Archive for 11月, 2013

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: 表現する

夜の質感(その6)

マーラーの人生には、闇が待ち構えていた。

こう書いた所で、本当なのかどうかなんて、いま生きている者は誰もほんとうのところはわからない。
ただ想像で書くだけだ。

闇が待ち構えていた、としても、
それはマーラーに限ったことではない、ともいえる。
人すべて、皆、闇が待ち構えている。
ただ闇が待ち構えている、その気配に気づくか気づかずに生きていけるのか、
そんな違いがあるだけなのかもしれない。

こうやって書き連ねたところでなにも本当のところがはっきりしてくるわけではない。
もうマーラーはこの世にいないのだから。

われわれはマーラーの残した曲を聴くだけである。
それも誰かが演奏したものを通して。

オーディオマニアは、さらに録音されたもの、
オーディオという、一種のからくりを通して聴いている。

古い録音のマーラーも、最新録音のマーラーも聴ける。
いくつものマーラーをそうやって聴いてきた。
聴いていないレコードも、まだ少なくない。

実演よりもレコードでのマーラーを聴くことが圧倒的に多かった。
そうやって聴いてきた。

そして、私はバーンスタインのマーラー全集をとる。
CBSに録音した旧録ではなく、ドイツ・グラモフォンでの新録をとるのは、
私にとって、マーラーの闇を感じられるのが、
濃密な闇が感じられるのがバーンスタインの新録だからである。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その19)

トランスそのものはバンドパスフィルターである。
低域も高域も適度なところから下もしくは上の帯域はなだらかにカットされる。

伊藤先生の300Bシングルのアンプに搭載されていたトランスは、後期のモノはパートリッジ製を、
BTS規格のケースにおさめたものだが、
それ以外はマリック製のトランス(日本製)だった。

マリックのトランスを設計しつくられていた松尾氏は、
トランスはフィルター理論によって設計されなければならない。
けれど日本のトランスの多くは、そうではない。
そう言われていた、ときいている。

松尾氏が亡くなられて、伊藤先生の300Bシングルはトランスが変ったのである。

トランスはフィルター理論で設計。
つまりはロスを少なくしていくとトランスの通過帯域は狭くなる。
帯域を広くしていくと、ロスは増えていく。

いわば山の形をしている、どの部分を使うかによって通過帯域が決ってくるし、
その山の中心周波数がどの値に設定されているかも重要である、と。

伝聞とはいえ、信用できる人からの話なので松尾氏の考えとはそう大きくは違っていないはずだ。

そして中心周波数は、いわゆる630Hzあたり。
20Hzと20kHzを掛け合わせた値、40万。その平方根の値を中心周波数としなければならない、ということだ。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その3)

トーキー用のスピーカーは、セリフの明瞭度が高い。
これが最大の特長だといわれ続けてきた。

映画ではさまざまな音が使われる。
音楽が鳴るシーンもあれば、音楽がまったく鳴らないシーンもある。
音楽が、映画の中の音の主役となることよりも、
ずっとずっとセリフが、映画の中の音の主役であることが多い。

セリフが明瞭に聞こえ、聞き取りやすくなければ映画のストーリーが観客に伝わらなくなることがある。

30年以上前、上京して映画館に行って感じていたことは、
意外にもセリフの明瞭度が悪いところがある、ということだった。

ずっとセリフだけははっきりときこえるものだと思っていたからでもあり、
田舎町の映画館よりも東京の映画館の方が設備も立派だし最新のものだから、という、
こちら側の思い込みもあった。

洋画だと字幕がある。だからあまり気づかなかった。
けれど邦画、それも古い作品を、
名画座ではなくロードショー館で観ていて、セリフがじつに聞き取りにくかったことにびっくりした。

邦画だから字幕はない。
だからセリフは耳だけが頼りなのに、
その耳にはいってくる情報の質がきわめて悪かった。

けれど、これは当然だったのかもしれない。
すでに時代はトーキーという言葉を使ってはいなかった。
トーキー用のスピーカーではなくなっていたのだろう。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その5)

