夕刻、バスに乗っていた。
吉祥寺行きのバスで、緊急事態宣言が出ているのだから、
どこにも寄らずまっすぐ帰るつもりだったので、途中下車はまったく考えていなかった。
けれど、吉祥寺にあるハードオフの真ん前の停留所でバスが止まった。
しばらく行ってなかったハードオフ、たまには寄ってみるか、と結局途中下車。
オーディオコーナーの三階にあがると、心地よい音が流れているのが耳にはいってきた。
なにかおもしろいモノがないかとくるっと見回ったあとに、
どのスピーカーが鳴っているのか確認したら、セレッションのUL6だった。
10代のころに、やはりオーディオ店で鳴っているのをきいたきりだから、
ほぼ四十年ぶりに聴くUL6だった。
聴いた、といっても前回も今回もじっくり、というわけではない。
それでもあらためてUL6は、いいスピーカーだな、と思いながら聴いていた。
昔聴いた音は、美化されがちである。
だから、ずいぶん時間が経ったあとに聴くと、がっかりすることもままある。
けれど今回はむしろ逆で、UL6の心地よい音が、ほんとうに魅力的でもあった。
家庭で音楽を聴くために必要充分な音とは──、ということを考えさせる音でもある。
しかもついていた値段も、割と安く感じられるものだった。
もう少し聴いていたい、と思いながらも、聴き続けていると、
絶対に欲しくなるから、ぱっときりあげて、店をあとにした。
こまかな採点表をつくって、スピーカーの音をチェックして点数をつけていく──、
そんな聴き方をするのであれば、UL6よりも優秀なスピーカーはいくつもあろう。
でもくり返すが、家庭で音楽を聴くということは、
家庭で音楽を美しく響かせることだと思うから、UL6の音を聴くと、
UL6からここまでの約40年間に得られた音と失われた音、
音といようりも音楽の表情といったほうがいいかもしれないが、
そんなことをどうしても考えてしまう。
セレッションにしてもUL6の数年後に、SL6を発表する。
SL6は、SL600へと発展して、SL700を生み出していった。
SL6の音に驚き、SL600を買って鳴らしていた時期がある。
オーディオ評論家のなかには、SLシリーズ以前のセレッションを、
ひどく低い評価しかしない人がいた。
Dittonシリーズ、ULシリーズを前時代のスピーカーとでもいいたげであった。
でも、ほんとうにそうなのか。