Archive for 11月, 2019

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その5)

「ステレオサウンドが一人勝ちすると、オーディオ界にとってはよくないことだ」、
井上先生から何度かきいている。

井上先生は2000年12月に亡くなられているから、
ステレオサウンドという固有名詞のことろは、別の固有名詞に置き換えられたかもしれない。

井上先生の、このことばを聞いたときは、
確かにステレオサウンドの一人勝ちも、ありえないことではなかった。

でも、現状はずいぶん変ってきた。
オーディオ雑誌の書店での取り扱いが冷たくあしらわれるようになってきて、
少しずつ、けれど確実にオーディオ雑誌が淘汰されるようになってくると、
最後にのこるのは、ステレオサウンドとはいえなくなってきている。

だからといって、このオーディオ雑誌が残る、とはいえない状況でもある。
淘汰の末に、どれか一誌が残ったとしても、
それは一人勝ちといえるのか、という疑問はあるが、
すべてのオーディオ雑誌が書店から消えてしまうことはない、はずだ。

そうなったときに、どうなるのか。
仮にステレオサウンドが生き残ったとしよう。

それを喜ぶ人もいよう。
やっぱりステレオサウンドが、No.1のオーディオ雑誌だ、と信じ込める人は、
そうであろう。

けれど考えてみてほしい。
そうなった時に、ステレオサウンドの編集方針は大きく変化していくはずだ──、
というよりも、変化せざるをえない。

オーディオ雑誌には役目があり、
それぞれのオーディオ雑誌には役割があるからだ。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その4)

無線と実験を取り扱わなくなった近所の書店は、
無線と実験だけが書棚から消えたわけではない。

「スピーカー技術の100年」が出たとき、この本を扱っていた。
発売後すぐにではなかったが、しばらくして背表紙だけが見える扱いではあったが、
書棚に並ぶようになった。

こういう書店でも扱われるようになったということは、
そこそこ売れているんだな、と思えたし、
売れていたからこそ「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」が今年出たわけだ。

けれど無線と実験扱わなくなった近所の書店の書棚には、
「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」はもう並んでいない。

「お前が住んでいるところの書店がたまたまそうなだけだろう」といわれるかもしれないが、
果してそうだろうか。

先月10日、近所の書店から無線と実験が消えてから、
個人経営と思われる書店の前をとおると、ちょっと寄ってみて、
無線と実験があるのかどうか確かめていた。

数日経っていたりしたから、売れてしまってなかったのかもしれないが、
無線と実験をみかけない書店のほうが多かった。

それに「スピーカー技術の100年」は、近所の書店だけでなく、
ここでも扱っている、といくつかの書店の書棚を見て思っていたが、
「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」は、
やっぱり扱っているところが減っているように感じる。

無線と実験のことばかり書いているが、
書店のオーディオ雑誌の扱いは、冷たくなりつつあるのを感じている人は、
私だけではないはずだ。

先日話した人も、そう感じていた。

オーディオ雑誌はずいぶん淘汰されてきた。
けれど、また淘汰されつつあるのが現状である。

Date: 11月 9th, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(オーディオとは?)

オーディオを説明する。
誰かに説明する。オーディオに関心のない人に対して説明する場合、
どんなふうにオーディオを説明するのか。

録音から再生までを説明し、トータルの系をオーディオとするのか。
録音された音楽を聴くシステムとして、オーディオを説明するのか。
そのためのさまざまな機器の集合体としてのオーディオとするのか。

説明する人によっても、説明をきく人がどういう人によっても、
そこでのオーディオについての説明は、おおまかなところでもこまかなところでも違ってこよう。

オーディオとは、いったいなんなのか。

私のちいさな結論としてのオーディオは、エネルギーである。
オーディオそのものが、
そしてオーディオにとりまくすべてをひっくるめて、ひとつのエネルギー体のように感じる。

だからオーディオマニアとは、そのエネルギーの一部になるということでもある。

Date: 11月 9th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その16)

