Archive for 2月, 2020

Date: 2月 12th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その12)

2月のaudio wednesdayでは、マリア・カラスの「カルメン」を聴いた。
MQA Studioで、96kHz、24ビットである。

いい感じの音で鳴ってくれたけれど、
私のなかでは、12月のaudio wednesdayで聴いたカラスの「カルメン」が、
いまも忘れられずにいるのだから、記憶のなかでの比較となってしまう。

12月のときは、ULTRA DACとスチューダーのD731の組合せだった。
通常のCD、44.1kHz、16ビットである。
マスタリングは、どちらも同じである。

スピーカーとアンプは、12月も2月も同じ。
多少セッティングは違っているけれど、同じといえる。

そういうなかでの比較だからこそ、
ULTRA DACのすごさをあらためて思い出すことになった。

特にフィルターをshortにしたときのマリア・カラスの実在感は、
iPhone+218(version 8)からは得られない。

カラスの声のなめらかさは、今回のほうが上だったようにも思える。
けれど、ULTRA DACの実在感のすごさの前では、
私にとっては、そんなことはどうでもいいことになる。

D731+ULTRA DACとiPhone+218とでは、
大きさも重量も価格もずいぶんと違う。

そのことを考慮すれば、iPhone+218(version 8)は上出来すぎるほど、である。
なので悔しいという気持はないけれど、それでも「まだまだ」という気持はある。

そんな私だから、近々、もう一度手を加える。

Date: 2月 12th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その3)

吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、まだ売れていないようである。

問合せはある、らしい。
問い合せてくる人のどのくらいなのかはわからないが、
未開封ゆえに、中の状態が気になり、購入に踏み切れないようである。

開封して中の状態を確認して購入したい、という気持はわからないわけではない。
でも、こういうモノは、未開封の状態で買うモノ、買われていくモノと思う。

未開封の箱を、自分の手で開ける。
ダメになっている部品はあるはずだ。
それが多いのか少ないのかはわからないけれども。

そんなもろもろのことをひっくるめての「未開封品」ではないのか。
開ける時のどきどき、わくわくした気持。

これを一人で味わえる。
これもオーディオのロマンのはずだ。

そこにロマンのかけらも感じない人は、手を出さない方がいい。

Date: 2月 12th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その6)

今年のインターナショナルオーディオショウに、
ハーマンインターナショナルが戻ってくる。

ハーマンインターナショナルが復活する、というニュースはすでに知っていた。
やっと正式に発表になった。

インターナショナルオーディオショウで入場者登録のアンケート用紙に、
出展してほしいブランドはどこか、という項目がある。

ここ数年、ずっとJBLと書いてきていた。
私と同じ人はけっこういたのではないだろうか。

それだけでなく、以前書いているように、
今年はJBLのモニタースピーカー50周年記念モデルが出る、といわれている。
来年はJBL創立75周年でもある。
このへんが理由としては、いちばん大きいのだろう。

いまJBLのスピーカーをバカにする人は増えてきているようだ。
ブルーバッフルで木製のエンクロージュアゆえに、
青ダンスと揶揄する人もいる。
ホーン型ユニットを、古いと一刀両断する人もいる。

