Archive for 7月, 2016

Date: 7月 7th, 2016
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(その5)

シーメンスのオイロダインというスピーカー。

スピーカーシステムとは呼びにくい、このモデルは鉄製のフレームに、
外磁型の38cm口径のウーファーと大型のコンプレッションドライバーとホーンが、
がっちりと固定されている。

いわゆるエンクロージュアとよばれる箱はない。
2m×2mの平面バッフルか大型の後面開放型エンクロージュアを用意する必要がある。
いわゆるスピーカーシステムではなく、2ウェイのスピーカーユニットの一種といえる。

出力音圧レベルは104dB/W/mと高い。
周波数レンジは狭い。
トーキー用スピーカーと呼ばれるモノであり、
アメリカのウェスターン・エレクトリックでさえ、
とっくに製造を中止してしまった古典的な劇場用スピーカーを、長いこと製造していた。

1980年ごろにウーファーが38cmから25cmの三発に変更になったが、その後もしばらく製造された。
こういうスピーカーは珍しい。
シーメンスという会社の体質が、他の利益追求型の会社とは違っていたのかもしれない。

ヴィンテージといえるのは、ほぼすべてが製造中止になったモノである。
でも、このオイロダインだけは現役だったころ、
すでにヴィンテージとためらいなくいえたスピーカーである。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

ハンバーガーとアメリカとオーディオと(その1)

アメリカのテレビ番組に”THE NEXT GREAT BURGER“というのがある。
「グレイト・ハンバーガー ─史上最高の激うまバトル─という邦題がついている。

タイトルからすぐに想像がつくように三人の料理人が登場し、
自慢のハンバーガーを作り、うち二人が予算を勝ち抜き決勝で競い合う、というものだ。

20分ちょっとの番組で、映画や海外ドラマのように重たいものではなく、
軽い内容のものが見たくて、たまたま見つけた番組だった。

すべてのエピソードを見終ったわけではないが、
見ていてすぐに感じたのは、ハンバーガーは、アメリカを象徴する料理だということだった。
アメリカに行ったことのない者の感じ方であることはことわっておく。

アメリカにもさまざまな料理があるのは知っているけれど、
アメリカと聞いて真っ先に思い浮ぶ料理は、
“THE NEXT GREAT BURGER”を見た今では、「ハンバーガーだろ!!」となってしまう。

それほど、ここに登場するハンバーガーはすごい。
いったいどれだけの具材をはさむのだろうか、と思う。
それだけハンバーガーの厚みは増す。

分厚い(ほんとうに分厚い)ハンバーガーを、彼らはどうやって食べるのか。
お上品にナイフとフォークを使って、高級料理のように食べるのか。
そんなことはない。
両手で持ち、そのまま口に運び、齧りつく。

手で押えているといっても、厚みはかなりのものであるのに、
その厚みに必要な分だけ口を開けて食らいついている。
あれが口の中に入るのか、とまず思う。

上品ぶるわけではないが、あの厚みのものに齧りつくことは私には無理だ。
多くの人が無理だと思う。

そして、この番組に登場する多くの(すべてではない)ハンバーガーは、
屋上屋を重ねる、といいたくなる面を持っている。

味を追求しての厚みであることは理解できる。
それでも屋上屋を重ねるという感覚がどうしてもつきまとう。

同時に、いまのオーディオもこれに近い、という同じ面を持っている、とも思ってしまう。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

8月3日の05時45分は新月である。
以前予告していたように、今回のテーマは「新月に聴くマーラー」である。

照明を落として真っ暗な状態でのマーラーである。
マーラー以外はかけない。
最初から終りまでマーラーだけを聴いていく。

バーンスタインの第五交響曲の第一楽章で始めたい。
ジュリーニの第九交響曲の第四楽章(アダージョ)でしめくくりたい。

この二曲のあいだにかけるのは、参加される方が持ってこられたCDだ。

「新月に聴くマーラー」を4月に思いついたものの、
喫茶茶会記のシステムで、わざわざ新月にマーラーという音が出せるのだろうか、
という不安に近いものがなかったわけではない。

