最後の晩餐に選ぶモノの意味(その9)
シーメンスのオイロダインで聴く、ということは、
私にとっては、ドイツの響きを聴きたいからである。
ドイツの響き。
わかりやすいようでいて、決してそうではない。
ドイツの響きときいて、何を連想するかは、みな同じなわけではないはずだ。
ドイツの作曲家を思い出すのか、
ドイツの指揮者なのか、ドイツのピアニストなのか、ドイツのオーケストラなのか、
ドイツのスピーカーなのか、それすら人によって違うだろうし、
ドイツの作曲家と絞っても、誰を思い出すのかは、また人それぞれだろう。
ドイツの響きとは、シーメンスのオイロダインの音。
オイロダインの音こそ、ドイツの響き、
──そう書いたところで、オイロダインの印象も人によって違っているのはわかっている。
オイロダインを聴いたことがない、という人がいまではとても多いことも知っている。
何も伝わらない、といえばそうなのだが、
私にとってドイツの響きといえば、二人の指揮者である。
フルトヴェングラーとエーリッヒ・クライバーである。