JBLなんて、戻ってこなくていい、と思う人も増えてきているのか。
でも、それ以上にJBLに戻ってきてほしい、と思っていた人が多かったのではないのか。

私は勝手にそう思っている。

こんなことを書いていると、それだけで古くさいヤツだ、と思う人もいる。
ほんとうにそうだろうか。

ほんとうに大事なことは古くも新しくもならない。

Date: 2月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるポリーニのベートーヴェン

今月下旬に、ポリーニのベートーヴェンの新録音の第一弾が、
MQA-CDで発売になる。

ポリーニの旧録音に、五味先生は激怒されていた。
     *
 ポリーニは売れっ子のショパン弾きで、ショパンはまずまずだったし、来日リサイタルで彼の弾いたベートーヴェンをどこかの新聞批評で褒めていたのを読んだ記憶があり、それで買ったものらしいが、聴いて怒髪天を衝くイキドオリを覚えたねえ。近ごろこんなに腹の立った演奏はない。作品一一一は、いうまでもなくベートーヴェン最後のピアノ・ソナタで、もうピアノで語るべきことは語りつくした。ベートーヴェンはそういわんばかりに以後、バガテルのような小品や変奏曲しか書いていない。作品一〇六からこの一一一にいたるソナタ四曲を、バッハの平均律クラヴィーア曲が旧約聖書なら、これはまさに新約聖書だと絶賛した人がいるほどの名品。それをポリーニはまことに気障っぽく、いやらしいソナタにしている。たいがい下手くそな日本人ピアニストの作品一一一も私は聴いてきたが、このポリーニほど精神の堕落した演奏には出合ったことがない。ショパンをいかに無難に弾きこなそうと、断言する、ベートーヴェンをこんなに汚してしまうようではマウリッツォ・ポリーニは、駄目だ。こんなベートーヴェンを褒める批評家がよくいたものだ。
(「いい音いい音楽」より)
     *
別項で書いているように、ハタチぐらいのころ、
ポリーニのベートーヴェンを聴いた。
そこに感動はなかったけれど、五味先生がそこまで激怒される理由もはっきりとはつかめなかった。

それからずいぶん時間が経ち、
ポリーニの平均律クラヴィーア曲集を聴く機会があって、
音が濁っている、と感じた。

音が濁っている、といっても、オーディオ的な意味ではない。
ポリーニの平均律クラヴィーア曲集の録音は、2008年9月、2009年2月である。
優秀な録音といえる。

なのに濁っているように感じてしまった。
五味先生の《汚してしまう》とは違うのかもしれないが、
五味先生の激怒の理由は、こういうことなのかもしれない、とも感じていた。

そのポリーニがベートーヴェンを弾いている。
しかも第一弾は第30番、31番、32番だ。

ほんらいならば聴こうとは思わなかった。
それでもMQA-CDなのだ。

たったこれだけの理由で、聴いてみたい、に変ってしまった。

Date: 2月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(さらにおまけ)

その5)と(その6)で、
LANケーブル接続による音質の劣化について指摘している。

LANケーブルを抜いてしまえば問題は解消するというものの、
218をZone controllerとして積極的に使うのであれば、
LANケーブルは接ぎっぱなしが、あたりまえなのだが便利である。

facebookで、こういう場合にはメディアコンバーターを使う手がある、という投稿があった。
一度光に変換して、さらにもう一度光から元に戻して接続するという方法である。

メディアコンバーターが、だから二つ必要になる。
安価なモノだと数千円からある。

これを試してみるのもいいかな、と思うのだが、
218側のメディアコンバーターとは結局LANケーブルで接続される。

メディアコンバーターには電源も必要となる。
そんなことを考えると、効果はあるけれど、それがどの程度なのか、
良くなる点もあれば、そうでない点もあるのではないか──、となる。

いずれ試してみる予定なのだが、
とりあえずやってみたのは、LANケーブルにノイズフィルターを挿入することだ。

コトヴェールのDMJ100BTを使った。
五千円弱で購入できる。

LANケーブルを抜いてしまった音と同じになるわけではないが、
一応の効果は、きちんとあった。
しばらくは、DMJ100BTを挿入した状態で使っていく。

Date: 2月 11th, 2020
Cate: 欲する

何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その2)

サンダーバード秘密基地が出る、というニュースを知った時からすれば、
いまは、欲しいという気持はかなり弱くなっている。

それでも書店に並んでいるのをみると、
つい手にとってしまい、自問自答することもある。

欲しい、といえば、確かに欲しい。
こういうモノが、今後登場してくるのか──、
そんなことまで考えると、よけいに欲しくなってくる。

それでも手を出さないのは、完成してしばらくしたら、飽きてしまうことがわかっているからだ。
そこまでの二年間が楽しめれば、それもいい──、という気持も持っている。

それにしても、なぜ、こんなに心を動かされるのか。
子供のころ、欲しかったから──、いちばんの理由のような気がしている。

同じことはオーディオについてもいえる。
ヤフオク!を眺めていると、
こんなモノが出ている、と思うのは、
オーディオをやり始めたころに憧れたオーディオ機器が圧倒的に多い。

当時の憧れであったJBLの4343、
マークレビンソンのLNP2、スレッショルドの800A、
EMTの930st、927Dstなど、といったオーディオ機器だけではない。

