Archive for 11月, 2011

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々・余談)

テクニクスの10TH1000、ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーは、
なぜトランスを必要としないのか。
これらのユニットを、パイオニアのPT-R7と同じリボン型として捉えていては答は見つからない。

10TH1000は振動板(というよりも膜)にポリイミドフィルムを使い、
その表面にエッチング技術によりボイスコイルを形成している。
このことはX-ART型もJET型、ハイル・ドライバーも基本的には同じである。
振動板(膜)にはフィルム系の素材(もちろん非導体)を使い、
その表面にエッチング技術やアルミ箔を貼りつけてボイスコイルをつくっている。

便宜上、ボイスコイルという表現を使ったが、
一般的なスピーカーユニットのボイスコイルにあたるもの、という意味で使ったものであり、
フィルム振動板の上にコイルがつくられているのではなく、電気信号の通り道である。

リボン型では電気の通る道は、上から下(もしくは下から上)となる。
アルミ振動板の中をジグザグに流すことはできない。
アルミ振動板にスリットをいれていけば不可能ではないけれど、
アポジーのリボン型のウーファー以外、実用例を知らない。

一方、リーフ型やハイル・ドライバーでは非導体の振動板上に電気信号の通り道をつくるため、
自由度は比較にならないほど大きい。
その全長もコントロールできる。
つまりインピーダンスが4Ωなり8Ωにでき、インピーダンスマッチング用のトランスを省ける。

10TH1000の振動板に対し電気信号は、リボン型のように上から下(下から上)といった垂直方向だけでなく、
水平方向にも流れている。
X-ART型、JET型(ハイル・ドライバー)も、その点は同じである。
だからインピーダンスマッチング用のトランスは要らない。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続・余談)

リボン型のスピーカーユニットといえば、日本ではパイオニアのトゥイーターPT-R7が、
その代名詞のような存在だった。
PT-R7以前に、イギリスのデッカ(ケリー)からもリボン型トゥイーターは出ていたけれど、
1970年代の日本でリボン型トゥイーターといえば、多くの人の頭にまず浮ぶのはPT-R7だったはず。
私もそうだった。

そのPT-R7より数年おくれて、テクニクスから10TH1000というトゥイーターが登場した。
ステレオサウンドやその他のオーディオの雑誌に紹介された写真をみたとき、
テクニクスが出したリボン型トゥイーターだと思った。
だが、テクニクスは、10TH1000をリボン型とは呼ばず、リーフ型と呼んでいた。

PT-R7の、いわばライバル的存在のトゥイーターだけに、
その対抗心からリボン型と、あえて言わないのか、とそのころの私はへんな勘繰りをしていた。
でもカタログやテクニクスが発表している技術的な内容をきちんと読めば、
テクニクスがなぜリボン型と呼ばずに、リーフ型と名づけたのかが判る。

10TH1000の振動板の前面にヒレに似た形のイコライザーと思えるものがついている。
だがこれは音響的なイコライザーではなく、磁気回路の一部であり、
リボン型と違い、このイコライザーと思えるものを取去ってしまったら10TH1000は動作しなくなる。

PT-R7はリボン型トゥイーターで、振動板は厚さ9ミクロンのアルミ箔であり、
このアルミ振動板に直接音声信号を通している。
つまりリボン型であるためには振動板が導体であることが必要だ。

PT-R7の振動板の長さは約5cmほど。そのためPT-R7のインピーダンスは0.026Ωと極端に低い。
このアルミ振動板をそのままアンプの出力端子に接続すれば、ほぼショートしているのに等しい。
そのためインピーダンスマッチング用にPT-R7はトランスを使い、
通常のスピーカーユニットと同じ8Ωに仕上げている。
デッカのDK30、London Ribbon、ピラミッドのT1もトランスを搭載している。

テクニクスの10TH1000にはトランスは、ない。
ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーにも、トランスはない。

Date: 11月 10th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その1)

