Archive for 10月, 2018

Date: 10月 25th, 2018
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(続「つもり」)

どうして、気をつけていた「つもり」になってしまったのか。
理由ははっきりしている。

歳をとったことを考慮していなかったからだ。
もう少し若かったら……、同じ状況でも体調を崩すことはなかった。

若かったら……、と書いているが、20、30代のことをいっているのではない。
そんなに若い必要はない。
たかだか五年ほど、つまり50をこえる前くらいだったら、
こんなことで、というくらいだった。

それがいまでは、簡単に体調を崩し、
気をつけていた「つもり」になってしまった。

わずか数年とはいえ、これははっきりと老化なんだ、と受け入れるしかない。

急に来た変化(老化)ではない、徐々に変化していったのに、気にかけなかった。

若い、とよくいわれる。
けれどここ数年、白髪は増えてきたし、なによりも体が硬くなってきているのは自覚している。
以前はなんともなかった左膝が、天候不順になると痛むことがあるのは、
28年前の骨折の後遺症なのだろう。

そんな身体の変化を感じていたのに、自分の身体を過信していたわけだ。
数年前なら、この程度、大丈夫だった、という記憶がなまじあるから、
それが気をつけていた「つもり」にしてしまった。

私の身体だけが変化していったわけではない。
すべてが、そうやって徐々に変化していっている。
そのことを無視していては、丁寧な使いこなしは、「つもり」で終ってしまう。

