Archive for 8月, 2011

Date: 8月 20th, 2011
Cate: 組合せ
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妄想組合せの楽しみ(その49)

タンノイ・ヨークミンスターの、ここで書いている組合せに私がもっとも強く求めているのは、
「あきらかに、頭の半分では、音楽をききたがっていて、もう一方の半分では、音楽をきくことを億劫がっていた」、
このことと無縁でいたい、ということだ。

音楽を聴きたがっているのに……、億劫がっている──、
これは黒田先生が「ミンミン蝉のなき声が……」で書かれていることだ。

いまは、ちょうどセミがせわしく鳴いている季節である。
黒田先生が「ミンミン蝉のなき声が……」を書かれたのは、ステレオサウンド 51号だから、
1979年の夏、いまから32年前のことだ。

このとき、なぜ黒田先生が、こういう心境になられたのかについては、
5月29日に公開した「聴こえるものの彼方へ」の電子書籍(ePUB)でお読みいただきたい。

黒田先生の場合には、そういう理由だったわけだが、理由は人それぞれあるだろうし、
季節がかわれば、その理由も変ってくるし、齡によって、音楽をきくのが億劫になる理由は変化していくことだろう。

そういう時は、自分でディスクを選択する、という、この必要な主体性すらしんどく思えることがある。
でも、なにかを聴きたいという気持はあるのに……。

そんなとき、選ぶともなく選んだというか、
スイッチを入れたら突然鳴ってきた音楽がきっかけで、
さきほどまで億劫がっていたことがウソのようにどこかにいってしまうことだってある。

以前だったら、こういう状況はチューナー(ラジオ)だった。
いまでもラジオ放送はある。それに、いまではさらにインターネット・ラジオもある。
日本で受信できるFM局の数なんて比較にならないほど多くのインターネット・ラジオ局がある。
無造作にどこかのインターネット・ラジオ局に選ぶ。音楽が流れてくる。
懐かしい曲のこともあれば、はじめて耳にする音楽のときもあって、そこで「おっ」と思ったときには、
億劫がっていた気持はなくなっている。
そうなると、せっかくだから……、という気持が湧いてくるのがオーディオマニアだろう。

Date: 8月 20th, 2011
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続・JBL SA600)

SE400S(SE408S)と組み合わされるコントロールアンプのSG520はどうなっているかというと、
結論を先に書けば、反転アンプである。

SA600のラインアンプ・トーンコントロールアンプ部とSG520のラインアンプ・トーンコントロールアンプ部は、
プリメインアンプとコントロールアンプという構成・規模の違いもあってなのか、多少違う点がある。
SA600ではラインアンプもトーンコントロールアンプも2石構成だったのに対し、
SG520ではどちらも3石構成になっている。
とはいうもののラインアンプは正相出力で、トーンコントロールアンプがSA600と同じで反転アンプとなっていて、
SG520のトータルの仕様としては反転アンプということだ。

だから、いうまでもないことだが、SE400S(SE408S)と組み合わせたときには、
反転アンプ+反転アンプで、正相出力になり、
JBLのスピーカーの逆相を正相に戻すような意図は、実はSA600にも、SG520+SE400Sにもないことになる。

1980年代過ぎから、システム・トータルの極性が正相なのか逆相なのかが、
音場感の再現性に影響することから注意がはらわれるようになってきたが、
それでもこの時期に登場したアンプのなかにも反転アンプはいくつかある。

ましてJBLのアンプが登場した時期、
システム・トータルの極性については、あまり注意が払われることはなかったのでないだろうか。
JBLのアンプの数年前に登場したマランツのModel 9には極性反転スイッチがたしかに設けられているが、
むしろModel 9のように極性に注意をはらった製品のほうが、むしろ珍しかったはずだ。

JBLのこれら一連のアンプを設計したのは、よく知られるようにバート・ロカンシーである。

Date: 8月 19th, 2011
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(JBL SA600)

この項で、NFBのかかった反転アンプをメビウスの環として捉えることもできるのでは、と書いた。
反転アンプだということをはっきりと謳ったアンプはほとんどないが、
実は反転アンプだった、というモノは、わりとあったりする。