例えばJBLの4301もそうである。
4343が憧れであった。
同時代の4301は、別項で書いているように、あと少しで手が届きそうなJBLだった。

円高が一年ほど早かったら、4301を手にしていたかもしれない。
同じ意味でKEFのModel 103もそうである。

手に入れられそうなところにあったけれど、あと少し無理だったオーディオ機器がいくつもある。
そういうオーディオ機器が、ヤフオク!にあったりする。

ヤフオク!でなくても別にいい。
中古のオーディオ機器を扱っている店に並んでいたりする。

心は、ここでも動く。
それでも……、とサンダーバード秘密基地と同じようなことを考えてしまう。

Date: 2月 10th, 2020
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その4)

別項「218はWONDER DACをめざす」への坂野さんのコメントにあった『殊更』。

殊更とは、辞書には、
際立つように意図的に物事を行うさま、とある。

オーディオマニアのなかには、デザインを付加価値と捉えている人がけっこういる。
デザインを付加価値とする人は、
もしかするとデザインを『殊更』を増していく要素として考えているのかもしれない。

坂野さんは、デザイナーである。

デザイナーと名乗る人は、世の中にはけっこういる。
デザイナーと名乗ったから、デザイナーなのか。
そうではないはずだ。

坂野さんは、くり返すがデザイナーである。
だからこそ『殊更』と表現されたのではないだろうか。

正しい音と正確な音との違い。
後者は、『殊更』とまじわりがちなのかもしれない。

Date: 2月 9th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その11)

坂野さんが、(その10)へのコメントをfacebookにしてくれた。

《『殊更』に感じる表現がまったくと言ってもよいほど無いのが良かった》とあった。
そういいたくなる音に仕上がってきている、と私も感じていた。

とはいえ、そういう音をめざして手を加えていった、と言ってしまうと、
すこしばかり違うところもある。

そういう音が出てくれるはず、という予感はあった。
だから218に、ここまで手を加えてきた。
予感は正しかったことを証明した、といえる。

1月は何度218を開け閉めしたことだろう。
手を加えるのは楽しい、と感じることもあるが、
たいていは面倒なことと捉えている。

一から十まですべて教えるから、誰かかわりにやってくれないものかなぁ、と思うことだってある。
けれど、そんな人はいないから、自分でやるしかない。

もっとも自分でやるから気づくことがあって、
それが次回につながっていくこともある。

つい先日のaudio wednesdayでは、
どんなふうに手を加えているのか、それを確かめてもらうために中を見てもらった。

見ればわかるが、やる気になれば、ほとんどの人にできることでしかない。
私と同じことを同じレベルでやってきた人ならば、
こんなことをやっているな、とわかるはずだ。

どれだけのコストをかけたのかもわかる。
材料をトータルすると、数千円にはなるが、
218に使う文量は少しばかりである。

使った分だけを計算していくと、
version7までは数百円程度である。
version 8では、あるモノを購入したため、二千円弱程度にはかかっているが、
それでも市販のアクセサリーの価格からすれば、わずかといえる。

こんなことを書いていると、結局、自慢話をしたいのか、と受けとられるかもしれない。
でも、いいたい(伝えたい)のは、218がすごいということ。

Date: 2月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その10)

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(続×五・編集者の存在とは)」で書いたこと、
「同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!! そういう相手と一緒につくっていかないと面白い本はつくれない」、
当時、ステレオサウンドの編集顧問だったKさんのことばだ。

三十数年前にきいた。
そのころは、そういうものだろうか……、ぐらいに受け止めていた。
けれどステレオサウンドを離れて、たしかに本をつくっていくということ、
それも趣味の本をつくっていくということは、そうだ、と実感している。

そんな考え、古すぎる、といわれれば、
「そうかもしれない」といちおうは返事をするだろう。
でも、本音は、このことばをきいたとき以上に、そう思っている。

仲良しクラブ的にやっていきたい人たちにとっては、
頭のおかしい人たちがおかしいこと、悪い冗談を言っている──、
そんなふうにしか受けとらないであろう。

同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!!──、そういう人とどうやって仕事をしていくというのか。
その段階で戸惑ってしまうのか。

