Archive for category テーマ

Date: 2月 1st, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その3)

付加価値の付加とは、付け加えられる、付け加えられたという意味である。
ある製品が完成した後に付け加えられた価値が、付加価値ということになるのか。

さらには付け加えられた価値であるのならば、
その価値を不要とする使い手が取り除くことができる価値なのだろうか。

私にとって、(その2)で挙げたJBLのHarkness、トーレンスのTD224、そのほかの機種から、
岩崎先生が使われていたモノということは取り除くことはできない。

傍から見れば、岩崎先生が使われていたスピーカー、アナログプレーヤー、カートリッジといったことは、
付加価値であると思っていたとしても、私にとっては付加価値ではない、という気持が強いのはそのためである。
取り除けない価値は、付加価値ではないはずだ。

では、タンノイのオートグラフにとって、五味先生が鳴らされていたということは付加価値になるのか。
私には、ここがやや微妙になってくる。

毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会をはじめたばかりのころ、
来られた方がいわれた。
オートグラフは五味康祐氏が鳴らしていたから特別なスピーカーではない。
そういうこととは関係なしに特別なスピーカーなのだ、と。

これは至極まっとうな意見である。
そうわかっていても、私にとってタンノイ・オートグラフは、
どこまでいっても五味先生がもっとも愛用されたスピーカーということで、特別な存在なのである。

つまり私にそう言われた人にとって、
五味先生が鳴らされていたいたことはオートグラフにとっての付加価値ではない、ということであり、
私にとっては付加価値以上の意味をもつことになる。

そしてその人と私のあいだに、五味先生が愛用されていた、ということが付加価値となって、
オートグラフを見ている人もいるはずだ。

Date: 2月 1st, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その1)

デザインとデコレーション。
デコレーションとは装飾である。
装飾品はアクセサリーである。

オーディオにもいくつものアクセサリーが存在する。
ケーブルもそのひとつだし、インシュレーター、スタビライザー、クリーナー、その他多くのジャンルのモノが、
いまオーディオ・アクセサリーとして流通している。

オーディオアクセサリーは音元出版の季刊誌の誌名なので、
ここではオーディオ・アクセサリーと表記する。

以前はオーディオ・アクセサリーは地味な存在だった。
いわば陰の存在のようでもあった。
価格もそれほど高価なモノはほとんど存在しなかった。

スピーカーケーブルにしても、ほとんどのケーブルが1mあたり数百円だった。
そこにマークレビンソンのHF10Cが登場した。
1mあたり4000円だった。

ステレオサウンド 53号に瀬川先生が「1mあたり4千円という驚異的な価格」と書かれているくらい、
当時としては非常に高価なスピーカーケーブルであった。
いまでは安価なスピーカーケーブルということになってしまうけれども。
これが1979年だった。

1980年代の後半になって、朝沼予史宏さんがステレオサウンドの試聴室に、
マークボーランドという、初めてきくブランドのスピーカーケーブルを持ち込まれた。
長さは3mくらいだった。
朝沼さんによると、ペアで30万円ほどだということだった。

3mだとしよう。
HF10Cだと片チャンネル12000円、ペアで24000円。
マークボーランドのスピーカーケーブルはHF10Cの十倍ほどの価格である。

Date: 2月 1st, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その2)

オーディオ機器にとっての付加価値とはどういものがあるのだろうか。

いま私のところにはJBLのHarknessがある。
トーレンスのTD224、パイオニアのExclusive F3、EMTのTSD15、デッカのMarkVなどがある。
これらはすでに書いてきたように、岩崎先生がお使いだったモノだ。

その意味では付加価値があるオーディオ機器といえるわけだが、
ここでの付加価値はあくまでも私にとって、ということに限られるし、
付加価値とはいいたくない気持も強い。

岩崎先生の文章を読んできた読み手の一部にとっても、それは意味のあることで、
そういう人にも、岩崎先生のモノだったオーディオ機器ということは付加価値となるだろうが、
それを一般的な付加価値とは呼べない。