NFBはかかっていないが、
カウンターポイントの管球式コントロールアンプのSA5とSA3はどちらもラインアンプは一段増幅の反転型。
すこし意外に思われるかもしれないが、QUADのコントロールアンプ44も、実は反転アンプである。
ほかにもいくつかあるが、反転アンプとしてもっともよく知られているのは、
JBLのプリメインアンプのSA600だろう。

このことは、JBLのスピーカーの極性が通常のスピーカーと反対に、プラス端子にプラス信号がくわわると、
一般的なスピーカーは振動板が前に出るのに対して、JBLでは後ろに引っ込む。
最近のJBLは正相仕様になっているが、往年のJBLのユニットは逆相仕様で、そのことをトータルで補正するために、
あえてパワーアンプ部を逆相(反転アンプ)にしている、といわれつづけている。

たしかにパワーアンプのSE400S、SE408Sは逆相(反転)アンプだ。
SA600のパワーアンプ部も逆相(反転)アンプだ。

だが、SE400S(SE408S)とSA600と見較べるとわかることだが、SA600はトータルの位相は正相になっている。
ということはパワーアンプの設計において反転アンプにしていることは、
実は極性を正相に戻すため、というよりも、別の意図があったとみるべきだろう。
もし極性を正相に戻すための反転アンプならば、SA600も、最終的に逆相出力になっていなければおかしい。

SA600は上にも書いたようにパワーアンプ部は反転アンプだ。
回路図をみればすぐにわかるように、
SA600のラインアンプはQ105、Q106、Q107、Q108の4個のトランジスターで構成されている。
(これは左チャンネルであって、右チャンネルはQ205、Q206、Q207、Q208。)

Q105、Q105の2段増幅のあとにQ107、Q108のトーンコントロールアンプになるわけだが、
実はこの部分が逆相(反転アンプ)になっている。
つまり2つの逆相(反転アンプ)を信号は通るわけだから、トータルでは正相になるわけだ。

では、なぜパワーアンプのみを反転アンプにしているのだろうか。

Date: 8月 19th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続facebook・さらに再掲)

2003年から数年間、audio sharingでメーリングリストをやっていた。
いまも、メーリングリスト、もしくはメーリングリスト的なことは始められないんですか、という声をいただく。

いま契約しているレンタルサーバー会社にメーリングリストのサービスはない。
仮にあったとしても、いまメーリングリストを、数年前のまま再開することに抵抗がまったくないわけではない。
今月にはいり放ったらかしにしていたfacebookを使いはじめたのは、
メーリングリストに代わるものとして使えそうだと思ったからである。

思いつくまま使ってみた。
facebookページに「オーディオ彷徨」と「聴こえるものの彼方へ」もつくった。
それで今日(7月24日)未明、「audio sharing」というグループをつくった。

いまのところ非公開にしている。
これから先に公開していくかどうかは決めていない。
ずっと非公開のまま運営していくかもしれない。

このfacebookグループを、メーリングリストに代わるものとしていく。
音楽、オーディオに関することであれば、どんなこともでも気軽に書き込め、
そして真剣な討論もできるような場にできればと考えている。
メーリングリストでは文字だけだったが、facebookなので写真、動画なども添付できる。

気軽に登録・参加していただければ、と思っている。
facebookのアカウントをお持ちの方は、私のfacebookアカウントまでメッセージをくだされば登録いたします。
ここをクリックして、参加リクエストをくださってもかまいません。
お待ちしております。

(多くの方に参加していただきたいので、7月24日に公開したものを再掲しました。)

今日(8月19日)現在、35人の方が参加されています。
毎日、活発な書き込みがあります。

参加は、上にも書いていますように非公開ですので、管理人(私)の承認が必要になりますが、
とくに参加資格はあるわけではありません。
facebookのアカウントをお持ちの方で参加リクエストをいただければ、承認いたします。
つまらないと思われたら、退会はご自身で簡単に行えます。

http://www.facebook.com/groups/audiosharing

Date: 8月 19th, 2011
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その14)