ステレオサウンド別冊「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」で、
瀬川先生はマルチアンプシステムに向くか向かないの見極めるための四つの設問をされている。

 あなたは、音質のわずかな向上にも手間と費用を惜しまないタイプか……
 
 あなたは音を記憶できるか。音質の良否の判断に自信を持っているか。
 時間を置いて鳴った二つの音のちがいを、適確に区別できるか

 思いがけない小遣いが入った。
 あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、レコード店に入るか、それともオーディオ装置の改良にそれを使うか……

 あなたの中に神経質と楽天家が同居しているか。
 あるときは音のどんな細かな変化をも聴き分け調整する神経の細かさと冷静な判断力、
 またあるときは少しくらいの歪みなど気にしない大胆さと、
 そのままでも音楽に聴き惚れる熱っぽさが同居しているか

瀬川先生はそれぞれの設問について説明をされている。
そして最後にこう書かれている。
     *
 ずいぶん言いたい放題を書いているみたいだが、この項の半分は冗談、そしてあとの半分は、せめて自分でもそうなりたいというような願望をまじえての馬鹿話だから、あんまり本気で受けとって頂かない方がありがたい。が、ともかくマルチアンプを理想的に仕上げるためには、少なくともメカニズムまたは音だけへの興味一辺倒ではうまくいかないし、常にくよくよ思い悩むタイプの人でも困るし、音を聴き分ける前に理論や数値で先入観を与えて耳の純真な判断力を失ってしまう人もダメだ。いつでも、止まるところなしにどこかいじっていないと気の済まない人も困るし、めんどうくさいと動かずに聴く一方の人でもダメ……、という具合に、硬軟自在の使い分けのできる人であって、はじめてマルチアンプ/マルチスピーカーの自在な調整が可能になる。
     *
でも、これらの設問とそれについて書かれた文章は、
瀬川先生のマルチアンプシステムへの本音のような気もする。

「硬軟自在の使い分けのできる人」、
そうできるようになったときにマルチアンプシステムに手を出せばいい、
それでも遅くはない、と、
HIGH-TECNIC SERIES-1を読み、そう思ったものだ。

Date: 11月 22nd, 2013
Cate: 表現する

夜の質感(その5)

光は自分が何よりも速いと思っているが、それは違う。
光がどんなに速く進んでも、その向う先にはいつも暗闇がすでに到着して待ち構えているのだ。

テリー・プラチェットのことばだ。

マーラーの音楽には、このことを実感させるところがある。
闇が待ち構えている──、そんな感じを受けることがある。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12・余談)

この項の(その11)と(その12)を読まれた方の中には、?と思われた方もいることだろう。

(その11)には、ジョーダン・ワッツのA12をメインのJBLの次いでよく聴くスピーカーとして、
全帯域で鳴らされている。
(その12)では2kHz以上ではジョーダン・ワッツのModule Unitの音の荒さ、にぎやかさが気になる、とある。

マルチウェイのスコーカーとして鳴らされているときModule Unitの2kHz以上の音の荒さやにぎやかさは、
フルレンジで鳴らす時には気にならないのか、と。

フルレンジで鳴らす時には、2kHz以上の信号も入力され音となって出てくる。
けれどフルレンジで鳴らしていると、さほと気にならないものである。

むしろフルレンジユニットをスコーカーとして使うときに、
フルレンジで鳴らしているときにあまり気にならなかった、
そういうこと(音の粗さやにぎやかさ)が耳につくようになることがある。

Module Unitをスコーカーとして、トゥイーターとウーファーを足している場合、
クロスオーバー周波数をどう設定するかにもよるが、
Module Unitの音の粗さが気になってくる周波数あたり、
もしくはそれよりも上にクロスオーバー周波数を設定した場合、
トゥイーターのクロスオーバー周波数付近の音は無理をさせていなければピストニックモーション領域であり、
クォリティの高いトゥイーターであるならば、音の粗さが気になるということはない。