いまのステレオサウンド編集部が、そうなのか、違うのか。
まったく知らないけれど、誌面から伝わってくる空気からは、
Kさんのことばとは違っていることだろう。

編集部だけでなく、ステレオサウンドに書いている人たちも、そうなのではないのか。
みな仲良しクラブ的にやっているようにみえる。

でも、仲良しクラブ的に、ということは、表面的には、ということであるように感じもしている。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その5)

五味先生、瀬川先生、
ふたりとも結局同じことをいわれている。

五味先生はHBLの4343とタンノイのコーネッタ、
瀬川先生は4343とロジャースのLS3/5Aにおいて、である。

五味先生はJBLに《糞くらえ》と、
瀬川先生は《蹴飛ばしたくなるほどの気持》と。

あのころのJBLのスタジオモニターの最新モデルの4343の実力を認めながらも、
クラシックにおける響きの美しさが、鳴ってこないことを嘆かれている。

コーネッタにしてもLS3/5Aにしても、
4343からすれば、価格的にかなり安価なスピーカーだし、大きさも小さい。

4343を本格的なスピーカーシステムとして捉えれば、
コーネッタもLS3/5Aも、そこには及ばない。
だからこそ、《あの力に満ちた音が鳴らせないのか》と、瀬川先生は書かれているわけだ。

《クラシック音楽の聴き方》は、五味先生、瀬川先生はもう同じといっていいはずだ。
けれど、そこから先が違っている、というのだろうか。

正直、こうやって書いていても、よくわからないところもある。
五味先生と瀬川先生が、
「カラヤンと4343と日本人」というテーマで対談をしてくれていたら──、
そうおもうこともある。

けれど、そういう対談は、どこにもない。
ない以上、考えていくしかない。

カラヤンと4343。
指揮者とスピーカーシステム。
けれど、どちらもスターであったことは否定しようがない。

アンチ・カラヤンであっても、
アンチJBLであっても、
カラヤンはクラシック界のスターであったし、
4343も、少なくとも日本においてはスター的存在であった。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その10)

2月5日のaudio wednesdayでは、メリディアンの218(version 8)で聴いてもらった。
とはいえ、前回まではマッキントッシュのMCD350をトランスポートとしていたのに、
今回はiPhoneでその代りだっただけに、
前回のversion 7とどのくらい違ってきているのかは把握し難かったはずだ。

今回は、ひさしぶりにデザイナーの坂野博行さんが来られた。
水曜日には大学の講義があるために、普段は無理ということだったが、いまは大学が休みになっている。

坂野さんは、今回、初めて218を聴かれた。
何かほかのD/Aコンバーターは比較試聴したわけではない。

それでも私の隣で聴いていた坂野さんが、218の音についての一言は、
まさに、そのとおりのことだった。

前回のversion 7は、それまでの218とは少しエネルギーバランスに変化がみられた。
周波数特性が変化したわけではないのだが、
エネルギーバランスの変化にスピーカーのほうがうまく対応できていないのかな──、
そんな感じを鳴らしはじめでは受けていた。

もうこれはしばらく鳴らして、スピーカー側がこなれてくるのを待つしかない。
そう判断したので、とにかく鳴らしていく。

こなれてきたかな、と感じたころあいに、ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”をかけた。
その音については別項で書いている。

その音にはっきりと手応えを得られたから、version 8にとりかかった。
218(version 8)は、三週間ほど聴いている。

聴く度に感じている印象がある。
その印象をそのまま、坂野さんが指摘された。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その5)

その熊本のオーディオ店では、別の機会に瀬川先生による「THE DIALOGUE」も聴いている。
その時の音も一つの基準となっている。

その基準よりも、私がaudio wednesdayで鳴らす「THE DIALOGUE」は、少しばかり大きい。
大きい、といっても、記憶のうえでの、感覚的な比較でしかない。
厳密に、どのくらい大きいとはいえない。

では、なぜ少しばかり大きいのか、といえば、
それは同じ音量による再生をめざしているのではなく、
あの時4350Aから鳴ってきたバスドラムの、衝撃的といえるエネルギーを求めているからだ。

4350Aは15インチのダブルウーファー、
喫茶茶会記のスピーカーは、アルテックの416-8Cで、シングル。
バイアンプ駆動とシングルアンプ駆動という違いもある。