クロストークというと、
一般的には、左チャンネルから右チャンネル(右チャンネルから左チャンネル)へ音のもれを指すが、
実際のコントロールアンプでは、これ以外のクロストークも問題になってくる。

コントロールアンプには、最近ではフォノイコライザーアンプを搭載しないものも増えてきているが、
基本的にはフォノ入力、ライン入力、テープ入力を備える。

コントロールアンプにCDプレーヤーをつなぎ、再生ボタンを押す。
インプットセレクターをCDにすれば、とうぜんCDに収められている音楽がスピーカーから聴こえてくる。
ここでインプットセレクターを、他のポジションにしてみる。AUXにする。
ボリュウムをあげていくと、CDに収められている音楽が聴こえる。
インプットセレクターをフォノにしてみる。またボリュウムをあげていく……。

クロストークは、左(右)チャンネルから右(左)チャンネルへのもれだけではなく、
こういう入力端子間でのクロストークもある。

これをなくすには、あいている入力端子にショートピンと差すという手がある。
ただショートピンを差すと、アンプによっては、まれに不都合を生じるものはないわけではないので、
すこしばかりの注意は必要になる。
それでもショートピンの効果は大きく、さっきまではっきりと聴こえていたクロストークがぴたっとおさまる。

もちろんすべてのコントロールアンプで、入力端子間のクロストークがはっきりと聴きとれるわけではない。
盛大に聴こえるもの、かすかにしか聴こえないもの、まったく聴こえないものがあり、
その聴こえ方も、わりと素直にきれいに聴こえるもの、どこかにフィルターがかかっているように聴こえるもの、
ノイズで汚れたように聴こえるもの、などなど。

このチェックをやっていくと、コントロールアンプの入力端子をどう扱うによって(つまりテスト条件によって)、
そのコントロールアンプの音そのものが、ときには、製品によっては大きく変化してしまうことがある。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その30・余談)

リードインのノイズ音の話から、レコードの偏芯の話になりナカミチのTX1000について書いていって、
やっとAnna Logの話に戻ってきて、
TX1000とAnna Log、このふたつの写真をiMacのディスプレイに表示して見較べると、
どちらもアナログプレーヤーであり、30cmのレコードをかけるモノなのに、
どうしてこうも醸し出す雰囲気が違うのか、と思い、
アナログプレーヤーのデザインの面白さに、わくわくするものを感じとれる。

オーディオ・コンポーネントのなかでは、スピーカーシステムが、
デザインとしてはもっとも多彩と思われるかもしれない。
使用されるユニットの数・種類、口径はじつにさまざまで、エンクロージュアのサイズも形もさまざま。
そういうスピーカーシステムからすると、
アナログプレーヤーはレコードのサイズが決まっているからターンテーブル・プラッターの径も自動的に決まる。
ターンテーブルプラッターの他に必要とするものはトーンアーム。
中には複数トーンアームを搭載できるモノもあるが、多くは1本だけ。
このトーンアームのサイズも、スピーカーのユニットのサイズのバラバラさ加減と比較すると、
これもターンテーブル・プラッター同様、レギュラータイプとロングタイプがあるくらいだ。

にもかかわらず私はアナログプレーヤーのほうが、スピーカーシステム以上に作り手の考え方や、
それにレコードに対する想い加わってはっきりとした「かたち」となって顕れてくるものは、
他のジャンルの器械を見渡しても、そうはないのではないだろうか。

もっともっと、ほんとうにさらにさらに、アナログプレーヤーのデザインについては語られるべきだ。
きっと語り尽くせぬほどの何かがあり、その先にたどりつけるのであれば、
オーディオに関係したこと、という枠をこえた大事なものを見つけ出せそうな、そんな気がしてならない。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その30)

ノッティンガムアナログスタジオのAnna LogにオルトフォンSPU Classicを組み合わせたときの、
リードインのノイズ音は、いったいどういう感じになるのだろうか。