これに関することでいえば、このモデルは以前○○さんが使われていた、といわれるモノが市場に出ることがある。
仮に本当だとしても、すでに誰かの手にわたり、その人からまた別の人に、ということもある。

こういう場合にも、私にとって付加価値と同じ意味での付加価値があるといえるだろうか。
これは人によって違ってくることだろう。

あいだに何人かの人がいようと、そこに付加価値を認める人もいれば、
直接本人から譲ってもらったものでなければ、付加価値は認められない、という人もいる。

誰かが使っている(いた)ということは、付加価値になり得るのだろうか。
タンノイのオートグラフは五味先生が鳴らされていたスピーカーシステムである。
JBLの4343は瀬川先生、マッキントッシュのXRT20は菅野先生、
JBLのパラゴンは岩崎先生、ジェンセンのG610Bは長島先生、ボザークは井上先生……、
スピーカーシステムに限らず、アンプ、プレーヤーを含めるといくつもあげていける。

これは付加価値になるのか。
つまりはタンノイのオートグラフにとって、五味先生が鳴らされていた、ということは付加価値となるのか。

Date: 1月 31st, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その1)

デザインは付加価値といっている人は昔からいて、いまもいる。
オーディオの世界にもいる。

いつまで、こんなことがいわれつづけていくのか、と思うと、うんざりする。

それにしてもオーディオにおける付加価値というのはあるのだろうか。
昔から、そんなことを思っていた。
あるようには思えないのだが、
オーディオ機器の資産価値をけっこう気にする人がいるのを、
ステレオサウンドで働くようになって知った。

意外だった。
自分が所有しているオーディオ機器の資産価値など、
それまで一度も考えたことはなかったし、
資産価値を選択基準にしたこともなかったからだ。

なるほど、そういう考えをする人もいるのだ、ぐらいに思っていた。
けれど、はっきりと資産価値を口にするわけではないが、
オリジナル至上主義の人の中には、この資産価値をとにかく気にしての人がいることも知った。

オリジナルと違う部品を使うと、そのオーディオ機器の資産価値が下がる、とはっきりと口にした人もいた。

先日、ゴールドムンドの価格改定が発表になった。
いまは円安だし、ゴールドムンドはスイスの会社でありスイスフランの高騰を考えれば、
価格改定はしかたないこと。

どのくらい価格がアップするのか。
ゴールドムンドのパワーアンプのフラッグシップモデルであるTELOS 2500+。
現在の価格は16,500,000円。これでもすごい価格なのに、価格改定後は33,500,000円となる。
二倍になる。

購入を検討している人は、価格改定前になんとか手に入れるしかない。
けれどすでに所有している人にとって、この価格の上昇は資産価値の上昇でもある。
10%、20%くらいの価格上昇でも資産価値の上昇といえなくはないが、
そんなのはごくわずかである。

けれど一千六百万円が三千三百万円ともなれば、
この資産価値の上昇は立派な付加価値といえるのではないか。

Date: 1月 31st, 2015
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(人間性と音楽性)

人間性を辞書でひけば、
人間を人間たらしめる本性。人間らしさ、とある。

音楽性は載ってなかった。
けれど人間性の意味でいえば、
音楽を音楽たらしめる本性。音楽らしさ、ということになる。

音楽といっても、これまでに多くの(無数の)音楽が生み出されている。
あまりにも、音楽という言葉がカバーしている範囲は広い。

だからもう少し限定して、たとえばベートーヴェンの音楽、
もっと狭めればベートーヴェンの作曲した曲ひとつ、
ピアノソナタ第32番ということに限れば、
音楽性とは、
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番をベートーヴェンのピアノソナタ第32番たらしめる本性、
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番らしさ、ということになる。

