Archive for category テーマ

Date: 4月 1st, 2012
Cate: ワイドレンジ
1 msg

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その7)

すこし話は前にもどるが、この項を書いていて思い出したことがひとつある。
1988年(だったと記憶している)、
サントリーホールでアルゲリッチとクレーメルのコンサートに行ったときのことだ。
バルトークがプログラムにあった。

サントリーホールには、アルゲリッチ、クレーメルのコンサートの前にも何度も行っていた。
そのあとにも何度も行っているけれど、
アルゲリッチとクレーメルでコンサートでの味わった経験(驚き)は、このときだけである。

アルゲリッチとクレーメルだから、サントリーホールのステージ上にあるのは、ピアノとヴァイオリンだけである。
なのにそれまでオーケストラを何度も聴いてきたけれど、ホール全体が一瞬揺れたと感じたことはなかった。
オーケストラがトゥッティでどれほど大きな音をだそうとも、
サントリーホールという丈夫な建物が揺れるということは起こり得ない。
ホール内の空気が動くということはあってもホールが揺れるということを感じたことはなかった。

だからアルゲリッチひとりが弾くピアノの音によって、
ホールが揺れた(それは物理的に本当に揺れたのではないのであろうが、なぜかそう断言できない)。
その瞬間、思わず視線はステージからはなれてまわりを見廻してしまうほど、現実感のある揺れだった。

このバルトークでのアルゲリッチの放った一瞬のフォルテッシモが、
いま思い返すと、岩崎先生の、これまでに何度も引用している文章につながっていく。
だから、しつこく、また引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
サントリーホールが揺れたときアルゲリッチが演奏していたのはバルトークであり、
バルトークは、クラシックに分類される音楽であり、ジャズに分類される音楽ではない。
それでも、アルゲリッチの、あの一瞬のエネルギーの凄まじさは、
引用した文章で、岩崎先生が言われていることそのものであったのかもしれない、と20年以上経ったいま、
そうつよく感じている。

Date: 3月 31st, 2012
Cate: モノ

モノと「モノ」(その10)

この項の(その3)に、
レコードの値段を「音楽の値段」とイコールにできない、と書いた。

稀少盤と呼ばれているディスクには、関心のない人にとっては驚くような値段がついてるものがある。
稀少盤といっても、その値段の幅はじつに大きい。
新品で出た時にはほとんど同一価格であったレコードが、10年、20年経っていくと、
中古盤となったときの値段には大きな開きが生じてくる。

このことは、中古盤の値段イコール「音楽の値段」ということになる、といえるのだろうか。

同じ音楽をおさめたレコードでも、
オリジナル盤と呼ばれるものは高い値段がつき、再発盤にはそれほどの値段はつかなかったりするし、
国内盤となると、もっと値がつきにくかったりするわけだが、
あくまでもこれらのレコードに収められている音楽は──そこにクォリティの差はあるとはいえ──同じものである。

ということは、中古盤となったときのレコードの値段は、「音楽の値段」といえるのだろうか。
結局のところ、レコードの値段はどこまでいっても「音楽の器の値段」でしかない、と思う。

Date: 3月 30th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その19)

プリメインアンプ、コントロールアンプ側にテープ再生のイコライザーがあった時代には、
このテープデッキ(再生ヘッド)には、このコントロールアンプ(もしくはプリメインアンプ)を組み合わせる、
ということが行われていたと思う。

アナログディスク再生のカートリッジとフォノイコライザーアンプとの相性のように、
再生ヘッドとテープ再生用アンプとの相性があって、
そのことがオーディオ雑誌の記事にもなり、マニアのあいだでの話題にもなったであろう。

けれどテープ再生用アンプは、コントロールアンプ(プリメインアンプ)側から、
テープデッキ側に統合されていった。

いまでは想像しにくいことだが、
ずっと昔は秋葉原のパーツ店でヘッドが売られていた、ときいたことがある。
モトローラのヘッドが評判が良かったそうだ。

もし再生用アンプがずっとコントロールアンプ(プリメインアンプ)側にあったままだとしたら、
そしてテープ用のヘッド単体がパーツ店やオーディオ店で、カートリッジのように売られていたとしたら、
テープ関連のアクセサリーの数も、すこしは増えたのかもしれない。
でも、そうはならなかったのは、テープデッキは解体(細分化)の方向ではなく、統合へと向ったからである。

