Archive for 8月, 2020

Date: 8月 8th, 2020
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その4)

真空管パワーアンプの音が、出力管だけで決るわけがないことは百も承知だ。
この項で挙げている四機種のKT88のパワーアンプは、どれも音が違う。

それでも、そこに何か共通項のようなものを、少なくとも私の耳は感じている。
もっと厳密にいえば、タンノイのスピーカーで聴いた時に、そう感じている。

「五味オーディオ教室」を読みすぎたせい──、とはまったく思っていない。
マッキントッシュのMC275がKT88のプッシュプルだから、ということではない。
私の場合、タンノイで聴いたKT88のプッシュプルアンプは、MC275が最初ではないからだ。

KT88のプッシュプルアンプは、他にもいくつもの機種がある。
それらでタンノイを鳴らしたことはない。
もしかすると、私が聴いたことのないKT88のプッシュプルアンプで、
タンノイを鳴らしてみると、KT88にこだわることはないな、と思うかもしれない。

KT88のプッシュプルアンプのなかにも不出来なアンプは少なからずある。
そのこともわかっている。
それでも、タンノイを、真空管アンプで鳴らすのであれば、
まずKT88のプッシュプルアンプということを、頭から消し去ることができないままだ。

真空管パワーアンプの音が、出力管だけで決るわけがないのだが、
だからといって、出力管の銘柄、型番が音に関係ないわけではない。
鳴ってくる音のどこかに、出力管に起因するなにかが存在しているのかもしれない。

それがタンノイのスピーカーと組み合わされた時に、
私の耳は無意識のうちに嗅ぎ分けているのかもしれない。

コーネッタを鳴らすのに、真空管アンプを作るのであれば、
デッカ・デコラのパワーアンプ、EL34のプッシュプルのコピーにしようか、と思っている。
いい感じに鳴ってくれるだろうな、と夢想しながらも、
それでもKT88のプッシュプルアンプ、と思ってしまう。

しかも、ここがわれながら不思議なのだが、
KT88のプッシュプルアンプを自作しようという気は、ほとんどない。
市販品のなかから、いいモノがないか、と思ってしまうのは、なぜなのか。

Date: 8月 8th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その13)

今年春に出たクリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェン。
1959年録音の交響曲第4番をかける。

ベートーヴェンの4番といえば、カルロス・クライバーの演奏が出てからは、
もっぱらそればかり聴いていた。
他の指揮者の4番も持っていたし、聴いていたけれど、
クライバーの疾走感ある演奏のあとでは、ほかの演奏をずいぶんのあいだ聴く気にならなかった。

クリュイタンスの4番は、MQAで聴いている。
クライバーの4番は、私はCDでしか聴いていない。
SACDがかなりあとになって出ているが、買いそびれている。

クリュイタンスの4番は、60年ほど前の録音とは聴いていると、まず思えない。
気持良く音がひろがる。
どこにも無理がない。そんなふうに音がひろがりハーモニーを醸し出す。

こんなにも素晴らしい演奏だったのか、と、
ずっと昔に聴いた記憶をたどったところで、そのころの印象は、
2020年のいま聴くほど鮮烈ではなかった(はずだ)。

そうであったなら、記憶にはっきりと残っているはずだからだ。

聴いているとよみがえった、と思う。
ショートピンを218に挿さない状態でも、60年前の録音とは思えなかったのが、
ショートピンを挿すことで、ますますそうとは思えなくなった。

とにかくクリュイタンスの4番をMQAで聴いて、
古い録音だな、と感じるのであれば、再生装置のどこかに不備があると思っていい。
そういいたくなるほどの演奏・録音である。

Date: 8月 8th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その9)

私にとってのオーディオの原点といえる「五味オーディオ教室」。
この本に、
《今日のような情報過多の時代には、情報を集めるより容赦なくそいつを捨てる方向にこそ教養というものが要る》
と書いてある。