「音は人なり」の容赦なさに耐えられる人もいれば、そうでない人もいる。
耐えられない人は、どうするか。

愛聴盤ではないディスクはうまく鳴ってくれるのに、
肝心の愛聴盤が寒々しくしか鳴ってくれない原因を、どこに求めるのか。

システムのせいにしたくなる。
けれど、愛聴盤が寒々としか鳴らないのであれば、
それは自分の裡に求めるしかない。

逃げようがない状況なのだ。
ただただ、そのことを受け止めるしかない。

にも関らず、逃げ出したくなるのが人の常なのかもしれない。
そこで、ついどこかをいじってしまう。
いじりたくなる。
なんとかしたくなる衝動が、オーディオマニアならば沸き起こってこよう。

でも、そういう時はシステム側に、なんらかの答を求めようとしても無駄である。
無駄ということを、ここまでオーディオをやってきた、そう実感している。

愛聴盤以外のディスクはうまく鳴る。
愛聴盤がうまく鳴らない。

これは何度でも書くが、自分の裡に答を求めていくしかない。
無為に耐えるしかない。

Date: 11月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その10)

A君は、エホバの証人の信者だったことはすでに書いた。
彼の家族もそうだった。

つまりA君は、一世信者ではなく、二世信者ということになる。
一世信者は、自ら信ずる宗教の道を選んだことになる。

けれど一世信者の子供たちは、どうなのか。
熱心な一世信者の親の元で生れ育ってきた彼らは、どうなのか。

エホバの証人について、あれこれ書きたいわけではなく、
二世信者(つまりA君)に、宗教選択の自由はあったのだろうか。

そんなことを考えると、自由とはなんだろうか、についてもおもう。
一世信者には自由があった。

自由があったからこそ、信ずる宗教の道に進んだわけである。
そのことで、不自由な生活を送ることになろうとも、
選択の自由ははっきりとあった。

二世信者であるA君は、不幸せか、というと、少なくとも私の目にはそうとは映らなかった。
その7)でも書いているが、
親が決めた、もしくはエホバの証人が決めた道を歩んでいるA君の口から、
愚痴めいたことはいままで聞いたことがないし、A君は幸せそうである。

不幸せだと感じている人が、A君のような穏やかな表情ができるだろうか。

M君もT君も、自らの将来を自分で決める自由は持っていた。
その道へ、二人とも進んだ。
けれど、結果として二人とも諦めなければならなかった。

Date: 11月 8th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(余談)

facebookで、audio sharingというグループをやっていることは、
これまで何度か書いている。

参加している人は350人ほど。
うち五人の方が、すでに218を購入され鳴らされている。

先日のaudio wednesdayに参加された方も、
218の購入を決心されている。
近日中に購入されるであろうから、六人になる。

6/350。
この数が多いのか少ないのか。
どうでもいいかな、ぐらいにしか考えていない。

周りの人が、218の良さを感じとってくれて、
「218、買いました」とある日、言ってくれる。

このことが、単純に嬉しい。

Date: 11月 8th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その7)

メリディアンの218の音を聴いて、
シャーシーを見た人のなかには、
いまどきのオーディオ機器のように、
アルミニュウム製のがっしりとしていて、重量のある立派な造りに変更したら……、
そんなことを考えたかもしれない。

218の重量は1kgもない。
ほんとうに軽い。

内部を見るとわかるが、
この軽さだから、大型の電源トランスや大容量のコンデンサーによる電源部があるわけではない。
指先ほどの大きさのスイッチング電源モジュールがあるだけだ。

それも特別で、高性能なスイッチング電源ではない。
汎用のモジュールをそのまま採用している。

ここをCHORDのMojoのように、バッテリーに置き換えたら……、
そう考えた一人のなかに私も含まれる。

そんなことをいつかは実行してみたい、とは思ってはいるが、
現実に、218の可能性を抽き出すには、どうするのか、となれば、
(その6)で書いたことも、ここで書いたこともやらない。

218の可能性を抽き出す──、
ここでの「可能性」をどう捉えるかによって、どうするのかは人によってさまざまなのだろう。

11月のaudio wednesdayは、218の可能性をそうとう抽き出せた。
そうとうに良くなっているはず、という予想はしていたが、
実際の音は、予想を超えていたところもあった。

なかば冗談で、ULTRA DACには届かなくても、SUPER DACと呼べるレベルには達した──、
そんなことをつい言ってしまったのだが、
半分は本気でもあった。

Date: 11月 8th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その6)