アナログプレーヤーとテープデッキは、こういうふうに違う道に分かれてしまった。
これはテープデッキが再生だけの器械ではなく、録音・再生機器という性質が大きく関係してのことだが、
同時にテープデッキの世界では、
他のオーディオ機器よりもプロフェッショナル用のモノが比率として多く存在する。
このことも、テープデッキが解体(細分化)に向わなかった大きな理由ではないだろうか。

たとえばアナログプレーヤーでも、プロフェッショナル機器としてEMTが日本では有名な存在である。
EMTのアナログプレーヤーは、930stも927Dstも928も、
ダイレクトドライヴ式になってからの950や948など、すべてイコライザーアンプを搭載しており、
ラインレベル出力となっていることは、改めて言うまでもないだろう。

Date: 3月 28th, 2012
Cate: audio wednesday

第15回 audio sharing 例会のお知らせ

次回のaudio sharing例会は、4月4日(水曜日)です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 28th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その26)

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。

Date: 3月 25th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その25)

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。

Date: 3月 25th, 2012
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その20)

オーディオの「現場(げんじょう)」は、どこなのか。

映画館をホームシアターの「現場」として捉えるのであれば、
まず思いつくのは、オーディオの場合はオーディオ販売店の試聴室がある。

販売店の店主のポリシーによって、試聴室に並べられているオーディオ機器は、さまざまである。
すでに製造中止になっている、名器と呼ばれるものを中心に取り揃えたところもあれば、
最新のオーディオ機器、それもひじょうに高価なモノばかりをあつめたところもあるし、
このふたつの両極の間に、いくつものポリシーがあって、
それらの試聴室で聴ける音もひとつとして同じところはない。

たいていのオーディオ販売店では、CDなりLPを持参すれば、そのディスクを鳴らしてくれる。

ホームシアターでは映画館でも自宅でも、同じプログラムソース(同じ作品)を鑑賞できる。
その意味では同じプログラムソースを聴くことができるわけだから、
オーディオ販売店の試聴室は、オーディオの「現場」と呼べなくはないところがあるのは否定できない。

こんな書き方をしたくなるのは、オーディオ販売店の試聴室が、
ほんとうにオーディオの「現場」たり得るのか、と思っているからだ。

かりにオーディオ販売店の試聴室がオーディオの「現場」だとしても、
それは「げんば」であって、「げんじょう」ではない──、
こういう気持がどこかにひっかかっている。

Date: 3月 24th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その24)

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。

Date: 3月 23rd, 2012
Cate: 言葉

ふたたび「目的地」について

オーディオ(audio)ということばが好きで、
サイトの名前はaudio sharingにした。
サウンド(sound)、ステレオ(stereo)よりも、audioを、
何かの名前を考えるときには使いたい、と思っているから、このブログも当然audioにした。

audio identityだと、検索してみると2008年の時点ですでにいくつかのサイトやブログで使われていた。
だからaudio identityのあとに括弧でくくって、designingをつけ、
audio identity (designing)と、すこし長い名前とした。

audio identityをどう日本語に訳すのかは、人によって多少違ってくるだろうし、
私自身は、audio identityにいくつかの意味をこめて使っている。

そのaudio identityにあえてdesigningをつけた──、designedではなくて。

designingをつけると決めた当初は、そのことについてそれほど深く考えていたわけではなかった。
でも、audio identity (designing)というタイトルのもとに毎日書いていくことで、
はっきりしてきたことがある。

audio identity (designing)は、2008年9月3日に始めた。
翌4日に「目的地」というタイトルで書いている。

そこに書いたことのくり返しになるが、だから(designed)となることは、ないといえる。

Date: 3月 21st, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その23)

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。

Date: 3月 20th, 2012
Cate: re:code

re:code(その4)

