Archive for 6月, 2015

Date: 6月 7th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その1)

ダブルウーファーときいて、反応する人としない人とがいる。
前者がさしずめ肉食系オーディオマニアとでもいおうか、
後者はそうなると草食系オーディオマニア……。

あえて分けるとすると、こんなことを思いつく。

私にとってダブルウーファーのスピーカーシステムとして最初に強烈な印象を受けたのは、
やはりJBLの4350Aである。

ステレオサウンド 41号で見た4350Aが、
ダブルウーファーのスピーカーシステムは凄い、
こころときめかすものを感じていた。

つまり私にとっての「ダブルウーファー」とは、
15インチ口径のウーファーが二発ということでもある。

いつのころからか大口径ウーファーに対するアレルギーのようなものをもつ人が増えてきた。
少なくとも私はそう感じている。

15インチなどという大口径のウーファーを求めるのは、
知的とはいえない、野蛮な行為でもあるかのようにいう人が増えている。

小口径ウーファーのスピーカーを鳴らすことが、
知的な行為であるかといわんばかりの人が増えているような気がする。

低音を出すのに、大きさに走ってしまうのは、
あまり知的とは言い難いのかもしれない。
それもダブルにするとは、ますますもって知的とは言い難い。

大口径ウーファーを使うくらいならば、小口径ウーファーを複数使用したほうがいい──、
そんな風潮もいつのころからか強くなってきている。

大口径ウーファーを鳴らせば、
低音再生の問題は解決するほど単純で簡単なものではないことはわかっているし、
小口径ならではの良さがあり、大口径ゆえに発生しやすい悪さがあるのもわかったうえで、
それでもダブルウーファーは、オーディオのロマンの最もはっきりとあらわれたカタチといいたくなる。

Date: 6月 7th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(モディファイという行為・その2)

CDプレーヤーが登場して一年ほど経ったころだったろうか、
井上先生が試聴中にあることを指示された。
実際にやってみると、こんなことでこれだけ音が変化するのか、と驚くほどだった。

いまでは多くの人が「聴感上のS/N比」という。
けれど、この人はほんとうに聴感上のS/N比が良くなった音がわかっているのだろうか、
そう思ってしまうことがないわけではない。

聴感上のS/N比が良くなった具体的な音を知らないまま、
なんとなくの想像で「聴感上のS/N比が……」を使っているような気もする。

この時の井上先生の指示による音の変化は、
はっきりと聴感上のS/N比が良くなった例である。

何をやったかというと、CDプレーヤーの天板をとり、
フロントパネルにあるヘッドフォン端子へのケーブルを引き抜いただけである。

この頃の国産のCDプレーヤーの大半は、
ヘッドフォン端子への配線はどこも同じようなものだった。
アナログ出力回路からフロントパネルのヘッドフォン端子まで、
プリント基板の上をケーブルを這わせていた。

このケーブルの両端はコネクターになっているからハンダゴテを使わずに抜き差しできる。
このケーブルを抜いて、また天板を取り付けての試聴だった。
ヘッドフォン端子へのケーブルがあるかないか、
たったこれだけの違いなのに、出て来た音の変化は少なからぬものがあった。

プリント基板のパターンにヘッドフォン端子への配線が描かれているモデルでは、
同じことはできないけれど、当時の国産CDプレーヤーはけっこうそういうモノが多かった。

Date: 6月 7th, 2015
Cate: 冗長性

冗長と情調(その3)

EMTのカートリッジとエンパイアの4000D/III。
このふたつのカートリッジを所有していたら、
EMTのTSD15を鳴らすには、やはりEMTのプレーヤーシステムに装着した状態を絶対的基準とするわけで、
そうなると927Dst、さすがにここまでいくのは……、ということであれば930stということになる。

EMTのプレーヤーという、いわば特殊な例を除くと、
トーンアームはSMEの3012-Rにしたい。
3009-R、3010-Rもある。優秀なトーンアームだとわかっていても、
ここは心情的にもロングアームの3012-Rにしたい。