Date: 10月 25th, 2018
Cate: ディスク/ブック

現代日本歌曲選集 日本の心を唄う

菅野先生の「音楽と確実に結びつくオーディオの喜び」の全文である。
     *
「レコード芸術の原点からの発言」と題されたこの欄には必ずしも適当ではないかもしれぬが、私が制作したレコードで、あまりにも印象強く感動的であった録音について書かせていただきたいと思う。それは、この三月に録音した歌のレコードである。私が今までに制作してきたレコードは全て器楽曲ばかりであって、歌のレコードは皆無といってよい。昔、会社務めをしていた頃は、仕事の選り好みができず、歌を録音する機会もあったが、自分で独立してレコード制作を始めてからは、一枚も歌のレコードをつくった事がないのである。決して歌が嫌いだというのではない。ただ、私の身近に録音したいという意欲の起きる声楽家がいないというだけの事かもしれぬ。それにもう一つ、私は制作するならば日本の歌曲のレコードをつくりたかったという気持も強い。器楽とちがって、歌はあまりにも直接的に人間的でありすぎる。だから、私はどうしても、日本人が外国語で歌う歌に心底から聴き入ることができないのである。
 それやこれやで、今まで、歌のレコードを制作する機会がないままに過ぎてしまったのだが、この三月に録音したレコードというのは、日本の声楽界の大家、柳兼子先生の日本の歌曲集である。幸いにも私は、今から七〜八年前に、柳先生の演奏会を聴かせていただいたことがあり、そのとき、既に七十歳をはるかに越えた先生の歌の表現の深さに大きな感動をおぼえた記憶がある。先生は今年五月で八十三歳になられるが、高齢の先生の歌をお弟子さんたちが集まってレコードとして残したいというお話があり、その録音のご依頼を受けたのが、このレコード制作のきっかけとなった。
 私は、即座に、過去の先生の演奏会での感激を思い出し、録音のご依頼をお受けするだけではなく、このレコードを、プライベート・レコードとしてではなく、広く一般の方々にも聴いていただくべく、オーディオ・ラボから発売する形にしたいと考えた。先生のLPが一枚もないことは不思議と思えるほどだが、一八九二年生まれの先生のことを知る若いレコード制作者もそういないのかもしれないし、たいへん失礼ながら八十三歳というご高齢からして、業界ではレコード録音ということは夢にも考えられなかったのかもしれぬ。かくいう私とて、もし、あの時、先生のリサイタルを聴いていなかったら、進んでレコードを制作発売しようという気にはなれなかったろうと思う。ふとした偶然に、先生のリサイタルに足を運んだ幸運に感謝したものである。
 当初、録音は二月に予定されたのだが、冬の風邪を召され、一ヶ月録音予定を遅らせたが、先生は全快とまでいかないが、歌いましょうということになった。録音当日までの私の不安と期待は大変複雑なものであったが、朝の十時半頃、録音を開始した途端、私は期待の満たされた喜びに大きく胸をふくらませたのであった。LP一枚分、実に二十八曲もの歌を、先生は一回で録音されてしまった。それも、勿論、立ちっぱなしで……。伴奏ピアノは私が最も敬愛する小林道夫氏にお願いしたが、先生にはもっと日頃馴れたパートナーがおられただろうけれど、私としては、どうしても小林氏に弾いていただきたかったのであった。信時潔の歌曲集「沙羅」、「古歌二十五首」より五曲、「静夜思」、高田三郎の啄木短歌集八曲、弘田龍太郎の四部曲「春声」、そして、杉山長谷夫の、「苗や苗」と「金魚や」という曲目であったが、こんなにまで深い音楽を録音したことはかつてないといってもよいものであった。
 先生にしてみれば、八十三歳というご高齢を我々が口にすることはきっとご迷惑にちがいないと思うけれど、人間の生命の常識からして、これは驚異的なことで奇蹟といってよいほどのことであるし、それにもまして、その年輪ゆえに蓄えられた表現の味わい深さと、その肉体的条件にいささかも影響を受けないほどに鍛え込まれた技と、その努力のもたらした芸術の重味を思うとき、やはり、八十三歳の先生が歌われたという事実は忘れられるべきではない重要なことに思えるのである。先生の偉大な人格を思うとき、私は、ただただ頭が下がるのみであるが、レコードが出来上がるまでのテスト盤を技術的な立場から何度も聴くうちに、その音楽の魅力は私の中でますます大きく深いものになったことにも驚きを禁じ得ない。ジャケットに収まってレコードが市場へ出ていくまでに、私たち制作者は、音楽的内容の立場を離れ、テープ録音とレコード製造技術の見地から何回音を聴くかわからないが、正直なところ、多くの場合、製品が出来上がる頃には中味の音楽に飽きているという経験をよくする。それほど何回もオーディオ的な耳でチェックを重ねるものである。ところが、この先生のレコードの場合、その度毎に音楽の魅力が高まって、ふと気がつくと、自分は音のチェックをしていたはずなのに、いつしかそれを忘れ、深々と音楽に聴き入り、肝心のチェック事項を忘れてしまっているという有様なのであった。
 レコードをつくっている我々がそんなことをいってはいけないのだが、素晴らしいレコードというものは、音そのものの不満や、雑音などはどうでもよくなってしまうものであることを、これほど強く認識させられたこともないのであった。そして、意を強くしたことは、オーディオの仕事をしている私の講演会などに集まって下さる方々のほとんどが、ダイナミック・レンジやひずみ率や周波数特性に関心を持つマニアが多いのに、そうした機会にこのレコードのテスト盤をお聴かせしてみて、多くの方々が感動して下さったことである。オーディオ的なプログラム・ソースとしては決してデモンストレーション効果を持ったものではないし、ここにあるのは音楽そのものの魅力だけであるはずなのだ。やはりオーディオは音楽と確実に結びついているという喜びを味わったのであった。ひたすら、先生の歌の世界を、伴奏ピアノのソノリティで生かし、歪めることなくスピーカーから伝えたいと心がけて録音したのだが、人によっては、ピアノが大き過ぎるといわれたし、歌もピアノも距離感が遠過ぎるともいわれた。しかし、私としては、それらの意見には全く動かされることはない。先生の発声には、これ以上、マイクが近くても遠くても、その真価を伝えることはできないと思うし、ピアノのバランスやニュアンスの再現も、これらの歌曲のピアノ・パートの重要性からして、決して近すぎることも、大き過ぎることもないと信じている。つまり、私としては、かなり自分が満足のいく録音になったと思っているわけだ。LP両面で二十八曲の名唱、とりわけ「沙羅」の〝鴉〟〝占ふと〟〝静夜思〟に聴かれる感動の深さに酔いしれているのである。
 それにしても、レコードと再生装置の関係は重要だ。私の部屋にある数種の装置で聴いてみると、そのニュアンスの何と異なることか……。ある装置は、もうたまらないほど艶っぽく歌ってくれるのだ。〝占ふと、云ふにあらねど、梳(くしけづ)るわが黒髪の、常(いつ)になうときわけがたく、なにがなし、心みだるる……〟そして、別の装置は無残に、その冷たく無機的でヒステリックな性格が、その心のひだをおおいかくしてしまう。〝不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし十五の心〟。装置の音は、この人声の、心の微妙なニュアンスを伝えるべく、血の通った音でなければならぬのだ。この啄木の詩のように端々しく、やさしくなくてはならないし、「沙羅」の〝鴉〟のように凄みを持ち、柳兼子先生のその歌のごとく毅然としていなければならぬものだと思う。
     *
菅野先生による柳兼子氏の録音は、オーディオ・ラボから三枚出ていた。
現在、オクタヴィア・レコードからCDとして発売されている。

11月7日のaudio wednesdayで、かける。

1975年の録音で、それほど売れるディスクとは思えない。
けれど、いまも入手できるのは、それだけでありがたい、とおもう。
それでも、欲深いもので、オーディオ・ラボの菅野録音の多くがSACDで出ているのに、
これは通常のCDだけなのか、と、やはり思ってしまう。