まず、このリンク先にある”Years“と名付けられた動画を見てほしい。

薄くスライスした木の円盤の年輪を光学的に読み取って、音へと変換されていく。
オーディオの世界では、レーザーで音溝を読み取って再生していく、
いわゆるレーザーターンテーブルが存在しているわけだから、
こういうプレーヤーが登場する技術的下地はすでにあったわけで、
この”Years”の登場に対しては、技術的な驚きは感じずに、そのアイディアの面白さに魅かれるところがある。

Yearsの光学ピックアップが読み取るのは、
木の年輪であるからアナログディスクの音溝のように刻まれたものではない。
つまり平面の円盤上に描かれている年輪を読み取っているわけだから、
同じことはアナログディスクでも可能となる。

ようするに、これまでのレーザーターンテーブルは音溝の形状を読み取って再生していたわけだが、
音溝ではなく、音溝と音溝のあいだを読み取ることも充分可能ということになる。
この部分の形状は隣接する音溝の形状によってきまる。
レコードが1回転するだけの時間のズレが、この部分の形状をつくっていくわけだ。

レコードはrecordであり、re:codeと考えるのであれば、
この部分からは、どんな音楽が変換されていくのだろうか、とこんなことを考えてしまう。

Date: 3月 20th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その14)

ハークネスとS9500、このふたつのJBLのスピーカーシステムに対する田中一光氏の使い方は違う。
ハークネスに対しては、(私の勝手な解釈だが)田中一光氏は音を奏でる家具として、
S9500に対しては、いわゆるオーディオ機器としてスピーカーシステムとして、の使い方をされている。

S9500にはハークネスのような使い方は、もうまったく似合わない。
ハークネスとS9500とは、そういう性格の違いをもっているわけだ。

そしてハークネスとオリンパスにも、ハークネスとS9500ほどではないにしても、
同じ性格の違いがあると感じている。

ハークネスは田中一光氏の使い方もできる一方で、いわゆるスピーカーシステムとしても使いたくなる。
つまり通常のスピーカーシステムと同じように左右に拡げ、左右のスピーカーのあいだには極力物を置かずに、
スピーカーシステムの内側への振りも聴きながら調整して詰めていく。

このことが私にとって、ハークネスとオリンパスの大きな違いとして、ずっと以前からあるものだ。
結局、これは私にとっては、ハークネスとオリンパスのスピーカーシステム・デザインの違いである。

ハークネスとオリンパスとでは、オリンパスのS8Rともなれば、
ユニット構成はハークネスよりもワイドレンジ志向のものになり、ドライバーも375を採用するなど、
より本格的な再生を目指していくのであれば、ハークネスよりもオリンパスのユニット構成の方が可能性は高い。
そういう意味では、それに見合っただけの使いこなしが聴き手には求められるともいえるのだが、
オリンパスの雰囲気は、こまかい使いこなしをいくらか遠ざけてしまうようにも感じられる。

オリンパスは、音を奏でる家具としてはハークネスよりも徹底しているようにみえる。
だから家具として、オリンパスは、そういう使い方を聴き手に暗黙の了解として、求めている。

家具ということになれば、それが音を奏でるモノであっても、
多くの家具と同じように壁に寄せて置くことになる。
そういう置き方をしたときに、部屋の中にしっくりと収まるからだ。

Date: 3月 19th, 2012
Cate: 表現する

音を表現するということ(音の黄金比)

音は「バランスが大事だ」とかなり昔からいわれつづけている。

まずは帯域バランス。それから音色の硬軟のバランス。情緒的な面と知性的な面とのバランス、陽と陰とのバランス。
こうやって例をあげていくと、いくつでも出てくる。
これらのバランスが見事にとれいてる総合的な音は、見事な音といえることだろう。
それが、いい音であるのか、は措いとくとしても、ケチのつけようのない音であることは確かなはず。

ただ、バランスでも、特に対比的・対称的・対照的な面に関わってくるバランスにおいては、
1対1、つまりぴったり同等であることが、美しい音を生み出すとはどうしても思えない。

1対1ではなくて、すこしどちらかに傾いたバランス、
それはおそらく黄金比とよばれる比率になるのかもしれないが、
そういうバランスの音こそが、
そしてその比率が、ときに音楽の表情の変化によって逆転することのできる音のみが、
美しい音として認識されてゆくような気がする。

