Archive for 12月, 2020

Date: 12月 21st, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その21)

ききての、感覚も、精神も、当人が思っているほどには解放されていないし、自由でもない。できるだけなにものにもとらわれずきこうとしているききてでさえ、ききてとしての完全な自由を自分のものにしているわけではない。
     *
ステレオサウンド 56号に、黒田先生が、こう書かれていた。
「異相の木」というタイトルで、ヴァンゲリスの音楽について書かれている。

そのとおりだ、と読んだ時も思ったし、
それから四十年が経っても、そう思う。

私は、そう思うわけだが、そう思わない人もまた少なくないことを知っている。
感覚も、精神も、あらゆることから解放されている──、そう思っている人がいる。

あらゆることから、とするのがオーバーなら、
オーディオから解放されている、でもいい。

そう思い込める人、
思い込んだら、なんの疑いも持たない人、
そういう人がいる、という事実。

《ききてとしての完全な自由》、
オーディオを介して音楽を聴くききてとしての完全な自由。

それを自分のものにしているといえる人になりたい、とは思わない。

Date: 12月 21st, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その15)

2020年で、いちばんのこととなると、やはりタンノイのコーネッタである。
「五味オーディオ教室」から四十四年目に、やっとタンノイである。

タンノイを自分のシステムとして鳴らす機会が、まったくなかったわけではないが、
これといった理由はないけれど、どこかタンノイを遠ざけていた。

憧れのスピーカーシステムとして、タンノイのオートグラフは、
私のなかでは、別格中の別格である。

憧れのスピーカーとしても、JBLの4343とオートグラフとでは、同じには語れない。
もうこのままタンノイを自分のシステムとして鳴らすことはないだろう、と思い始めていた。

タンノイの現在のラインナップに、欲しいと思える製品がないことも関係している。
いまのタンノイの方針からいっても、将来、
どうしても欲しいと思うようになるモデルが登場するとは考えにくい。

だからといって、オートグラフの中古をさがそうとは、まったく考えていなかった。
タンノイは憧れのままなのか。

そんなふうにも思い始めたころに、ヤフオク!にコーネッタが表示された。
コーネッタを検索していたわけでもないのに、唐突に表示された。

別項で書いているので省略するが、思わぬ安価で落札できた。
7月から12月までの六回、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayは、コーネッタを鳴らした。

毎回五時間から六時間ほど鳴らしていた。
それが六回だから、三十時間ちょっと鳴らしていたことになる。
半年で、これだけなのだから、短い。

でも、7月に鳴らした音と12月に鳴らした音は、変化も大きい。
毎日鳴らすようになれば、もっと変化していくことだろう。

Date: 12月 20th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(SUPERではなくWONDER)

メリディアンのULTRA DACは、私のなかでの位置づけは、
EMTのアナログプレーヤー930stと同じ、といっていい。

930stの上には927Dstがある。
ULTRA DACも高価だが、世の中にはもっと高価なD/Aコンバーターはいくらでもある。

ULTRA DACを最初にみた時は、大きな、とおもったけれど、
ULTRA DACよりも規模の大きなD/Aコンバーターも、いくつでもある。

ULTRA DACよりもずっと高価で、大規模なD/Aコンバーターを927Dstクラスとすれば、
ULTRA DACはやはり930stクラスであり、
それも930stに専用インシュレーター930-900と組み合わせた状態での完成度の高さ、
そして音の誠実さは、ULTRA DACにも共通して感じるところだ。

では218は、というと、トーレンスのTD125的位置づけである。
TD125は、音のいいプレーヤーである。
後継機のTD126よりも、音は澄んでいるように感じる。

同条件で比較試聴したわけではないので、断言できないけれど、
使い勝手の良さではTD126のほうが上のところはある。
モーターのトルクの弱さは、TD125の欠点といえなくもない。
クリーナーをあてるだけで、回転スピードが遅くなるほどである。