SACDで出してくれ、とまではいわないが、DSDで配信してほしい。

Date: 10月 24th, 2018
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(「つもり」)

急に冷え込む日があったから、気をつけてはいた。
体調を崩さないように、気をつけていた。

でも、土曜日からなんとなく体調がすぐれず、
昨日と今日は、かなりしんどい。

結局、気をつけていた、と本人は思っていたけれど、
気をつけたつもりだった、にすぎなかったわけだ。

ほんとうに気をつけていたら、ここまで体調を崩すことはなかった。
予兆に気づいた時点で、どうにかしていただろうから。

そう「つもり」でしかなかったから、しんどいなぁ、といま感じている。

オーディオの使いこなしでも、同じにしたと同じにしたつもりは違う、とよくいってきた。
「つもり」は楽でもある。

同じにした、と本人は思っていても、結果(出てくる音)が違うのならば、
それは「つもり」でしかない。

Date: 10月 23rd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(紅茶、それにコーヒー)

2002年7月4日、14年ぶりに菅野先生のリスニングルームを訪れて、
戻ってきた、と感じたのは、部屋に入ったときでせなく、音を鳴ったときでもない。

菅野先生の奥さまがだされる紅茶の香りと味で、
私は、菅野先生のリスニングルームに戻ってきたんだ、と感じていた。

ステレオサウンド時代に伺っていたとき、
いつも出してくださった紅茶と同じだった。

当り前のことなのに、「同じだなぁ」と感慨深いものがあった。

菅野先生といえば、紅茶だった。
試聴でステレオサウンドの試聴室に来られるとき、
当時ステレオサウンドの真向いにあった水コーヒー どんパからコーヒーをとっていた。

菅野先生だけが紅茶だった。
コーヒー嫌いなのか、と、ずっと思っていた。

いつだったのか、はっきりと憶えていないが、ある時、
奥さまがコーヒーを出してくださった
私にだけコーヒーではなく、菅野先生もコーヒーだった。

意外だったので、つい「コーヒー、飲まれるんですか」と訊いた。
もともとコーヒー好きで、水だしコーヒーに、すごくハマった時期があった、とのこと。

どうすれば美味しい、菅野先生にとっての理想の水だしコーヒーを淹れられるか、
あらゆる要素を少しずつ変えては淹れて飲み、比較。
それを果してなくくり返されたそうだ。

そんなことを続けていたら、ある日、コーヒーを体が拒否してしまった、とのこと。
濃いコーヒーの飲みすぎであろう。

それから紅茶にされた、そうだ。
だから「最近、少しコーヒーが飲めるようになったんだよ」と話してくださった。

オーディオとまったく関係がない、と思われるかもしれないが、
これこそが、ある意味、菅野先生的バランスのとりかたである。

Date: 10月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その12)

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”はスタジオ録音である。
そこにステージがあった、とは考えにくい。

録音で歌っているホセ・カレーラスの足は、ほんとうの足はスタジオの床に立っていた。
ステージはなかった(はず)。

ならば、再生されるホセ・カレーラスの足が、
菅野先生のリスニングルームの床に立っていると感じたのは、当然といえるし、
それだけのレベルにあった音ともいえる。

五味先生も、”AROUND THE WORLD”を聴かれたら、
スタジオ録音だから、録音の現場にステージがないことは承知されて、
それでもステージが、そこに再現されていないから、肉体がない、といわれるのか。

ここで忘れはならないのは、
五味先生のスピーカーはタンノイのオートグラフである、ということ。
つまり、五味先生のいわれるステージは、
録音の場におけるステージという意味よりも、
むしろオートグラフが創り出す再生の場におけるステージのほうが、色濃いのではないのか。

こう考えると、少なくとも私は納得がいく。
菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)」でも書いているように、
どちらかを否定すれば、楽だ。
こんなにながいこと考えなくても済む。

それでも、私はどちらも正しい、ということで考え続けてきた。
考えてきたことで、1970年当時の菅野先生の音と瀬川先生の音、
どちらの音を聴かれながら、五味先生が菅野先生の音だけに、
肉体のない音(感じられない音)といわれた理由も、私のなかでは説明がつく。

それがリアリティ(菅野先生の音)とプレゼンス(瀬川先生の音)である。

Date: 10月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その11)