では4000D/IIIはどうかというと、3012-Rでもうまくは鳴ってくれるはずである。
私にとって3012-Rは、もっとも使い馴れたトーンアームであるから、
このトーンアームでうまいこと鳴ってくれないカートリッジは、
私にとって縁のないカートリッジになっていくのかもしれない。

4000D/IIIと3012-R。
なんとなくではあるが、視覚的印象としてアームが長すぎる感じがする。
オルトフォンSPU-Gと3012との組合せは、視覚的印象も合っている。
SPU-Gというカートリッジの視覚的ボリュウム感に対してロングアームのサイズが合う。

けれど4000D/IIIとなるとカートリッジの形状からしても、
標準型トーンアームの方がぴったりくる。
3009ということになる。
3009SII、3009SIII、3009-Rのどれかを選びたい。

ロングアームのSMEよりも標準型のSMEの方が、
私が感じている4000D/IIIの良さをよりキモチよく引き出してくれそうな気がする。

私の場合は、当り前すぎる結果に落ち着くわけだが、
人が違えばまた違う結果に落ち着くことだってある。

Date: 6月 6th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(モディファイという行為・その1)

オリジナルとは(続・独り言)」を二日前に書いた。
facebookに、40件以上のコメントがあった(私の分も含んでいる)。

こんなにコメントがつくとは思っていなかった。
コメントに返事をしながら、マーク・レヴィンソン以外の具体例も思い出していた。
そこで、既製品に手を加える行為について、改めて書いてみようと思い立った。

まずはっきりしたいのは、私は既製品に手を加えることがある。
以前書いたように、かなり徹底して手を加えたこともある。

スチューダーのCDプレーヤーA727を手を加えるときは、
47万円という価格もあって、下準備的なことをかなりやった。

A727と同じピックアップメカニズム、デジタルフィルター、D/Aコンバーターを使用している製品を用意した。
このCDプレーヤーで思いつくかぎり、手を加えてみた。
そこで得られたものをA727にフィードバックした。

ただしA727のモディファイには、いっさいハンダゴテは使っていない。

他にも手を加えたモノはいくつかある。
簡単な例ではトーレンスのアナログプレーヤー101 Limited。
このプレーヤーはEMTの930stのトーレンス版であることから、
つまりはコンシューマー用として使われることを前提に、
内蔵イコライザーアンプのインピーダンス整合のために、
出力端子の裏側に小さな抵抗が取り付けてある。

私の場合、受け側のアンプでインピーダンス整合をやるので、
この抵抗は取り外してしまった。

この抵抗はトーレンスによる930stのモディファイでもあり、
この抵抗を取り外した私の行為もモディファイである。
つまりモディファイをなくすためのモディファイともいえる。

私は既製品に手を加える。
だからといって、誰かにそのことをすすめることはしない。

Date: 6月 6th, 2015
Cate: 価値か意味か

価値か意味か(その1)

 とかく趣味の世界には、実際に使ったことがなくても、本やカタログなどを詳細に調べ、同好の士と夜を徹して語り明かし、ユーザー以上に製品のことを熟知しているという趣味人も多い。それはそれでよいのだろうが、オーディオ、カメラ、時計など、物を通じて楽しむ趣味の場合には、対象となる製品は基本的に人間が人間のために作った優れた工業製品であるべきだと考えるため、最初に巡り合った製品が、そのメーカーやブランドの価値を決定することになるようだ。
     *
井上先生がこう書かれたのは、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」、
ソニーについての文章においてである。

これはつくづくそう思う。
自分自身のことだけにとどまらす、
オーディオ好きの人と話していると、同世代であっても、
あるブランドに対する印象がずいぶん違うな、ということは、少なからず体験している。

それでもう少しつっこんで話していくと、最初に巡り合った製品が、
たとえ同じ世代であっても違っていた。

カメラや時計であれば、
そのブランドの製品はカメラや時計であるが、
オーディオメーカー(ブランド)の場合、
アナログプレーヤーであったり、プリメインアンプもしくはセパレートアンプ、
それにスピーカーシステム(スピーカーユニットの場合もある)、
テープデッキだってあるわけで、
そのジャンルのどの機種という違いがある。

