「スピーカー」論(その1)
このブログを書き始めて、丸五年が経過した。
書き始めた頃は、いったいどこまで書けるだろうか、
書くことに困る日がいつかは来るだろう。
そうなった時に、今日は何を聴きました、とか、こんなことをしました、などで、行をうめていくことはしたくない。
ブログを、公開日記だとは思っていないからだ。
そんな不安とまではいかないものの、
そんな時が来たら、その時に対処するしかない……という気持もあった。
でも書き始めていくと、
そのとき書いているテーマが、関連する別のテーマに気づかせてくれる。
ひとつのテーマでも、書き進めていくうちに、最初は予定していなかったことについて、
あれも書いておかねば、これも書いておいたほうがいい──、
そんなことが連枝のように拡がっていく。
けっこうなことではあるけれど、
早く結論(最終的なこと)にたどり着きたいのに、
書けば書くほど、なかなかたどり着けなくなるような気すらしてくる。
いまもスピーカーについて書いている。
これまでも書いてきている。
まだまだ書き足らない、と感じている。
ますます書くことは増えていく。
先に書いておこうと、だから思った。
私が、スピーカーを、どう捉えているかについて、を。
私は「スピーカーは役者だ」と捉え、考えている。