Date: 10月 14th, 2014
Cate: きく, 老い
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まるくなるということ

昨夜書いたフランス映画「オーケストラ!」のこと、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のこと。
これを、若いころ、とんがっていたのが年取ってまるくなってしまっただけだろう、と読もうと思えば読める。

年取ってまるくなった、よくいわれることである。
でも、このことが意味しているのは、少し違うところにあるように思っている。

若いころ針のようにとがっている。
年取ってまるくなるとは、針先が摩耗して丸くなることだと思われがちだが、
私は上下左右全方向に針が増えていって、全体のかたちとして球体になることを、
まるくなる、というふうに解釈している。

若いころの針は、本数がすくない。それにある方向にだけ向いていたりする。
だからこそ、相手にとがっている、と感じさせるだけであって、
歳を重ねて、さまざなことを体験していくことで、針の本数は増え、
いままで針のなかった方向に針が生じていく。

そうやって針全体が形成するかたちは球体になっていくのが、まるくなることであり、
決して針先が摩耗して丸くなってしまうわけではない。
これが理想的な歳の重ね方なのだと思う。

私はまだいびつなかたちだと自覚している。
どこまで球体に近づけるのかはわからない。

そして針先を向けるのは、外に対してではなく、
内(裡)に対して、であるはずだ。

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