Date: 12月 25th, 2014
Cate: 戻っていく感覚
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戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その2)

駅員と乗客の会話はもう少し続く。
そして、中ほどに、こう書かれてある。
     *
目的地がわからない旅人──、そんな馬鹿なこと、ありうるはずがないと、思われがちだ。本当にそれは、馬鹿げたことか、ありえないことか。
     *
乗客は旅人である。
どこかの駅から、どこかの駅に行こうとしている。
だが旅人は、どこに行きたいのか、自分でも掴めずにいる。

駅にいけば、それも旅に出ようとしているわけだから、
通勤のための最寄りの駅ではなく、もっと大きな駅であるはずだ。

大きな駅にはいくつもの汽車がいる。
乗客を待っている。
目的地が決っていなければ、どの汽車にのっていいのかすらわからない。

《旅は、なにものかに呼ばれて、はじめて可能だ。》

「風見鶏の示す道を」の中ほどに、こう書いてある。

目的地とは、なにものかに呼ばれているところでもあるのかもしれない。
なにものが呼ぶのか。

レコードである。
聴きたい音楽である。

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