私があるブランドと巡り合った最初の製品がプリメインアンプだとしても、
ある人はカセットデッキ、また別の人はスピーカーユニットだという場合もある。

こうなってくると、
「最初に巡り合った製品」が決定する
「そのメーカーやブランドの価値」は時に大きく違ってきても不思議ではない。

まして世代がずいぶん違う人だと、もっと大きく違ってくることもあるし、
偶然にも、世代の違いをこえて同じ製品が「最初に巡り合った製品」なこともある。

Date: 6月 5th, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その8)

私は(その4)で、
ゲイルのGT2101は大小の三角形から成り立っている、と書いた。

こう書いたのは、GT2101のカタチを想像しやすいようにであり、
ゲイルのGT2101のカタチは本来的には二重円(◎)である。

円の外周を三分割する。
それぞれの弧の向きを反転させる。
つまり内側にカーヴを描くように反転させれば、GT2101の三角形になる。

ターンテーブルプラッターが二重円の内側、
ベースが二重円の外側。
それぞれを三分割して、弧を反転させたカタチがGT2101である。

そこに黒い円盤がのり、回転する。
つまり二重円(◎)の内側の円が黒に反転するわけだ。

GT2101を最初見た時には、こんなことには気づかなかった。
いまごろ気づいた。

GT2101のデザイナーの意図がどうだったのかは知りようがないが、
私は、いまGT2101のカタチを、こう解釈している。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド(195号)

ステレオサウンド 195号の第一特集は、「オーディオ評論家の音~評論家による評論家宅訪問〜」、
小野寺弘滋、三浦孝仁、柳沢功力、和田博巳の四氏がそれぞれのリスニングルームを訪問するという企画。
本来は傅信幸氏も参加予定だったけれど体調不良のため四氏になったそうだ。

まだ読んでおらずパラッと見ただけなので内容についてはふれない。
ただ、うまい企画だな、と思った。
いい企画だな、ではなく、あくまでも、うまい企画だな、と思った。

今回は小野寺氏のところに柳沢氏が、柳沢氏のところに三浦氏が……、といった具合である。
ということは、この企画には次があるということでもある。
次回は小野寺氏のところに柳沢氏以外の人(三浦氏か和田氏)が、
柳沢氏のところに和田氏か小野寺氏が訪問する──。

今回の企画が好評であれば、ほぼ間違いなく次回も予定されているだろう。
おそらく一年後の199号の特集は、「オーディオ評論家の音~評論家による評論家宅訪問~」第二回か。
今回と同じ四人のままでも三回目(203号)まで同じ企画のままいける。

次回では傅氏も参加ということになれば、あと四回はできる。
ステレオサウンドは年四回。
12月発売の号はステレオサウンド・グランプリとベストバイで固定されている。
残り三冊の企画を考えればいい。

今回の特集がしばらく続くのであれば……、
そう考えて、うまい企画だな、と思った次第。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: 冗長性

冗長と情調(その2)

