Archive for 2月, 2019

Date: 2月 24th, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その5)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
ここで、糸川英夫氏が語られている「空間のマルチ化」とは違う意味で、
この「空間のマルチ化」を捉えると、それは「空間のレイヤー化」ではないかと思う。

とはいっても「空間のレイヤー化」を説明できるわけではない。
それでも「空間のレイヤー化」こそが、
「空間のマルチ化」につながっていくと確信はしている。

Date: 2月 24th, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その38)

ダンホンをエンクロージュアがわりとする自作スピーカーのプランは、
まず予算を決めた方が楽しい。

制約のないスピーカー作りは、もっと別の方向があり、
ここでのスピーカー作りは、限られたなかでの楽しみ方である。

ダンホン自体が高価ではないから、
ここに一本数万円もするフルレンジユニットを選択する人はいない、と思う。
そのくらいの価格のフルレンジユニットを使うのが悪いわけではない。

ただ純セレブスピーカーとダンホンを、同時期に知ったからゆえの自作プランであって、
私としては、ダンホンの価格と見合ったユニットから選択したい。

どのユニットと、どのダンホンを組み合わせるか。
色はどうするか、吸音材のたぐいはどうするのか、
そういったことを考えるのと同時に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書も考えていく。

妄想カタログを考える。
妄想なのだから、あまり現実的ではなく、あれこれ妄想してみるのがいいと思う。
もちろん現実的なカタログを妄想する。

しかも、ここで忘れてはならないのは、
スピーカーができあがってのカタログではなく、
自作スピーカーの構想、細部を検討している段階でのカタログだから、
妄想カタログだ、ということだ。

妄想カタログをある程度考えたら、妄想取り扱い説明書も考える。
もちろんここでの取り扱い説明書も、スピーカーができあがっての取り扱い説明書ではない。

どういう使い方を考えているのか。
どういう使い方ができるのか。

作る前に考えることで、どういうスピーカーを作りたいのかが、
少しずつはっきりとしてくるかもしれないし、一気に見えてくるかもしれない。

それに妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えるという楽しみがここにはあり、
仲の良いオーディオマニア同士で、競作(もしくは協作)するのもより楽しいはずだ。

複数で、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えていく。

自作は、アンプやスピーカーを作っていくことだけではない。
自分で使うスピーカーやアンプであっても、
カタログや取り扱い説明書を考えていく。

しかも、いまの時代、スマートフォンで写真をとり、
パソコンでカタログや取り扱い説明書を制作することは、そう難しいことではない。

Date: 2月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと

facebookで、ある人がMQAについて、
ほぼ全否定といえることを書かれているというのを知った。

最初に書いてあった名前で検索しても、誰なのかわからなかった。
コメント欄に、現在使われている名前(ペンネーム)があった。
それで検索すれば、その人のブログが見つかった。

フルネームもわかった、ブログの名前もわかっているが、
その人がどんな人なのかまったく知らないし、初めて読むブログであり、
MQAに関する二本だけを読んだだけなので、あれこれ言うのは控えておく。