音楽を聴くことは、聴いている音楽への共感でもある。
なにがしかの共感があるから、聴き手は、その音楽を素晴らしいと思ったり、感動したりする。

だが純粋な共感はあるのか、とも考える。
100%な共感ともいおうか、そういう共感はあるのか。

そんな純粋な共感をもって音楽を聴いている人もいるかもしれない。
けれど私はそうではない。
だから純粋な共感はあるのか、と考えるわけだ。

私はわたしなりの共感で音楽を聴くしかない。
ということは、そのわたしなりの共感というのは、私の人間性と深く関わっているといえるわけで、
そうなると、私がベートーヴェンのピアノソナタ第32番に感じている音楽性とは、
つまりは私の人間性と切り離すことはできない、ということになる。

純粋な共感をもって音楽を聴いている人であれば、そうはならないだろう。
だが、そんな人がどれだけいるのだろうか。
私のまわりに、そういう人はいるだろうか。

いないとすれば、私のまわりにいる人たちがいうところの音楽性とは、
この言葉を発した人の人間性と深く関わっているのではないか。

にも関わらず、音楽性ということばを、ひとつの共通認識として使いがちである。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その6)

オーディオ雑誌やインターネットでの情報、
それからオーディオ店での試聴などなど、
ありとあらゆる情報を選択のために集める。

これはこれで楽しい行為である。
これ自体が趣味といえるのかもしれない。

気になっているモデルの情報をどれだけ集められるか。
集めた情報をどう取捨選択していくのか。
候補がいくつかあれば、情報収集とその取捨選択はもっと面白くなる。

これはオーディオの楽しみ方のひとつであり、
私はこれを自転車でよくやっている。
買えるとか買えないとかはあまり関係なく、この行為自体が楽しいからである。

そんなことをやりながらも、買いたいと思うフレームは、
そうやって情報収集・取捨選択をやっているフレームとは、まったく違っていたりする。

なのに、なぜそんなことをやっているのか。
無駄な行為としか思えないことをやるのか。

もちろん欲しいと思っているフレームについての情報も集めないわけではない。
かなり積極的に集める方だと思う。

でもそれ以上に、他のフレームに関して情報収集をするのは、もう趣味だから、としかいいようがない。
あえて理由をつければ、現在入手できるフレームの中で、もっとも理想に近いと思われるモノはどれなのか、
それを知りたいからなのかもしれない。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その35)

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その10)

五味先生はFM放送の録音・再生以外の、どんなオープンリールデッキの使い方をされていたのか。
生録をやられていたとはきいていない。

五味先生はスチューダーのC37を買われるほど、
オープンリールデッキに対して熱心だった。

アナログプレーヤーでいえばC37はEMTの927Dstのような存在である。
五味先生は930stを愛用されていた。
927Dstがあるのもご存知だった。
その音は少なくともステレオサウンド 51号でのオーディオ巡礼で聴かれている。

それでもアナログプレーヤーを927Dstにされることはなかった。
けれどC37にはされている。

927Dstは大きすぎるから、は理由にはならない。
C37を買われているのだから。

五味先生が亡くなられてから一年以上が経ったころ、新潮文庫から「音楽巡礼」が出た。
あとがきに南口重治氏の文章がある。
その冒頭にこう書かれている。
     *
 五味康祐先生が亡くなられてはや一年余月日の過ぎるのは早いものだ。私と五味先生とのおつきあいは大半がオーディオを通してであった。この稿を書くに当たって、五味先生から送られてきた何本かのテープを聴いてみた。存命中はご自慢の器械で名曲のさわりの部分をいつも送って下さったのだが、テープのはじめには必ず「ナンコーさん」と、あの優しい声の呼びかけが入っているのである。その声を聞き、ケンプの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ作品109番の第一楽章を聴いていると「どうですか、音の具合は……」といまにも姿を現されそうな気がした。お互いに、もっとオーディオ自慢をしたかったのにと思うと残念でならない。
     *
こういう使い方もされていたのか、と読んで思っていた。

オープンリールとはどこにも書いてないが、カセットテープではまずないはず。
音キチを自称されていた五味先生のことだから、19cmということはないだろう、
2トラック38cmで録音されたテープを南口氏に送られていたのだろうか。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その9)