それらの違いを承知のうえで、
あの時の4350Aと同じエネルギーを再現したい。

あの時の音量ではなく、エネルギーを、という私の耳には、
オーディオショウでの「THE DIALOGUE」の音量ではなくエネルギーは、そうとうに低く感じてしまう。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その4)

「THE DIALOGUE」は、どのくらいの音量で鳴らすのか。

ここ数ヵ月は、audio wednesdayで「THE DIALOGUE」をかけなくなった。
理由は、メリディアンの218を使うようになったことが関係している。

私が持っている「THE DIALOGUE」は、CD層とSACD層のハイブリッド盤である。
喫茶茶会記のMCD350で聴くと、これはSACD層のほうがいい。
最低域が、SACDでは1オクターヴといってしまうと、やや誇張気味になるが、
半オクターヴくらい、さらに下にのびているような感じを受ける。

audio wednesdayでは、
マッキントッシュのアンプ、MA7900のパワーアンプ部のみを使い、
218で音量設定をしていることもあって、SACDを鳴らさなくなったが、
鳴らしているときは、けっこうな音量だった。

大きすぎる、と感じる人もいる。
それでも、録音・再生の約束事から逸脱した音量とは思っていない。

菅野先生は、どのくらいの音量で鳴らされていたのか。
私がステレオサウンドで働いていたころは、
「THE DIALOGUE」は試聴ディスクから外れていた。

菅野先生のリスニングルームでも「THE DIALOGUE」は聴いたことがない。

それでも熊本のオーディオ店に菅野先生が来られたことがあった。
JBLの4350Aが設置してあるブースで菅野先生、
その隣のブースで瀬川先生が音を鳴らされる、という催しものだった。

この時、4350Aで「THE DIALOGUE」が鳴った。
この時の4350Aを含むシステムはオーディオ店による調整だったので、
菅野先生の音といえないにしても、
「THE DIALOGUE」の音量において、私にとって一つの基準となっている。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その4)

MQAを開発したボブ・スチュアートによれば、
MQAをもっともよく再生するD/Aコンバーターは、
いうまでもなくメリディアンのULTRA DACである。

二番目はMSBテクノロジーの非常に高価な製品。
三番目は、というと、意外にもLG電子のLV30である。

LV30? どんなD/Aコンバーターなんだろう、と思われるだろうが、
LV30は、十万円以下で買えるスマートフォンである。

2019年のOTOTENでのMQAのイベントでのボブ・スチュアートが語ったことだ。

音を追求していった結果に、
大きくなってしまったオーディオ機器は、いくつもある。

けれど大きなオーディオ機器の場合、往々にして信号経路も長くなってしまう傾向にある。

一方で小型化をめざした製品の場合、信号経路はかなり短縮される。
その結果として、音質面での改善もある、と考えられる。

大きいから音がよい──、ということが成り立つと仮定したとして、
だからといって小さいから音が悪い、とはいえない。

D/Aコンバーターにかぎっても、CHORDのMojo、
メリディアンの218などを聴くと、小型ゆえ、といいたくなるところを感じないでもない。

LV30はまだ聴いていないが、
スマートフォンなんだろう……、そんなモノで音楽が聴けるか、
と切り捨てる人もいようが、
MQAに音の良さを感じている人ならば、
ボブ・スチュアートが、三番目にLV30を挙げているのだから、
そのことに素直に耳を傾けたい。

LV30もいいとして、手元に218がある。
iPhoneもある。

まずこの組合せで聴いてみることにした。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
ミハイル・プレトニョフのシューマンの交響的練習曲(SACD)と
児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集(SACD)は持っていく。

それから菅野先生録音の柳兼子のCD、
少し前に書いているシャルラン レコードのエリック・ハイドシェックのCDは、
ベートーヴェンの二枚とブラームス、
私の好きなピアニスト、アニー・フィッシャーのベートーヴェンのビアノ・ソナタ全集、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はもう一組、
アルトゥール・シュナーベルの古い録音を、
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲(1981年録音)のSACDなどである。

必ずしも優秀録音盤ばかりではない。
ピアノだけの録音でもない、
ピアノが主の録音だけでもない。

私が持っていくのはクラシックが中心になるが、
ジャンルは問わない。

ピアノ好きの人に聴いてもらいたい、と思っているディスクを持参してくだされば、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。