参考になるのは、やはり井上先生がステレオサウンド 133号に書かれた記事だ。
133号の試聴ではカートリッジは同じオルトフォンだが、SPUではなくMC Jubileeだ。
Anna Logの音についてはこう書かれている。
     *
カートリッジが現在の最先端技術を組み合わせたモデルであるだけに、スクラッチノイズの質はよく、量も低く抑えられ、伸びやかに広帯域型の音を聴かせる。しっとりした、ほどよくしなやかで潤いのある音は非常にナチュラルで、SN比の高さは格別の印象である。確実に音溝を拾いながらも、エッジの張った音とならず、情報量豊かに静かに内容の濃い音を聴かせるパフォーマンスは見事である。
簡単に書くと、穏やかな音と感じられるが、他の100万円級のADプレーヤーと比較試聴すると、予想以上の格差があり、あらためて『アンナ・ログ』の実力の高さに感銘を受ける。従来の針先が音溝を拾う感じのあるリアリティの高さもアナログの楽しさだが、この静かなストレスフリーの音も新世代のアナログの音である。
     *
ステレオサウンド 133号の特集はコンポーネンツ・オブ・ザイヤー賞で、Anna Logは選ばれている。
そこでの座談会では、こう語られている。
     *
何気ない音の出方をするんです。他のプレーヤーと較べるとはじめて凄さがわかる。これ見よがしな音がいっさいしないプレーヤーなんです。
     *
これらの文章から、まずはっきりと伝わってきたのは、
EMTの927Dstとは正反対の性格と能力をもつプレーヤーであるということだ。
だから、927Dstとともに、
このAnna Logが、死ぬまでにいちどは自分のものとしてとことん使ってみたいプレーヤーなのだ。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その29)

TX1000の実物を見たとき、おそらく他の方もそうだと思うが、「でかい」と口走りそうになった。
しかも横に長いプロポーションで、四隅に脚がはみ出すようにはえている。
操作ボタンを集中させてコントロールボックス(パネル)がやはり本体から飛び出している。
しかもそのスイッチは、ナカミチのカセットデッキ的なものだった。

レコードの芯出し機能を何度か試して、その効果を楽しんだ後は、
もう一度しげしげとTX1000をながめると、これをレコードを鳴らすモノといっていいのだろうか、と思えてくる。
ナカミチは、レコードをカセットテープのように捉えていたのではないか、とさえ思う。

カセットテープは、音が記録されているテープそのものには手がふれない。
手がふれるのは、あくまでもケースの部分だけ。
この点で、同じテープデッキでも、オープンリールデッキと異る。
オープンリールデッキでは、直接テープを指でつまみ、キャプスタン、テープヘッドのあいだを通していく。
レコードも、レコードそのものを手でふれる。

ナカミチがオープンリールデッキをつくっていたのは知っている。
けれどカセットデッキに集中しすぎて、この感覚をどこかに忘れてしまっているように思えてならない。
有機的な質感のレコードとは正反対の無機的な質感のTX1000を、カッコイイと感じる人はいるだろうが、
私は、TX1000の外観は拒否したい、と感じる人間だ。

ナカミチはTX1000の普及モデルとしてDragon-CTを出した。
TX1000とは大きさも見た目もかなり変ったが、
それでも、愛聴盤を、このプレーヤーで鳴らしたいという雰囲気はやっぱりなかった。

TX1000は試みとしてはユニークなものがあったが、決して成功したとはいえない。
TX1000をお使いになっている方には申し訳ないが、TX1000は試みだけで終ってしまっている。

なぜか。
それは10秒間という芯出し作業にかかる時間、無機的で大きすぎる外観、
芯出しの効果は音としてはっきりと聴きとれるものの、
それ以前のアナログプレーヤーとしての基本的な素性、音を含めての性能にも不足を感じるものだった。
それにレコードの芯出しは、短期間に集中してくり返しやって鍛えていくことで、
ある範囲内におさめることはできるようになる、ということも理由としてある。
あともうひとつあった、レコードがかけにくいのだ。

ナカミチに、オーディオのことを感覚的な面でもしっかりと理解しているデザイナーがいてくれてたら、
TX1000は、まるで違う形になっていたであろうし、評価も大きく変っていた……、とつい思ってしまう。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その28)

