JBL SA750(その9)
JBLのSA750。
これまでエス・エー・ナナヒャクゴジュウと読んでいた。
多くの人がそうであろう。
でも、エス・エー・ナナハンと読む人もいる、ときいた。
バイク好きの人にとっては、750=ナナハンである。
昔、750ライダー(ナナハンライダー)というマンガもあった。
750は、確かにナナハンである。
スピーカーの口径でも、6.5インチはロクハンだ。
ナナヒャクゴジュウとナナハン。
たったこれだけのことだけど、印象としては違ってくる。
JBLのSA750。
これまでエス・エー・ナナヒャクゴジュウと読んでいた。
多くの人がそうであろう。
でも、エス・エー・ナナハンと読む人もいる、ときいた。
バイク好きの人にとっては、750=ナナハンである。
昔、750ライダー(ナナハンライダー)というマンガもあった。
750は、確かにナナハンである。
スピーカーの口径でも、6.5インチはロクハンだ。
ナナヒャクゴジュウとナナハン。
たったこれだけのことだけど、印象としては違ってくる。
オーマンディのディスクも、TIDALで次々とMQAになっている。
“Vocalise”もMQAで聴けるようになった。
1967年10月18日録音の“Vocalise”は、少し前からMQAで聴けるようになっていた。
1954年11月28日録音の“Vocalise”は、しばらく待たされた。
昨晩ようやくMQAで聴けるようになった。
96kHzのMQA Studioである。
バカの一つ憶えのようにまた書いてしまうが、
いい時代になった、と思う。
MQAで聴くと、モノーラル録音の演奏のよさが、よりきわだつ。
Kindle Unlimitedで、レコード芸術が読める。
最新号(2021年9月号)も読める。
9月号の特集は、「新時代の名曲名盤500」である。
9月号は、モーツァルトからシューベルトまで。
私のレコード芸術の、この名物企画を熱心に読んでいたのは、
もう三十年以上前のこと。
1980年代終りごろは、この特集が一冊にまとめられたムックも買ったほどだった。
文字通りボロボロになるまで読んだ。
聴きたい(買いたい)ディスクのところに赤丸をつけたり、
選にもれているけれど、私が気に入っているディスクを書き込んだりしていた。
このころ名曲名盤は、選者全員がコメントをきちんと書いていた。
書き手の負担は大きくても、読み手にとって読み応えがあった。
それがいつのころからかそうではなくなったのは、
ステレオサウンドの同様の企画であるベストバイと同じである。
書き手の負担を減らすように、回を重ねるごとになっていく。
読み応えが薄れていけば、熱心に読まなくなる。
それが編集部の目的なのだろうか──、と勘ぐりたくもなる。
そんなことを書きたかったわけではないのだが、
書き始めると、どうしてもいいたくなってしまう。
今月号のレコード芸術の特集を眺めていて、
ずいぶん三十年前と変ったな、とまず思った。
モーツァルトのピアノ・ソナタをじっくりと見ていて、
特にそう感じた。
すごい変りようだ、と感じた曲もあれば、
あまり変っていないな、と感じた曲もある。
モーツァルトのピアノ・ソナタでは、意外にもグールドがあまり選ばれていない。
一位に選ばれているので目につくのは、
アンドレアス・シュタイアーとクリスティアン・ベザイデンホウトの二人。
二人とも、三十年前にはまったく選ばれていなかった。
レコード(録音物)は、オーディオ機器と違って、
廃盤になっても、何年後かには復刻されたりする。
最新録音(演奏)と数十年前の録音(演奏)とが、同時に売られたりする。
オーディオ機器は、そうはいかない。
オンキョーの10cm口径フルレンジがついていくるムック、
できれば近所の書店で買いたい、と思っていた。
スピーカーユニットが同梱されているムックは、
これまでも音楽之友社から出ている。
そのすべてに注目していたわけではないが、
書店で並んでいるのは目にしている。
だから今回も、書店で買えるものだと思っていたわけだ。
それに地元の書店で買いたい、という気持もある。
けれど私の近所の書店には、どこにもなかった。
繁華街の大型書店に行けば並んでいるのだろうが、