けれど6月のaudio sharing例会でのLNP2の比較試聴で、
これだったらなんとかいけそうな予感がした。

それに今回はJBLの2405も手配できそうである。
6月に鳴らしたシステムの上にトゥイーターを追加する。
もちろん直列型ネットワークを使うから、2405の接続をどうやるのかはまだ決めていない。

2441の上をカットするのか、そのまま出したままにしるのか。
2405のカットオフ周波数はどのあたりに設定するのか。
2405も直列型ネットワークにするのか……、
このあたりをじっくり試聴して検討する時間はとれそうにないから、
当日ぶっつけ本番に近い状態で鳴らすことになるかもしれない。

そんな音出しで、「新月に聴くマーラー」にふさわしい音が出せるのか。
いわば急拵えのシステム、時間のないセッティング、チューニングで、
マーラーの交響曲の真髄にふれるような音が出せるのか。

それでもマーラーの何かがかけらとして、聴いている側に飛んでくるような音は出せる。
そう考えている。
楽観的なといえばそうである。

今回はオーディオ機器の比較試聴ではない。
ただただマーラーを聴くのみである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 6th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その5)

1966年と2016年とでの、アンプ選び(別にアンプに限らないけれど)は、
市場に出廻っている現行製品の数の違いだけでなく、
これまで発売になってきたアンプも、そこには含まれる。

往年の名器と呼ばれるアンプも選択肢に含まれるようになるわけで、
1966年における選択肢と2016年における選択肢とは、
予算が制約がなければないほど、選択肢の数の開きは大きくなるといえる。

中古市場には、まれにではあるが、驚くほどの美品が登場することがある。
数十年前のオーディオ機器が、これほどのコンディションで残っているのか、
よくこれだけのモノを見つけ出してきたな、と感心してしまうほど、
そういうモノが、もちろんそれだけの値札を下げてではあっても、現れてくる。

予算に制約がなければ、そういう美品をポンと買える。

予算に制約がある場合でも、そのアンプはかろうじて予算内に収まっていることだってある。
とはいえ、そのアンプの一般的な中古相場からすると、そうとうに高いわけだから、
いくら新品同様といえるコンディションであっても、それは法外な値段と感じることもある。

マランツのModel 7の、極上といえるコンディションのモノは、
聞いたところでは150万円以上するらしい。

いくらコンディションのいいモノが少なくなってきたとはいえ、
ここまで値がつり上がるのか、と私は驚く方である。

私は150万円以上するのは、高い、高すぎると思う感覚だ。
けれど、150万円という価格自体は、いまの高騰化しているオーディオ機器の中にあっては、
法外な価格とはいえないわけで、オーディオマニアならば、
コントロールアンプ一台の予算として、このくらいは考えている人は少なくないであろう。

予算に制約のある場合でも、それが予算内におさまっていたとしても、
150万円以上するModel 7は、選択肢となるだろうか。

なる人とならない人がいるわけで、
なる人にとっての「虚」と、ならない人にとっての「虚」とはどういうものだろうか。

Date: 7月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その3)

毎年暮の恒例となっている各オーディオ雑誌の賞。
賞は本来ならば、優れた人、モノ、作品に光を当て、特別に輝かせるためにあるはず。
そうであれば賞を与える側(選ぶ側)は、光を発していなければならない。

ところがいまはどうだろうか。
発した光で特別に輝かせている、とは到底思えない。

賞そのものを全面的には否定はしない。
本来のかたちである賞であることを期待しているだけである。

けれど、そのために必要な太陽となる存在が、いまはいない。
少なくとも私はそう見ている。

いまは、だからオーディオに関する賞は、賞として成立していない、といえる。
にも関わらず毎年、どのオーディオ雑誌も(ラジオ技術以外は)、賞をやる。

State of the ArtからComponents of the year、
さらにStereo Sound Grand Prixと賞の名称が変っていくごとに、
光を発していく力が失われていった。