でも、肝心の音となると、また違ってくる。
どちらを重視するかは人によって違う。
私はTD125のほうが、自分で使うのであれは好ましい、と考えている。

そのTD125をベースにEMTがまとめあげたのが、928である。

私が218に手を加えてめざしたのは、928でもあった。
928は聴いたことがない。
それでも瀬川先生の評価を信じるならば、928は930stにはかなわない。
けれど928はトーレンスのTD125ではなく、やっぱりEMTのアナログプレーヤーである。

ここは、とても重要なことだ。少なくとも私にとっては。
218にどれだけを手を加えてもULTRA DACになるわけではない。
いいかえるならば、930st的存在になったりはしない。

でも928的存在にはなる、という予感はあった。
自画自賛ではあるが、928的存在にはなった。

ULTRA DACにはならないけれど、WONDER DACと呼べるレベルには仕上げたかった。
SUPER DACではなく、WONDER DACにしたかったのは、ワンダーウーマンのファンだからだ。

パティ・ジェンキンス監督、
ガル・ガドット主演の「ワンダーウーマン」を観てなければ、
SUPER DACといっていたことだろう。

Date: 12月 19th, 2020
Cate: 楽しみ方

待ち遠しい、という感覚(その3)

この項とテーマは、
映画「ワンダーウーマン1984」のことを書きたくて、
というのが理由の半分をしめる。

一年ほど公開が遅れた。
ほんとうに待ち遠しかった。

ワンダーウーマンが、
「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」に登場する、というニュースをきいたとき、
なぜワンダーウーマン? 出さなくてもいいのでは? と思っていた。

それは映画を観て、180度変ってしまった。
それから2017年公開の「ワンダーウーマン」を観て、ワンダーウーマンのファンである。

続編を楽しみにしていた。
けれどコロナ禍などの事情で、延びに延びた。
公開延期になった、というニュースをみるたびに、
予告編を見て過ごしていた。

昨晩(18日)、観てきた。
ひさしぶりに公開初日に、映画を観る。

予告編を何度もみては、不思議に思うシーンがいくつかあった。
予告編で、ワンダーウーマンが疾走するシーンがある。
鬼気迫る疾走のようにもみえたシーンは、そういうことなのか、と、
本編を観れば、胸にぐっとくるシーンになってくるし、
不思議に思えたシーンも、納得できる。

観て感じていたのは、公開延期になって、むしろよかったのではないか、ということだ。
映画会社にとっては、公開延期はマイナス面ばかりなのかもしれないが、
われわれ観る側としては、この時期の公開でよかった、と思う。

一年前に公開され観ていたら、DVDを購入してまた観ていたはずだ。

Date: 12月 18th, 2020
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その9)

その8)でテープ入出力端子のことにちょっと触れたので、
ここでのテーマとは直接関係ない話なのだが、
プリメインアンプの現行製品で、テープ入出力端子を備えているのは、
どれだけあるのだろうか。

しばらく前からアナログディスク・ブームといわれている。
それからしばらくして、カセットテープがブームになってきた、ともいわれた。
オープンリールテープも、静かなブームだ、ときく。

カセットテープにしろオープンリールテープにしても、
アンプにテープ入出力端子がなければ、けっこう扱い難い。

なのにテープ入出力端子をつけてほしい、という声を、
ソーシャルメディアでもみかけたことがない。

私がフォローしている人たちがツイートしていないだけで、
そういう声はあるのかもしれない。

でも、カセットテープ、オープンリールテープの音に惚れ込んでいても、
再生だけで録音はしていない人が、いまでは案外多いのかもしれない。

録音をしなければテープ入出力端子の必要性は、あまり感じないし、
テープデッキの出力を、アンプのライン入力に接続するだけで事足りる。

テープデッキを再生だけに使うのも悪いことではないし、間違っているわけでもない。
それでも、やっぱり録音器であるわけだから。

でも、何を録るのか、といわれるだろう。
音楽を録ることだけにとらわれすぎていないだろうか。

カメラを買ったからいって、誰もがスタジオを借りて撮影するわけではない。
家族の写真を撮ったり、身近な風景や動物を撮ったりする。

なぜオーディオの録音器だけが音楽だけを録ることにこだわるのか。
スマートフォンのカメラ機能で、気軽に撮るように、
身近にある音を録ってみたらいい。

Date: 12月 17th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その14)

