Date: 4月 1st, 2012
Cate: ワイドレンジ
Tags:

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その7)

すこし話は前にもどるが、この項を書いていて思い出したことがひとつある。
1988年(だったと記憶している)、
サントリーホールでアルゲリッチとクレーメルのコンサートに行ったときのことだ。
バルトークがプログラムにあった。

サントリーホールには、アルゲリッチ、クレーメルのコンサートの前にも何度も行っていた。
そのあとにも何度も行っているけれど、
アルゲリッチとクレーメルでコンサートでの味わった経験(驚き)は、このときだけである。

アルゲリッチとクレーメルだから、サントリーホールのステージ上にあるのは、ピアノとヴァイオリンだけである。
なのにそれまでオーケストラを何度も聴いてきたけれど、ホール全体が一瞬揺れたと感じたことはなかった。
オーケストラがトゥッティでどれほど大きな音をだそうとも、
サントリーホールという丈夫な建物が揺れるということは起こり得ない。
ホール内の空気が動くということはあってもホールが揺れるということを感じたことはなかった。

だからアルゲリッチひとりが弾くピアノの音によって、
ホールが揺れた(それは物理的に本当に揺れたのではないのであろうが、なぜかそう断言できない)。
その瞬間、思わず視線はステージからはなれてまわりを見廻してしまうほど、現実感のある揺れだった。

このバルトークでのアルゲリッチの放った一瞬のフォルテッシモが、
いま思い返すと、岩崎先生の、これまでに何度も引用している文章につながっていく。
だから、しつこく、また引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
サントリーホールが揺れたときアルゲリッチが演奏していたのはバルトークであり、
バルトークは、クラシックに分類される音楽であり、ジャズに分類される音楽ではない。
それでも、アルゲリッチの、あの一瞬のエネルギーの凄まじさは、
引用した文章で、岩崎先生が言われていることそのものであったのかもしれない、と20年以上経ったいま、
そうつよく感じている。

1 Comment

    音楽のジャンルは関係ないのでしょう。私がD130をあきらめきれないのは、LPで聴くPRINCEのKISS 〜 瞬間瞬間の突出したエネルギー感が音楽再生になくてはならない要素だと感じるからです。

    1F

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]