もちろんトゥイーターもどの程度まで高域が素直に延びているかで、
ある周波数以上では音の粗さがきになりはするだろうが、
少なくともカットオフ周波数を低く設定しすぎないかぎり、そういうことはない。
結局Module Unit(に限らないことだが)のピストニックモーション領域から離れている帯域が、
Module Unitのピストニックモーション領域と
トゥイーターのピストニックモーション領域にはさまれてしまっているから、目立ってしまう。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その14)

1960年代中ごろの瀬川先生のスピーカーの移り変りをみていくと、
グッドマンAXIOM 80からJBLへの移行といえる。

こまかいことをいえばジョーダン・ワッツが途中にはさまっているけれども、
これもAXIOM 80と共通するものを求めての選択であるから、
AXIOM 80からJBLへ、とみていい。

実際にそのことに「私のスピーカー遍歴」でも書かれている。
     *
 そしていま、JBL-375がわたくしの部屋で鳴りはじめて一と月半になる。AXIOM-80がすきだといったわたくしとJBLの結びつきを、不思議だという人がたくさんあった。かってわたくしの部屋で鳴っていたAXIOM-80の音を、そしていま鳴っている375の音を知らぬ人たちである。わたくしにとってこの両者はすこしも異質でなく、AXIOM-80やJ・ワッツの延長線上に、375はごく自然に置かれている。誇張とかどこか不足といったものはまるで無く、品の良い節度を保ちながら限り無い底力を秘めている。
     *
AXIOM 80からJBLへ──。
岩崎先生もまたAXIOM 80からJBLへ、の人である。

瀬川先生よりも10年ほど早く、JBLはD130、それも一本。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その13)

瀬川先生が期待されずに導入されたJBL・LE175DLHの音はどうだったのか。
     *
LE175DLHはホーン型のユニットである。ホーン型スピーカーというものはAXIOM−80以前のモノーラル時代にボール紙で自作した中音ホーン以後、ついぞわたくしの手許に居つづけたことがない。その先入観をLE175DLHは見事に打ち破ってしまった。そして米国系のスピーカーに抱いていた先入観をも。
     *
そしてLE175DLHが「これほどの音で鳴るのなら」と思われた瀬川先生は、
JBLの「最高のユニット375を、何が何でも聴きたい」と思い始められる。

このときのことは「私のスピーカー遍歴」よりも、
無線と実験の誠文堂新光社からでた「’67ステレオ・リスニング・テクニック」が詳しい。
1966年12月に出ている。
     *
 JBLのスピーカーについては、鋭いとか、パンチがきいたとか、鮮明とか、およそ柔らかさ繊細さとは縁の無いような形容詞が定評で、そのJBLの最大級のユニットを、6畳の和室に持ちこんだ例を他に知らないから、友人たちの意見を聞いたりもしてずいぶんためらったのだが、これより少し先に購入したLE175DLHの良さを信じて思い切って大枚を投じてみた。サンスイにオーダーしてからも暑いさ中を家に運んで鳴らすまでのいきさつはここではふれないが、ともかく小生にとって最大の買い物であり、失敗したら元も子もありはしない。音が出るまでの気持といったらなかった。
 荒い音になりはしないか、どぎつく、鋭い音だったらどうしようなどという心配も杞憂に過ぎて、豊麗で繊細で、しかも強靭な底力を感じさせて、音の形がえもいわれず見事である。弦がどうの声がどうのというような点はもはや全く問題でないが、一例をあげるなら、ピアノの激しい打鍵音でいくら音量を上げても、くっきりと何の雑音もともなわずに再現する。内外を通じて、いままでにこれほど満足したスピーカーは他に無い。……まあ惚れた人間のほうことだから話半分に聞いて頂きたいが、今日まで当家でお聴き頂いた友人知人諸氏がみな、JBLがこんなに柔らかで繊細に鳴るのをはじめて聴いたと、口を揃えて言われるところをみると、あながち小生のひとりよがりでもなさそうに思う。
 もっともこれは、ユニットのせいばかりでなく、537-500ホーンのよさでもあるらしい。特に、パンチングメタル15枚のエレメントからなる音響レンズの偉力は見事なもので、これまでは頭を少し動かしただけでも音の定位が変る点に悩んでいただけに、狭い部屋で指向特性を改善することがいかに重要かを思い知らされた。
     *
1966年夏、菅野先生よりも早く瀬川先生はJBL・375 + 537-500をリスニングルームに招き入れられている。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その4)

