルが英国ブランドを取り扱うのは初めて。》
とあったからだ。

PHILE WEBの編集者は若い人ばかりなのだろうか。
それともハーマンインターナショナルからのリリースにそう書いてあったからなのか。

アーカムを取り扱うのは、今回が最初である。
けれど、アーカム以前に、ハーマンインターナショナルは英国ブランドを扱っていた。

SME、QUADがそうである。

Date: 9月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

薬師丸ひろ子 40th Anniversary BOX

8月29日に、薬師丸ひろ子、歌手デビュー40周年記念CDボックスが出ることが、
発表になっていた。
十枚組で、すべてリマスターされている、ということだった。

聴いてみたいけれど、それだけなのか、とも半分くらい思っていた。
ユニバーサルミュージックなのだから、MQA-CDで出さないのか、と思ったからだ。

今日、新たな発表があった。
MQA-CDとのことである。

今月になって(私が気づいたのが9月であって、もっと前からだったのかもしれない)、
TIDALで、薬師丸ひろ子の「時の扉」が配信されるようになった。
MQA(48kHz)である。

どうしてだろう? と思っていたら、こういうことだったのか。
おそらく176.4kHzでのMQA-CDなのだろうと、勝手に期待している。

e-onkyoでの配信も始まるであろう、
TIDALでも始まるかもしれない。

「花図鑑」を、個人的にはいちばんMQAで聴きたい。

Date: 9月 15th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その11)

AppleからQuickTimeが発表されたのは1991年。
私がQuickTimeによる動画を、Macで最初に見たのは、
ボイジャーが出していたエキスパンドブック(電子書籍)での、
ビートルズの動画だった。

モノクロの小さなサイズでの再生だった。
おーっ、と思った。

でも、それ以上に、何倍もおーっと思ったのは、
1998年か1999年のストリーミング機能によるジョブスの基調講演だった。

当時はまだアナログモデムでインターネットに接続していた。
56kbpsという、いまでは信じられないほどの遅さなのだが、
これでもリアルタイムで基調講演を見ることができた。

ウインドウのサイズは小さい。
画質も悪い。動きも滑らかとはいえない。
しかも回線が不安定になると切断される。

深夜2時3時に、なんどか接続しなおしながら、最後までみていたことを思い出す。
このときは、技術の進歩というものを実感できたし、ほんとうに昂奮した。
すごい時代が来た、というよりも、すごい時代が来る、という昂奮だった。

回線がデジタルになり、高速化され安定すれば──、
当時、あの基調講演をリアルタイムで見ていた人は、そう感じたに違いない。

ストリーミングではカクカクした動画であっても、
たとえば映画の予告編がQuickTimeムービーでダウンロードができるようになっていた。

20数MBの予告編動画をダウンロードするのに、
アナログモデムで二時間前後かかっていた。
途中で失敗することもあった。

それでもけっこうな予告編をダウンロードしては見ていた。
楽しめるだけの画質だったからだ。

この時、音楽を売ることが変っていく予感が生まれた、といってもいい。

Date: 9月 15th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その10)

黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話がでてくる。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
1972年のことだ。
五十年ほど前に、フィリップスの副社長が語っていたことを、
レコード会社のどれだけの人が真剣に耳をかたむけたのか。

このフィリップス・インターナショナルの副社長の話は、何度も引用している。
今回も、タワーレコードの新宿店の規模縮小のニュースをきいて、
思い出したのは、このことである。

オーディオの世界は(レコード会社もふくめて)、
はやくからデジタル化に取り組んでいた。

1985年のCDの登場以前から、デジタル録音はレコード会社各社で、
それぞれ独自に行われていた。

なのに……、といまは思う。

アナログディスク、ミュージックテープ、CD、SACDなどのパッケージメディアを売る会社を、
レコード会社という考えに捕われていたのか。

レコード店に関しても、ディスクやテープといったモノを売る店ではなく、
本来は、音楽を売る店のはずだ。

レコード店が、独自に演奏を録音して売る、ということはほとんどないし、
実際にはレコード会社がつくったレコード(録音物)を売るわけだから、
レコード店は音楽を売る店のはずだ、というのは酷なことはわかっている。

それでも、こんなことを書いているのは、
どちらもディスクやテープといったモノを売ることばかりで、
音楽を売ることを、技術の進歩をにらみながら考えてこなかったのではないのか──、
そんなふうに思うからだ。

Date: 9月 14th, 2021
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その1)

メリディアンの218を導入して、今日(9月14日)で丸二年を迎えた。
この二年間はMQAの二年間だった、ともいえる。

特に今年はMQAどっぷりの一年になりつつある。

1月にはヘッドフォンとiPhoneだけでもMQAが再生できるようにと、
スティック型のD/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプも購入した。
音とは関係ないことだが、7月にはMQAのTシャツとマグカップも購入した。
8月からはTIDALで、ソニーによるMQAの配信が本格的にスタートした。

充実している、といえるのだが、
あくまでも個人的に、である。

日本のオーディオ界でのMQAの扱いは、
海外での扱い、私のなかでの存在の大きさからすれば、淡泊ともいえるし、
冷たいとも感じることがある。

音楽之友社のステレオは一度、特集でMQAを取り上げていた。
音元出版もMQAのことはけっこう取り上げている。

ステレオサウンドは? となる。
このことはいずれ書くかもしれないが一つだけ書いておく。

12月発売のベストバイの特集。
CDプレーヤーの写真には、CD、SACD、といった対応メディアの記載がある。
なのにMQAは、ない。

e-onkyoがMQAに積極的でいてくれるは助かるが、
それでもソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのアルバムのMQAを聴くには、
e-onkyoでは、いまのところ無理である。
これから先はどうなるかはなんともいえないが、TIDALしかないわけだが、
そのTIDALも日本でのサービスが始まりそうで、まだである。

四ヵ月足らずで今年は終る。
日本でMQAが盛り上るとは、いまのところ思えない。
来年、再来年はどうなるのか。