Archive for 9月, 2013

Date: 9月 22nd, 2013
Cate: トランス

トランスからみるオーディオ(その15)

1981年春に、ラジオ技術社(現・アイエー出版)から、池田圭氏の「盤塵集」が一冊の本として出た。
ラジオ技術は、毎号とまではいかなかったけれど、無線と実験とともに、そのころはよく購読していた。
だから池田圭氏の連載も読んでいたから、「盤塵集」が出た時には、すぐに購入した。

「盤塵集」の項目は次の通り。
 第一部 NFBへの告別
 第二部 昔の吹込みと今の録音
 第三部 振動子とダンパー
 第四部 バフル今昔
 第五部 低域再生への道

それぞれの項目がさらに細かくわかれて書かれている。
第一部のNFBへの告別の中に、「L、C、Rの話」がある。

ここの書き出しを引用しておく。
     *
このところ、アンプの方ではCR結合回路の全盛時代である。結合トランスとかリアクター・チョークなどは、振り返っても見られなくなった。けれども、測定上のしけウは数特性とかひずみ率の問題よりも音の味を大切にする者にとっては、Lの魅力は絶大である。
     *
私は「盤塵集」を、自分のシステムにトランスを挿入した体験をする前に読んでいる。
「盤塵集」の前にカートリッジは、
MM型(エラックのSTS455E)からMC型(オルトフォンのMC20MKII)へとしていたものの、
昇圧手段はサンスイのAU-D907 Limited内蔵のヘッドアンプだった。
昇圧トランスも試してみたかったけれど、高校生にはそこまでは無理だった。

それが良かったのか悪かったのはなんともいえないけれど、
トランスに対して、ある種アレルギー的な拒否反応を示すことは、私にはまったくない。

中途半端なトランスでMC20MKIIを鳴らして、
その結果(音)にがっかりした後に「盤塵集」を読んでいたら、
トランスに対して、いまとは違う見方をしていた可能性だってあっただろう。

Date: 9月 21st, 2013
Cate: トランス

トランスからみるオーディオ(その14)

良質のオーディオ用トランスをつくれる職人は減っていくばかりで増えていくことは望めない。

いまや電源においてもスイッチング方式が幅を利かせているから、
電源部からも大型の電源トランスはいずれ消え去ってしまう方向にあるのかもしれない。

十数年後か何十年後には、トランスは信号用、電源用含めて前時代の遺物扱いとなるのだろうか。

いまでも電源トランスはしかたないとしても、信号用トランスは不要であり、
必要性をまったく感じないどころか、音を悪くするだけの代物でしかない、という人がいる。

トランスを、どこでもいい、信号系のどこかにいれれば、音は鈍(なま)る。
そんな音は聴きたくないから、トランスなんてものは信号系から完全に取り除くのがいい……、
そういう人を知っている。

そういう人の言い分も、まったくわからないわけでもない。
たしかにトランスの使い方がまずいと、そんな音になる。
それに良質のオーディオ用トランスも、そんなには多くはない。

良質でないトランスを、まずい使い方をすれば、「トランスなんて要らない」といいたくなるのもわかる。
そこでトランスに見切りをつけてしまうのも、ひとつの行き方ではある。

けれど、トランスは昔からオーディオには使われてきている。
再生系だけでなく録音系にも、むしろ以前は録音の現場においてこそトランスは使われる箇所が多かった。
そういう時代に録音されたものを、「トランスなんて要らない」と切り捨ててしまった人は、
どういう評価を下しているのだろうか。

鈍った音の録音だ、とでもいうのだろうか。

Date: 9月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その8)

たとえばパイオニアのアナログプレーヤー、P3と同じExclusiveのパワーアンプ、M4。
このA級動作のパワーアンプにウッドケースは、なくてはならないものだと思っている。

ウッドケースがあるからこそ、Exclusive M4だと認識しているし、
Exclusive M4の、決してドライになることが、どんな些細な音に関してもない、
ややウェットながらもやさしい表情の音には、ウッドケースはよく似合うからだ。

Exclusive M4の音に通じる音を特徴とするアンプが、ラックスの管球式のプリメインアンプSQ38FD/IIだ。
このプリメインアンプもウッドケース込みのデザインとして、広く認識されている。

SQ38FD/IIはLX38へとモデルチェンジした際にウッドケースを脱ぎさった。
フロントパネルのデザインには変更はなかった。
ウッドケースがあるかないかが、外観上の、SQ38FD/IIとLX38の違いだった。