「五味オーディオ教室」は1976年に出ている。
1976年より2020年のいまは、もっともっと情報過多の時代である。

情報を集めることは、1976年よりもずっと簡単、手軽になっている。
しかも1976年のころの情報といえば、おもに文字による情報だった。

いまも文字による情報がそうだといえるが、
インターネットは文字だけでなく写真も動画も音も、
電気信号に変換できるものであれば、
スマートフォンの画面とスピーカー、パソコンの画面とスピーカーで伝えることができる。

ということは、それらの厖大な情報を捨てる方向で要る教養は、
1976年のころよりも、ずっと求められることでもある。

では、その教養を身につけるためには、どうするのか。
インターネットに頼る──のか。

Date: 8月 7th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その12)

ショートピンの効果は、218でも、アンプと同じようにあらわれる。
音のひろがりが、いちだんと増す。

聴感上のS/N比に配慮したシステムであればあるほど、
そこでの変化ははっきりとあらわれる傾向にある。

雜共振のかたまりのようなシステム、
つまり聴感上のS/N比の悪いシステムでは、
ショートピンの効果はそこまではっきりとは出ない傾向がある。

今回の218へのショートピンの効果が大きく感じられたのは、
218にこまめに手を加えてきたこと、
LAN用のターミネーター、200V駆動などの積み重ねなどが関係しているように思う。

ショートピンといえば、喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、
マッキントッシュのMA7900にも挿している。

MA7900にはフォノ入力が二系統ある。
使っていない端子に、常時挿してある。

audio wednesdayで使う場合に、CD端子にもショートピンを挿す。
メリディアンの218を使うようになってから、
218でレベルコントロール、トーンコントロールをするようになったため、
MA7900のプリアンプ部は使わずに、パワーアンプ部のみ、
つまりパワーアンプ入力端子に218を接続している。

こうやって使う場合に気をつけたいのは入力セレクターのポジションである。
私はショートピンを挿した端子にセットしている。

ほんとうならば、すべての入力端子にショートピンを挿してみて、
ということも試したほうがいいのだが、
効率的に、ということでショートピンをライン入力のどれかに挿して、
そのポジションにセレクターをあわせる。

便宜上、CD端子にショートピンを挿して、セレクターはCDにしている。
それから精神衛生上というか、ボリュウムは絞りきっている。

パワーアンプ部しか使っていないのだから、ボリュウム位置は音量には関係しない。
それでも絞りきっている。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その11)

物理的なS/N比を向上させたければ、
アンプの場合では入力端子にショートピンを挿せば、
たったこれだけのことでS/N比の数値は高くなる。

ステレオサウンドでは、以前、測定を積極的に行なっていたころ、
アンプのS/N比を、ショートピンを挿した状態、
実際の使用条件にあわせた状態での測定の両方を行っていた。

ショートピンありだとS/N比はよくても、
たとえフォノ端子にカートリッジ、それもインピーダンスが高いMM型を取り付けた状態では、
S/N比がかなり悪くなる機種が、意外にも少なくなかった。

私がステレオサウンドを読みはじめた1976年ごろ、それ以降も、
ヤマハのコントロールアンプ、プリメインアンプは優秀だった。

ショートピンありの状態でも抜群のS/N比の高さを誇っていたが、
カートリッジありの状態で、さほど低下せず、測定機種中、優秀な値を示していた。

つまりショートピンを、空いている入力端子に挿すだけで、
アンプのS/N比は向上する。

これは大半のアンプに有効なのだが、
ごく一部のアンプにおいてはショートピンを挿すと発振気味になる場合もあり、
100%良くなるとはいえない。

測定器がなくても、ショートピンの効果は、ノイズを聞けばすぐにわかる。
クロストーク、それも両チャンネル間のそれではなく、
各入力間のクロストークのことであり、
ショートピンの有無は、この各入力間のクロストークをなくしてくれる。

メリディアンの218には、アナログ入力端子がある。
ここにショートピンを挿す。

これだけである。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その1)