2002年7月4日、菅野先生の音を聴いた。
ステレオサウンド時代、最後に菅野先生の音を聴いたのは1988年だから、
14年ぶりの菅野先生の音だった。

マッキントッシュのXRT20のシステムでクラシックを、
JBLのシステムでジャズを聴いたあとに、
私がもってきたCDをかけてもらった。

少し考えられて、マッキントッシュのシステムにされたように感じた。
この時の音は、まさしく肉体の復活が感じられる音だった。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”から「川の流れのように」をかけてもらっていた。
目をつぶれば、目の前に(といっても私は部屋の隅にいたけれど)、
手を伸ばせば届きそうな感じさえする気配を感じる鳴り方だった。

ホセ・カレーラスの肉体が、そこに復活していた。
そのカレーラスには、足もあるように感じた。
上半身だけの幽霊のような音像ではなかった。

この音を聴かれた五味先生でも、肉体のない音とはいわれないはず──、
そう思う一方で、それでももしかすると、いわれるかもしれない──、
そんなことを帰宅してから考えていた。

こんなことを考えた理由は、ホセ・カレーラスの足がどこにあるのか、だった。
それは菅野先生のリスニングルームの床に立っていた。
あたりまえだろう、そんなことは、と言われるだろうし、
それでこそリアリティというものだろう、と私も思うけれど、
五味先生にとっての肉体の復活を感じさせる音には、
ステージの存在が不可欠である。

私はホセ・カレーラスの肉体の復活を感じていた。
私だけではなかったはずだ。
川崎先生もそう感じておられた、と思う。

あの音を聴いて、肉体の復活を感じない人はいないのではないか──、
そうおもいながらも、それでも……、と考えてしまうのは、
「五味オーディオ教室」が私のオーディオの出発点であるだけでなく、
私がアマノジャクなためだろう。

そうわかっていても、仮定のことを考える。
少なくとも、私はホセ・カレーラスの肉体の復活を感じていても、
ステージの復活は感じていなかったのは事実だ。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その10)

ステージ。
さほど深く考える必要はないように感じる、この「ステージ」を、
それを再現するのに必要なのは音場とか音場感ということで捉えてしまっては、
ここでの「ステージ」の理解は不十分のままだ。

肉体のある音と肉体のない音。
このあいだにある音について、屁理屈みたいなこともを考える。

肉体のなさを感じさせない音は、どうだろうか。
肉体があると感じるわけでもないが、肉体がないと感じさせるわけでもない。
肉体を意識させない音とでもいおうか。

つまり肉体のない音は、聴き手に肉体を意識させているからこそ、
そこに肉体がない、と感じさせている、ともいえる。

私が聴いた範囲でしかないが、実際のところ、
肉体を意識させない音は多い。
ないとも感じないし、あるとも感じない。

五味先生が聴かれた菅野先生の音とは、まだ次元の違うところで鳴っている。
おそらく五味先生は、そういう音を聴かれたとしたら、肉体がある、とか、ないとか、
そういうことはいわれなかっただろう。

菅野先生は肉体のある音を目指されていたからこそ、
五味先生は肉体がない、と感じられた──、
そういう解釈も可能である。

五味先生が求められている肉体のある音は、ステージに演奏者の足がついている、
そういう音のはずだ。

足のない、つまり幽霊のような音像では肉体はない、ということになるし、
足があったとしても、その足がステージの上になければ──、なのではないのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 表現する

音を表現するということ(間違っている音・その10)

(せいかく)な音には、正確な音と精確な音とがある。

正確は、正しく,たしかなこと、まちがいのないこと、また,そのさま、
精確は、詳しくてまちがいのないこと、精密で正確なこと、また,そのさま、
と辞書にはある。

大きく意味が違うわけではないが、
正確な音と精確な音は、微妙なところで違いを感じるからこそ、
これまでは使い分けてきた。

正確な音と正しい音は、どう違うのか、と考える。
正しい音に確かさが加われば、正確な音となるのか。
正しい音には、元来確かさがあるのではないか。

そんなことを考えていると、正直な音ということが浮んでくる。
正直とは、うそやごまかしのないこと、うらおもてのないこと、また,そのさま、である。

間違っている音を出していた男に欠けているものを考えていたら、
「正直な音とは」が浮んできた。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その3)

2003年から数年間、audio sharingのメーリングリストをやっていた。
そのころ使っていたレンタルサーバーの会社が倒産してしまい、
次のレンタルサーバーの会社にはメーリングリストの機能がなかったので、やめてしまった。

菅野先生には、メーリングリストを始める前から相談して参加していただいた。

菅野先生はメーリングリストには投稿されたことはなかったが、
ステレオサウンドから「新・レコード演奏家論」が出た時に、
何人かの方が、メーリングリストに読まれた感想を投稿された。

菅野先生は、その人たちに返事を直接メールされている。
コピー&ペーストの返信ではなく、
それぞれの人たちの感想を読んだ上での返信である。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その2)