ワイドレンジ考、現代スピーカー考、ハイ・フィデリティ再考、チューナー・デザイン考、など、
タイトルに「考」をつけたテーマでこれまでいくつか書きつづけてきている。

今日、あることがきっかけで、スピーカーやワイドレンジなどについて考えて書いてきているのに、
「オーディオ」そのものについて書いてきていないことに気がついた。

今夏からfacebookに「オーディオ彷徨」というページをつくった。
タイトルとURL末尾のjazz.audioからもわかるように、岩崎先生についてのfacebookページで、
定期的に、ではないが、不定期ながらわりとまめに更新してきている。

今日、いくつかの写真を公開した。
そのなかに1968年ごろの写真がある。
車(falcon)が写っている。そのトランクに左手をついているサングラスをかけた岩崎先生の写真だ。

この写真について、Twitterで
「オーディオがカッコよくて、オーディオ評論家もカッコよかった時代だなあ。」
というコメントがあった。

うん、うん、とうなずいていた。

また、1971年当時のJAZZ-O-DIOの店内写真を公開した。
これには、別のひとが、「めちゃ良い感じの写真!」というコメントをよせてくれた。

そう、オーディオとは、カッコいいもの、カッコいいことだったはず。
それがいつしか、なぜか、カッコわるいものの代名詞のように語られることが、いまではある。
なぜそうなったのだろうか。

……そんなことを思っていたら、「オーディオ」考について書いていかなきゃ、と思えてきた。

この項で、どんなことを書いていくのか自分でも見当がつかない。
それでも少しずつ書いていこう、と決めたところである。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その20)

瀬川先生のオーディオ評論家としての活動の柱となっているものは4つある。
これは本のタイトルでいったほうがわかりやすい。

「コンポーネントステレオのすすめ」(ステレオサウンド)
「虚構世界の狩人」(共同通信社)
「オーディオABC」(共同通信社)
「オーディオの系譜」(酣燈社)

それぞれのタイトルが本の内容をそのまま表わしている。

「コンポーネントステレオのすすめ」は、
オーディオがプレーヤー、アンプ、スピーカーをそれぞれ自由に選んで組み合わせることが当り前のことになって、
その世界の広さ、深さ、面白さを伝えてくれる。

「虚構世界の狩人」には説明は要らないだろう。

「オーディオABC」はタイトルからいえばオーディオの入門書ということになるが、
瀬川先生の平易な言葉で書かれた文章は、決して表面的な入門書にはとどまらず、
確か岡先生が書評に書かれていたように「オーディオXYZ」的な内容でもある。
オーディオを構成しているものについて学んでいくには最適の本のひとつである。

「オーディオの系譜」は、オーディオの歴史を実際の製品にそって語られている。

もちろんこの4つ以外に、オーディオ雑誌での製品評価、新製品紹介もあるのだが、
これはオーディオ評論家として誰もがやっている柱であるから、あえて加えなかった。

と書くと、組合せに関しても、他のオーディオ評論家もやっているのでは? といわれそうだが、
組合せに関して、瀬川先生ほど積極的に取り組まれていた人はいなかった、と私は感じている。
それに瀬川先生の組合せは、興味深いものが多かった。
それは単に読み物として興味深いだけでなく、
実際に自分で自分にとっての組合せを考えていく上でのヒントにつながっていくものがちりばめられていた。

瀬川先生の組合せのセンスは、他の方々とはあきらかに違う。

だから、この項では、もう少し瀬川先生のつくられた組合せ例をみていくことにする。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(余談)

ADAMのColumn MK3はトゥイーターとスコーカーに、
同社がいうところのX-ARTドライバーを採用している。
見てすぐにわかるようにエラックのスピーカーシステムに搭載されているJETドライバーと、ほほ同じものである。

ただしADAMがエラックのJET型を採用した、というよりも、
もともとこのドライバーを開発したのはADAMときいてる。
ところが一時期資金難に陥ったADAMがエラックに、このドライバーを売却したらしい。
だからADAMのほうがオリジナルともいえるのだが、
このドライバー(X-ARTと呼ぼうがJETと呼ぼうが)のオリジナルは、ハイルドライバーである。

オリジナルのハイルドライバーはドイツでは製品化されることなく、
開発者のオスカー・ハイル博士がアメリカに渡りESSで製品化している。
このオリジナルのハイルドライバーとADAMが開発したX-ARTの大きな違いは、
ユニットそのものの厚みである。