コーネッタを鳴らして、その音の何にもっとも驚いているかといえば、
ケイト・ブッシュに関して、である。

先月のaudio wednesdayでもケイト・ブッシュをかけた。
昨晩のaudio wednesdayでも、やはりかけた。

どちらも2018年リマスターでMQAである。

ケイト・ブッシュのディスクは、自分のシステムだけでなく、
ステレオサウンドの試聴室でも何度も鳴らしていたし、
ほかの人のシステムで、少なからぬ回数聴いている。

ケイト・ブッシュを聴き尽くした、とは思っていない。
それでも、かなり聴いてきたし、どんなふうに鳴るのかも、ある程度は想像がつく。

それでもコーネッタで聴くケイト・ブッシュは、前回も今回も意外だった。
ケイト・ブッシュのディスクを最初に鳴らすのであれば、
そういうことがあるのもわからないではない。

けれど、ケイト・ブッシュの前に、聴きなれたディスクを何枚も鳴らしている。
それだけ鳴らしていれば、ケイト・ブッシュがどう鳴ってくるのかは、かなり予測できる。

にも関らず、今回もコーネッタで聴いていて驚いたとともに、発見があった。

フロントショートホーン付きのスピーカーは、独自のプレゼンスを持つ傾向がある。
すべてのフロントショートホーン付きのスピーカーを聴いているわけではないが、
フロントショートホーンなしのスピーカーでは聴けない独自の臨場感がある。

この独自の臨場感は、コーネッタに感じている。
しかも私の場合、意外にもケイト・ブッシュでいちばん感じている。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(コーネッタで聴いておもったこと)

昨晩のaudio wednesdayの最後には、
バックハウスとケンプのベートーヴェンをかけた。

時間があれば、もっとじっくりと、この二人のベートーヴェンを鳴らしたかったけれど、
気がついたら、時間はそれほど残っていない。

なので、バックハウスの32番を最初から最後まで鳴らした。
そのあとに、ケンプの32番の二楽章だけを鳴らした。

どちらが素晴らしい演奏か、という比較をしたかったわけではない。
二人ともMQAで聴けるようになった。
だから、聴きたかった、という理由だけである。

こうやって鳴らすことが、めったにしない。
クラシック好きの人ならば、同じ曲の聴き比べをする。

ベートーヴェンの32番を一枚しか持っていない、という人は珍しいだろう。
何枚かの32番が、クラシック好きの人のコレクションにはある。

それらをすべてひっぱり出してきて、一度に聴き比べる──、
ということを、私はほとんどしたことがない。

32番も、何枚も持っているけれど、
一度に並べて聴いての印象をもっているわけではなく、
違う日に聴いての、それぞれの演奏(録音)に対しての印象を持っているだけである。

どれがいちばんいいのかを決めたいわけでないのでから、それでいいし、
ずっとそうやってきた。

なので昨晩は、32番の二楽章はたてつづけに聴いた。

五味先生がさいごに聴かれたのは、ケンプだったことは、以前書いている。
昨晩、ケンプを聴いていて、人生の最期には、ケンプを聴きたい、とおもっていた。

だからといって、ケンプの32番をバックハウスの演奏より素晴らしい、と思ったわけではない。
バックハウスの32番は、この世を去ったあとに鳴らしてほしい、とおもっていた。

たぶん、私はこのままずっと独り暮しのままだろう。
くたばったときに、誰かが傍にいてくれるということは、ほぼないだろう。
だから、誰かがバックハウスの演奏を鳴らしてくれるわけではない。

でも、何があるかはわからないのが人生だから、
もしかすると誰かがいてくれるのかもしれない。

そうなったのであれば、ケンプは生きているうちに聴いておきたい。
バックハウスは、死んだあとに鳴らしてくれればいい。
そんなふうに感じる二人のベートーヴェンだった。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その12)

昨晩のaudio wednesdayに、
ある方がCDではなくポータブルオーディオプレーヤーをもってこられた。

SPDIF出力もつ機種なので、メリディアンの218との接続も簡単だ。
どのメーカーのどの機種とは書かないが、税込みで6万円くらいで買えるようだ。

ここで書いているようにiPhoneと218を接続しての音は、あなどれないと感じている。
とはいえ、他のポータブルオーディオプレーヤー、
つまり専用の機種と比較してみたら──、ということはもちろん思っていた。