メリディアンの218は125,000円(税抜き)のD/Aコンバーターである。
ULTRA DACは、大きいと前もって聞いていても実機を前にすると、
おもわず「大きい」と声に出してしまった。

218は、というと、外形寸法/重量、どちらもあらかじめ知っていたけれど、
こちらは「小さい」し、「軽い」。
価格も造りも、メリディアンの二つのD/Aコンバーターは対照的でありながらも、
音は、というと、そういうわけではない。

218とULTRA DACを直接比較試聴したわけではないが、
違いは、それでもはっきりとわかる。

わかるからこそ──、というおもいが、こちらには芽ばえてきた。
218は、可能性のあるオーディオ機器だ、と感じたからである。

218の可能性を発揮させるには、どうするか。
人によって、手法は違うだろう。

電源コードに凝る人もいるだろう。
125,000円の218に、同じくらいの電源コード、
もしくはそれ以上の価格の電源コードをあてがう。

ラインケーブルに凝る人ならば、
やはり218と同じくらいのケーブル、それ以上のケーブルをおごる。

置き台となるラックに凝る人がいても不思議ではない。
ここでも218よりも、高価なラックを用意することだろう。

これらすべてをやったうえで、クリーン電源まで手を伸ばす人もいよう。
これらすべてをやれば、218の十倍くらいの費用はかかることだろう。
凝れば凝るほど、もっとかかることもある。

オーディオマニア的には、こういうことに興味はある。
私も一度くらいは試してみたい、という気持を持っている。

それでも、それらによる218の音の変化を聴いて、
218の可能性を抽き出した、と私自身は思うだろうか……、と考える。

Date: 11月 8th, 2019
Cate: 映画

JUDY(その1)

6月のaudio wednesdayは、“Over The Rainbow”のCDを持ち寄って、だった。
映画「JUDY」の予告編をみたのが理由だった。

カナダで9月、アメリカは10月に公開されていた。
日本では? と思い出しては検索していたけれど、来春公開とあるだけだった。

昨日やっと日本での公開日が発表になった。
2020年3月6日からである。

邦題は「ジュディ 虹の彼方に」である。
ジュディ・ガーランドを演ずるのはレネー・ゼルウィガーである。

「JUDY」のサウンドトラック盤はすでに発売になっている。
レネー・ゼルウィガーの歌唱で、“Over The Rainbow”が聴ける。

映画の公開日が待ち遠しいとともに、
“Over The Rainbow”のCDの持ち寄りを、
もう一度audio wednesdayでやろうかな、とも考えている。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その5)

昨晩の218の音を聴いて、
(その5)で書く予定だったことを変更することにした。

ここではメリディアンの2,500,000円と125,000円の、
二つのD/Aコンバーターについて書いている。
それにベストバイということについても書いている。

私の結論としては、現時点では ULTRA DACでしか聴けない領域の音があるのだから、
ULTRA DACこそベストバイと位置づけられる。

けれど昨晩のaudio wednesdayでの218の音は、唸ってしまうほどだったから、
ベストバイとは? ということについて考えを改める必要がある、と思うようになった。

オーディオマニアが、誰かの音を聴かせてもらう。
その時に「可能性を感じさせる音ですね」と鳴らし手にいうことがある。

「可能性を感じさせる音ですね」は、一般的には褒め言葉なのだろうが、
ここでは必ずしもそうてはない。

誰かの音を聴かせてもらう。
親しい友人関係であっても、正直にその音の感想を述べると、
それまでの関係が、たった一言で終ってしまうことは、決して珍しいことではない。

まして初対面の人の音を、正直に感じたままに言葉にしてしうまうことは、
その人との関係を続ける気がまったくないとしても、避けるべきかもしれない。

とはいっても、ベタ褒めする気にはなられない音の時がある。
そういう時に「可能性を感じさせる音ですね」がある、といってもいい。

オーディオにおける「可能性」、オーディオ機器の「可能性」、
これを抜きにしてオーディオのベストバイについて語ることは無理がある。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その5)

ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”を、audio wednesdayでかけるのは何回目か。