コロナ禍のいま、そこでしか、ということでもなければ、
繁華街はできれば避けたい。
結局、ヨドバシのオンラインで注文して、今日、届いた。
スピーカーユニット二本で、七千円を切る価格。
実物を見る前から、中国生産であろうことは予想できていたし、そうである。
オンキヨーは、いまや工場を持っていないはずだから。
価格が価格なのだから、過度な期待はしていなかった。
実物を手にして、細部をみていくと、
この価格だから仕方ない、という気持と、
この価格でよく出してきたな、という気持とがある。
まだ音は聴いていない。
純セレブスピーカーを作るならば、
ダンボール箱は100円ショップで買ってこようかな、とか、
うまくいったら、以前書いているダンボール製のカホンを使おうかな、とか、
音を聴く前からCR方法をやろうかな、とか、
そんなことをあれこれ考えている。
昨晩、寝る前にTIDALでグールドの平均律クラヴィーア曲集を聴いた。
十分ほど聴いたら寝るつもりだった。
MQAで聴けるグールドのすべてを聴いているわけではない。
それでも平均律クラヴィーア曲集は、MQAの良さがよくいきている。
聴いていたら、第一集を聴き終えた。
途中でストップすることができなかった。
グールドの平均律クラヴィーア曲集はSACDも持っている。
MQAとSACDとでは、再生環境が少し違う。
メリディアンの218はDSDに対応していないからだ。
なのでSACDプレーヤーとの比較になる。
そういうことだから、きちんと再生環境を整えていったら、
MQAとSACD、どちらがいいのかはまだなんともいえないが、
少なくとも私の再生環境の現状では、MQAでの音に、
グールドの平均律クラヴィーア曲集を聴く新鮮さを、ふたたび味わっている。
さっきtwitterを眺めていたら、
大滝詠一の「A LONG VACATION」のゴールドCDが、
30万円ちょっとヤフオク!で落札されて驚いた、という投稿が目に入ってきた。
1980年代後半、ゴールドCD(金蒸着CD)が話題になった。
私も何枚か買った。
確かに、通常のアルミ蒸着CDよりも、こういっていいならば、音がよかった。
あのころは、好きなディスクがすべてゴールドCDになってほしい、と思っていた。
いまもマイルスの一枚だけは持っている。
ゴールドCDの音質的なメリットは、理屈はともかくとしてある。
すでに廃盤になってしまったゴールドCDの中古相場が高くなるのもわかる。
それにしても限度というものがある──、といいたくなる。
「A LONG VACATION」のゴールドCDは聴いていない。
通常のCDよりも、どれだけ素晴らしいのかは知らない。
ゴールドCDを一度でも聴いてしまうと、アルミ蒸着のCDは聴けなくなってしまう──、
そのくらいの違いがあったとしても、30万円なのか……、と思ってしまう。
30万円で落札した人は、それだけ大滝詠一に思い入れがあるのか、
「A LONG VACATION」に忘れ難い青春の想い出があるのか。
私には理解できないほどの深い思い入れのある人が、
30万円を出してでも手に入れたかった──、というのであれば、
周りがとやかくいうことではない。
でも、30万円で落札した人は、聴くのだろうか。
ここが知りたい。
大滝詠一のアルバムは、TIDALでMQA Studioで聴ける。
「A LONG VACATION」もそうだ。
MQAの良さというのは、ゴールドCDに類似するよさともいえる。
2019年10月に(その1)を書いている。
(その2)を書くつもりは、その時はまったくなかった。
メリディアンの新しい輸入元としてオンキヨーがきちんとやってくれるだろう──、
という期待を込めて、である。
2019年12月にオンキヨーにかわる、ということだったが、
オンキヨーのウェブサイトでは2020年1月から、とあった。
一ヵ月のずれ。
これは遅れなのだろうか。
そう思ったけれど、それにオンキヨーに関するウワサをいくつか聞いていたけれども、
それでもがんばってほしい、と思っていた。
それが不安に変っていく。
ウェブサイトにメリディアンのページすら、満足に作られていない。
1ページのみの、ごく簡単なものが、ずっとそのままだった。