LX38は、SQ38シリーズほどの人気はなかったようだ。
その理由が、ウッドケースがついてこなかった、ことらしい。

私などは、LX38になりウッドケースがなくなったことで、
それまでの時として分厚いコートのようにも感じられることのあったウッドケースがなくなり、
すっきりとして、そのことが新鮮な印象へとつながっていくように感じた者もいれば、
ウッドケースがなくなったことを寂しく感じ、
ウッドケースのないSQ38はSQ38ではない、というおもいになったのかもしれない。

そのへんのことはラックスも判っていたからこそ、
SQ38FD/IIIではなく、LX38と型番も変更したのだろう。

Date: 9月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その7)

以前はスピーカーのエンクロージュアといえば、木が使われることがほとんどだった。
ごく一部のモデルではコンクリートが使われたりもしていたが、それは、以前では特殊なケースであり、
あくまでもスピーカー・エンクロージュアといえば木の時代が長く続いていた。

いまも主流は木といえるのだが、木以外の素材のエンクロージュアも物珍しいだけの存在ではなくなっている。
それでも木は、オーディオ機器にとって重要な素材といえる。

木はスピーカーだけに使われてきたわけではない。
アンプでもチューナーでも、アナログプレーヤーにおいても、木はつかわれることが多い。
アナログプレーヤーではキャビネットに、ときにはトーンアームにも使われた例がある。

アンプ、チューナーといった電子機器にも木は使われている。
サイドパネルに木を採用したモノ、
ウッドケースに入れて使うのを前提としたモノがある。
フロントパネルの一部に木を採用した例、ツマミに採用した例もある。

たとえばマランツのコントロールアンプ、Model 7はたいていウッドケースに収められていることが多い。
マークレビンソンのLNP2、JC2、ML6、ML7などもウッドケースに収められていることが多い。

JC2は使っていたことがあるけれど、ウッドケースを欲しいとは思わなかった。
マランツのModel 7を欲しい、と思ったことはあるけれど、ウッドケースは無しでもかまわない。

私は、あまりウッドケースがそれほど好きにはなれないところがあるようだ。

とはいえ、ウッドケース、ウッドのサイドパネルが嫌い、というわけではない。

Date: 9月 21st, 2013
Cate: 「オーディオ」考

十分だ、ということはあり得るのか(その2)

クラシックにおいて、この「十分だ」が使われる例として、
以前よく見かけたのには、次のようなものがあった。

マーラーの交響曲を聴くのにも十分だ、というものだった。

この表現が意味するのは、クラシックの交響曲といっても、
モーツァルトの交響曲とマーラーの交響曲とでは、同じには語りにくいところがある。
編成にしてもそうである。

モーツァルトの交響曲とベートーヴェンの交響曲にも、そういうところがある。
そのベートーヴェンの交響曲とマーラーの交響曲とでも、同じには語れないところがある。

モーツァルト、ベートーヴェンよりもマーラーは後の時代を生きた。
そのこととマーラーの交響曲が、ベートーヴェンの交響曲と違うことと無関係ではない。

そしてレコードの時代になってからでも、
マーラーの録音が積極的に行われるようになったのは、
モーツァルトやベートーヴェンよりも後の時代になってからである。

モノーラルの時代にもマーラーの交響曲の録音はあった。
けれどモーツァルトやベートーヴェンの交響曲が録音されるのとくらべると、ずっと少なかった。

マーラーの交響曲が積極的に録音されるようになり、
同時にマーラーのレコード(録音)の聴き手が増えてきて、積極的に聴かれるようになるのは、
ステレオ時代を迎え、さらに録音・再生、
その両方で、いわゆる音の分解能(解像力)があるレベルに達してから、といえる。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: audio wednesday

第33回audio sharing例会のお知らせ

10月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その6)

パイオニアのアナログプレーヤー、Exclusive P3のダストカバーは、
強化ガラスとウッドのサイドパネルを組み合わせた、取り外して持ってみると、
かなりの重量があることがわかる。

Exclusiveシリーズのチューナー、F3のウッドケースは、
普及型のチューナー本体とほぼ同価格ということが、発売当時語られていた。
おそらくExclusive P3のダストカバーも、
普及型のアナログプレーヤーと同じくらいのコストがかかっていることだろう。

それにこれだけの重量を支えるヒンジも、おそらく独自に開発したものではないだろうか。
パイオニアはExclusiveシリーズのパワーアンプのためのメーターも、
満足できるモノがなかったため、自分たちで開発している。
そういうメーカーの、そういうシリーズなのだから、ヒンジを開発していても不思議ではない。