いくつかの機種を比較検討したこともある。
興味はある。
けれど、いまは、ポータブルオーディオプレーヤーに使う金額は、
そのままMQA音源の購入にあてたい、と考えているので、
比較検討しただけでとまったままだ。

とはいえ、誰かポータブルオーディオプレーヤーを持ち込んでくれないかな、と思っていた。
単純に価格で比較すればiPhoneの方が高価だが、
iPhoneには、音楽再生以外の機能をもっている。

基本はスマートフォンなのだから、それは当然であって、
音楽再生以外の機能をすべてとりさってのモノ、
iPod touch(これでもまだたくさんの機能がついている)との価格と比較すれば、
iPhoneが高価とはいえなくなり、むしろ安価ともいえる。

しかもiPhoneはLightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターが必要となる。
iPhoneが音質的に有利と思える要素は、ぱっと見、少なく感じられる。

まぁ、とにかく音である。
あいにく同じ曲で比較試聴することはできなかったが、
ポータブルオーディオプレーヤーで聴いた曲は、すべて聴いている。
しかも、かなりじっくり聴いている曲もあった。

そういう比較での結果であるとはことわっておく。
ポータブルオーディオプレーヤーを持ってこられた方も、
iPhoneの方が良かった、ということだった。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 表現する

音を表現するということ(間違っている音・その11)

その10)で、正確な音、精確な音について、ほんの少しだけふれた。

正確な音も精確な音、
どちらも(せいかく)な音である。

ここにもう一つ、(せいかく)な音を加えるとすれば、
誠確な音だと考えている。

もちろん当て字だ。
けれど「五味オーディオ教室」で、EMTの930stについての文章を読んでから、
誠実な音ということは、つねにあった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
 私の家のスピーカー・エンクロージァやアンプのせいもあろうかとは思うが、とにかく同じアンプ、同じスピーカーで鳴らしても人数は増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉しなみに再生するのを意味するのだろうが、レンジはのびていないのだ。近ごろオーディオ批評家の言う意味ではハイ・ファイ的でないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードをかけたおもしろさはシュアーに劣る。
 そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
 極言すれば、レンジなどくそくらえ!
     *
この文章を読んだ時から、アナログプレーヤーは930stしかない──、
中学二年のときに思ってしまったし、使ってもいた。

昨晩、audio wednesdayで、コーネッタを鳴らした。
メリディアンの218D/Aコンバーター兼プリアンプとして使っての音を聴いていると、
五味先生の、この文章を思い出す。

だから誠確な音なのだ。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: audio wednesday

第115回audio wednesdayのお知らせ

9月のaudio wednesdayは、2日。

この日は、ユニバーサルミュージックからクラシック、ジャズで、
MQA-CDがいくつか発売になる。

テーマは決めていないけれど、当日購入して持っていくつもりでいる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 8月 5th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴ける「A DAY IN THE LIFE」

「A DAY IN THE LIFE」。
ジャズ好きの人ならば、当然持っている一枚なのだろうが、
クラシックばかりを聴いてきた私は、「A DAY IN THE LIFE」のことは知ってはいても、
ついクラシックを優先しているうちに、ついつい後回しにしてしまっていた。

結局、「A DAY IN THE LIFE」のCDを買ったのは、2017年の春だった。

「A DAY IN THE LIFE」のことを知ったのは、
ステレオサウンド 16号にディレクター論の二回目、
菅野先生と岩崎先生による「クリード・テイラーを語る」である。

この中に「A DAY IN THE LIFE」のことが出てくる。
     *
岩崎 ちょっと恥ずかしいんですが、ぼくは少し前までは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴かないと一日が終わったという気がしなかったものです。それくらいこの人のレコードは好きなんですね。あのレコードを毎日毎日聴いていた。まるで麻薬、音楽の麻薬みたいなものですよ。あの企画は、時代の感覚を鮮明に盛りこんだ音というのは、まちがいなくクリード・テイラーの音だと思うのです。
     *
岩崎先生は、とうぜんのことだが、LPで聴かれていたわけだ。
私はCDである。