ハイルドライバーのオリジナルはフェライトマグネットを4本、
これをX字状に配置して、その中央(交叉点)にひだ(プリーツ)状の振動板ではなく振動膜を置く構造。
そのためどうしてもかなり厚みのあるユニットになってしまう。
これをドーム型ユニット並に薄くすることにADAMは成功している。

今回のショウで気になったのは、
このハイルドライバーをリボン型ユニットの一種として受け取っている人が意外にも多かったこと。
それもしかたのないことかな、とは思っている。
私がオーディオに興味をもち始めた1970年代は、オーディオの雑誌だけでなく技術書が豊富にあった。
ハイルドライバーの動作原理も、それらの本で知り得た。

いま、この手の本が少ない。ハイルドライバーについてきちんと解説してある本はあるのだろうか。
だから、ついリボン型のひとつと間違って受けとめてしまいがちなのだろう。

これがユーザー側であればしかたのないことですむが、
オーディオ関係者の中にもリボン型のひとつとして認識している人が少なくなかったのは、
しかたのないことではすまされない、と思う。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: ロマン

ある写真(補足)

スティーブ・ジョブズがつかっていたコントロールアンプはスレッショルドのFET oneという可能性もある。
だとしたらパワーアンプもスレッショルドのモノということになるのか。
ペアとなるのはステレオ仕様のS/500かモノーラル仕様のS/1000のどちらかか。

アクースタットのModel 3に関してだが、
このスピーカーシステムの音の印象は、すべて東京で聴いたものによる。
つまり電源周波数が50Hzでの音である。

いうまでもなくアクースタットはアメリカのコンデンサー型スピーカーであり、
アメリカの電源周波数は60Hzである。

アクースタットのスピーカーシステムの優れているところは、当時聴いた人の多くは認めていても、
いざ購入する人となると、そう多くはなかった。
私も購入しなかったひとりである。
なぜか、といえば、その理由は人それぞれのはすだが、共通する理由もあったように思う。
そのことについて詳しく書くつもりはないが、なぜそうなったかといえば、
もしかすると50Hzのまま鳴らしていたからではないか、と思っている。

もし東京がアメリカと同じ60Hzの電源周波数であったら、
アクースタットの評価は少しではあっても、確実に変っていた可能性がある。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その2)

1982年当時のスティーブ・ジョブズの部屋には、レコードとオーディオ以外は、照明があるくらい。
他のものは見当たらない。
こんな生活を私もしていた。
部屋にはレコードとオーディオだけ、といっていい生活だった。
20代のころのことだ。

椅子も持っていなかった。床に坐って聴いていた。
だから、「スティーブ・ジョブズ 100人の証言」の写真を見て、うれしかった。
部屋の広さこそ大きく違うけれど、こんな音楽の聴き方をジョブズはしていたのか、と、
その写真を見ておもっていた。

もちろん写真用のポーズの可能性もないわけではない。
でも、写真から伝わってくる雰囲気は、
ソファにゆったり腰かけ音楽を楽しむ、という、そういう聴き方をしている人のものではなかった。
誰かといっしょに音楽を聴いている、という雰囲気でもない。
そこに、親近感のようなものを感じていた。だから、写真を見て、うれしかった。

1枚だけの写真で、写真についての詳細な説明はほとんどない。
ジョブズがどういう音楽の聴き方をしていたのかについては、
アクースタットのModel 3というスピーカーと写真から伝わってくるものから、私の勝手な想像にすぎない。
大きく外れてはいない、とは思っているけど、
それよりもオーディオマニアなら、この写真を見て、なにか感じるものがきっとあるはず。
だから見てほしい、と思う。

Date: 11月 8th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その1)

1982年12月のスティーブ・ジョブズの写真をみて、いくつかおもった。
スピーカーシステムとアナログプレーヤーがなんなのかはすぐにわかったから、
アンプはなんだろう、といったことから、どんなレコード(音楽)を聴くんだろう、といったこと。