シルヴェスター・スタローン主演の映画で、「デモリションマン」というのがある。
日本では1994年に公開されている。
スタローン演じる主人公のスパルタンは、1996年に冷凍睡眠にされて、
2032年に解凍される。

映画公開時のほぼ四十年後を描いている。
けっこう奇妙な未来像だった。

中でも笑ったのが、男女の営みで、
どちらも裸になることなく着衣のまま、ヘッドギアを装着して、
相手にいっさい触れることなく、行為は終ってしまう。

かなり以前に観た映画だから、細部は違っているかもしれないが、
そんな感じで、いくらなんでもそんな時代が来るわけないだろう、と思って観ていた。

けれど2020年、新型コロナの登場で、
もしかするとそんな笑い話のような未来が現実となるのかもしれない、と、
「デモリションマン」のことを思い出した。

4月のaudio wednesdayは、コロナ禍で中止にした。
5月のaudio wednesdayは、緊急事態宣言中だったこともあったし、
告知もそれほどしなかったこともあって、誰も来られなかった。

喫茶茶会記の店主の福地さんと二人だけのaudio wednesdayでもあった。

そんなことは起らない、と思っているようなことが、
これから起っていくのかもしれない。

Date: 12月 17th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その25)

《真実は調査に時間をかける事によって正しさが確認され、
偽りは不確かな情報を性急に信じる事によって鵜呑みにされる。》

タキトゥスの言葉だ。
「五味オーディオ教室」と出逢って、四十四年。
ほんとうにそうだ、と感じている。

Date: 12月 16th, 2020
Cate: バランス

Xというオーディオの本質(その4)

本質と本質のあり方、
自由と自由のあり方、
いつの日か、本質について、これなんだ、とひらめくことがあるかもしれない。

そういう日がやってきたとしても、
本質を、自由を、的確な言葉で誰かに伝えられるかというと、どうなんだろうか。
無理なような気もする。

それでいても本質のあり方、自由のあり方は、
その時にきちんと言葉にして伝えられるかもしれない。

そしてあり方こそが、バランスなのかもしれない、と。

Date: 12月 15th, 2020
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その8)

ラックスから、今年プリメインアンプのプリメインアンプのL595A LIMITEDが登場した。

今回も往年のラックスのアンプ・デザインの復活であり、
これまで続いてきたずんぐりむっくりからの脱却でもある。

L595A LIMITEDのページには、《一体型アンプの矜持》という項目がある。
L595A LIMITEDはフォノイコライザーはもちろん、
2バンドのトーンコントロールも備えている。

さらに音量連動式のラウドネスコントロールもついている。
テープ入出力端子は、時代の流れからなのか、ないのだが、
プリ・パワーアンプのセパレート機能はついている。

プリメインアンプ全盛時代のプリメインアンプそのまま、といいたくなる内容である。

さまざまな機能を削ぎ落として、音質をひたすら追求しました、
というアプローチのプリメインアンプもあってもいいが、
それならば、いっそのことセパレートアンプにしてしまえばいいのに、と私は考える。

だからL595A LIMITEDは、逆に新鮮にみえてくるところもある。
管球式のプリメインアンプは、いまでも存在している。

けれどほとんどの管球式プリメインアンプは、さまざまな機能を省略しすぎている。
そこに、プリメインアンプの矜恃は感じられない。

なかにはかなり大きな図体の管球式プリメインアンプもある。
それでも機能は最低限度しかついていなかったりする。

音がいいことだけが、アンプづくりの矜恃ではないはずだ。

Date: 12月 15th, 2020
Cate: 楽しみ方

待ち遠しい、という感覚(その2)