そこにコロナ禍である。
オンキヨーに関するウワサでいいことは一つも聞くことはなかった。
そして、いまのオンキヨーである。
あえて書くまでもないだろう。
メリディアンの輸入元として、無責任な会社である。
TIDALにおけるグレン・グールドのアルバムは、
ほとんどMQAで聴けるようになった。
今日、モーツァルトのピアノ・ソナタもMQAになった。
モーツァルトのピアノ協奏曲はわりは早くにMQAになっていたから、
ピアノ・ソナタも、と期待していたけれど、なかなかならずにやっとである。
グールドがMQAで聴けるようになっただけでも嬉しいのは本音なのだが、
ソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルの他のアルバムのMQA化をみていると、
グールドは44.1kHzのみなのか──、と思ってしまうのも本音である。
ソニー・クラシカルは、グールドの全集ボックスを出した際に、
DSDでマスタリングをしている。
ならば、44.1kHzでなく、88.2kHzで出してくれてもいいじゃないか、と思う。
それでもMQAでグールドを聴いていると、グールドのハミングが、
人の声らしく聴こえてくるのが、自然でいい。
先ほど、TIDALのサイトが日本語になっている、という投稿がfacebookにあった。
アクセスすると、日本語になっている。
しかも投稿にあったように、機械翻訳ではないように感じられる。
今年の3月に“Local Editor, Japan TIDAL”というページが、
TIDALのウェブサイトに出来ていることに触れた。
今回のことに、このことが関係しているのか。
今日の時点では、何もはっきりしたことはわからないのだが、
動きがあることだけは確かなのだろう。
二ヵ月前に、e-onkyoで、ミヨーの「子と母のカンタータ」が、
96kHz、24ビットのflacでの配信が始まっていることは、(その3)で触れている。
TIDALでも同時期に聴けるようになっていたのだけれど、こちらは44.1kHzだった。
6月の時点では、ソニー・クラシカルなのだから、
MQAで聴けるようになるとは思いもしなかった。
すでに書いているように8月になり、毎日、ものすごい数のアルバムがMQAになっていて、
TIDALで聴けるようになっている。
ジュリアード弦楽四重奏団のアルバムもMQAになり始めている。
ミヨーの「子と母のカンタータ」がいつMQAになるのか。
ほとんど毎日チェックしていた。
ようやく今日、TIDALで「子と母のカンタータ」がMQAで聴けるようになった。
96kHzのMQA Studioである。
日本インターナショナルオーディオ協議会は、
来場者無しでやるということは考えていないのか。
二年続けての中止は避けたい──、
それは心情として理解できるけれど、来場者はありでなければならないのか。
インターナショナルオーディオショウは入場料をとっていない。
ならば、いっそ今年は来場者無しで、オンライン開催のみであれば、
開催か中止かで、ぎりぎりまで迷うことはなくなる。
会場は国際フォーラムからで、各ブースからの各出展社からの配信。
MQAによる配信も、いまでは可能である。
完全オンライン開催はいきなりだと、
すんなりいかないことも出てくるかもしれないし、ノウハウもまだないであろう。
けれど来場者無しにすれば、会期は三日間ある。
それだけあれば、初日と最終日とでは配信のクォリティも違ってこよう。
ここでオンライン開催(配信)のノウハウをつかんでおけば、
来年以降、いろいろと役に立ってくるはず。
JBLのウェブサイトのSA750のページには、
9月発売予定とある。
けれど、これはいつの情報なのだろうか。
オーディオ関係のウェブサイトの今日の記事には価格がのっているのに、
JBLのサイトでは、価格の表示はない。
どちらが情報として新しいのかが、はっきりとしない。
今日の記事で、今秋となっているということは、
JBLのサイトにある9月発売は少し延びるということなのだろうか。
オーディオ関係のサイトの情報が新しい、ということなのか。
どちらにしてもあと数ヵ月でSA750は登場する。