これだけの物量(時間を含めて)をダストカバーに投入しているのは、ハウリングマージンを稼ぐためである。
つまりExclusive P3はダストカバーを閉じた状態でのレコード演奏が、
メーカーが想定したExclusive P3の音ということになる。

私がステレオサウンドで働くようになったばかりのとき、
試聴室に常備してあったのは、Exclusive P3だった。

もうすでにダストカバーは取り外してあったように記憶している。
付いていたとしても、すぐに取り外されたはずである。

記憶の中に、ダストカバーを閉じた状態での音の記憶がないし、
取り外して補完して会ったP3のダストカバーを手にとり、その重さを実感した記憶はある。

試聴室でのレコードのかけ方は、
オーディオマニアがリスニングルームでレコードをかけるのとは、少し違う面がある。

試聴室は、いわゆる試聴を行う場所であり、
そこでのレコードのかけ方は、一面をすべてかけるということは、まずない。
どこか聴きどころを数分かけるだけで、次の試聴レコードにかけ替える
その度に、P3の重たいダストカバーをいちいち開けたり閉じたりしていては、
余分な時間が蓄積されることになる。
だからダストカバーは、取り外されることになる。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: Jazz Spirit, 岩崎千明

Jazz Spirit Audio(その1)

ジャズ・オーディオということばがある。
いつごろから誰が使いはじめられたのかは定かではない。

自然発生的に生れてきたのかもしれない。
それでも、私の中では、ジャズ・オーディオ(Jazz Audio)は、岩崎千明の代名詞でもあった。

中野駅の北口から数分のところにある雑居ビルの地下で「ジャズ・オーディオ」という店をやられていた。
それもあって、岩崎千明=ジャズ・オーディオとなっていくわけだが、
ジャズ・オーディオとしてしまうことで、このことばのもつ範囲に、
岩崎千明という人間をあてはめようとする危険性がないわけでもない。

ジャズ・オーディオといってしまえば、楽である。便利である。
でも、決してジャズ・オーディオだけではない、というおもいがずっとあった。

岩崎先生がやられてきたオーディオを、ジャズ・オーディオといってしまうことは、間違いとはいえない。
でももっときちんと表現しようとすれば、
それはジャズ・オーディオではなく、ジャズ・スピリット・オーディオ(Jazz Spirit Audio)だったはずだ。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: 録音

PCM-D100の登場(その2)

PCM-D100は本体に32GBのメモリーを内蔵している。
このメモリーにマイクロフォンが捉えた音が、ふたつのデジタル信号のどちらかで記録される。
メモリーは拡張もできようになっている。

このタイプの録音器は、ソニーからも出ていたし、他社からも出ている。
メモリーを内蔵していて、そのメモリーに記録する。

つまりこの点において、従来のテープを使用するデッキとは異る。
テープを必要とするデッキは、テープ(録音媒体)がない時点では、録音器ではなく録音機である。
ところがメモリーを内蔵しているタイプは、それそのものが「器」でもあるから録音器と呼べる。

もちろんテープデッキもテープを装着した時点で、録音機から録音器へと変る。

けれどPCM-D100を含めて、このタイプはマイクロフォンもそなえている点で、
より録音器である、といえる。

PCM-D100は10万円前後する。
10万円あれば、何がしかのアクセサリーを購入できる。
ケーブルもあれば、インシュレーターの類、その他のアクセサリーが買える。
これらのアクセサリーは、直接音を変える。

良くなるか悪くなるかは別としても、音は大なり小なり変化する。
そういう直接的な変化は、PCM-D100を購入してシステムに導入しても得られない。

だからケーブルに10万円を出費するのはなんとも感じない人もでも、
PCM-D100に10万円を出費するのは、もったいなく感じても不思議はないかもしれない。

PCM-D100は直接的に音に変化を与えはしない。
けれど、とにかく身近な音から、録音をはじめて再生することで、得ることは決して少なくない。
そうやって得られたものによって、音は間接的に変化していく。

しかもPCM-D100は、PCMとDSDの両方を自分で録音再生して確かめられる。
PCM録音は、サンプリング周波数、ビット数を変えて録音できる。
これらによって、音がどう変化していくのかも確認できる。

実際にPCM-D100を手にして使ってみれば、
使ってこそ確認できることがいくつもあることに気がつくはずだ。

Date: 9月 19th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(その2)

以前から「スピーカー楽器」論がある。

スピーカーは、変換器である。あくまでも入力信号(アンプからの信号)に対して高忠実であるべきだ、という、
いわゆるHigh Fidelityに基づく考え方、「スピーカー変換器」がある。