三年前に、待ち遠しい日があると、子供の時のように、
時間が経つのが遅く感じられる、と書いた。

いまも、そう思っている。
けれど、いまの世の中、スピード社会(古い表現)だから、
待ち遠しい、なんてなくなりつつあるようにも感じている。

映画もそうだ。
私が10代までのころは、ほんとうに日本での洋画の大作の公開が待ち遠しかった。
あのころ、日米同時公開なんて、考えたこともなかった。
半年から一年くらい遅れての公開だった。

しかも、そのころは映画雑誌がいくつもあった。
断片的な情報だけは、それらを読めば入ってくるだけに、よけいに待ち遠しい気持は募った。

話題の映画が、テレビ放映されるのも、かなりの時間がかかっていた。
私の田舎にはロードショー館はなかった。
バスで熊本市内の映画館まで行かなければならない。
そうすると映画の料金よりもバス代のほうが高くなる。

中学生、高校生の小遣いでは、年に数本の映画を観ることぐらいしかできなかった。
だからこそ、テレビ放映も待ち遠しかったものだ。

いまは、すべてがはやい。
日米同時公開はあたりまえになっているし、
ビデオ化も早い。見逃しても、数ヵ月後にはなんらかの方法で観ることができる。

そんなふうにして待ち遠しい、という感覚が稀薄になる、ということは、
余韻がいっしょになくなりつつあるようにも感じられる。

待ち遠しい、という感覚と余韻とは、ひとつであることに気づいた。

Date: 12月 14th, 2020
Cate: オーディオ評論

二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷(その9)

その7)へのfacebookへのコメントがあった。
《オーディオ評論家の批評は「読まず」にできるんですね。》というものだった。

facebookで返信しようと思ったけれど、
コメントの人のように勘違いされている方が他にもいるかもしれない。
そう思ったので、こちらに書くことにした。

コメントには、オーディオ評論家とある。
コメントをされた方は、傅 信幸氏をオーディオ評論家と認識されているのだろう。
傅 信幸氏のファンなのかどうかまではわからない。

私は、このブログで、
オーディオ評論家(職能家)、オーディオ評論家(商売屋)と表現している。

わかってもらえていたと思っていたので、あえて書かなかったけれど、
私がオーディオ評論家と思っているのは、
オーディオ評論家(職能家)の人たちだけであり、
オーディオ評論家(商売屋)の人たちのことは、オーディオ評論家とは思っていない。

それでも便宜上、オーディオ評論家と書いたりはするが、
菅野先生が亡くなられて、オーディオ評論家(職能家)はいなくなった、
残っているのはオーディオ評論家(商売屋)だという認識である。

はっきり書けば、オーディオ評論家と呼ばれている人たちはいる。
自分で名乗っている人たちはいる。
けれど、私は、オーディオ評論家はいない、という認識である。

つまり、この項では(その1)、(その2)で書きたかったのは、
管球王国の担当編集者のことだった。

けれど、予定は変った。

Date: 12月 14th, 2020
Cate: オーディオ評論

二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷(その8)

管球王国Vol.98の「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」を眺めて、
まずおもったのは、担当編集者はステレオサウンドのバックナンバーをあまり読んでいないだった。

どんな人が担当編集者なのかは、全く知らない。
たぶん男の人だろうぐらい、である。
年齢も名前も、どんな音楽を好んで聴くのか、
どんなオーディオ遍歴なのか、そういったことは何ひとつ知らない。

でも、ステレオサウンド 94号も、それから51号も、
「HIGH-TECHNIC SERIES-4」も読んでいない、とはいえる。

担当編集者は、いや、しっかり読んでいる、というかもしれない。
けれど、私からすれば読んでいないに等しい読み方でしかない。

しっかり読んでいれば「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、
構成からして別物になっているはず。