「A DAY IN THE LIFE」も、9月2日にMQA-CDで出る。

CDでしか聴いてこなかった。
一ヵ月後には、MQA-CDで聴ける。

岩崎先生が感じられていた「音楽の麻薬みたいなもの」を、
MQA-CDで聴くことで、私のなかでどう変っていくのかが楽しみである。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるコンドラシンの「シェエラザード」(その1)

9月2日に、ユニバーサルミュージックからクラシックが20タイトル、
MQA-CDで出る。これまでどおりUQHCDである。

この20タイトルのなかに、
キリル・コンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団による「シェエラザード」が含まれている。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
アルゲリッチとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲とのカップリングで、
SACDでも出ていて持っている。

そこにMQA-CDが登場することになる。
ユニバーサルミュージックのことだから、
DSDマスターを352.8kHz、24ビットに変換してのMQA-CDである。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
瀬川先生が熊本のオーディオ店での定期的な試聴会に持ってこられたことがある。
その時の話しぶりは、とても気に入っておられたことが伝わってきた。

MQAで聴きたい録音はいくつもある。
すべての聴きたい録音がMQAで出てくるとは思っていない。

コンドラシンの「シェエラザード」もMQAで聴きたい、と思っていたけれど、
期待はほとんどしていなかっただけに、今回のMQA-CD化は嬉しい。

しかも9月2日は、9月のaudio wednesdayでもある。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

巧言令色鮮矣仁とオーディオ(その2)

夢は薬 諦めは毒」という書籍が書店に並んでいた。
手にとってはいない。
どんな内容なのかは知らない。

だから、この本についてなにかいいたいわけではなく、
ただ「夢は薬 諦めは毒」は、ほんとうにそうなのか、と思った。

たいていの場合は、そうだろう、とは私だって思う。
けれど、ときには「夢は毒 諦観は薬」ではないだろうか、と思うからだ。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その3)

今日、東京は暑かった。
出掛ける用事がなくて、よかった、と思うほどに暑かった。

そんな暑い日中に、コーネッタをKT88のプッシュプルアンプで鳴らしてみたいなぁ、と思っていた。

私がタンノイに接いで聴いたことのあるKT88のプッシュプルアンプは、
マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、
ウエスギ・アンプのU·BROS3、ジャディスのJA80の四機種だけであることは、(その1)で書いたとおり。

いずれも、いまとなっては30年、40年ほど前のアンプだから、
いまでは新品で手に入れることはできない。

ジャディスのJA80は、いまMKIIになっているが、
いま日本に輸入元はない。

話はそれるが、この十年ほど、こういうことが増えてきた。
以前は輸入されていて、ある程度知れ渡っていた海外のブランドが、
いまではすっかり忘れられてしまっている、という例が意外とある。

そのブランドがなくなってしまったわけではなく、
単に日本に輸入されなくなっただけの話だ。

しかもアジアの他の国には輸入元がある。
日本にだけない、という例が具体的には挙げないが、まだまだある。
しかも増えてきているように感じる。

それらのブランドは、なんらかの理由で日本の市場から淘汰されただけなんだよ、
そんなことをいう人もいるけれど、ほんとうにそうなのだろうか。

そういうブランドもあるだろうけど、なにか日本だけが取り残されつつあるよう気もする。

話を戻すと、コーネッタは比較的新しいトランジスターアンプで鳴らしたい、という気持に変りはないが、
それでも、こんなふうにふとKT88のプッシュプルアンプで鳴らした音を聴きたい、と思う。

なにもこんな暑い日に、こんなことを思わなくてもいいだろうに……、と自分でも思いながらも、
なぜKT88なのだろうか、とも考えていた。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その4)

別項「スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ」のテーマであり、
その17)で引用している中野英男氏の文章。