ベッドすら持っていない時期があったジョブズのことだから、この写真に写っているものだけだとしたら、
床に坐ったまま聴くのか、とも思いながら、
「アクースタットなんだな、やっぱり」とおもっていた。

ジョブズが使っていたアクースタットのModel 3は、
日本にはこの写真が撮られた1982年に、輸入元が変り入ってきた。
私がステレオサウンドの試聴室ではじめて聴いたModel 3も同タイプだ。
ネットの色は黒だったけれども。

おそらくアメリカで発売されて間もないころに日本でも輸入され始めたようだったから、
ジョブズも、Model 3を使いはじめてまだ1年未満といったところなんだろう。

アクースタットのModel 3の音の世界には、私もまいってしまった。
いままで耳にしたことのない質感の音で、異様な雰囲気をかもしだすところもある。
決して明るいタイプの音ではない。
外にむかって音を発するタイプでもない。

アクースタットのModel 3に惚れ込み購入された黒田先生が、
Model 3を最初に聴かれた試聴の際にいわれたことばを思い出す。
     *
少し危険な感じさえする誘惑的な音であるだけに、一度のめりこんでしまうと自閉症的になってしまうんではないかな。自分のおへそだけを見て、だんだん沈んでいってしまうような危険な部分をこのスピーカーは持っている。
     *
「自分のおへそだけを見て」という表現は、まさしくそうだと思って、そのときの黒田先生の発言を聞いていた。
アクースタットのModel 3だけの世界にどっぷりはまってしまったら、
アクースタットの音のある空間に引きこもってしまいそうになる。
まして椅子(ソファ)に坐らず、床に坐っていたら、耳の位置は自分の臍よりも後ろに行くことはまずない。
音楽を聴いていくうちに、耳の位置は臍よりも前に移動し、頭を垂れて聴くようになれば、
「自分のおへそだけを見て」音楽を聴くことになってしまう。

アクースタットのModel 3は、私にはそういうスピーカーシステムである。
だから、私はこのModel 3を猛烈にほしいと思いながらも、買わなかった。

Date: 11月 8th, 2011
Cate: ロマン

ある写真

スティーブ・ジョブズがオーディオマニアであることは、けっこう前から知っていた。
とはいえ、ジョブズがどんなシステムで聴いていたのかは、すぐにはわからなかった。
それからしばらくして、なにかで読んだ記憶があるが、スピーカーシステムはマーティン・ローガン、
アンプはスペクトラムを使っている。1990年代半ばごろのことだったと思う。
でも、これもかなり曖昧な記憶で時期も機器についても違っている可能性もある。

2006年にAppleからiPod HiFiが出た。
この発表のときに、ジョブズはオーディオマニアだったことを語っている。
そして、それまで使ってきたオーディオ機器を、iPod HiFiに置き換えた、とも。

ジョブズが2006年までマーティン・ローガンのスピーカーシステムを使っていたのかどうかもわからない。
オーディオマニアということ以上の情報はほとんど得られなかった。

いま書店には、ジョブズに関する本が並んでいる。
自伝も出ている。Mac関係の雑誌でも、ジョブズを特集として組んでいるものがいくつもあった。
ムックもいくつか出ている。

AERAムックとして「スティーブ・ジョブズ 100人の証言」に、1982年12月当時のジョブズの写真がある。
自宅のリビングルームの床に直に坐っているジョブズのうしろには、オーディオ機器がある。
というよりも、そのリビングルームはまるで引越してきたばかりなのか、と思わせてしまうほどに、
オーディオ機器以外のモノはレコードだけしかない。
椅子もない。

このリビングルームで床の上に胡座をかいてジョブズは、スピーカーと向き合っていたのだろうか。

暗い部屋のなかでとられた、この写真は細部ははっきりしない。
スピーカーシステムはアクースタットのModel 3だということはすぐにわかる。
ネットの色は、日本で一般的だった黒ではなく白。
プレーヤーはジャイロデック。1982年12月の写真だから、CDは2ヵ月前に日本で発表されたばかり。
だからCDプレーヤーは、ジョブズの部屋にはない。