月は太陽が発した光を反射することで、
太陽の光が直接当らないところ(モノ)へと光を届け、そこにあるモノをほのかに輝かせ、
その存在に気づかせる。
そういう役目があるから、月の存在を決して否定はしない。

けれどくり返していうが、太陽の光がなければ……、である。

Date: 7月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その2)

月と太陽の違いは、そのまま批評と評論の違いにあてはまる。

私が月と太陽の違いに思い至ったのは、
ある人の独り言に近い、ある発言を聞いたからだった。

その人はその人本人に、瀬川冬樹と同じくらいの才能があれば、
あのスピーカーの実力を、もっと広く知らしめることができたであろう……、
そんな趣旨のことを一度となく聞いたことがある。

その人の心情はわかったうえで、このことを書いている。
それは才能の違いなのだろうか。

才能の違いからきたのであれば、
オーディオ評論家としての才能について考えていかねばならないわけだが、
私には才能の違いではなく、資質の違いのように思えてきたのだった。

最初に聞いた時は、私も「才能の違い」だと思った。
けれど二三度聞いていくうちに、ほんとうにそうなのだろうか……、
他の要素があるような気がしてきたことが、月と太陽に思い至るきっかけのひとつになった。

そのオーディオ機器の実力を正しく評価するのが批評であるとすれば、
評論とは、そのオーディオ機器に光を当てて輝かせることにあるはずだ。
惚れ込んで、自分で買い込んでしまったオーディオ機器を、いかに輝かせることができるか、
輝かせることができなければ、それはオーディオ評論とはいえないレベルのものである。

太陽は光を発している。
その光で、対象となるオーディオ機器を輝かせる。

瀬川先生によるオーディオ評論が、まさにそうだった。
このことに気づいてほしい、と思う。

月は残念ながら光を自ら発することはできない。
太陽の光を反射させるだけなのだから、輝かせることができたとしても淡い輝きに留るし、
太陽の存在がなければ、その淡い輝きすらも望めない。

月としての才能が高ければ高いほど、光を発することができないジレンマに陥る。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その5)

その3)に書いているように、
マンガは二ページ、もしくは一ページ全体をまず見ることから、読むことは始まるといえる。

マンガの読み方に長けている人にとって、
本(紙だけでなく電子書籍も含めて)のサイズは大きい方が、
細部もはっきりと読めていいといえるが、
読み慣れていない人、不得手な人にとっては、
長けている人にとって適しているサイズは大きすぎるということになりかねない。

ひと目でパッと見渡せるサイズとして、もっと小さなサイズが適しているからだ。
これは電子書籍になり、そのためのハードウェアの種類があり、
サイズも複数用意されている時代だからこそ、
捉えようによってはマンガにとって、いい時代を迎えている、ともいえる。

まず全体を把握すること。
そのために自分に適したサイズを選び、慣れてくれば大きなサイズへと移行していく。
同時にコマ割りの把握、コマを追っていく順序、
絵とセリフ、それから効果音・擬音などの把握を徐々にこなせるようになっていくものだと思う。

一コマ目から凝視していくような読み方では、マンガは楽しめないのではないだろうか。

音の聴き方も、実はそうである。
そしてマンガの電子書籍のサイズにあたるものは、音の場合は何になるのか。
それを把握して、自分に適したサイズの「音」から始めていくのは、
音の聴き方を訓練していく上で重要なことだと思っている。

ただ凝視するような聴き方だけをしていては、
見えてこない(聴こえてこない)領域(世界)がある。

オーディオは比較することが多い。
そのため細部を凝視する聴き方を、人はまず身につけてしまうことが多い。
でも、そこから一旦離れた聴き方をしなければならない。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その4)

電車に乗っていると、スマートフォンでマンガを読んでいる人が増えていることに気づく。
20年くらい前だろうか、マンガが文庫本でけっこうなタイトル数が出ていた時期がある。

