オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その2)
すべてに功罪があるからこそ、検証はないがしろにするべきではない、と思っている。
けれど、そのことと誰かの死を、
匿名で不特定多数に向って、喜ぶという行為は、おかしい。
菅野先生に否定的、批判的な人がいるのはわかっている。
私にしても、長岡鉄男氏には、はっきりと否定的、批判的である。
長岡教の信者からすれば、
私などは長岡鉄男氏のことを全く理解していないヤツ、ということのはずだ。
それに長岡教の信者にとって功と認識していることが、
私にとっては罪と認識していたりすることだろう。
そんな私でも、長岡鉄男氏が亡くなったのを喜びはしなかった。
これは誇ることでもなんでもない。
人としてあたりまえのことでしかない。
にも関らず、真逆の人(救いようのない人)がオーディオの世界には少なからずいる。
そんな人(人といっていいだろうか)は、どんな音でどんな音楽をきいてきたのか。