はっきりと判別できるのは、これだけだ。
ジャイロデックのとなりにアンプが置いてある。
ちなみにジャイロデックもアンプも、床に直置きのようだ。

アンプはいったいなんだろう、と1時間ほど記憶を掘り起こしていた。
こういうパネルフェイス、というよりもツマミの配置のアンプ、それもコントロールアンプとなると……。
スピーカーがアクースタットということからも、ほほ間違いなくビバリッジの管球式のRM1/RM2ではないかと思う。

この写真の頃、1955年生れのジョブズは27歳。
AppleでMacintoshの開発に取り組んでいたころ。

Date: 11月 7th, 2011
Cate: 瀬川冬樹
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「古人の求めたる所」

私がaudio sharingをつくろうと決意したときにも、
「いまさら瀬川冬樹なんて」という人がいた。
私が、このブログを始めたときにも、「いまさら瀬川冬樹なんて」という人がいた。

いまもそういう人はいる。
このあいだも、私に直接「瀬川さんも岩崎さんも、たいしたことない」と言った人がいる。
私よりも年配の人だ。
その人がそんなことを口にする理由はおおよそ想像できるが、
それよりもこの人は「古人の跡」しか見ることのできない人なのだと思う。

松尾芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」は、
その人にはまったく関係のないことなんだろう。

結局「古人の跡」を求めることすらせず(できず)、ただ見ているだけにすぎない。
瀬川先生は今日(11月7日)で没後30年が経つ。
岩崎先生は1977年に亡くなられているから34年が経っている。

30年前に瀬川先生、岩崎先生がやってこられたオーディオと、
いま自分がやっているオーディオとを比較しての「いまさら……」だったり、
「たいしたことない」という言葉のように思えてならない。

「古人の求めたる所を求めよ」を肝に銘じていれば、
「いまさらも……」も「たいしたこと」も、口にできない。
だから、こんなことを平気で口にする人のことなんて、もうどうでもいい。

30年前、瀬川先生は、岩崎先生がオーディオに求められていたこととは、何だったのか。
それを、あなたも求めなさい、とは言わない。
だが、それを見つけ見つめることは、大切なことだといいたい。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: JBL

なぜ逆相にしたのか(その9)

バックプレッシャー型のコンプレッションドライバーの構造図を頭に思い浮べていただきたい。
ダイアフラムが前(ホーンに向って)に動くのと、後ろに動くのとではどちらが反応がはやく動くであろうか。

ドーム状のダイアフラムの頂点は後ろを向いている。
それにホーンがついている分だけの空気圧がある、などを考えると、
ダイアフラムが後ろに動くことが、前に動くよりもスムーズに素早く動くように思う。

つまり位相は逆相になってしまうが、入力信号の最初の部分(半波)に関しては、
バックプレッシャー型のコンプレッションドライバーは後ろに動いた方が自然な動作のようにも感じる。
後ろに下ったダイアフラムは入力信号の次の半波によって前に出てくる。

この前に出てくるときの移動距離(振幅量)は、正相と逆相では違ってくる。
正相になっていれば入力信号の半波分(+側の信号)の振幅だけに前に動く。
逆相だと最初の半波の分だけ後ろに下っていて、前に出るときは次の半波分の振幅がそこに加わり、
このときのダイアフラムの正相よりも前に移動する距離(振幅量)は長くなる。
それだけ前に出てくる空気の量にも違いが出てくる。

正相であればまずダイアフラムが前に出て後ろに下る、この距離が逆相よりも長くなる。
すこしわかりにくい説明になっていると思っているが、
正相でも逆相でも入力信号が同じだからダイアフラムの振幅量に変化はないわけだが、
その向きに違いが出てくる、ということをいいたいわけだ。

もちろん入力信号1波で動く空気の量そのものに、正相でも逆相でも違いはないけれど、
その方向に注意を払ってこまかくみていくと、疎密波の密の部分と疎の部分の空気量に違いが出てくる。
つまりダイアフラムが前に出ることで密の波がうまれ、後ろに下ることで疎の波ができる。