スピーカーの開発者・技術者であれば、
スピーカーをでき得る限り高忠実な電気→音響変換器として捉え、考えていくことは、至極当然である。
そうやってスピーカーは、いわば進歩してきた。

このことに対し「スピーカー楽器」論は、
スピーカーの開発者・技術者側からの意見ではなく、
聴き手・受け手側からのものであることは、
スピーカーは、楽器なのか、高忠実な変換器であるべきなのかについて語るときに忘れたり、
ごっちゃにしたりしてはいけない。

「スピーカー楽器」論は、あくまでも聴き手側からのもので、
「スピーカー楽器」論を、スピーカーの開発者・技術者が唱えることではない。

最近では、「スピーカー楽器」論を謳うメーカーがある。
その存在を、だからといって否定はしないものの、
「スピーカー楽器」論を謳うメーカーでスピーカーをつくっている人を、
スピーカー開発者・技術者とは、呼びにくい。

あくまでも、「スピーカー楽器」論を前面に謳うかぎりは、スピーカー製作者である。

Date: 9月 18th, 2013
Cate: 録音

PCM-D100の登場(その1)

2010年5月8日に、こんなツイートをしている。

《いまのソニーにただひとつ期待しているモノ──。
PCM-M10、PCM-D50ではなく、DSD-M10、DSD-D50といったモノ。
でも、きっと出ないと思っているけど、それでも、ほんのちょっとだけ、もしかすると……とも思っている。》

このとき、ソニーのプロダクト・デザイナーのO氏から、返信があった。
「いつか出します」ということだった。

それに対し、こう書いた。

《目標を明確化し、そこに集中・注力したときのソニーの開発力のすごさで、ぜひ製品化してください。
すごくすごく期待しています。》

本音で期待していた。
あれから一年が経ち、二年が経ち、もうそういうモノはソニーから出てこないのか……、となかばあきらめていた。

ソニーの開発力をもってすれば、こんなに時間がかかるとは思えなかったからだ。

昨日、Twitterを眺めていたら、
ソニーからPCM-D100が出た、とあった。
あの日から、三年以上経っている。
でも、とにかくソニーから出た。

型番からいえば、PCM録音モデルで、DSD録音器ではないのか、と思えそうだが、
PCM録音(24ビット、192kHz)、DSD録音(2.8MHz・1ビット)ともに可能としている。

DSD録音だけであれば、さほど売れなかったかもしれない。
だから、PCM録音とDSD録音、どちらにも対応したのかもしれない。
そのへんの事情は、どうでもいい。

ソニーが、やっと、こういうモノを出してくれたことは、素直に喜びたい。

発売は11月21日、オープン価格(10万円前後になるらしい)。

PCM-D100を買っても、特に録音したいものがない、という人もいると思う。
私だって、PCM-D100を買って、これを録音したい、と決めているものがあるわけではない。
そういう意味では、使用目的を明確にせずに、ということになる。

けれど、こういうモノは、いいな、欲しいな、と少しでも感じたり、思ったりしたら、
そして経済的に余裕があれば、まずは買ってみることだ。
買ってみて、触ってみて、とにかく身近な音から録音してみる。

そこから、何かが始まる予感を、使い手にもたせてくれる、そういうモノだと思っている。
そして、PCM-D100についてこうやって書けることが、素直に嬉しい。

Date: 9月 18th, 2013
Cate: 「オーディオ」考

「音は変らない」を考えてみる(その9)

自分で鳴らすスピーカーシステムの選択において、
とにかく大事にしたいのは、そのスピーカーシステムに惚れ込んでいるかどうか、であるわけだが、
これは人によって異ってくる。

必ずしも惚れ込んだスピーカーシステムを、人は選ぶとは限らない。
もちろん、常に予算という制約がほとんどの人にあるわけだから、
惚れ込んだスピーカーシステムはあっても、
いまはまだ手が届かない、だからいまのところは別のスピーカーシステムを……、という例は少なくない。

私だって、JBLの4401という、比較的小型のブックシェルフの2ウェイ・スピーカーを欲しかったのは、
そのころ惚れ込んでいた(そしていまもその気持は継続している)4343は学生には手が届かない存在だったから、
4343への到達までの道のりのスタート点として、欲しかった、ということがあった。

4301がまともに鳴らせなければ、
つまり、このことは私にとってクラシックがある程度聴けるように鳴らせなければ、
4343を手にしたところで、まともに鳴らせるわけがない、
そういうふうにも思っていた。