ロングアームに関することで思い出すのは、
瀬川先生が「続コンポーネントステレオのすすめ」で書かれていることだ。
     *
 それは、音の質感が、どちらかといえばカラッと乾いた感じで聴こえるか、それとも逆にどこかしっとりとしめり気を帯びたような印象で鳴ってくるか、という違いである。その違いはさらに、音の響きの違いにもなる。なった音消えてゆく余韻の響きが、どこまでも繊細にしっとりと美しく尾を引いて消えてゆく感じがヨーロッパのカートリッジなら、アメリカのそれは、むしろスパッと断ち切る印象になる。ヨーロッパの音にはえもいわれぬ艶があるが、そういう音は、たとえばカリフォルニア・サウンドを聴くには少し異質な感じを受ける。やはりそこは、アメリカのカートリッジの鳴り方が肌に合う。とうぜんその逆の言い方として、ヨーロッパの伝統的なクラシックの音楽には、やはりヨーロッパのカートリッジの鳴らす味わいが、本質的に合っているということができる。私がどちらかといえばヨーロッパのカートリッジを常用するのは、いろいろな音楽を気ままに聴きながらも、結局はクラシックに戻ってくるという個人的な嗜好の問題にゆきつくのだろう。そして、いわゆるカリフォルニア・サウンド、あるいはもっと広くアメリカの生んだ音楽自体に、クラシックほどのめり込まないせいだろう。
 現に私の友人でアメリカ系のポップ・ミュージックの大好きな男は、エラックもオルトフォンもEMTも大嫌いだ、という。あの湿った音、ことさらに響きをつけ加える感じが全くなじめない、という。低音のリズム楽器が、ストッと乾いて鳴らなくてはカートリッジじゃない、という。
 私もむろん、彼の言うことはとてもよくわかる。全くそのとおりで、そういう音楽を聴くときに、エンパイアの4000D/III LACやEDR・9、スタントンの881Sなどの鳴らすサウンド(そう、なぜかアメリカのカートリッジの鳴らす音には「サウンド」という言葉を使いたくなる)が、どうしても必要になる。
     *
エンパイアの4000D/IIIは、確かに瀬川先生が書かれている通りの音(サウンド)を聴かせてくれる。
湿り気がまったくなく、低音のリズム楽器が、ストッと乾いて鳴ってくれる。

クラシックを好んで聴く私には、
その乾いた音は一種の快感でもあったけれど、乾きすぎのような感じも受けていた。
4000D/IIIは、いま聴いてもいいカートリッジのような気もしている。
欲しい、と思ったこともある。

瀬川先生にとっても私にとっても、4000D/IIIはクラシックを主に聴くカートリッジでは決してない。
でも、クラシックを主に聴いているにも関わらず、4000D/IIIを常用していた人を知っている。
彼は瀬川先生、私がクラシックを聴くときに感じる、少し異質な感じを感じることはなかった、ということになる。
そのことをきいてみたこともある。
彼はまったく感じていなかったことを確認している。
おもしいろなぁ、と思ったことを憶えている。

この4000D/IIIを取り付けるとしたら、ロングアームは選ばない。
標準型のトーンアームを選ぶ。
それは針圧の重さということよりも、4000D/IIIの音の本質と関係してくることだ。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(「エマニエル夫人」を観て)

映画「エマニエル夫人」の日本公開は、1974年12月となっている。
私は小学六年生だった。

話題になっていた。
ポスターもよく目にしていた。

あの籐の椅子に坐っているシルヴィア・クリステルは、とにかく強烈だった。
観に行きたいと思っていたけれど、
当時は小学生がひとりで観に行けるわけはなかった。
親と一緒と、という映画でもない。

結局観ることはなかった。
東京に出て来てひとり暮らしを始めてもテレビを持っていないのだから、
ここでも観ることはなかった。

10年くらい前だったか、DVDになっているのをみかけた。
買おうとも思ったけど、買わなかった。

観る機会を逸したままになってしまうのかな、と思っていたら、
Huluで「エマニエル夫人」三部作が公開された。
意外な感じがした。

観て最初に感じたのは、主演のシルヴィア・クリステルが若い、ということ。
そして年齢設定も若い、ということだった。

小学六年生の私には、当時のポスターで見ていたシルヴィア・クリステルは、
とても大人のように思えた。

シルヴィア・クリステルは1952年生れだから、映画撮影時は21歳ということになる。
あのころの私には、もう少し大人の女性のように映っていた。

けれど映画の冒頭に登場するシルヴィア・クリステルは、むしろ少女の面影がある。
そんなふうに 感じたことに驚き、
それだけ私が齢を重ねてきたことを実感していた。それだけ老いたことを。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その呼称・その3)

いまオーディオ評論家と名乗っている人・そう呼ばれている人もまた、
オーディオ評論家とHi−Fi評論家がいる、と私は思っている。

ここでのHi−Fiの定義は、高城重躬氏をHi−Fiマニアと呼ぶのとは違ってくるけれども。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続・独り言)