ステレオサウンド 49号の巻末のUsed Component Market(売買欄)に、
アンペックスのAG440B-2が出ていた。
実働250時間、完全オーバーホール、オプションの4トラック再生用ヘッドなどがついている。
希望価格は125万円で、連絡先はステレオサウンド編集部気付になっていた。

このアンペックスは、まちがいなく瀬川先生のアンペックスだと直感した。
欲しい、と思ったけれど、私はまだ16歳。
とうてい無理な金額である。

このころは瀬川先生がアンペックスを購入されたのがいつなのかわからなかった。
けれどその後、古いオーディオ雑誌で瀬川先生のリスニングルームが紹介されているのをみると、
かなり以前から所有されていたことがわかる。

けれど実働250時間ということは、瀬川先生はあまり使われていなかったことになる。

1970年代後半のステレオサウンドには、オープンリールのミュージックテープの広告が載っていた。
2トラック38cmのミュージックテープは一万円をこえていた。

LPはプレスで大量生産が可能だが、ミュージックテープはLPのように簡単に大量生産できるものではない。
基本的にはコピーなのだから。
高価になるのはわかっていた。

それでも魅力的なモノであれば欲しい、と思ったはずなのだが、
食指が動くモノはほとんどなかった。

それでもオープンリールデッキには、オーディオ機器としての魅力があったから、
欲しいと思っていたわけだが、これで録音するものはいったいなにになるのか、とも考えていた。

私は「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった人間だから、
五味先生と同じように毎年バイロイト音楽祭を録音するようになるのだろうか、
あとはNHK-FMによるライヴ中継なのか。
どちらにしてもFM放送ということになる。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その34)

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その5)

マイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1は、1978年にイギリスから登場した。
出力管のKT88、クロームメッキのシャーシーという共通性から、
現代のマッキントッシュMC275といういわれかたもされた。

真空管アンプ、それもパワーアンプの代表的な機種としてMC275は、広い世代から挙げられることが多い。
マランツのModel 9と違い、いかにも真空管パワーアンプといえるルックス、
五味先生が愛用されたパワーアンプ、
私も真空管パワーアンプとしてMC275をイメージすることは多い。

その意味でTVA1の音も、開発年代の新しさがその音にあらわれているといっても、
誰が聴いても真空管アンプだと認識してしまうものをそなえていた。

TVA1をブラインドフォールドテストで聴かされて、半導体アンプだと思う人はほとんどいないと思う。
そのくらいに真空管アンプの音としての特徴が、TVA1の音の特徴でもある。

ラックスのLX38、マイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1と聴いてくると、
真空管アンプには、やはり真空管アンプならではの音の特徴がある、ということになる。
たったふたつのサンプルとはいえ、共通する良さ、
しかもその良さは、そのころの最新のトランジスターアンプからはなかなか聴けない良さであったのだから。

けれどこのころになると、アメリカから真空管を使った新しい世代のコントロールアンプがいくつか登場しはじめる。
ビバリッジのRM1+RM2、プレシジョン・フィデリティのC4、ミュージック・レファレンスのRM5、
コンラッド・ジョンソンのPreAmplifier、カウンターポイントのSA1などである。

これらのコントロールアンプをブラインドフォールドテストで聴かされたら、
すべてを真空管アンプだといいあてることはなかなかに難しいのではないだろうか。

Date: 1月 29th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その10)

水俣病は熊本県水俣市で発生した公害病である。
私も熊本生れである。
水俣市と私の故郷である山鹿市は同じ熊本でも南と北でかなりの距離がある。
山鹿市は海に面していない。

