冗長と情調(その2)
ロングアームに関することで思い出すのは、
瀬川先生が「続コンポーネントステレオのすすめ」で書かれていることだ。
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それは、音の質感が、どちらかといえばカラッと乾いた感じで聴こえるか、それとも逆にどこかしっとりとしめり気を帯びたような印象で鳴ってくるか、という違いである。その違いはさらに、音の響きの違いにもなる。なった音消えてゆく余韻の響きが、どこまでも繊細にしっとりと美しく尾を引いて消えてゆく感じがヨーロッパのカートリッジなら、アメリカのそれは、むしろスパッと断ち切る印象になる。ヨーロッパの音にはえもいわれぬ艶があるが、そういう音は、たとえばカリフォルニア・サウンドを聴くには少し異質な感じを受ける。やはりそこは、アメリカのカートリッジの鳴り方が肌に合う。とうぜんその逆の言い方として、ヨーロッパの伝統的なクラシックの音楽には、やはりヨーロッパのカートリッジの鳴らす味わいが、本質的に合っているということができる。私がどちらかといえばヨーロッパのカートリッジを常用するのは、いろいろな音楽を気ままに聴きながらも、結局はクラシックに戻ってくるという個人的な嗜好の問題にゆきつくのだろう。そして、いわゆるカリフォルニア・サウンド、あるいはもっと広くアメリカの生んだ音楽自体に、クラシックほどのめり込まないせいだろう。
現に私の友人でアメリカ系のポップ・ミュージックの大好きな男は、エラックもオルトフォンもEMTも大嫌いだ、という。あの湿った音、ことさらに響きをつけ加える感じが全くなじめない、という。低音のリズム楽器が、ストッと乾いて鳴らなくてはカートリッジじゃない、という。
私もむろん、彼の言うことはとてもよくわかる。全くそのとおりで、そういう音楽を聴くときに、エンパイアの4000D/III LACやEDR・9、スタントンの881Sなどの鳴らすサウンド(そう、なぜかアメリカのカートリッジの鳴らす音には「サウンド」という言葉を使いたくなる)が、どうしても必要になる。
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エンパイアの4000D/IIIは、確かに瀬川先生が書かれている通りの音(サウンド)を聴かせてくれる。
湿り気がまったくなく、低音のリズム楽器が、ストッと乾いて鳴ってくれる。
クラシックを好んで聴く私には、
その乾いた音は一種の快感でもあったけれど、乾きすぎのような感じも受けていた。
4000D/IIIは、いま聴いてもいいカートリッジのような気もしている。
欲しい、と思ったこともある。
瀬川先生にとっても私にとっても、4000D/IIIはクラシックを主に聴くカートリッジでは決してない。
でも、クラシックを主に聴いているにも関わらず、4000D/IIIを常用していた人を知っている。
彼は瀬川先生、私がクラシックを聴くときに感じる、少し異質な感じを感じることはなかった、ということになる。
そのことをきいてみたこともある。
彼はまったく感じていなかったことを確認している。
おもしいろなぁ、と思ったことを憶えている。
この4000D/IIIを取り付けるとしたら、ロングアームは選ばない。
標準型のトーンアームを選ぶ。
それは針圧の重さということよりも、4000D/IIIの音の本質と関係してくることだ。