文庫本だから、本のサイズは、いわゆるマンガの単行本よりも小さくなる。
単行本は、そのマンガが最初に掲載された週刊誌、月刊誌よりも小さい。
スマートフォンは文庫本よりも、さらに小さいわけだから、
掲載誌のサイズからすれば、ずいぶんと小さくなったものだ、となる。

しかも紙の本は開いて読むから、見開き(二ページ)表示だが、
スマートフォンでは一ページ表示が基本となる(見開き表示も可能だが)。
そう考えれば、かなり小さい。

そういう環境で、自分の描いたマンガを読んでほしくないというマンガ家はいる。
わからないわけではないが、だからといって電子書籍化されたマンガを、
ここにあてはめてしまい、マンガは紙の本で、という意見はどうかと思う。

スマートフォンは確かに小さいがズームは可能だし、ズームして読むのは邪道ならば、
もっと大きなタブレットもあるし、パソコンの、もっとサイズの大きなディスプレイで読むことができ、
そうなれば電子書籍のマンガも見開き表示が基本となる。

こんなことを書いているのは、電子書籍化は、マンガのひとつの理想かもしれないからだ。
紙の本は、必ず湾曲している。
マンガが印刷されている紙がフラットであることはまずない。
手に取って読んでも、本の上に置いていても湾曲している。
文庫本も単行本も掲載誌も、である。

マンガ家が描いている紙はフラットである。
マンガが電子書籍になって、初めて読み手側もフラットで接することができるようになった。
このメリットは、マンガにとって大きいと思うし、
電子書籍化にあたって、小説とマンガとの違いにもなってくる。

そして電子書籍化されたことで、読み手側がサイズを選択できるようになった。
これまでは出版社側が提供するサイズしかなかったのが、
ハードウェアさえ揃えれば、自分に適したサイズを選択できる。

このことは、特にマンガの読み方に慣れていない人にとって大きなメリットのはずだ。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: 書く

毎日書くということ(ドキッとさせられたこと)

7月2日の川崎先生のブログには、ドキッとさせられた。
タイトルには、こうあった『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』。

ブログ本文を読み終えて真っ先にやったことは、
このブログ内の検索である。
「とは何か」で検索をした。

検索結果はすぐに表示されるけれど、
川崎先生のブログを読んでいるときから、どきどきしていた。
結果は、本文中では使っていたけれど、タイトルには使っていなかった。
とりあえずだけれど、ほっとした。

毎日ブログを書くということは、毎日タイトルをつけることである。
同じテーマで書いているものであれば、
同じタイトルで(その1)、(その2)……、とつけていけばいいが、
テーマを変えたりすれば、新たにタイトルをつけなければならない。
同じテーマであっても、多少脱線するときは括弧内を(その1)とかではなく、
何か考えることもある。

面倒に感じることがないわけではない。
ぴったりくるタイトルが考えつけばいいのだが、そうでないときもある。
安易につけようと思えば、そうできる。

ブログの日々のタイトルを気にしている人がどれだけいるのかははっきりしない。
書き手ほど読み手は気にしていないのかもしれない、と思う反面、
読み手の方がしっかりと読んでいるはず、とも思う。

気を抜くわけにはいかない。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: audio wednesday

第66回audio sharing例会のお知らせ(今年前半をふりかえって)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

日曜日の午後、ある方に電話した。
面識はなく、初めて話す人だった。
世代も違うけれど、気がついたら一時間以上話していた。

オーディオという共通の話題があればこそ、である。
オーディオの話(語り合うの)は、ほんとうにおもしろい。
オーディオ機器のことだけ話しても楽しいけれど、
オーディオの世界は多岐にわたっていて、広く深いものだから、
どこまでも話していける世界である。

それが趣味というものだろうが、
オーディオは他の趣味以上にそういう色が濃いともいえる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その12)

これまでにも何度となく聴感上のS/N比について書いてきた。
これからも何度となく書いていくと思う。
そのくらい聴感上のS/N比は重要なことである。

聴感上のS/N比というくらいだから、物理的なS/N比がある。
測定データとしてのS/N比である。

LNP2のインプットアンプのゲインはNFBによって切り替えられている。
ということはゲインを0dBにした状態で、NFB量は最大になる。
20dBと0dBとでは、NFB量は20dB違うわけだ。