最初はMCD350でかけてSACDとして聴いた。
次はメリディアンのULTRA DACでMQA-CDとして聴いた。

聴くたびに、デジタル初期の録音とは思えない、と感じる。
昨晩のaudio wednesdayでは、
メリディアンの218でMQA-CDとして聴いた。

218では、その前にも鳴らしている。
だから、昨晩のaudio wednesdayでどういうふうに鳴るのかは予想できたともいえるし、
実はあることをやっての音出しであったため、予想できないところもあった。

ULTRA DACと218の力量の違いは、どうしても存在する。
違いがあって当然ともいえるし、
一方でデジタル機器だからこそ、価格、それに投入された物量に関係なく、
D/Aコンバーターとしての基本スペックに変りはない。

だからこそ、デジタルならではのおもしろいところがある。
具体的に何をやったのかはまだ明かさないが、
昨晩の218でのラドカ・トネフの歌には聴き惚れていた。

私だけではないことは、聴いていても、その場で雰囲気で伝わってきていた。
来ていた人(聴いていた人)、みな聴き惚れていた(はずだ)。

昨晩のaudio wednesday開始後、一時間くらいでのことだ。
もう、この曲で終りにしてもいいくらいの鳴り方だった。

前回の218での鳴り方とは、大きく違っていた。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: High Resolution
1 msg

MQAのこと、否定する人のこと(その1)

MQAを否定する人たちが少なからずいることは、わかっている。
私のように、積極的にMQAの音の良さをみとめる人もいれば、
あまり関心のない人、そしてどうしてもMQAの存在が許せない人たちがいる。

MQAについて、あれこれ理屈をこねまわして否定する人がいるのは、
理解できないことではない。

私が理解に苦しむのは、MQAの存在を絶対に許したくない人たちである。
MQAを認めないのは、個人の自由というか勝手だ。

MQAはいま広く確実に、その実力が認められつつある。
そのことがどうも許せないようだ。

MQAを否定するであれば、無視すればいいだけ、ではないのか。
口汚く罵ったり、存在そのものをなくそうとするのは、どうしてだろう。

私はMQAを認めているが、だからといって、
DSDを否定したりはしない。
ましてDSDが世の中からなくなればいいなんて、まったく思っていない。

多くの人が、そうなのだ、と思う。
なのに、ごく一部の人たちが、そうではない。

そうではない人たちは声が大きい。
目につく。
最近も、そういう人がいた。
へんてこな理屈をこねていた。

この人たちは、MQAの存在を世の中からなくしてしまうことが、正義だとでもおもっているのか。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その3)

ほぼ五年前の(その1)で、
オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう、と書いた。

昨晩のaudio wednesdayでは、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: audio wednesday

第107回audio wednesdayのお知らせ

12月のaudio wednesdayは、4日。
テーマは未定だが、音出しなのは決っている。

メリディアンの218が、喫茶茶会記常備になっているので、
218を積極的に使っての音出しになりそう。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 6th, 2019
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その5)

その4)を書いたのは三年半前。
書くのを忘れていたわけではないが、
ここに来てまた書くようになったのは、
Brodmann Acousticsのヘッドフォン、
そのベースモデルのLB-AcosticsのMysphere 3が出たからである。

別項で書いているように、AKGのK1000の開発者による後継モデルだ。
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを、ヘッドフォン祭で少しだけ聴いた。

聴いた印象を書かないのは、聴きなれていないソースだったこともあるけれど、
それ以上にアンプをかなり選びそうように思えたからだ。

構造上もあって、かなりボリュウムをあげることになる。
2時くらいの位置まで上げても、会場が静かではないこともあって、
中音量以下ぐらいにしか感じられなかった。

ヘッドフォンアンプをあれこれ試すことはできなかったし、
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを鳴らしているヘッドフォンアンプの力量も、
私は知らない。

なので聴いてどうだったのかについては書かなかったわけだが、
K1000専用のアンプを、AKGはすぐに出していることからもわかるように、
この種のヘッドフォン(イヤースピーカー)は、
それまで使ってきたヘッドフォンアンプに接続して、
うまくいくかどうかはなんとも言えないような気がする。

まずしっかりしたパワーが欲しい、と思ったのは事実だ。
もっといい音で鳴るはず、というこちらの勝手な、一方的な期待を満たしてはくれなかった。

それでもBrodmann AcousticsにしてもMysphere 3にしても、とても期待している。
期待しているからこそ、ヘッドフォンアンプについてじっくり書いてみようという気になった。