リンクをはってはいても、クリックして読んでくれる人はほんのわずかしかいないから、
またか、といわれても、もう一度引用しておく。
     *
 アルヘリッチのリサイタルは、今回の旅の収穫のひとつであった。しかし、彼女の音楽の個々なるものに、私はこれ以上立ち入ろうとは思わない。素人の演奏評など、彼女にとって、或いは読者にとって、どれだけの意味があろう。
 私が書きたいことはふたつある。その一は、彼女の演奏する「音楽」そのものに対する疑問、第二は、その音楽を再現するオーディオ機器に関しての感想である。私はアルヘリッチの演奏に驚倒はしたが感動はしなかった。バルトーク、ラヴェル、ショパン、シューマン、モーツァルト──全ての演奏に共通して欠落している高貴さ──。かつて、五味康祐氏が『芸術新潮』誌上に於て、彼女の演奏に気品が欠けている点を指摘されたことがあった。レコードで聴く限り、私は五味先生の意見に一〇〇%賛成ではなかったし、今でも、彼女のショパン・コンクール優勝記念演奏会に於けるライヴ・レコーディング──ショパンの〝ピアノ協奏曲第一番〟の演奏などは例外と称して差支えないのではないか、と思っている。だが、彼女の実演は残念ながら一刀斎先生の鋭い魂の感度を証明する結果に終った。あれだけのブームの中で、冷静に彼女の本質を見据え、臆すことなく正論を吐かれた五味先生の心眼の確かさに兜を脱がざるをえない心境である。
 問題はレコードと、再生装置にもある。私の経験する限り、彼女の演奏、特にそのショパンほど装置の如何によって異なる音楽を聴かせるレコードも少ない。
 一例をあげよう。プレリュード作品二十八の第一六曲、この変ロ短調プレスト・コン・フォコ、僅か五十九秒の音楽を彼女は狂気の如く、おそらくは誰よりも速く弾き去る。この部分に関する限り、私はアルヘリッチの演奏を誰よりも、コルトーよりも、ポリーニのそれよりも、好む。
 私は「狂気の如く」と書いた。だが、彼女の狂気を表現するスピーカーは、私の知る限りにおいて、スペンドールのBCIII以外にない。このスピーカーを、EMT、KA−7300Dの組合せで駆動したときにだけアルヘリッチの「狂気」は再現される。BCIIでも、KEFでも、セレッションでも、全く違う。甘さを帯びた、角のとれた音楽になってしまうのである。このレコード(ドイツ・グラモフォン輸入盤)を手にして以来、私は永い間、いずれが真実のアルヘリッチであろうか、と迷い続けて来た。BCIIIの彼女に問題ありとすれば、その演奏にやや高貴の色彩が加わりすぎる、という点であろう。しかし、放心のうちに人生を送り、白い鍵盤に指を触れた瞬間だけ我に返るという若い女性の心を痛切なまでに表現できないままで、再生装置の品質を云々することは愚かである。
     *
アルゲリッチは好きなピアニストだから、すべての録音とまではいかないけれど、
かなりの数聴いているし、自分のシステムだけでなく、ほかのところでもわりとよく聴いていた。

それでもショパンに関しては、すでに書いているように、
どうにも苦手意識がついてまわっていたので、アルゲリッチのショパンは、自分で買ったことはない。

なので中野氏があげられている「プレリュード作品二十八の第一六曲」を自分のシステムで鳴らしたことはない。
おそらく鳴らしたところで、「狂気の如く」鳴ったとは思えない。

中野氏も、スペンドールのBCIII、トリオのKA7300D、EMTの927Dstの組合せでのみ、
アルゲリッチの狂気が再現される、と書かれているくらいだから、
それはある種、レコード再生の妙が,つくりだした「狂気」なのかもしれない。

それでも“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”のアルゲリッチのショパンを聴いて、
もしかすると……、と思い始めてもいる。

そうもしかすると、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、限られた条件内では、
そんなふうに鳴り響いてくれるのかもしれない──、という予感がしている。

それもCDよりもMQAで鳴らしたら、と思ってしまう。
CDよりもSACDなのかもしれないが、不思議とそうは感じなかった。

アルゲリッチのショパン、ドイツ・グラモフォンから出ている前奏曲集は、
すでにMQAで配信されている(192kHz、24ビット)。

中野氏が感じられたアルゲリッチの狂気とはどういうものなのかは、
ほんとうのところは第三者にははっきりとはつかめないのかもしれない。

だから、私は私だけの、アルゲリッチの狂気を感じとりたい、という気持が強い。
そのためにも、MQAで聴いてみたいのだ。