こんなことを書いてはいても、
ではどうやって音の、そういう面のバランスを数値化が出来るのか、と問われても答えられない。
結局は、耳で判断するしかないことなのだから、そこに黄金比をもってくるのはもともと無理がある考え──、
そう思われてもいい。同意してくれる方がいなくてもいい。私もそう思っているところがある。

それでも感覚的な黄金比は確かにある、と感じていて、
この黄金比を己の感覚として身につけることが、私にとっての「音を表現する」ということになっていく……。

Date: 3月 18th, 2012
Cate: 「空間」

この空間から……(その2)

(その2)以降からスピーカーのエンクロージュアに焦点を絞って書いていくつもりでいた。
(その2)を、2、3日うちにでも書こうかな、と思っていた金曜日に、
「この空間から……」に川崎先生からのコメントがあった(facebookのほうで)。

(その1)で紹介した写真を見たときから、この空間を、なんと表現しよう、と考えていた。
考え出す前に、(その1)を書いて公開したのは、
やはり、1日でもはやく、一人でも多くの人に、
これらの写真(ベルリンフィルハーモニー室内楽オーケストラのポスター)を見てもらいたかったからなのだが、
だからこそ、川崎先生の表現を目にしたとき、
正直、こういう言葉は出てこなかったことに気づかされ、
同時に、この項の(その2)以降の内容も変えていこうと触発もされた。

とはいっても、いまはまだ川崎先生の、コメントに書かれたその表現を頭のなかでくり返しているだけでだから、
いますこし時間がかかるけど、それでもわくわくするものを感じている。

川崎先生のコメントを読むにはfacebookのアカウントが必要で、
audio sharingというfacebookグループにアクセスしてください。

Date: 3月 17th, 2012
Cate: 名器

名器、その解釈(その6)

昨年10月5日に四谷三丁目・喫茶茶会記で行った工業デザイナーの坂野博行さんとの、
「オーディオのデザイン論」を語るために、の中で、
パラゴンの話になったときに坂野さんから出たキーワードが、この「スケール」である。

タンノイのオートグラフとウェストミンスターとのあいだに私が感じていることについては、
違う方向から語るつもりでいたのだが、坂野さんのいわれた「スケール」を聞いて、
これほど簡潔に表現できるキーワードがあったことに気がついた。

ここでいう「スケール」とは、製品そのもののスケールという意味ではない。
製品そのもののスケールでいえば、オートグラフとウェストミンスターとほぼ同等か、
むしろウェストミンスターのほうがスケールは大きいといえるところもある。

けれど、坂野さんが使われた意味での「スケール」では、
私の解釈ではオートグラフのほうがスケールが大きい、ということになる。

坂野さんは、このとき、「スケール」についてパラゴンとの対比で同じJBLのハーツフィールドを例に挙げられた。
パラゴンとハーツフィールドは、どちらもJBLの家庭用スピーカーシステムとして、
アメリカのいわば黄金時代を代表するモノ(名器)であるけれど、
ハーツフィールドはモノーラル時代の、パラゴンはステレオ時代になって開発されたスピーカーシステムであり、
どちらが見事とか、素晴らしい、とか、そういった比較をするようなものではないのだが、
このふたつのスピーカーシステムを生み出した発想の「スケール」ということになると、
パラゴンの方がハーツフィールドよりも大きい、ということになる(そう私は聞いていた)。

ハーツフィールドとパラゴンとでは、
ハーツフィールドのほうが美しいスピーカーシステムだと思っていた時期があった。
いまも、このスピーカーが似合う部屋のコーナーに収められたときに醸し出される雰囲気には魅かれるものがある。

けれどパラゴンには、ステレオ用スピーカーシステムとして左右のスピーカーをひとつにまとめてしまうという、
そういう意味での「スケール」の大きさがあり、
これに関しては、モノーラル、ステレオという時代背景も関係していることは百も承知のうえで、
ハーツフィールドには、仕方のないことだが、パラゴン的な「スケール」の大きさは乏しい、と思う。

この「スケール」がタンノイでは、逆転してモノーラル時代に生み出されたオートグラフに感じられ、
ステレオ時代になってからのウェストミンスターには、ないとはいわないまでも稀薄になっている。