ナカミチのTX1000がステレオサウンド試聴室に持ち込まれたとき、
この芯出し機能は、たしかに面白かった。
試聴室という性格上、アナログプレーヤー、アンプ、CDプレーヤーなど操作をするものは目の前に置く。
手を伸ばすだけですぐに操作できる距離に置いておく。

TX1000の芯出し作業の10秒間を数人の男がじっと見つめている。
芯出しが完了して音を聴く。効果が音で確認できる。
試聴だから、他のレコードも聴く。また芯出し作業の10秒間をじっと待つ。
そしてまた別のレコード……。同じことのくり返し……。

1日に1枚のレコードしか聴かない人ならば、この10秒間もたえられないものにはならないかもしれない。
でも休日など、まとまった時間がとれたとき、気のむくまま、好きなレコードをあれこれ聴いていこうとしたとき、
TX1000の10秒は、次第に、というよりも、すぐにたえられないものになってくる。
LPは片面すべて頭から終りまで聴くこともあれば、
好きな曲だけを1曲だけ選んで聴くこともある。
数分の1曲を聴くためにも、20数分の曲を聴くときも、10秒は聴く前に待たなければならない。

TX1000の芯出し機能は、ナカミチらしい機能だといえるが、
これではレコードファンの心情をまったく理解していないものである。

TX1000がオートプレーヤーだったら、
この10秒間は、デュアルの1219のように「黄金の10秒間」といわれたかもしれない。
芯出し作業を終えたら自動的にカートリッジをレコードの盤面に降ろしてくれる、という機能があれば、
TX1000に対する評価は大きく変ったはずだが、TX1000はくり返しになるが、トーンアーム・レス型なのだ。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生
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私にとってアナログディスク再生とは(その27)

「続コンポーネントステレオのすすめ」の中の「オートかマニュアルか?」に、
瀬川先生は、デュアルのプレーヤーのことを次のように書かれている。
     *
音楽評論家の黒田恭一氏は、かつて西独デュアルのオートマチックのプレーヤーを愛用しておられた。このプレーヤーは、レコードを載せてスタートのボタンを押すだけで、あとは一切を自動的に演奏し終了するが、ボタンを押してから最初の音が出るまでに、約14秒の時間がかかる。この14秒のあいだに、黒田氏は、ゆっくりと自分の椅子に身を沈めて、音楽の始まるのを待つ。黒田氏がそれを「黄金の14秒」と名づけたことからもわかるように、レコードを載せてから音が聴こえはじめるまでの、黒田氏にとっては「快適」なタイムラグ(時間ズレ)なのである。
ところが私(瀬川)はこれと反対だ。ボタンを押してから14秒はおろか、5秒でももう長すぎてイライラする。というよりも、自分には自分の感覚のリズムがあって、オートプレーヤーはその感覚のリズムに全く乗ってくれない。それよりは、自動(オート)でない手がけ(マニュアル)のプレーヤーで、トーンアームを自分の手でレコードに載せたい。針をレコードの好きな部分にたちどころに下ろし、その瞬間に、空いているほうの手でサッとボリュウムを上げる。岡俊雄氏はそれを「この間約1/2秒かそれ以下……」といささか過大に書いてくださったが、レコードプレーヤーの操作にいくぶんの自信のある私でも、常に1/2秒以下というわけにはゆかない。であるにしても、ともかく私は、オートプレーヤーの「勝手なタイムラグ」が我慢できないほどせっかちだ。
こういう、音とは別のいわば人間ひとりひとりの「性分」や、生態のリズムのような部分が、プレーヤーを選ぶときにオートかマニュアルかを分ける意外に大切な部分ではないかと、私は思っている。
     *
ここでは20秒が14秒になっているが、
とにかくデュアルの1219はスタートスイッチを押してから音が出るまでの時間が存在している。
自らせっかちな性分といわれる瀬川先生には、黒田先生にとっての「黄金の20秒」はたえられない20秒となる。