NFBをかけることでS/N比も改善される。
ならばインプットアンプの物理的なS/N比は0dBが、もっとも良くなる、といえる。

さらにアンプ全体のS/N比はレベルダイアグラムも関係してくる。
インプットアンプのゲインを高くするということは、
このアンプの手前にあるポテンショメーター(INPUT LEVEL)を、その分絞ることになる。

つまりインプットアンプに入力される信号レベルは低くなり、その分S/N比的には不利になる。
ノイズ量が同じならば信号レベルが高い方がS/N比は高くなるのだから。

インプットアンプのゲインを0dBにしたほうが、物理的なS/N比に関しては有利である。
測定してみれば、違いは出てくるはずである。
頭でっかちな聴き手であれば、ゲイン0dBで使う方が、S/N比が高いからいいに決っている──、
となるのかもしれない。

LNPはLow Noise Pre-amplifierを意味しているのだから、
それをインプットアンプのゲインを高くして、ポテンショメーターでゲイン分だけ絞るような使い方は、
本来的な使い方ではない、という人がいるかもしれない。

けれどLow Noise Pre-amplifierだから、こういう使い方ができるともいえる。
つまり聴感上のS/N比をよくする使い方(ゲイン設定とレベル設定)ができる。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その4)

しなかった後悔は、あとひとつある。
瀬川先生のLNP2のシリアルナンバーを記憶しなかったことだ。

いまだったら即シリアルナンバーを憶えるのに、なぜかあのときはしなかった。
数ヵ月はステレオサウンドの倉庫にあったのだから、確認する機会はいつもあったのに。

もうあえない、と思っていたからなのだろうか。
よくわからないけれど、後悔している。
LNP2だけではない、スチューダーのA68のシリアルナンバーも憶えておくべきだった。

いまになってひどく後悔している。
シルバーパネルのLNP2の話を読んで、
もしかするともう一度あえるかもしれない──、そう思いはじめているからだ。

それともシリアルナンバーなど記憶していなくとも、
あのLNP2にであえれば、直感がささやいてくれるのを期待したい。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その3)

30年以上前のあの時、もし「欲しい」と意思表示していたとしても、
瀬川先生のLNP2を自分のモノとする可能性は、きわめてゼロに近かった。

ならば意思表示してもしなくても同じだ、とは考えていない。
意思表示をしなければ、当り前すぎる話だが、可能性はゼロのままだ。
まったくないわけだ。

けれど強く意思表示をすれば、ほんのわずかは変ってくる。
それでも遠いものは遠いことには変りはないけれども。

いまになっても、意思表示しておけば……、と後悔している。

三年近く前に「EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ)」を書いた。
衝動買いといえる買い方だった。
いまになって思うのは、
瀬川先生のLNP2に意思表示ができなかったことの後悔からだったのかもしれない、ということ。

若いときは、たいていはふところに余裕がない。
そんなときに、私にとってのLNP2にあたるモノと出合うかもしれない。

お金がないと、欲しい、ともいえない。
その気持はよくわかる。私がそうだったからだ。
意思表示したい気持さえ抑え込んでしまう。

でも、それだけは止した方がいい。
可能性はほとんど変らなくても、「欲しい」という意思表示だけはしたほうがいい。
たとえ笑われたとしてもだ。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス SL1200のこと)

6月24日にテクニクスのアナログプレーヤーSL1200GAEが発売になった。
全世界で1200台の限定生産の、
このアナログプレーヤーがすぐに予約完売になったことはニュースにもなったほど。

9月には通常版のSL1200Gが発売になる。
昨年、テクニクスがダイレクトドライブのアナログプレーヤーを開発中であり、
昨年の音展には、ターンテーブルが参考出品されていた。