とにかく、これまでスピーカーに関しては、惚れ込んだモノだけを買ってきた。
けれど、オーディオをながく続けていると、
惚れ込むことなくスピーカーシステムを選択する人がいることを知る。

Date: 9月 17th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(その1)

このブログを書き始めて、丸五年が経過した。
書き始めた頃は、いったいどこまで書けるだろうか、
書くことに困る日がいつかは来るだろう。

そうなった時に、今日は何を聴きました、とか、こんなことをしました、などで、行をうめていくことはしたくない。
ブログを、公開日記だとは思っていないからだ。

そんな不安とまではいかないものの、
そんな時が来たら、その時に対処するしかない……という気持もあった。

でも書き始めていくと、
そのとき書いているテーマが、関連する別のテーマに気づかせてくれる。
ひとつのテーマでも、書き進めていくうちに、最初は予定していなかったことについて、
あれも書いておかねば、これも書いておいたほうがいい──、
そんなことが連枝のように拡がっていく。

けっこうなことではあるけれど、
早く結論(最終的なこと)にたどり着きたいのに、
書けば書くほど、なかなかたどり着けなくなるような気すらしてくる。

いまもスピーカーについて書いている。
これまでも書いてきている。
まだまだ書き足らない、と感じている。
ますます書くことは増えていく。

先に書いておこうと、だから思った。
私が、スピーカーを、どう捉えているかについて、を。

私は「スピーカーは役者だ」と捉え、考えている。

Date: 9月 16th, 2013
Cate: 「オーディオ」考

「音は変らない」を考えてみる(その8)

スピーカーシステムが変らなければ、音は変らない、と主張する人は、
スピーカーシステムの「顔」、それも基本的なところを聴いていて、
その「顔」がつくり出す、表情のこまかい違いには注意がいかない、
いったとしても、表情が変ったとしても、「顔」そのものは変らない、と判断するのだろう。

ここまでは、前回までに書いたことのくり返しである。
いま「複数のスピーカーシステムを鳴らすということ」を書いていて気がついたことがある。

スピーカーシステムを変えないかぎり、音は変らないという主張する人は、
もしかすると、いま使っているスピーカーに惚れ込んでいないのかもしれない──、ということだ。

スピーカーが相手ではなく、人が相手だった、その人に惚れ込んでいたら、
わずかな表情の差にも気がつくし、
そういう表情が積み重なっていくことで、人の「顔」はつくられていくこともわかるはずだ。

惚れてなければ(関心が持てないのならば)、
対象そのものが変化しないかぎり、その対象そのもののわずかな変化には気がつかないのと同じように、
スピーカーシステムから鳴ってくる音の表情の変化にも、気がつかない──、
そうなのではないのか。

「音は変らない」のではない、
変化に聴き手が気がつかないだけのことだ。

Date: 9月 15th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その18)

友人だったり、知人だったり、仕事関係の人だったり、
とにかく身近の人が、欲しいと思っていたスピーカーシステムを先に買ったとする。

そういう場合、その人よりも、そのスピーカーシステムに惚れ込んでいると自信をもっていえるのであれば、
同じスピーカーシステムを購入して鳴らすことに、とやかくいうことはない。

けれど惚れ込んで購入した、身近な人がいて、
同じスピーカーシステムを、惚れ込んでいない者が買う行為はやるべきではない。

だから、私はダイヤトーンのDS9Zの購入は、やめにした。

このことを書いていて思い出したことがある。
私がセレッションのSL600を鳴らしていたころの話だ。

オーディオのことで頻繁に会うことの多かった、ある人がSL600を購入した。
彼がSL600に惚れ込んでいないことはわかっていたけれど、
私自身は、身近な人がそういうことをしても気にするタイプではない。

あっ、そうなんだ、ぐらいの気持でしかない。

その彼がしばらくして、「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」という。
確かに彼が組み合わせていたアンプは、非常に高価なモノで、
ほんとうに日本でいちばんかどうかは断言できないものの、
日本でいちばん高価なアンプで鳴らしている、という意味ではそういえなくもなかった。

それにしても……、と思った。
こんなことを真顔でいう人なんだ、と。
このおもいは、消え去ることはなく、
それから後の、その人の言動によってますます確固たるものになっていった。

私以外にSL600を鳴らしている人がいたら、
きっとその人にも、同じことをいうのだろう。
私はこういう性格だからいいものの、私と違う性格の人ならば、
「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」といわれたら……、とおもう。

このことがDS9Zのことよりも先にあって、よかった。