熱っぽく、とは(その1)
ステレオサウンド 50号の巻頭座談会で、瀬川先生が語られている。
すでに何度か引用しているから、またか、と思われるだろうが、
やはり読んでほしい、と思うのは、
ソーシャルメディアがこれほど普及してきたことも関係している。
*
そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
*
《熱っぽく》とある。
《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか》
ともある。
熱っぽく読んでもらうには、熱っぽく書くということなのだろうか。
強くそうだ、と思っているわけだが、反面、そうでもない、とも思う。
そして、この《熱っぽく》が難しいのは、
オーディオ、もしくはオーディオ機器について《熱っぽく》語っている(書いている)、
語っている(書いている)本人は、そのつもりなのだが、
それを聞いている(読んでいる)方は、
自分を《熱っぽく》語っている(書いている)だけじゃないか、と受けとっていることもある。
ソーシャルメディアには、オーディオ関係者もいる。
そういう人たちが、自身に関係するオーディオ機器(技術)について、
熱っぽく投稿していることが、けっして少なくない。
どれが、とはいわないが、その中には、
読んでいると、書き手の《熱っぽさ》に白ける、とまでいうと、
少し大袈裟なのだが、しらーっ、としてしまうことがないわけではない。
この人は、何を《熱っぽく》語っているのだろうか──。
つまるところ、自分自身を《熱っぽく》語っているのではないのか。
そんな疑問が少しでもわいてくると、またか、と思ってしまうようになる。
本人には、そんなつもりはまったくないのかもしれない。
そうであっても、受け手が必ずしもそう感じているわけではない。
《熱っぽく》語る人だ、そんなふうに受け止めている人は少なくないのだろう。
でも、私みたいに受け止めている人も、またいるはずだ。
《熱っぽく》は微妙で難しい。