それでも私が小学校のころ、テレビではひんぱんに水俣病のことがとりあげられていた。
小学生であった私には、身近な恐怖にも感じられた。

1971年にはゴジラ対ヘドラという映画が公開された。
公害が問題になっていた時代だった。

大都会から離れている田舎町では公害なんて……、と思えないことを、
水俣病はわからせてくれていた。

水俣の問題は熊本で生れ育ち、
あの時代、頻繁に報道される水俣病のことを見聞きしてきた者には忘れるわけにはいかない。

それでも熊本から離れ東京で暮すようになると、
時代もずいぶん経ったこともあり、それにテレビのない生活をおくってきたことも重なって、
水俣病・水俣に関することを目にすることが極端に減っていた。

そこにNHKのニュース番組での、坂本しのぶさんであった。

六床部屋のベッドの上で、イヤフォンをつけてテレビを見ていた。
消灯時間は夜九時。いわば黙認のかたちで、みな十時くらいまではカーテンを閉めテレビを見ていた。
私もそのひとりだった。

涙はこんなに出てくるものなのか、と思うほどだった。
個室だったら声を出していたであろう。

偽善者にもなれない私はテレビを見つめるだけである。
私には何もできない。涙を流すことだけである。

けれど、オーディオは何かができるのではないか、
オーディオにできることはあるはずだと思っていた。

Date: 1月 28th, 2015
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その7)

(その2)で書いた伊藤先生の言葉。
「スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。」

試されている。
そう実感している。ほんとうにそう思うようになってきた。

同時に、聴き手(選び手)を試さなくなってきているスピーカーも増えてきたように思うようになってきた。
そういうスピーカーが、よいスピーカーだと認識されるように、次第になってきているのが現代なのだろうか。

これも以前書いたことなのだが、「わかりやすい」音のスピーカーが確実にある。
四年前にこう書いている。
     *
文章において、わかりやすさは必ずしも善ではない。
これはスピーカーの音についても、言える。

他者からの「承認」がえやすい音のスピーカーがある。
これも、いわば「わかりやすい」音のスピーカーのなかに含まれることもある。

この場合も、わかりやすい音は、必ずしも善ではない。

聴き手を育てていくうえでの、ひとつのきっかけにならないからだ。

優れたスピーカーとは何か、と問われたときに、
聴き手を育てていく、ひとつの要素となるモノ、と私は答える。
オーディオにおけるジャーナリズム(その11・余談)」より
     *
聴き手を試さなくなったスピーカーは、
聴き手を育てなくなったスピーカーともいえよう。

Date: 1月 28th, 2015
Cate: audio wednesday

第49回audio sharing例会のお知らせ(D/Aコンバーターの変化)

2月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

別項「シンプルであるために(ミニマルなシステム)」で、ワディアのPower DACについて書いている。
実は「シンプルであるために(ミニマルなシステム)」を書き始めたのは、
CHORDのHUGOのパワーアップ版といえるHUGO TTがCESで発表されたので、
HUGO TTについての期待を当初は書いていく予定だった。

それがPower DACのことにふれでおかねば、と思い書き始めていくうちに、
HUGO TTのことは置き去りになっている。
もう少し書いていったら、HUGO TTのことにふれることになると思う。

ソニーとLo-Dがセパレート型CDプレーヤーを発売したことから、
D/Aコンバーターというジャンルがオーディオ機器に新たに加わった。
D/Aコンバーターを専門とするメーカーも登場した。

以前はデジタル入力はRCAコネクターによるSPDIFだけだったのが、次に光ファイバー入力が加わった。
それからプロ規格も登場した。
ここ数年のあいだに、パソコン、周辺機器との接続のための入力も備えるようになってきている。

D/Aコンバーターの技術も進歩しているが、D/Aコンバーターの形態も変化していっている。
非常に高価なモデルもあれば、手のひらに乗るサイズの安価なモデルもある。
ヴァリエーションは増えてきている。

そしてハイレゾリューション音源再生対応となれば、
CDのみの再生以上に問題となることも生じるようになってきている。
そして他の機器との融合もこれから、より積極的に行なわれるようになってくるであろう。
それがうまくいくのかどうかはわからないけれども。

今回のテーマは、D/Aコンバーターの変化について、話したいと考えている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。