ステレオサウンド 47号、
58号の三年前に出た、この号には五味先生のオーディオ巡礼が再開されていた。

その冒頭に書かれている。
     *
 言う迄もなく、ダイレクト録音では、「戴冠式」のような場合、コーラスとオーケストラを別個に録音し、あとでミクシングするといった手はつかえない。それだけ、音響上のハーモニィにとどまらず、出演者一同の熱気といったものも、自ずと溶けこんだ音場空間がつくり出される。ボイデン氏の狙いもここにあるわけで、私が再生音で聴きたいと望むのも亦そういうハーモニィだった。どれほど細部は鮮明にきき分けられようと、マルチ・トラック録音には残響に人工性が感じられるし、音の位相(とりわけ倍音)が不自然だ。不自然な倍音からハーモニィの美が生まれるとは私にはおもえない。4ウェイスピーカーや、マルチ・アンプシステムを頑に却け2ウェイ・スピーカーに私の固執する理由も、申すならボイデン氏のマルチ・トラック毛嫌いと心情は似ていようか。もちろん、最新録音盤には4ウェイやマルチ・アンプ方式が、よりすぐれた再生音を聴かせることはわかりきっている。だがその場合にも、こんどは音像の定位が2ウェイほどハッキリしないという憾みを生じる。高・中・低域の分離がよくてトーン・クォリティもすぐれているのだが、例えばオペラを鳴らした場合、ステージの臨場感が2ウェイ大型エンクロージァで聴くほど、あざやかに浮きあがってこない。家庭でレコードを鑑賞する利点の最たるものは、寝ころがってバイロイト祝祭劇場やミラノ・スカラ座の棧敷に臨んだ心地を味わえる、という点にあるというのが私の持論だから、ぼう漠とした空間から正体のない(つまり舞台に立った歌手の実在感のない)美声が単に聴こえる装置など少しもいいとは思わないし、ステージ——その広がりの感じられぬ声や楽器の響きは、いかに音質的にすぐれていようと電気が作り出した化け物だと頑に私は思いこんでいる人間である。これは私の聴き方だから、他人さまに自説を強いる気は毛頭ないが、マルチ・アンプ・システムをたとえば他家で聴かせてもらって、実際にいいと思ったためしは一度もないのだから、まあ当分は自分流な鳴らせ方で満足するほかはあるまいと思っている。
     *
もっともこのオーディオ巡礼では、奈良の南口氏を訪問されている。
このときの南口氏のスピーカーはタンノイのオートグラフ、それにJBLの4350である。

4350はバイアンプ駆動が前提のスピーカーシステム。
しかも4ウェイの大型システムで、ダブルウーファー仕様ということもあり、ユニットの数は五つ。
五味先生にとって、4350は、まさしく「頑に却け」るスピーカーということになる。

南口氏の音がどうであったのかは、くわしくは「オーディオ巡礼」を読んでもらうしかないのだが、
最終的にどうだったのか。
     *
信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
     *
マルチアンプシステムの可能性の凄さ、とその大変な難しさを、
この五味先生の文章から感じとっていた。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その3)

HIGH-TECHNIC SERIES-1「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」から四年後、
ステレオサウンド 58号が出た。
新製品の紹介ページに、瀬川先生による4345が出ている。