すべてに功罪があるからこそ、検証はないがしろにするべきではない、と思っている。
けれど、そのことと誰かの死を、
匿名で不特定多数に向って、喜ぶという行為は、おかしい。

菅野先生に否定的、批判的な人がいるのはわかっている。
私にしても、長岡鉄男氏には、はっきりと否定的、批判的である。

長岡教の信者からすれば、
私などは長岡鉄男氏のことを全く理解していないヤツ、ということのはずだ。

それに長岡教の信者にとって功と認識していることが、
私にとっては罪と認識していたりすることだろう。

そんな私でも、長岡鉄男氏が亡くなったのを喜びはしなかった。
これは誇ることでもなんでもない。
人としてあたりまえのことでしかない。

にも関らず、真逆の人(救いようのない人)がオーディオの世界には少なからずいる。
そんな人(人といっていいだろうか)は、どんな音でどんな音楽をきいてきたのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その1)

岩崎先生、五味先生、瀬川先生が亡くなられたころと、
いまとではインターネットの普及、それにSNSの普及、スマートフォンの普及がある。

井上先生は2000年12月だった。
インターネットは普及していたけれど、SNSは……、スマートフォンは……だった。
いまは誰でもが手軽に、感じたこと、思ったことを公開できる世の中だ。

菅野先生が亡くなられたことで、多くの人がブログ、SNS、掲示板に書いていることだろう。
中には喜ぶ人もいるだろうから、私は検索することはしなかった。

なので、どんなことが書かれているのかは、ほとんど知らない。
ただおもうのは、菅野先生と会ったことのある人、
さらには菅野先生の音を聴くことができた人は、きっと書いている、と思う。

それは傍から見れば、自慢にしかうつらないかもしれない。
私も書いている。

けれど自慢したいわけではない。
菅野先生の音を聴いている人ならばわかってもらえようが、
菅野先生の音を聴くことが出来た人は、オーディオマニア全体からすれば、
割合としてごくわずかであろう。

幸運にして聴けた、と書いている人もいるかもしれない。
たしかに幸運といっていい。

だからこそ、聴くことがかなわなかった人のためにも、書かなければ──、とおもう。
そうおもって書いている人は多い、とおもう。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(「僕のオーディオ人生」)

菅野先生の「僕のオーディオ人生」(音楽之友社刊)のあとがきだ。
     *
 長々と私の拙い履歴書めいた一文を通読していただき恐縮至極である。もともと、この文章は昭和五十六年にステレオサウンド社発行の『サウンドボーイ』誌、後に『ハイヴィ』と改題された月刊誌に連載を始めたものであった。当時同誌の編集長の小高根克彦氏の主旨は、こだわりと真剣さを失いつつある若い読者に対し、僕のような音一筋の男の生き様を知ってもらい、人生と趣味あるいは仕事の関り合いを通して、オーディオの本質や価値観の認識の一助にしたいというものであった。そんな大それた役をお引受け出来る気持ちにはなれなかったけれど、素直に僕の音に関わる人生について書けばよいから、という言葉に乗せられて分不相応な自伝めいたものを書くはめになったものである。
 書き出してみると、音と人間の関係を浮彫りにするためには、恥も外聞も捨てて、素直に自己をさらけ出すこと以外にはないことがわかってきた。「素直にありのままを書け」といった小高根氏をうらんでよいのか、感謝してよいのか、ついに八年もの長期間にわたって月刊誌に連載を果したものである。
 したがって、本来は私個人のこととしてではなく書いたほうがどれだけ楽であったかしれないし、この文章がどこか露出趣味のように受け取られるのではないかという心配が常に私の中にあって、正直なところ苦しい仕事であった。それも、子供の頃のことならまだしも、大人へのなりかかり、あるいはなってからの自分の内面など、そう易々と書けるものではなく、どうしても事実の羅列という無能なものになっていることを深く恥じ入るものである。また、ここには四十六歳までで、それ以後は書かれていないわけであるが、この文脈通りに現在までを生々しく書く気持にはどうしてもなれなかったからだ。本文の終りに書いたように、四十六歳にして初めて大人になれたことを自覚出来たような僕のことだから、人様に語れるようなものはなにもない。しかし、終始一貫音と音楽を愛し続けた男の人生である事だけは確かであって、すべてはここを支点としての生活である。こういう、いわば音馬鹿の姿を見ていただいて、音の世界がいかに魅力的なものかを感じていただくことも多少は意味のあることかも知れないと、またまた、これを一冊の本にまとめるという恥の上塗りをやってしまった次第。
     *
八年間の連載をまとめたのが「僕のオーディオ人生」であるだけに、
サウンドボーイ、HiViに掲載された文章すべてが読めるわけではない。
ページ数と物理的制約があるから、割愛されたところが少なくないのは仕方ない──、
とは頭では理解していても、「僕のオーディオ人生」を手によって、
やっぱり、ここは省かれていたのか……、と思った。