ただ、この人はオーディオ評論家なのだろうか。
アマチュアの方なのだろうか。

その人はハイレゾFLACとMQAを、自身のシステムで比較試聴された結果、
ハイレゾFLACの方が、MQAよりも音がいい、と判断されている。

そのことに異を唱える気はない。
その人のシステムで、その人が聴くかぎりでは、そう聴こえたのであろうから。

ただ、その人のMQAの音の印象を読んでいると、
まったく私と感じ方が真逆だな、と感じた。
どうして、そう聴こえる(感じる)のかと思った。

その人がどういう人なのかまったく知らないから、
その人の耳がどうなのか、そんなことをいいたいのではない。

その人はあくまでも自身のシステムで聴いてのことである。
そして、その人は MQAに対して、好印象をもっていない。

いいたいのはここで、ある。
ならば、現在聴ける最高のMQA再生のシステム、
つまり具体的にはメリディアンのULTRA DACで聴いて欲しかった、と思う。

新しい方式が登場する。
技術的な謳い文句が、そこにはついてくる。
それを読んで、納得することもあれば、そうでないこともある。

MQAについて懐疑的であってもいい。
正直、私も知りたいことがけっこうある。

そういう方式を聴くときこそ、最上のシステムで聴くようにしたい。
その人のシステムにケチをつけたいわけではない。

ただMQAの再生システムとして、その人の機器がどのレベルにあったのか。

その人は、ハイレゾFLACとMQAの比較試聴の記事のタイトルに、
決戦とつけているし、
本文中には、白黒つけよう、とか、白黒ついた、とある。

それはあくまでも、その人のシステムと音においてである、ということだ。

私は、その人と反対で、MQAの音を高く評価している。
ただ、いまのところメリディアンのULTRA DACでしか聴いていない。

ULTRA DAC以外のMQAの音は、いまのところ聴いていない。
私は、このことは幸運だった、と感じている。

もしかすると、その人のシステムでMQAを聴いたら、
その人と同じように感じたかもしれない。
そんなことはまったくない、とは言い切れない。

だから最高(最上)と思えるモノで、初めての接触は体験したい。

Date: 2月 22nd, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その37)

ダンボールのエンクロージュアに小口径のフルレンジユニット、
エンクロージュア内部に一般的な吸音材を詰めるのか、
純セレブスピーカーと同じく、紙を詰めていくのか、
どちらを選んだとしても、既製品の高価なスピーカーと同じ世界の音が出てくるわけではない。

ダンホンをエンクロージュアかわりにしても、
ユニットを安価で抑えれば、製作費用は一万円かからないくらいで済む。
純セレブスピーカーをそっくりコピーするのであれば、さらに費用は少なくて済む。

いくら安くても、いま鳴らしているスピーカーよりもいい音なんて出せっこない、
そんなモノを作るだけ時間の無駄、
時間の無駄こそ金のムダ──、
そういう捉え方の人には、どうでもいい世界のどうでもいいスピーカーでしかない。

そういう人はそういう人でいいし、
そういう人を説得しようとは思っていない。

ここのタイトルは「オーディオの楽しみ方」である。
「オーディオの楽しみ」ではない。

楽しみ方としたから、こんなことを書いているともいえる。
ダンホンとフルレンジユニットの組合せ。
エンクロージュア内部に何を詰めるのかは音を聴いて決めればいい。

ユニットの固定方法もいくつか考えられるし、
あれこれ試してみるほうがいい。

ここでユニットに対して、以前書いているCR方法を試してみるのもいい。
他にもいろいろあるけれど、
楽しみ方として、ひとつ書きたいのは、
オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)」で書いたことだ。

妄想カタログ、妄想取り扱い説明書のことだ。

Date: 2月 21st, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その36)

純セレブスピーカーと聞いて、どんなスピーカーをイメージするか。
そのイメージと、実際の純セレブスピーカーとがぴったり一致する人は、
ほとんどいないのではないだろうか。

純セレブスピーカーが、どんなスピーカーなのかは、検索してみてほしい。
ダンボールをエンクロージュアに使い、
吸音材のかわりに紙をちぎっては軽くまるめて詰める。

詳しい作り方は検索すれば、すぐに見つかる。
フルレンジのスピーカーユニットさえ手元にあれば、
ほとんどの家庭にダンボール箱はあるだろうから、すぐにも作れる。

高橋健太郎氏も100円ショップのダイソーであれこれ購入し、
純セレブスピーカーを製作、その音についてもツイートされているし、
YouTubeでも、純セレブスピーカーの音を公開されている。

昨年末にカホンをエンクロージュアかわりにしたら面白いかもしれない──、
そんなことを書いた

カホンを使って、内部を純セレブスピーカーに従うというのもアリかな、と考えていたら、
ダンホンというのを、島村楽器の店頭でみかけた。

ダンホン。
ダンボール+カホンの略語である。
島村楽器のオリジナル製品のようだ。

木製のカホンよりも安価だ。
梱包用とし使われるダンボールには、会社名が印刷されてたりする。
純セレブスピーカーがうまく鳴ってくれたとしても、
見た目は好ましくない。

ならば、このダンホンを使う。
安価とはいえ、数千円はかかる。
純セレブスピーカーの意図からすれば、そんなにお金をかけるのかと……、となりそうだが、
私はダンホンを使ってみたい、と考えている。

Date: 2月 21st, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その35)