入力信号が0から+側にふれてマイナス側にふれて0にもどるとき、
正相だとまず0から+側のピークまでの密の波が出て、+側のピークから−側のピークまでの疎の波が出て、
−側のピークから0までの密の波が出てくる。
逆相では0から+側のピークまで疎の波が出て、+側のピークから−側のピークまでの密の波が出て、
−側のピークから0までの疎の波が出てくる。

ダイアフラムの向きは正相だと前・後・前、逆相では後・前・後。
疎密波で表せば、正相だと密・疎・密になり、逆相だと疎・密・疎となる。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その3)

優秀録音と名録音をあえてわけるならば、
スピーカーシステムも、優秀なスピーカーシステムと名スピーカーシステムと呼べるものがある。

名スピーカーシステムと呼べるモノの数は少ない。
これに関しては、別項の「名器、その解釈」でこれからふれていく予定である。
すべての現代スピーカーシステムが優秀なスピーカーシステムではないけれども、
その数は名スピーカーシステムよりも、ずっと多い。

優秀であること、とはどんなことなのか。
優秀という言葉は、最優秀という言葉があることからもわかるように、
他のものと比較して優れている、秀でている、ということではないだろうか。

同じ価格帯のスピーカーシステムの中で、物理特性面でも実際に音を聴いても、
その他多くのスピーカーシステムよりもすこし上のレベルにあれば、それも優秀なスピーカーシステムといえる。
もちろん、そこには「ある価格帯での」という条件がつくにしても、
優秀スピーカーシステムは、他のスピーカーシステムよりも優れている。

それから時代ということも関係してくる。
ある時代における優秀スピーカーシステムは、
その時代の他のスピーカーシステムと比較しての優秀さを認められてのことであり、
そういう優秀スピーカーシステムが、次の時代でも優秀スピーカーシステムであるとはいいがたい。

たとえば演奏家にも、優秀な演奏家と呼ばれる人もいるし、名演奏家と呼ばれる人もいる。
ピアニストであれば、ピアニストとしてのメカニック・テクニック面が優れていれば優秀なピアニストであり、
ピアノ・コンテストで優勝すれば、
それは、少なくともそのピアノ・コンテストのなかでは最優秀ピアニストということになる。

世界的に知られているピアノ・コンテストもあれば、地域での小さなピアノ・コンテストもあり、
それぞれのピアノ・コンテストでそれぞれ最優秀ピアニストが誕生している。
いまピアノ・コンテストだけに限ったとしても、
世界中でどれだけのコンテストが行われているのかまったく想像つかないが、おそらく相当な数だと思う。

毎年、相当な数の最優秀ピアニストが誕生していても、
彼らのすべてが名ピアニストと呼ばれるようになるわけではない。
国を越えて時代を越えて、同時代でも世代をこえて、
多くの人から名ピアニストと呼ばれるピアニストはほんの一握りの人たちだけだ。

名スピーカーシステムもそれに近いモノであるわけで、
私がADAMのColumn Mk3を「いいスピーカーシステム」と呼ぶ理由はここにあり、
「いいスピーカーシステム」は、名スピーカーシステムに次ぐ褒め言葉として、私は使っている。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その42)

このブログの個々の投稿へのリンクを、facebookで私が管理人をやっている非公開のページからはっていて、
そこでも、私の個々の投稿へのコメントができるようになっている。

非公開ということもあってか、ブログへのコメントはfacebookにていただくことが多い。
昨夜の、この項の(その41)に関しても、コメントをいただいた。
私が見逃していたことである。

ハーフ・スピード・カッティングにおいて、
カッティング時にカッター針からラッカー盤に伝わった熱が冷める時間は稼げる、と書いた。
コメントには、逆に通過時間が半分になるため局所的に加わる熱量は多くなるのでは? ということだった。

ゆっくりカッティングされるということはカッター針がゆっくり通ることであり、
それだけラッカー盤に加わる熱量は増すことになるだろう。
ただ実際にはどうなのか、とも思う。

レコード会社のカッティングエンジニアもそのことに気がついていて、
ハーフ・スピード・カッティングにおいてカッター針がゆっくり通るのであれば、
もしかするとカッター針に取りつけてあるヒーターの温度設定を低くしている可能性が考えられるからだ。