JBL 75周年記念モデルなのだから、来年に延びるということはないはずだ。
ヴェルディの「ファルスタッフ」。
最初に聴いたのはジュリーニの指揮だった。
そのころは若さゆえのいきがりがあって、
イタリアオペラよりもドイツオペラ、
つまりワーグナーこそ、そんなふうに思い込んでいたから、
ヴェルディ、プッチーニのレコードよりも、
ワーグナーのレコードを優先して買っていたから、
ジュリーニのレコードが出るまで聴いたことはなかった。
しかもジュリーニの演奏は、レコードではなく、
LD(レーザーディスク)での鑑賞が先だった。
「ファルスタッフ」に前奏曲がないのは知ってはいた。
知っていたけれど、いきなり聴くと、びっくりする。
そうだったと、前奏曲、序曲もないことを思い出す。
ジュリーニの演奏はテンポが遅い。
とはいっても、ほかの指揮者の演奏を聴いていないのだから、
そんなこともわからず聴いていた(観ていた)。
LDだから、対訳がある。
あってよかった。
ないまま、ジュリーニの「ファルスタッフ」を聴いていたら、
退屈していたかもしれない。
それからも「ファルスタッフ」のディスクを数多く聴いているわけではない。
カラヤンを聴いて、アバドを聴いて、数えるぐらいである。
なんとなくバーンスタインの「ファルスタッフ」は聴かずにいた。
オーディオ関係のウェブサイトに、JBLのSA750の記事が公開になっている。
ようやく価格も決まり(税込で385,000円)で、今秋発売とのこと。
今年1月にSA750が出る、というニュースがあった。
遅くとも夏ぐらいには登場するのかと漠然と思っていたら、秋なのか。
今秋とあるが、何月になるのかは記事中にはない。
9月、10月、11月のどこかで発売になるとしたら、
11月のインターナショナルオーディオショウには間に合わせてくるであろう。
内部写真は公開されていないが、スペックからもそうだし、
(その6)で書いているようにroon readyになったのが同日ということからも、
SA750のベースモデルは、アーカムのSA30で間違いない。
だとしたら、なぜここまで遅れるのか。
私がステレオサウンドを読み始めた頃と、
ラックスのCL32が登場した時期と重なっていて、
CL32の記事はよく目にしていた。
それらのほとんどに書いてあったのは、
だまって本機を見せられたら、管球式アンプだとわかる人はいないだろう──、
そういうことだった。
当時はマークレビンソンのJC2に影響を受けた日本のメーカーから、
薄型のコントロールアンプがいくつも登場していた。
そんななかでのラックスのコントロールアンプCL32は、
真空管を横置きとすることで、薄型を実現していた。
同時期のCL35/IIIが、プリメインアンプのSQ38FDIIと同じデザインだっただけに、
CL32の薄型はよけいにきわだっていた。
真空管を横置きするのは、マランツのModel 7もである。
けれどModel 7は薄型ではない。
おそらくJC2が登場していなければ、CL32は違うプロポーションになっていたであろう。
結局は、薄型の筐体におさめられる薄型の電源トランスができれば、
薄型の管球式コントロールアンプはさほど困難ではない、というわけだ。
ただし管球式アンプの電源トランスは、ソリッドステートアンプの電源トランスよりも、
高電圧と低電圧の巻線が必要になるため、サイズは大きくなりがちだ。
ラックスはトランスメーカーでもあったからこそ、
外部電源とせずに薄型の管球式コントロールアンプが実現できたのだろう。
CL32の評価は、当時は高かった。
中学生だった私はLNP2に憧れながらも、CL32の音を聴きたい、と思っていた。
真空管のよさが聴けるコントロールアンプというふうに、思えていたからだった。
あのころCL32に関する文章を読んでいても、
新しい世代の管球式コントロールアンプというふうには思えなかった。
他の国産メーカーが管球式アンプをやめていくなかで、
ラックスはトランジスターアンプを主としながらも、継続していた。
管球式アンプの歴史をもつラックスがつくった管球式アンプの新製品、
それも薄型のコントロールアンプ、
私の目には、そう映っていた。