どれを載せて、どれを省くかは、編集者によって違う。
私だったら、と思うところが省かれていた。

それは、菅野先生の性的初体験のところである。
これを書くにあたって、かなり苦労されていたことを菅野先生からきいているだけに、
惜しいと思うし、音楽之友社の編集者の判断もわからないわけでもない。

菅野先生は何冊もの官能小説を購入して読んだ、と言われていた。
川上宗薫の作品について、高く評価されていたことを思い出す。

サウンドボーイ、HiViのバックナンバーはほとんど持っていない。
それが載っている号もない。
いつかは国会図書館に行き、すべてコピーしたいと思いながらも、実行にうつしていない。

菅野先生の音(オーディオ)を語る上で忘れてはならないのことのひとつに、官能性がある。
「僕のオーディオ人生」から、ここだけは引用しておこう。

戦時中疎開されているときのことを書かれている。
     *
 旧盆の八月十五日は、村をあげての盆踊りであった。これは、僕にとって実に大きな、フレッシュな体験となった。先に書いたように、佐渡へ着いて、船のPAスピーカーで聴いた《佐渡おけさ》によって、生れて初めて日本民謡の洗礼を受けた僕だったが、この盆踊りで、決定的に日本情緒が体内に染み込むこととなったように思う。これは、後年の僕の音楽生活だけではなく、情緒全般にきわめて大きな影響力をもつことになった体験であった。
 それだけではない。僕はこの夜、生れてはじめて、リアルなセックス体験をすることになったのだから、ことはもっと大きい。今でもこの夜のことを思い出すと、そのショックが鮮烈に蘇ってくるほどだ。
 農業組合の前の広場にやぐらが組まれ、昼間から太鼓や笛が奏されていた。「ピョロ、ピョロ、ピョロのロンロン」と笛は《おけさ》のメロディを奏で、僕のハートを踊らせた。僕の中には、ベートーヴェンもシューベルトもいなくなっていた。もっと強烈に、直接的に、心底からこみあげてくる情感の虜になってしまったようだ。
 単純な二拍子のリズムは、素朴で強烈な生命の鼓動そのものだ。塩風にのって香る海の空気、編笠をかぶり、浴衣に白足袋の男女が妖しく腰をくねらせながら足を運ぶ4ビートのステップ。
 やがて、陽がとっぷりとくれる頃、踊りのムードはクライマックスにクレッシェンドしていく。大人達に混じって僕ら子供達も、見よう見真似で《おけさ》や《相川音頭》を踊りながら、一種の恍惚の世界へ入り込んでいく。
 今思うと、これこそ音楽と舞踊の原点だ。僕が今、よく口にするカントの言葉「芸術とは、悟性の秩序づけをもった感性の遊びである」という定義からすると、これは確かに芸術ではない。悟性の秩序づけなど、薬にしたくても無に等しい。これはまさに、官能的情感に満ち溢れた感性の遊びそのものである。しかし、これぞ、音楽や舞踊が芸術に昇華された次元においても、絶対に存在すべき要素の一つであることを痛感せずにはいられない。クラシック音楽にも、ジャズにも、ましてやロックやフュージョンに、これが欠けていたら、音楽という人間行為は、まことに空しい。洗練の極致などという音楽への評価は、必ずしも賞め言葉とはいえない。だから僕は、カントの芸術の定義を、感性と情緒の遊びというふうに訂正したい。
 それはともかく、この昭和十九年八月十五日の夜は、僕の成長期における記念すべき夜であった。踊りに疲れた僕は、友達と一緒に目の前の海岸へ出た。嵐のあとでもあったので、そこにはたくさんの小船が引き上げられ、石垣にそって並べられていた。小船といってもかなり大きなものもあり、岸に上げられると、子供の背丈より高いものもあった。
 月の光に照らされた岸辺は真暗ではなかった。突如、友達の一人が「シーッ」と口を指でふさいだ。何のことだかわからなったが、僕は本能的に身をすくめ、足を止めた。嵐のあとの静かな潮騒に交って、異様な物音が聞こえてきたのである。人の息である。ときどきうめき声にも似た響きも聞こえる。荒々しい吐息に交って、明らかに女性の甘い泣き声のような呻きが聞こえるのである。しかし、その時の僕には、それが何を意味するものなのかはわからなかった。一緒にいた友達はわかっていたらしく、「べべ、べべ」と小声で僕にささやいた。「べべ?」僕にはよくわからなかった。後でわかったことだが、それは男女の性行為を意味する土地の言葉である。
 そこここに並べられていた船の中から、その声はもれていた。しかも一組ではないのである。友達に促され、そのうちの一つの船に近づいてみた。ちょうど船に上る台のような木材があったので、それに静かに上って、僕達は船べりから中を覗き見たのである。凄かった。悩ましかった。きれいだった。刺激的だった。踊りの着物を着た男女がもつれあっていたのだ。月の光に、雪のように白い女性の足が、赤銅色の男の足に絡んでいた光景は、壮絶に僕の目を射た。
 僕は息をのんだまま、その木造船の船べりに釘づけになってしまった。心臓の鼓動が大きすぎて、相手に気取られるのではないかと心配であったが、僕はそこから離れようとは絶対に思わなかった。口の中がカラカラに乾き、つばも飲みこめない苦しさであった。一体、これは何なのだ? 魅力的だが、ひどく罪深いことのようにも感じられた。おそろしく恥ずかしいような気持でもあった。それにもかかわらず、僕は男女のその部分を見たいと思った。僕のいる角度からは、男の尻の動きが見えるだけで、その部分はどうしても見えなかった。
 僕は疲れ果て、見つかることのおそろしさも手伝って、ついにその場を離れ、まだ見たがっていた友達を引っぱって、再び踊りの群へ帰ってきてしまった。
「どっと笑うて、立つ波風の、荒き折節、義経公は」武張った《相川音頭》を唄う青年の声は、艶と輝きに満ちていて美しかった。大きな輪を描いて踊る粋な男女の着物姿と、凛々しい太鼓のリズムは、今も僕の目と耳に焼きついて離れない。そして、それはあの生れて初めて見た男女の赤裸々な性の姿との見事なダブル・エクスポージュアなのである。
     *
昭和19年(1944年)だから、菅野先生は11歳である。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その10)