TX1000はレコードの芯出し作業に、約10秒ほどかける。
だが、この10秒は、デュアル1219の20秒とは、異る時間だ。

1219では椅子に坐ってまっていれば、音楽が鳴り出してくれる。
ところがTX1000は、トーンアーム・レスのプレーヤーだから、
10秒たったあとに自動的にレコードを再生してくれるわけではない。
10秒待ち、TX1000がレコード芯出し作業を終えた後、
自分の手でカートリッジをレコードの盤面に降ろさなくてはならない。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その3・補足)

黒田先生が、モーストリークラシックの2009年7月号に書かれことについては、ここで触れている。

その23年前に、その原形ともいえることをすでに書かれている。
引用しておく。
     *
さまざまな情報を満載した雑誌の山をみていると、情報の洪水などという言葉が、途端に現実感をもってくる。洪水に押し流されたあげく、興味あるニュースをみのがしてしまう。えっ、あのコンサートは、もう終わってしまったのかとか、へぇ、そんなレコードが出ていたのか、気がつかなかったなとか、情報の消化不良をおこして、いらいらすることもしばしばである。どう贔屓めにみても、これは健康なこととはいいかねる。焦れば、おのずと、夜道の酔っぱらいよろしく足がもつれもする。
情報の洪水が日常茶飯事になったときに威力を発揮するのは、あのレコード、ちょっと気になっているんだけれど……といったような、友人の耳うちである。活字、ないしは電波によった、したがってオーソリティーのものではありえない、友人の、いわばナマの情報は、その背後に商業主義がてぐすをひいているはずもないから、説得力がある。
     *
1986年3月に発行されたステレオサウンド 78号の「ぼくのディスク日記」で書かれたものだ。
この「ディスク日記」の中に出てくる「活字、ないしは電波によった」情報を、
つまり背後に商業主義がてぐすをひいている情報を、
黒田先生は2009年に、情報擬き、と表現されている。
そして「情報」とは商業主義とは無縁の、友人の耳うちによるナマの情報、であると。

Date: 8月 17th, 2011
Cate: アナログディスク再生
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私にとってアナログディスク再生とは(その26)

レコードの偏芯による音質の劣化に注目したアナログプレーヤーが、いまから30年前に存在していた。
ナカミチのTX1000というトーンアーム・レスのアナログプレーヤーである。

TX1000の最大の特徴は、アブソリュート・センター・サーチ・システムと名づけられた独自の機構で、
アナログディスクの最終溝(音が刻まれている溝とレーベルの間にある無音溝)を、
トーンアームの対面にもうけられたセンサーアームがトレースして偏芯の具合の検出、補整するもの。
この機構・機能の大前提は、最終溝が真円であるということ。
最終溝が真円でなかったら……、という疑問はあるけれど、
実際にTX1000で芯出しを行う前と行った後の音を比較すると、はっきりとした効果がある。
もちろんレコードがうまくぴたっと芯が合って収まっているときは効果はないわけだが、
ズレが大きいほど当然だが音の変化も大きい。

TX1000がこの芯出し作業を行い終えるまで、たしか10秒近くかかっていたと思う。
この10秒間を、どう受けとるのか、人によってさまざまのはず。

思い出すのはデュアルのアナログプレーヤーの1219のことだ。
この1219はいわゆるオートプレーヤーで、
スタートスイッチをおしてカートリッジがレコード盤面に降りて音が出るまでに約20秒の時間がある。
この20秒を、黒田先生は「黄金の20秒」といわれていた。

聴きたいレコードを1219にセットしてスタートスイッチを押す。
そして椅子にかけて音が出るのを待つ。20秒の時間があれば、多少プレーヤーと椅子のあいだが離れていて、
あわてることなくゆっくりと椅子にかけて、ゆっくりと音楽が始まるのを待てる。
これについては、「聴こえるものの彼方へ」所収の “My Funny Equipments, My Late Friends” に書かれている。

黒田先生は、この20秒を、短すぎず長すぎず、黒田先生にとってはグッドタイミングであったのだが、
まったく違う受けとめかたをされていたのが、瀬川先生である。

Date: 8月 17th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(補足)

