「音は人なり」を、いまいちど考える(その16)
「音は人なり」の容赦なさに耐えられる人もいれば、そうでない人もいる。
耐えられない人は、どうするか。
愛聴盤ではないディスクはうまく鳴ってくれるのに、
肝心の愛聴盤が寒々しくしか鳴ってくれない原因を、どこに求めるのか。
システムのせいにしたくなる。
けれど、愛聴盤が寒々としか鳴らないのであれば、
それは自分の裡に求めるしかない。
逃げようがない状況なのだ。
ただただ、そのことを受け止めるしかない。
にも関らず、逃げ出したくなるのが人の常なのかもしれない。
そこで、ついどこかをいじってしまう。
いじりたくなる。
なんとかしたくなる衝動が、オーディオマニアならば沸き起こってこよう。
でも、そういう時はシステム側に、なんらかの答を求めようとしても無駄である。
無駄ということを、ここまでオーディオをやってきた、そう実感している。
愛聴盤以外のディスクはうまく鳴る。
愛聴盤がうまく鳴らない。
これは何度でも書くが、自分の裡に答を求めていくしかない。
無為に耐えるしかない。