一週間後はヘッドフォン祭

春か秋、どちらかには行くようにしている。
けれど、何かを期待して行っているわけではなかった。

でも、今年はちょっと違う。
メリディアンのULTRA DACとCHORDのMojoを聴いたからだ。

ULTRA DACを聴けば、MQAに期待したくなる。
ULTRA DACの良さは、それだけではなく、通常のCDが魅力的な音で聴けることにもある。

MQAの音を聴いた人ならば、Mojoも対応してくれないのか、と思うはず。
私もその一人だ。

MQA対応のモデルは増えてきている。
安価なモデルでもMQA対応を謳っている。
(MQA対応にはデコーダーとレンダラーの二種類があるので、少しの注意は必要)

そろそろMojoの新型が登場してもよさそうなものだし、MQAにぜひとも対応してほしい。
Mojoの新型は登場しないのだろうか、と思って「chord mojo mqa」で検索してみたら、
コードの快進撃は止まらない! 「Poly」「Hugo2」エンジニアインタビュー&1stインプレッション
という2017年3月の記事があった。
ステレオサウンドのウェブサイトにある記事で、山本浩司氏が書かれている。

そこにこうある。
《Polyはファームウェアのアップデートによって様々に進化させることが可能。フランクス氏によると、近々MQA のソフトウェア・デコード機能の追加を予定しているとのこと》

この記事のとおりなら、Mojoではなく、Polyのファームウェアのアップデートで可能になる。
この記事から一年以上が経っている。もう出てきてもいいころだ。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その9)

菅野先生と黒田先生の発言のあとは、こう続いている。
     *
菅野 煮つめていって同じであることをはっきりさせようっていうんですか。
黒田 いやそうじゃなくて、本当にいっしょになっちゃうのか、それとも全然別のことをお考えになってるか。
菅野 なるほど。いやそりゃねえ、煮つめりゃ同じですよね。だけれどもこれはやっぱり登り道がちがうし、見る景色の見方がちがうでしょうね。だけどその、その奥を煮つめればね、これはやっぱり同じになりますね。
黒田 同じになっちゃう。
菅野 なりますね。まちがいなくね。
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五味先生が、菅野先生と瀬川先生の音を聴かれたのは、1970年のことだ。
菅野先生も瀬川先生も30代。
登り道の途中である。

そういう二人の登り道の違いを、五味先生は聴かれていたのか、とも思うし、
五味先生の登り道は瀬川先生側であること、
つまりプレゼンスであることは、「五味オーディオ教室」を読んでいても、はっきりとわかる。