94号に《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだ》、
そう書いている傅 信幸氏に依頼するのだから、
きちんとバックナンバーを読んでいる編集者ならば、
そうとうにおもしろい記事にすることができたはずだ。

なのにできあがったのは、月並な記事でしかない。

私が担当だったら、やはり傅 信幸氏に依頼しただろう。
そして事前の打合せをしっかりやる。
94号のことを念頭においた上で、やる。

でも、そういうことを担当編集者はやっていないはずだ。
もったいないことである。

ここまでのことを、(その2)に書く予定でいたし、
(その2)で終りの予定でもあった。

それがfacebookのコメントを読んで、変更し、まだ続く。

Date: 12月 13th, 2020
Cate: 「オーディオ」考
1 msg

時代の軽量化(その13)

時代の軽量化をいうことを、なんとなくではあるが考えるようになったのには、
小さなきっかけがある、といえばある。

オーディオの才能と資質についてぼんやり考えていた。
いま、私と同じだけの、オーディオの才能と資質をもつ若い人がいた、としよう。
20代でも10代でもいい。

その人が、これから先、どんなにかんばっても、
私とおなじにはなれないだろう、というよりもなれない、と断言できる。

それは私が恵まれていたからだ。
あの時代に10代だった、ということ。
ぎりぎり10代のうちに、ステレオサウンドで働くようになったこと。

これから先、
私と同じくらいの若さでステレオサウンドで働くようになる人は現れるかもしれない。

それでも私がいたころといまとでは、大きく違いすぎる。
あのころいた人たちは、もうみないなくなってしまった。

井上先生も、上杉先生も、岡先生も、黒田先生も、
菅野先生も、長島先生も、山中先生も、みないない。

岩崎先生、五味先生とは会えなかった。
瀬川先生とはステレオサウンドでは会えなかったけれど、
熊本のオーディオ店でも何度も会えた。

ほんとうに、みないない。

どれだけオーディオの才能と資質に恵まれていようと、
それだけでは、もう無理なのだ。

Date: 12月 12th, 2020
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その31)

ステレオサウンドの冬号(ベストバイの号)が書店に並んでいるのをみかけると、
59号のことを思い出してしまう。

昔は夏号がベストバイの号だった。
59号は、ベストバイに瀬川先生が登場された最後の号である。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
59号で、パラゴンについて書かれたものだ。
もう何度も引用している。

この文章を思い出すのだ。
特に「まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。」を何度も何度も思い出しては、
反芻してしまっている。

59号の時点で、23年も前の製品だったパラゴンは、
いまでは60年以上前の製品である。

瀬川先生の「欲しいなぁ」は、つぶやきである。
そのつぶやきが、いまも私の心をしっかりととらえている。

Date: 12月 11th, 2020
Cate: 楽しみ方

待ち遠しい、という感覚(その1)

STAR WARS episode IXを観たのは、ほぼ一年前。
一年しか経っていないのに、
ずいぶん経っているような感覚なのは、
私にとっては、つまらない映画だったからなのだろう。

印象がとにかく薄い。
だからずいぶん前に観た感じになっている。

別項で書いているように、
スターウォーズの映画で、はじめて「長いなぁ……」と感じていた。

episode IXは、ひとつの区切りである。
スターウォーズの新作が続くことはすでにニュースで知っていたけれど、
もう観ることはないなぁ、そんな感じになってしまっていた。

スターウォーズの新作は2023年12月公開のニュースがあった。
これだけだったら、なんとも思わない。
そうですか……、といういった感じで、すぐに忘れてしまっただろう。

でも監督がパティ・ジェンキンスである。
「ワンダーウーマン」のパティ・ジェンキンスである。

たったこれだけの情報だけれども、スターウォーズの新作がすごく楽しみになった。
絶対観る、というほどになっている。

三年後である。
三年間、待ち遠しい、という感覚が持ち続けられるわけだ。