スピーカーを自作するのは楽しい。
既製品のスピーカーがあるのになぜ? ということになるだろうが、
なぜ? と、ほとんどどうでもいいことである。

作ってみたいなぁ、と一瞬でも思ったら、
やってみることをすすめる。

そんなにお金をかけなくてもいい。
もちろんかけたい人はそうすればいいが、
とりあえず作ってみることを最優先する。

ただここでやっかいなのは、工具が揃っている人はいいけれど、
そうそういないだろう。
私も木工工具はほとんど持っていない。

結局東急ハンズやホームセンターでカットしてもらうことになる。
そうなると、その店で売っている木材しか選べないし、
すべての加工を依頼できるともかぎらない。

今回のホーンのバッフルにしても、私が加工した部分もある。
こんな時、これがダンボールだったらなぁ……、とちょっとだけ思っていた。

昔、もうずいぶん昔にアルテックの755Eを、
ダンボールの平面バッフルで鳴らしたことがあるのを、以前書いている

悪くなかったどころか、気持ちのいい音が鳴ってくれた。
ダンボールならば、加工も木材よりは楽になる。
ダンボールか……、とそんなわけで思っていた。

一週間ほど前、ひさしぶりにtwitterを眺めていた。
始めたころは頻繁に見ていたのに、いまでは思い出しては、十分ほど眺めるくらいになってしまったけれど、
それでも時々眺めるのは、おっ、と思うようなことに出会したりするからだ。

一週間ほど前もそうだった。
ステレオサウンドで「名盤深聴」を連載されている高橋健太郎氏のツイートに、
純セレブスピーカー、とあった。

Date: 2月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)

今日、非常に興味深い話を聞いた。
とあるメーカーで、開発の方向性をまとめる仕事をされる方から聞いた。

オーディオメーカーではないが、音楽に関係のある、けっこう大きな、よく知られている会社である。
そういう会社が新製品を開発する際に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を先に作ることがある、という話だった。

カタログにしても取り扱い説明書にしても、製品が大方出来上ってから制作に入るものだと、
今日(今晩)までずっと思っていた。

なのに(その会社だけではないようである)、
カタログ、取り扱い説明書が先に作られる。

たとえば昔のマークレビンソンのアンプだと、
マーク・レヴィンソン一人(もちろん回路設計は別にいても)である。
マーク・レヴィンソンの頭のなかに、すべてがある、ともいえる。

けれどもっと大がかりの製品の開発ともなれば、チームでの作業となる。
チームにはさまざまな専門家がいる。

そうなると個人がやる製品づくりとチームとでは、やり方が違ってもこよう。
特に取り扱い説明書を担当する人は、
取り扱い説明書の専門家である。

だから、妄想取り扱い説明書ではなく、想像取り扱い説明書といったようが的確だろうが、
ここではこの話をしてくれた人が、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書といわれていたので、
それにしたがっている。

取り扱い説明書の専門家が、製品ができる前に書く取り扱い説明書は、
素人が好き勝手に書いたものとは、当然ながら違う。

しかもインターフェースが重要となる製品において、
取り扱い説明書の専門家は、専門的知識をもっての想像で、
製品より先に取り扱い説明書を書く。

それによって製品の仕様の細部が決定されることがある、という。

面白い話だと思いながら、
一方では、セブン・イレブンのコーヒーメーカーの開発には、
おそらく妄想カタログ、妄想取り扱い説明書は制作されなかったんだろう、とも思っていた。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その8)

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
これこそが、心に近い音にしていく行為である。

耳に近い音、心に近い音。
このふたつが両立してこその「いい音(響)」であって、
まずは心に近い音をしていくことが大事である。

心に近い音を求めずに(わからずに)、
耳に近い音を求めていくことを、私は思考停止といっているだけだ。

心に近い音と耳に近い音を、ごっちゃにしてもいけない。
心に近い音と耳に近い音との区別をつけることこそが大事でもある。

心に近い音と耳に近い音との区別をあいまいにしたままでは、
心に近い音には、決して近づけない。

区別をつけることの難しさ、厳しさは、
区別をつける側の者に要求されることだ。

あいまいにしたまま(思考停止状態)は、楽である。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その45)

オーディオの想像力の欠如した耳は、耳に近い音だけに敏感なのかもしれない。
心に近い音には、えてして鈍感だ。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)

オーディオマニアの思考停止は、
昨晩公開した「何度でもくりかえす」で書いたこともそのひとつだと考えている。

少しでも音をよくしようとすること。
それのどこが思考停止なのか。

音をよくしようとする行為そのことを思考停止といっているのではない。
システムを入れかえたばかりで、あれこれやることについて、
それは思考停止につながっていく行為でもあるからだ。