そこにはこうある。
     *
 ひととおりの試聴ののち、次にバイアンプ・ドライヴにトライしてみた。ステイシス2を低域用、ML2L×2を中域以上。また、低域用としてML3Lにも代えてみた。エレクトロニック・クロスオーヴァーは、JBLの♯5234(♯4345用のカードを組み込んだもの)が用意された。ちなみに、昨年のサンプルでは、低音用と中〜高音用とのクロスオーヴァー周波数は、LCで320Hz、バイアンプときは275Hz/18dBoctとなっていたが、今回はそれが290Hzに変更されている。ただし、これはまあ誤差の範囲みたいなもので、一般のエレクトロニック・クロスオーヴァーを流用する際には、300Hz/18dBoctで全く差し支えないと思う。そこで、念のため、マーク・レヴィンソンのLNC2L(300Hz)と、シンメトリーのACS1も併せて用意した。
 必ずしも十分の時間があったとはいえないが、それにしても、今回の試聴の時間内では、バイアンプ・ドライヴで内蔵ネットワーク以上音質に調整することが、残念ながらできなかった。第一に、ネットワークのレベルコントロールの最適ポジションを探すのが、とても難しい。その理由は、第一に、最近の内蔵LCネットワークは、レベルセッティングを、1dB以内の精度で合わせ込んであるのだから、一般のエレクトロニック・クロスオーヴァーに組み込まれたレベルコントロールでは、なかなかその精度まで追い込みにくいこと。また第二に、JBLのLCネットワークの設計技術は、L150あたりを境に、格段に向上したと思われ、システム全体として総合的な特性のコントロール、ことに位相特性の補整技術の見事さは、こんにちの世界のスピーカー設計の水準の中でもきめて高いレヴェルにあるといえ、おそらくその技術が♯4345にも活用されているはずで、ここまでよくコントロールされているLCネットワークに対して、バイアンプでその性能を越えるには、もっと高度の調整が必要になるのではないかと考えられる。
 ともかくバイアンプによる試聴では、かえって、音像が大きくなりがちで、低音がかぶった感じになりやすく、LCのほうが音がすっきりして、永く聴き込みたくさせる。
 ほんとうに良いスピーカー、あるいは十分に調整を追い込んだバイアンプでの状態での音質は、決して、大柄な迫力をひけらかすのでなく、むしろ、ひっそりと静けさを感じさせながら、その中に、たしかな手ごたえで豊かな音が息づいている、といった感じになるもで、今回の短時間の試聴の枠の中では、本来のLCネットワークのままの状態のほうが、はるかにそうした感じが得られやすかった。
     *
私は、この瀬川先生の文章を読んだ時、
まだマルチアンプシステムの音をきちんと聴いたことはなかった。
オーディオ店で店頭で4350が鳴っているのは聴いたことはあっても、
それは決していい状態でなっているとはいえず、マルチアンプの可能性を感じとることはまったくできなかった。

とにかく「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」でも、
マルチアンプシステムの可能性は大きいけれど、
「相当にクレイジイな」マニアのためのものと書かれているし、
4345の試聴記でも、優れたLCネットワークをもつスピーカーシステムの場合、
そうたやすくバイアンプ(マルチアンプ)にしたからといって、トータルの音がよくなるとはいえない、
そのことがはっきりと伝わってくる。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12)

ジョーダン・ワッツのA12を中域用として、
マルチウェイの実験をいろいろくり返されていた瀬川先生は、
A12(つまりModule Unit)に2kHz以上を受け持たせると
「音の荒さやにぎやかさなどの弱点が目立ってくる」ことに気づかれ、
1kHzあたりから上を受け持つことのできるスピーカーユニットの必要性を感じられていた。

スピーカーユニットの型式はとわずに、
「一切の偏見と先入観を捨てて」指向特性の優れたものということで、
アルテックのドライバー802Dと811Bホーンの組合せ、
ボザークのB200YA(コーン型トゥイーター8本によるアレイ)、
JBLのLE175DLHを候補として、
とにかく六畳という狭い空間でのステレオ再生には、
スピーカーの指向特性がいかに重要であるかを痛感されていた瀬川先生は、
LE175DLHの音響レンズに興味を持ち購入された。