私はひそかにSP10をこえるモデルの登場を期待していた。
けれど実際に製品化されたのは、SL1200の後継機だった。

オーディオの市場は、いまや大きくない。
そこで確実な売行きが見込めるモノとなると、
SL1200の後継機であることは理解できる。

でも、SL1200に思い入れのない私は、
SP10クラスのモノでないのであれば、SL01、SL10の後継機か、
まったくの新製品を期待したいところだった。

テクニクスのアナログプレーヤーは、以前からそうなのだが、
レコード盤をかけるとキカイとしての有機的な魅力が欠けている。
それがいいと感じる人もいるようだが、私はなんとそっけない、
もっといえばレコード盤をかける心情を無視したようなアピアランスをいいとは思っていない。

そんな私でもテクニクスのアナログプレーヤーには、関心できることが以前からあった。
奥行きをできるかぎり短くしている点である。

SL1200の最初のモデルの外形寸法はW45.3×H18×D36.6cmである。
当時のテクニクスのラインナップで、
比較的コンパクトなモデルであったSL01がW42.9×H9.9×D36.9cmだった。

意外にも、というか、SL1200が奥行きに関しては小さかった。
テクニクスのアナログプレーヤーは、他社製のアナログプレーヤーよりも奥行きが短い傾向がある。

アナログプレーヤーにはたいていダストカバーがつく。
ダストカバーを開いた状態だと、アナログプレーヤーの設置に必要な奥行きは、
約50cmと見ていた方がいい。

思っている以上に、奥行きを要求する。
だからアナログプレーヤーの奥行きは短い方がいい、といえる。

昔のHI-FI STEREO GUIDEを持っている人は、
アナログプレーヤーの奥行きを各社各製品ごとに比較してみてほしい。
奥行きのことを考慮しているメーカーとそうでないメーカーがあるのがわかる。

テクニクスは前者だった。
だからSL10という、ジャケットサイズのプレーヤーも開発したのだろう。

いまではテレビが液晶になり、ぐんと薄くなった。
そういう時代に奥行きに50cmほど必要とするアナログプレーヤーは、
買って設置してみたら、想像以上に大きかった……、という例はあるはずだ。

SL1200の新モデルは、その点はきちんと踏襲しているようだ。
だから高く評価している、のではなく、なぜここから先がないのかといいたくなる。

ダストカバーを開けてもカタログに記載されている奥行きの寸法以上は必要としない、
そういう構造になぜしなかったのかといいたくなる。

ダストカバーを開けても閉じていても、奥行きは変らないアナログプレーヤーは、
当時すでに存在していたからだ。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その2)

マークレビンソンのLNP2が製造中止になって、もう三十年以上が経つ。
今回のシルバーパネルのLNP2はRFエンタープライゼス扱いの時期のモノだから、
さらに前のモノということになる。

そういうアンプが、どこかからひょっこりと現れる。
それまで噂でしかなかったモノの所在がはっきりとなる。

時間とともに記憶は曖昧になるものだ。
けれど、こういうモノが突如として現れることで、鮮明なものに書き換えられていく。

LNP2にはいくつかの特別なLNP2がある。
シリアルナンバー1001のLNP2、シルバーパネルのLNP2の他に、
私には特別なLNP2が、もう一台ある。

瀬川先生が愛用されていたLNP2である。
私がステレオサウンドで働き始めたころ、
試聴室隣の倉庫の棚にLNP2があった。

ステレオサウンド試聴室でリファレンス機器として使っていたLNP2の他に、
もう一台、特別なLNP2があった。
瀬川先生の遺品のLNP2である。

しばらくそこにあった。
経済的余裕があれば、どうしても手に入れたかったLNP2である。
でも、当時まだ10代だった私には、どうやっても手が届かないモノであり、
欲しい、と意思表示すらできなかった。

あのときスチューダーのパワーアンプA68もあった。
KEFのLS5/1Aもあった。

所在がわかったのはLS5/1Aのみである。
LNP2とA68は、いまも音を鳴らし続けているのだろうか。