既製品にわずかでも手を加えることに対して、
ひどく拒否反応を示す人、批判的な人がいる。

精魂込めてつくられたモノに手を加えてはならない。冒瀆行為だという人もいる。
そういう気持からなのだろうし、理解できないことではないけれど、
現実の製品のすべてが精魂込めてつくられているとは私には思えない。

ただそれでも、私がそう思えないだけで、
いや違う、これも精魂込めてつくられている、と受けとめている人がいるのはわかっている。

だから、そのことに対してとやかくいう気はない。
でも、そういう人たちは、マーク・レヴィンソンがやってきたことをどう受けとめているのだろうか。

マーク・レヴィンソンはマークレビンソンを離れてチェロを興した。
そこでレヴィンソンは、ARのLSTをベースとしたスピーカーシステムを発表した。
それからアポジーのD/Aコンバーターをベースとした製品も出した。

チェロを離れたあとは、レッドローズミュージックを興した。
ここでのアンプは、オーディオプリズムのアンプをベースにしたものである。

つまりレヴィンソンは既製品に手を加えて、それを商売としていた。
このことの是非について書きたいのではない。
これらの製品を、精魂込めて……、という人たちは、どう受けとめているのだろうか。
それを知りたい気持がある。

レヴィンソンの行為は冒瀆ではないのか。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その8)

コンデンサーは振動する部品である。
コンデンサー型スピーカーの原理からもわかるように、
コンデンサーの電極の振動を完全になくすことは無理なのではないだろうか。

そういう部品であるコンデンサーなのだから、同じ品種のコンデンサーであれば、
容量が違えば大きさが違ってくる。
容量が小さければサイズは小さくなるし、容量が大きくなれば直径が太くなり、長さも増す。

つまり電極のサイズが大きくなり、巻いてあるタイプでは巻数が違ってくる。
振動するものだから、電極のサイズと巻数の違いは、共振周波数の違い、モードの違いとなってくる。
そう考えるべきだろう。

小容量のコンデンサーと大容量のコンデンサーでは、機械的共振が違ってくる。
電気的特性の違いに、この機械的共振の違いが関係してくる。

それから電解コンデンサーは、けっこうフラックスを漏らしている。
1980年代にはいってからのパイオニアのオーディオ機器を内部をみると、
電解コンデンサーに銅箔テープを巻いてあった。

電解コンデンサーの周囲をぐるっと一周、
さらに電解コンデンサーの頭の平らなところには丸く切った銅箔テープが貼られていた。

これは自分のアンプやCDプレーヤーでも簡単に実験できることだし、
気にくわなければ銅箔テープを剥すだけで元通りになるのだから、いくつか試してみた。

音ははっきりと変化する。
どう変るのかは、簡単に試せることなので、興味のある方は自分の耳で確認してほしい。

ということはコンデンサーの容量とその使い方によって、
電気特性、機械的共振、フラックスの分布が、それぞれ変化しているわけだ。

だから小容量の点でンサーは応答速度が速い──、
というのは、五極管を三極管接続すれば電気特性が等しくなるから……、
というのと同じことである。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(マランツ Model 5)

マランツの真空管パワーアンプModel 5を手に入れた人がいる。
メンテナンスが必要らしい。

マランツの真空管パワーアンプはModel 2、Model 8(B)、Model 9がある。
これらの中でもっともメンテナンスが容易といえるのは、Model 5である。

まずモノーラル仕様ということがいい。
アンプの修理、メンテナンスの経験がない人に、いきなりステレオ仕様のモノはたいへんである。
なぜモノーラルはいいのか。

手本が常にあるからだ。
どちらか一台をまず修理・メンテナンスする。
つまりもう一台は手本として、そこに常にあることになる。
このメリットは、非常に大きい。

ならばModel 9、Model 2でもいいじゃない、と思われるかもしれないが、
Model 9は出力段がパラレルプッシュプルだし、
位相切替えの回路もある。
Model 2もModel 5にはない切替え機能のための配線、スイッチがある。