けれど「私のスピーカー遍歴」には書かれている。
     *
LE175DLHていどなら、わたくしにもどうやら手の届くところにある。しかし不遜にも、175を入手し音を出すまでは殆んどそれに期待していなかった。
     *
つまり音を聴かずにLE175DLHを買われたことがわかる。
それもあまり期待されていなかったことも、わかる。
そして、LE175DLHが瀬川先生にとって、最初のJBLとなる。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その11)

ジョーダン・ワッツのA12は、同社の4インチ・フルレンジユニットModule Unitを、
薄型のバスレフ型エンクロージュアにおさめたモノ。

瀬川先生はA12の前に、MINI12を購入されている。
MINI12の音が予想以上に良かったので、A12を購入されたわけである。

ではなぜ、ジョーダン・ワッツのスピーカーを選ばれたのか、というと、
その理由は「私のスピーカー遍歴」の中にある。
     *
 約九ヶ月前、それまで住み馴れたもとの家からいまの家に引越して、それを機会に、しばらく空白状態だった音出しをやり直そうと考えた。そのころAXIOM-80は間に合わせの小さな安もののエンクロージュアに収まっていて、およそかってのAXIOM-80の片鱗も無かったが、あきらめきれずにそれを中音用として、これも間に合わせに安もののウーファーとトゥイーターを加えて、マルチアンプで、それでも以前の部屋ではどうやら我慢のできる音になっていたが、今度の家ではまるで音にならない。AXIOM-80を鳴らすことは、それで当分あきらめることにしジョーダン・ワッツに目をつけた。
     *
AXIOM80が中域用としてうまく鳴っていればジョーダン・ワッツを導入されることはなかった、と思う。
ジョーダン・ワッツは、ブランド名が示すように、E.J.ジョーダンがグッドマンを放れて興した会社である。

E.J.ジョーダンはAXIOM80、MAXIMの設計者として当時は知られていた。
つまり瀬川先生はAXIOM80と共通する音の良さを求めての選択だった、といえよう。
「私のスピーカー遍歴」には、こうも書かれている。
     *
これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM-80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。
     *
JBLの3ウェイを構築された後も、A12のことは、
「メインとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカー」と書かれている。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その2)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES-1「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」で、
瀬川先生はあえて次のようなことを書かれている。
     *
 ただお断りしておくが、何が何でもマルチアンプ化することをわたくしはおすすめしない。少なくとも、ふつうのLCネットワークによるシステムに音質の上ではっきりした不満または限界を感じるほどの高度な要求をするマニア、そして、後述のようなたいへんな手間とそのための時間や費用を惜しまないようなマニア、そしてまた、長期的な見通しに立って自分の再生装置の周到なグレイドアップの計画を立てているようなマニア……そう、この「マニア」ということばにあらわされるような、相当にクレイジイな、そしてそのことに喜びを感じる救いようのない、しかし幸せなマニアたちにしか、わたくしはこのシステムをおすすめしたくない。むしろこの小稿で、わたくしはアジテイターを務めるでなく、マルチアンプ化に水をさし、ブレーキをかける役割を引きうけたいとさえ、思っているほどだ。
     *
「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」は文字通りマルチアンプシステムを推奨する本であるにもかかわらず、
瀬川先生は、書かれたわけである。
引用した瀬川先生の文章は、「バイアンプシステムの流れをたどってみると……」の章の締くくりである。

マルチアンプシステムはオーディオマニアのための手段である。
それも「相当にクレイジイな」マニアのためのもので本来あったにも関わらず、
日本のオーディオブームは、マルチアンプシステムまでも流行のひとつにしてしまっている。

