オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その1)
岩崎先生、五味先生、瀬川先生が亡くなられたころと、
いまとではインターネットの普及、それにSNSの普及、スマートフォンの普及がある。
井上先生は2000年12月だった。
インターネットは普及していたけれど、SNSは……、スマートフォンは……だった。
いまは誰でもが手軽に、感じたこと、思ったことを公開できる世の中だ。
菅野先生が亡くなられたことで、多くの人がブログ、SNS、掲示板に書いていることだろう。
中には喜ぶ人もいるだろうから、私は検索することはしなかった。
なので、どんなことが書かれているのかは、ほとんど知らない。
ただおもうのは、菅野先生と会ったことのある人、
さらには菅野先生の音を聴くことができた人は、きっと書いている、と思う。
それは傍から見れば、自慢にしかうつらないかもしれない。
私も書いている。
けれど自慢したいわけではない。
菅野先生の音を聴いている人ならばわかってもらえようが、
菅野先生の音を聴くことが出来た人は、オーディオマニア全体からすれば、
割合としてごくわずかであろう。
幸運にして聴けた、と書いている人もいるかもしれない。
たしかに幸運といっていい。
だからこそ、聴くことがかなわなかった人のためにも、書かなければ──、とおもう。
そうおもって書いている人は多い、とおもう。