戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その2)
駅員と乗客の会話はもう少し続く。
そして、中ほどに、こう書かれてある。
*
目的地がわからない旅人──、そんな馬鹿なこと、ありうるはずがないと、思われがちだ。本当にそれは、馬鹿げたことか、ありえないことか。
*
乗客は旅人である。
どこかの駅から、どこかの駅に行こうとしている。
だが旅人は、どこに行きたいのか、自分でも掴めずにいる。
駅にいけば、それも旅に出ようとしているわけだから、
通勤のための最寄りの駅ではなく、もっと大きな駅であるはずだ。
大きな駅にはいくつもの汽車がいる。
乗客を待っている。
目的地が決っていなければ、どの汽車にのっていいのかすらわからない。
《旅は、なにものかに呼ばれて、はじめて可能だ。》
「風見鶏の示す道を」の中ほどに、こう書いてある。
目的地とは、なにものかに呼ばれているところでもあるのかもしれない。
なにものが呼ぶのか。
レコードである。
聴きたい音楽である。