私はこの時期のオーディオを体験しているわけではないから、
また瀬川先生の文章を引用しておく。
     *
 ところがこの時期になると、日本のオーディオメーカーが、過当競争のあまり、小型のブックシェルフスピーカーにマルチアンプ化用の端子を出すのはまだよいとしても当時の三点セパレートステレオ、こんにちでいえばシスコンのように一般家庭用の再生機までを、競ってマルチアンプ化するという気違いじみた方向に走りはじめる。そういう過熱状態が異常であることは目にみえていて、まもなく4チャンネルステレオの登場とともに望ましくないマルチブームは終りを告げた。前述したようにこの時期には、日本以外の国では、マルチアンプシステムは(時流に流されないごく一部の愛好家を除いては)殆ど話題にされていなかった。騒いだのは日本のマーケットだけだった。
     *
「望ましくないマルチブーム」が1970年ごろの日本のオーディオマーケットにはあった。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その8)

真空管アンプの場合、それもパワーアンプの場合、
どういう真空管が何本使われているのか、トランスの数などから、おおよその回路は想像がつく。

まずモノーラルなのかステレオなのか、
出力管は一本なのか二本なのか、それとももっと多いのか。
電圧増幅管にはどの真空管が何本使われているか。

こういったことから、よほど変った独創的な回路やトランジスターとのハイブリッドでもないかぎり、
回路の推測が大きく外れることはあまりない。

そうなると真空管、トランスのレイアウトから、アンプ内部の配線はこんなふうになっているのではないか、
という想像ができる。

この想像が当ることもあればそうでないこともある。
プリント基板を使ったモノだと想像は外れる。
フックアップワイアーを使ったモノだと、うまく当るものもあればそうでないアンプもある。

この想像も、私の場合はあくまでも伊藤アンプがベースになっている。
だが人にはそれぞれ流儀のようなものがあり、
真空管アンプに関してもそうであり、フックアップワイアーによる配線であっても、
伊藤先生の配線の仕方とは異る流儀があって、
その流儀によってつくられているアンプだと想像が大きく外れてしまうのではなく、
そういう流儀の違いはあっても、アンプ配線の基本となるものがしっかりしているのであれば、
ディテールの違いはいくつもあったとしても、大きく外れはしない。

大きく外れてしまうのは、配線のベースとなる基本が異るアンプであり、
そういう異る基本をもつ人ということになる。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その10)

ステレオサウンド創刊号に載っている瀬川先生の「私のスピーカー遍歴」。
この記事の扉には、自作の3ウェイシステムの前方の床に、いくつものスピーカーユニットを並べて、
その中央に瀬川先生が写っている写真が使われている。

自作のスピーカーシステムは、市販品のエンクロージュアを一日がかりで補強し、吸音材を増したものに、
パイオニアの15インチ口径のPW38Aをおさめられている。

「私のスピーカー遍歴」では、
「400c/sまで持たせるもはや中音域の鈍重さがいら立たしく、一日も早く、同じJBLのLE15Aを試みたい」
と書かれている。

このエンクロージュアの上には、JBLの375にハチの巣(537-500)を組み合わせたスコーカー、
トゥイーターの075とネットワークN7000が載っている。
これが3ウェイシステムの概要となるわけだが、
375のとなりには、ジョーダン・ワッツのA12が置かれている。

このA12のことは「私のスピーカー遍歴」でも触れられている。
     *
ジョーダン・ワッツに目をつけた。
 はじめに購入したのは旧型のそれもユニットだけ。手近なバッフルや間に合わせの箱では期待した音がどうしても得られない。そこでエンクロージュア入りの〝MINI12〟買ってみて驚いた。ユニットだけからは想像もできなかった見事な音で、小型の箱だが壁にぴったり後をつけて置くと低音も思ったよりよく出てくる。ユニットも新型のMKIIになっていて、外観・仕上げも美しくなり、音質も改善されていた。これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。しばらくのあいだはA12とMINI12をパラレルで中音に使い、低音と高音に別のスピーカーを加えて使った。
 現在はA12を単独に、本来の全音域用として鳴らしているが、独特の味が捨て難く、メインスピーカーとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカーである。
     *
ジョーダン・ワッツのA12は、QUADの管球式の22 + IIで鳴らされていた。