(その26)を書く前に、ひとつ書いておきたいことがある。
アナログディスクの取扱い、カートリッジの取扱いに長けていらっしゃる方は読み飛ばしてくださってほしいが、
ときどきアナログプレーヤーの操作に慣れていないのか、カートリッジを大切にしすぎてのことだろうと思うが、
カートリッジをレコードの盤面に降ろす、ということを少し誤解されているのではないか、と思うこともある。

カートリッジをレコードの盤面に降ろす、ということは、文字通り、降ろす、である。
つまりカートリッジをレコードの盤面近くに近づけたら、ヘッドシェルの指かけから指を離して、
カートリッジを自然落下させる、ということだ。
もちろんレコードの盤面とカートリッジのあいだが離れすぎていては、どちらも傷めてしまうことになるが、
大事に思う気持がいきすぎてしまい、
カートリッジの針先がレコードの溝にふれるまでヘッドシェルをつかんでしまうことは、
逆にレコードもカートリッジも傷めてしまうことにつながる。

トーンアームの調整──、ゼロバランスをとり針圧をかけた状態では、
針圧が重めであってもヘッドシェルから指を話した瞬間に勢いよくレコードの上に降りることはない。
すーっと降りていくものだ。
だから、ぎりぎりのところで指を離して、
あとはカートリッジの自然落下(といっても、それはほんのわずかだ)にまかせるのが、
カートリッジにとっても、レコードにとっても大切なことである。

そのためにはヘッドシェルの指かけの形状が重要になってくる。
ヘッドシェルの指かけを親指と人さし指ではさむようにもつ人もいるが、このことも気をつけたい。
いい指かけならば、人さし指を軽くあてるだけで、指からすり落ちてしまうことはない。

指かけが弓なりになっているものがあるため、指かけの下に人さし指を入れたくなるけれど、
指かけで大事なのは、指かけの端に人さし指の腹をちょっと押しあてるための小さな突起である。
この突起に人さし指を押しあてて、針を降ろしたい位置までもっていったら、すっと指を後方に逃がすだけでいい。

Date: 8月 17th, 2011
Cate: audio wednesday

第8回公開対談のお知らせ

毎月第1水曜日に行っています公開対談の次回は、9月7日(水)です。
今回から、「幻聴日記」の町田秀夫さんとの対談になります。
対談のテーマは、「音を語る言葉・表現について」です。

時間はこれまでと同じ夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 8月 16th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その25)

経験をつむことで、なるほど、レコードの偏芯の具合がリードインのノイズ音でわかるのか、
でもだからといって、偏芯をコントロールすることはできないんだろう……と思われる方もおられるだろう。

ステレオサウンドの試聴室でカートリッジの比較試聴があると、
20機種のカートリッジを1日で取材することになる。
カートリッジをひとつ聴くのに3枚の試聴レコードを使うとしたら、最低でも60回レコードのかけ替えを行う。
カートリッジの試聴はそれだけでは終らない。
針圧を調整して、インサイドフォースキャンセラーの量も変化させて、といった細かい調整をおこない、
限られた時間内で最適の状態で鳴らすようにする。
これがあるためにレコードのかけ替えの回数はさらに増える。
これらの作業は、すべて編集部(私)がやっていた。

ここで大事なのはカートリッジの調整の確かさだけではなく、
レコードの偏芯をどれだけある範囲内におさめることができるかである。
偏芯が大きすぎると、リードインのノイズ音が鳴った瞬間に、鬼の耳の持主といわれた井上先生から、
「ズレが大きいぞ」と指摘される。

これは指摘だけでなく、やり直せ、という意味も含まれている。
カートリッジの試聴には、そのぐらいを気を使う。

やり直す、これも一度で決めないといけない。
こういうことをくり返していると、
少なくともステレオサウンド試聴室にリファレンス・プレーヤーのマイクロのSX8000IIに関しては、
扱い馴れているから、ある範囲内で偏芯を収めることは、じつはそう難しいことではない。

このことはプレーヤーの使いやすさとはなにかとも関係してくることだ。
ターンテーブルプラッターの形状、その周辺のつくりによっては、
このコントロールがやりにくいものがある。かと思うと、
はじめて使うのに、すっと馴染んできて勘どころが掴めるプレーヤーもある。