五味先生は「五味オーディオ教室」に書かれている。
ステージの重要性を書かれている。
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 つまりいかなる場合も、ピアノはステージに置かれていなければならない。スピーカーは、そのピアノのどっしりした安定感をまず出さねばならない。いろいろな機種の比較試聴のすえにようやく、私はこのことを知った。いい再生装置ほどピアノではなくピアノから響き出た音を、聴かせてくれることを。パラゴンが拙宅のオートグラフに勝るのは、衝撃音の鮮明さだけのように思えた。つまり歯切れがいいだけであるように。
 レコードで音楽を聴く場合、音楽を流しているのはスピーカーではない。鳴っているのは、じつは部屋の空気そのものだ、ということにようやく私は気がついたのだ。つまりスピーカーそれ自体は単なる一機能にすぎない。エンクロージァ全体が、さらに優秀な場合は部屋の空気の隅々が、音楽を満たすようにできているものなので、専門家ならわかりきったことと言うにきまっている。
 がしかし、実際に、空気全体が(キャビネットや、ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを私はいまだかつて聴いたことがない。鳴っているのはスピーカーのコーンでありキャビネットであった。今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。これこそは真にレコード音楽というものであろうと、私は思うのである。

 さてわれらのタンノイである。たとえば『ジークフリート』(ショルティ盤)を聴いてみる。「剣の動機」のトランペットで前奏曲が「ニーベルングの動機」を奏しつつおわると、森の洞窟の『第一場』があらわれる。小人のミーメに扮したストルツのテナーが小槌で剣を鍛えている。鍛えながらブツクサ勝手なごたくをならべている。そこへジークフリートがやってくる。舞台上手の洞窟の入口からだ。ジークフリートは粗末な山男の服をまとい、大きな熊をつれているが、どんな粗雑な装置でかけても多分、ミーメとジークフリートのやりとりはきこえるだろう。ミーメを罵り、彼の鍛えた剣を叩き折るのが、ヴィントガッセン扮するジークフリートの声だともわかるはずだ。しかし、洞窟の仄暗い雰囲気や、舞台中央の溶鉱炉にもえている?、そういったステージ全体に漂う雰囲気は再生してくれない。
 私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人ひとりがマイクの前に現われて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出ては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にあるとおりを歌い、つぎの出番のものと交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
 わがオートグラフでは、絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも、彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
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おそらく、でしかないが、五味先生にとっての肉体の復活を感じさせる音に不可欠なことは、
ステージの再現だった(はずだ)。

そのことは、「五味オーディオ教室」の冒頭、
つまり菅野先生の音について書かれているところにも、ある。
《たとえて言えば、ステージがないのである》と。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その8)

別項「確信していること(その26)」でも引用していることを、
もう一度書いておこう。

「ステレオのすべて ’77」の、
「リアリティまたはリアリスティックとプレゼンスの世界から いま音楽は装置に何を望むか」は、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による鼎談であり、
ひところ同じといえるJBLのシステムを鳴らしながらも、
菅野先生の音と背が保線性の音は、はっきりとした違いもあったはず。
二人の音について考える上でも読んでおきたい。

しかもこの年の春に出ているステレオサウンド 38号の、
いわば続きといえる内容だけに、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」とあわせて読みたい。
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菅野 僕は瀬川さんといつもよく話すことなんだけど、瀬川さんもJBLが好きで、僕もJBLが好きで、何年か前に瀬川さんのところへ行ってJBLを聴かせていただいた時にものすごくすばらしい音だと思った。だけどそこで聴いた音はね、僕からするとまったく今我々の申し上げたプレゼンスの傾向としてすはらしい音だと思ってしびれたわけです。それで僕が鳴らしているJBLというのは今度は今いったリアルの傾向で鳴らしているわけですね。それでよくお互いに同じスピーカーを使ってまあ鳴らし方がちがうなというふうに言っているわけで、つまりこれは鳴らし方にも今製品で言ったけどね、鳴らし方にもそういう差が出てくるというね、そこまで含められてくるでしょうね。
黒田 それで今回のこの企画のことを話された時に、菅野さんのそのリアリスティックで聴くっていう話しを聞いて、僕はやっぱり以前その聴かせていただいた音がピンときている。なるほどあれはリアリスティックという言葉を好んで使いそうな男の音だと、それで瀬川さんはプレゼンスだと。全くそうだと。それはその両者がそういう言葉を頻繁にお使いになるのは当然だと僕は思ったんです。で、ただその煮つめていけばどっかで同じになっちゃうことなんで、それを何かここではっきりさせようというのがどうもその編集部の意図らしいんです。
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鼎談のタイトルになっているリアリティ(リアリスティック)とプレゼンス。

このふたつは、
そして菅野先生と瀬川先生の音は、最終的には同じになってしまうであろうことは、
菅野先生のリスニングルームで、
ジャーマン・フィジックスのDDDドライバーを中心としたシステムの音を聴いていて、
感じていたし、そのことは菅野先生にも話している。

菅野先生も、瀬川先生が生きておられれば、
ジャーマン・フィジックスを鳴らされているだろう、ということに同意された。