システム全体を入れかえる。
入れかえたばかりのシステムの音は、それこそ何をしなくても変っていくものだ。

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
そのことによって音ははっきりと自然に変っていく。

その変っていく段階において、あれこれを手を出して意図的に音を変えていく。
そしてよくなった(わるくなった)と一喜一憂すること。
それこそが思考停止につながっていくことではないのか。

スピーカーをポンポン買い替える人がいる。
知人にも一人いる。
一年と経たずに買い替えていく。

それが知人の趣味なのだから、何もいうことはない。
知人の趣味は、オーディオではなく、買い替えていくことなのだから。
そういう人は、買って鳴らし始めたそばから、あれこれチューニングと称しては、
音をいじっていけばいい。
早ければ数ヵ月後、遅くとも一年後くらいには、そのスピーカーを売り払っているのだから。

自分のところにきたスピーカーをじっくり鳴らしていこうとしている人は、
そんなことはする必要はないし、
瀬川先生が書かれているように、
《二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい》
そうすることで、《個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》のだから。

音をいじるのはそこからでいい、
というより、そこから始めるべきことなのだ。

なのにいじることが先にある。
それこそ思考停止である。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その6)

Bさん夫妻は、ラックをどうするのか。
その後の情報では、ヤマハのGTR1000か、
特註のラックのどちらかになるらしい。

家具の特註はかなり高価になる。
それにオーディオラックは、収納するモノが重量物ゆえに、
さらに高価になろう。

おそらく、現在オーディオラックとして評価の高い製品よりも、高価になるはずだ。
GTR1000は一台、五万円を切っている。
一台のGTR1000で、すべての機器を収納できるタイプではないから、
複数台必要になるとはいえ、いまどきの高価なオーディオラックからすれば安価だ。

価格的にはGTR1000と特註のラックとでは、開きがある。
それでもこのふたつが最終候補であり、
いわゆるオーディオラックは候補になっていない。

やっぱりそうか、と納得するところである。
オーディオマニアではないBさん夫妻にとって、
購入できる金額であっても、いわゆるオーディオラックは候補にはならない。

こんなことを書くと、
特註のラックもしくはヤマハのGTR1000と、
高価なオーディオラックとを比較試聴すれば、Bさん夫妻も後者を選ぶはず──、
そんな声が聞こえてきそうだが、はたしてそうだろうか。

Bさん夫妻がラックの比較試聴をするとは思えないが、
仮にやったとしても、そしてその音の違いを認めたとしても、
高価なオーディオラックは選ばないのではないか。

オーディオマニアでないBさん夫妻のラック選びの話などつまらないし、
何の参考にもならない──、そう思う人もいるかもしれないが、
私がBさん夫妻のことを書いているのは、
オーディオマニアは時として思考停止に陥りがちになるからだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その3)

ほかの学校、ほかの地域がどうだったのかは知らないが、
私が通っていた学校、クラスでは小学一年生(続く二年生、三年生……)を、
かなり多くが読んでいた。

数えたわけではないが、読んでいない方が少なかったのではないだろうか。
しかもその多くは、小学校を卒業するまで読んでいたようにも思う。

ということは一人っ子でも小学一年生から六年生まで、
12×6で、72冊の小学館発行の雑誌を読んでいたわけだ。

兄弟(姉妹)がいれば、さらに増えよう。
私の場合、弟と妹がいたから、手元にある雑誌ということで読んでいた。
しかも小学生を対象とした雑誌は、その時代には少年マンガ誌くらいだった。

そのころは考えもしなかったことだが、これはすごいことのような気もする。

高校生のころ、星新一のショートショートに夢中になった。
題名も忘れたし、詳細もはっきりとは憶えていないが、こんな話があった。

あるメーカーが、万能幼児用ベッドなるモノを開発。
しかもそれを子供が生まれた家庭に無料で送る。
子供がむずかれば母親の手を煩わすことなくあやしてくれるし、
確かおむつの交換、その他、大変な育児の手間を代りにやってくれる。

それもただ機械的におこなうのではなく、やさしい声もついてくる。
こんな便利なモノだから、しかも無料なのだから普及する。

その万能ベッドに育てられた子供が大人になる。
するとベッドと同じ声で、コマーシャルが流れるようになる。
母親代りともいえる声が、これを買いましょう、あれを買いなさい、という。

それに抗えないのだ。
すんなり従ってしまう(つまり購入してしまう)。
このための万能ベッドだったのだ。

このショートショートを思い出したのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだった。
小学館の小学○年生は、この万能ベッド的存在に近い存在に、
やり方によっては成りえたであろう──、とおもったことがある。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 使いこなし