実際のカッティングの現場ではどうだったのだろう。

Date: 11月 5th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その41)

レコードのカッティングの経験は、当然のことだけど一度もない。
だから、カッティングに関する音のこととなると、断片的なことからもうほとんどすべて想像するしかない。
だからどうも堂々巡りのようになってきているな、と自分でも感じつつ、
それでもハーフ・スピード・カッティングについては優れた方式であるんだろうけども……、という思いが拭えない。

ハーフ・スピード・カッティングではなく、通常のスピードでのカッティングのほうがいいのではないか。
どうしてもそう思ってしまうのは、なぜなのか。

速度はエネルギーである。速度が増せばエネルギーは増すことになる。
アナログディスクの場合、再生の速度は毎分33 1/3回転だから、
カッティング時にハーフ・スピード・カッティングであろうと、33 1/3回転でのカッティングであろうと、
再生条件が同じならば、そのディスクから得られるエネルギー量は同じであるはず。
ならば、より正確にカッティングできるであろうハーフ・スピード・カッティングが理屈としてはいい。

ダイレクトカッティング盤でもプリエコーが生じるのは、後からカッティングされる音溝によって、
前にカッティングされている音溝をわずかとはいえ変形させるからであり、
これはゆっくりカッティングしていけば、変形の度合いは少ないはずだ。

カッター針にヒーターが取りつけられているため針が温められ、
その熱はラッカー盤にもうつる。そしてしばらく冷えるのに時間がかかるはず。
まだ熱が残っているとき、つまりラッカー盤が多少なりとも柔らかくなっているときに
隣接する溝に大振幅の信号が刻まれたら変形するであろうことは、容易に想像できる。

ハーフ・スピード・カッティングでは通常の半分の速度で回転しているわけだから、
ラッカー盤の温度が下るまでの時間的余裕が、通常よりも倍ある。
これだけでも変形の度合いは減ると思われる。

とするとハーフ・スピード・カッティングがよいはずなのに、
マーク・レヴィンソンは、ステレオサウンド 45号のインタヴューで、
ハーフ・スピード・カッティングの方が優れた面があるとしながらも、
その時点ではハーフ・スピード・カッティングを行っていてない、と語っている。

この記事からは、その理由は読みとれない。
なぜレヴィンソンはハーフ・スピード・カッティングを行わなかったのか。

Date: 11月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その2)

ずっと以前のオーディオ雑誌、レコード雑誌に載っていたレコード評の多くは、
演奏評と録音評とにわかれていた。

これもよく考えてみれば奇妙なことで、レコード評であるならば、
そしてそこにおさめられている音楽を評価するのであれば、演奏と録音を切り離して捉え評価すること自体に、
本来無理がある、ということはわりと指摘されていたことでもある。

レコード評は本来演奏と録音は密接不可分な関係であるだけに、
「このレコードは演奏はつまらないけれども、録音は素晴らしい」ということはありえない。
レコード評とはそういうものだと考えていても、
やはりつい「演奏は……」といったこともを口にしてしまうこともある。

こんなことをふと思い出したのは、太陽インターナショナルのブースでADAMのスピーカーシステムを聴いたからだ。

昨夜書いているように、ADAMのColumn Mk3よりも優秀なスピーカーシステムはいくつかある。
そういうスピーカーシステムとの比較となると(そういうスピーカーシステムは往々にして非常に高価だ)、
値段の違いを感じさせないわけではない。
Column Mk3よりも、オーディオ的に能力の高いスピーカーシステムを優秀なスピーカーシステムとしたら、
Column Mk3は、やはり「いいスピーカーシステム」と呼びたい。

レコードの録音について、優秀録音と名録音とがある。
このふたつはまったく同じものかというと、そうではない。
人によってことばの捉え方、定義は異ってくるから、
優秀録音と名録音をまったく同じものとして使っている方もいるけれど、
私のなかでは、このふたつの録音のレコードで、愛聴盤となっていくのは名録音だけである。
優秀録音盤が愛聴盤となることは、ない。

それは私のなかでは優秀録音とは、つまり「録音はいいけど、演奏は……」というものだからだ。