その点、Model 5はそういったものがない。
もっとも基本的な構成のアンプだけに、教材として適している。

マランツの真空管アンプに限ったことではない。
モノーラル仕様であれば、常に手本があるわけだから、あせらず慎重にやっていけばいい。
大事なのはハンダ付けの腕だ。

自分で直して使うということも、趣味といえよう。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: 冗長性

冗長と情調(その1)

トーンアームの実効長は、標準型で9インチ、ロングアームと呼ばれるモノは11ないし12インチ。
だからSMEのトーンアームの型番は標準型が3009、ロング型が3012となっている。

もともとロングアームは、16インチのレコード盤のためのモノである。
テープレコーダーの普及以前、録音放送用に16インチ盤が使われていた。
ずいぶん昔の話だ。
この16インチ盤をかけるには、9インチの実効長のトーンアームでは無理なのだから、
当然のこととして12インチの実効長のトーンアームが不可欠となる。

つまりロングアームは必要から生れてきたモノであり、
音質追求の結果生れてきたモノではない。

もちろんトラッキングエラーに関しては、実効長が長いほど減少していくのだから、
ロングアームにもメリットはある。

だがレコード盤は完全な平盤ではない。
反りや偏芯がまったくないわけではない。
そういうレコードの音溝を正しくトーレスするには、
トーンアームの感度は高くなければならない。

つまりはトーンアームの実効質量は軽い方が、この点では有利であり、
そうなるとロングアームよりも標準型のようが短い分優れていることになる。

ロングアームは、いわば無用の長物なのだろうか。
トラッキングエラー以外は標準型が優れているし、
トラッキングエラーの減少よりも、それ以外のデメリットの影響が大きい。
標準型トーンアームがいい、という人もいれば、私も含めてロングアームに音質的良さを認めている人もいる。

昔からいわれ続けている。
そしてロングアームを支持する・評価する人の多くは、MC型カートリッジ、
それも針圧が重めかやや重めのモノを愛用する人が多い。

オルトフォンのSPU、EMTのTSD(XSD)15といった、
2g以上の針圧を必要とするカートリッジで、しかもヨーロッパ製のカートリッジを愛用する人は、
ロングアームを認める傾向にある、といえる。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その7)

私は先生とつけて呼ぶ人、さん付けで呼ぶ人を分けているし、
その理由も書いた。

誰が誰を先生と呼ぼうが、さん付けであろうが、呼び捨てであっても、
そのことに干渉することはしない。
その人なりのきちんとした考えがあって、そうしているのであれば、他人が口出しすることではない。

私はこのブログで、何人かの方を先生と呼んでいるが、
だからといって、周りの人に、その人たちを私と同じように先生とつけて呼ぶようなことは求めてもいない。

それでも、先生、先生と、いまは呼びすぎているような気もする。
この人も先生なのか? と思う。
先生とつけていたほうが、呼ぶ側からすれば楽なのだろう。

この人は先生と呼んで、別の人はさん付けで呼ぶようにしたら、
ささいなトラブルを招きかねないのだから、
一様に先生と呼んでいれば波風も立たない(のだろう)。

けれど呼ばれる側はどう思っているのだろうか。
みんなまとめて先生なのか、と思ってたりしないのだろうか。

先生という言葉に、呼ぶ側の気持がこもっていないのだから、
新聞広告の活字の大きさが気になったり、
接待に使われた金額を確認したりするのかもしれない。

これらはさもしい行為ではある。
もちろんさもしいことをする側の人間の資質の問題ではあっても、
そんなことをさせてしまう状況をつくり出しているのは、呼ぶ側の人間の資質の問題である。

結局、ミソモクソモイッショにしているから、
呼ばれる側も、自分がミソと思われているのか、クソと思われているのか……、
オーディオ評論家と呼ばれている人たちを、
それぞれの立場と評価に対して過敏にさせてしまった面もあるような気がする。

とはいえ、オーディオ評論家で呼ばれているのではあれば、
そんなことよりもオーディオ評論家としての役目と役割をきっちりと考えて、
そのことに敏感で忠実であるべきなのだが……。