何度でもくりかえす

二年前にも引用しているし、それ以前にも二回引用している。
つまりこれで四回目の引用である。
     *
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
 ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ。番組の中で彼女は、最近、上海に行ってきた話をして、「上海では、日本の一年が十年ぐらいの時間でゆっくり流れているんですよ」と言っていた。なぜあの国に生れなかったんだろう、とも言った。私は正直のところ、あの国は小さい頃から何故か生理的に好きではないが、しかし文学などに表れた悠久の時間の流れは、何となく理解できるし、共感できる部分もある。
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
     *
瀬川先生の「My Angle いい音とは何か?」からの引用である。
これはとても大事なことだから、何度でもくりかえす。

しかも、どうも伝わりにくい(理解され難い)ようでもあるから、
これからも何度でもくりかえそうと考えている。

SNSをながめていると、システムを入れかえたばかりの人が、
あれこれ使いこなし的なことをやっているのが目に入る。

少し待とうよ、といいたくなる。
基本的なセッティングがまるでできていないのであれば、
それを解消するためのことは必要ではある。

けれど屋上屋を重ねる的な使いこなし的なことが目に入ると、
やはりいわずにはいられない。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その3)

今回の300Bは、けっこう売れるんだろうなぁ、と思う。
メーカー製の300Bのアンプを使っている人、
真空管アンプを自作している人(ここにはメーカーも含まれる)、
それからオーディオを投資として捉えている人などが買う。

私は、再生産されるのは300Bだけなのか、と思ってしまう。
どのくらい前だったかは忘れてしまったが、
ウェスターン・エレクトリックによる274B、310Aの再生産のウワサもあった。

私はいまでも300Bのアンプでいちばん美しいたたずまいをもつのは伊藤先生のシングルアンプだ、
と思う人間である。

たとえメーカー製の、お金をかけた300Bのアンプであっても、
伊藤アンプのたたずまいに並ぶモノはない。

そうなると300Bだけでなく、274B、310Aも再生産してほしい。
274B、310A(特にメッシュタイプ)は、300B以上に入手が難しくなっている。

310Aの再生産はまずない、と思っている。
300Bと違い、それほど数が出るとは思えないからだ。

整流管の274は、310Aよりは売れるだろうが、
300Bのアンプを作っているメーカー、個人にしても、
必ずしも整流管を使うわけではない。

ダイオードのほうが内部抵抗が低い、レギュレーションがよくなるから、ということで、
整流管は時代遅れだという考えの人もいる。

それに274は整流管の中でも内部抵抗は高い。
私にすれば、だからこそ、と考えるわけだが、
人の考えは人の数だけあるのだから、それはそれとしかいいようがない。

そういう状況において、いま300Bのアンプを自作するならば、
私ならばシングルアンプは選択しない。
どうやっても伊藤先生の300Bシングルアンプのたたずまいに追いつけないからだ。

ならばプッシュプルアンプだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その2)

オーディオ店を通じて、エレクトリへの予約された方によると、
製造が始まるのは来月からで、日本に入ってくるのは夏以降とのこと。

管球王国では、きっと秋以降の号で、300Bの比較試聴を行うだろう。
どの時代の300Bが音がいいのかは、昔から話題になっていた。

一般的には刻印の300Bがいいことになっている。
何度か聴いているが、確かにいい。

けれど伊藤先生によると、必ずしも刻印が常に最高とは限らない、とのこと。
比較的新しい300Bでも、音のいいのがある、とはいう話を伊藤先生から直接聞いている。

伊藤先生ほど300Bという真空管にぞっこんだった人はいない。
その伊藤先生がいうことである。

伊藤先生によると、音のいい300Bは触ってみるとわかるそうだ。
どこが見分けるポイントか、そういうことではなく、
手にとった瞬間、いい音をだしてくれそうな300Bは直観でわかる、とのこと。

これは伊藤先生だからいえることであり、
ものすごい数の300Bにふれ、アンプを作ってきた人だからいえることである。

今回の再生産について、あれこれいう人はいるだろう。
裏事情を知っている人もいよう。
いまはブランドが売り買いされる時代である。

そういう時代において、昔のブランドの威光がどれほどあてになるか。
そんなことはいわれなくともわかっている。

そのうえで、今回の300Bの再生産は、私にとっては嬉しいニュースのひとつである。