瀬川冬樹氏のこと(その30)
「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。
「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。
「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。
「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。」
長島先生が、サプリームに書かれている。
ほんとうにそのとおりだ。
傅さんが貸してくださったサプリームを、今日も読んでいた。
「ナマ以上に美しい音」「器も味なり」、
このふたつの言葉を、「そうだ、そうだった!!」と思い出した。
つよく感化されてきた言葉を、すこし忘れかけていたようだ。
巷でPCオーディオと呼ばれているものについて、傅さんと何度か電話で話している。
しっくりしないものを感じていることもあって、話が長くなる。
サプリームを読んで気がついた。
「器も味なり」、このことが欠けているのだ。
瀬川先生は、なんと仰るだろうか。
サプリーム3月号 No.144のタイトルは、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」だ。
目次を書き写しておく。
池田 圭:瀬川冬樹の早年と晩年「写真の不思議」
上杉佳郎:瀬川冬樹とオーディオ・アンプ「その影響、その功績」
岡 俊雄:瀬川冬樹との出合い「”虚構世界の狩人”の論理」
岡原 勝:瀬川冬樹との論争「音場の、音の皺」
貝山知弘:瀬川冬樹の批評の精神「その論評は、常に”作品”と呼べるものだった」
金井 稔:瀬川冬樹とラジオ技術の時代「いくたりものひとはさびしき」
菅野沖彦:瀬川冬樹とその仕事「モノは人の表われ」
高橋三郎:瀬川冬樹とオーディオの美「音は人なり」
長島達夫:瀬川冬樹と音楽「孤独と安らぎ」
坂東清三:瀬川冬樹と虚構の美「器も味のうち」
前橋 武:瀬川冬樹と熊本大学第二外科「昭和55年12月16日 午前8−午後5時」
皆川達夫:瀬川冬樹とわたくし「瀬川冬樹氏のための”ラクリメ”」
山田定邦:瀬川冬樹とエピソード「三つの印象」
レイモンド・クック:「惜しみて余りあり」
マーク・レヴィンソン:「出合いと啓示」
弔詞:原田 勲/柳沢巧力/中野 雄
サプリームと聞いて、トリオ(現ケンウッド)が、1966年に発表した、
コントロールアンプと6チャンネル分のパワーアンプ、それにチャンネルデバイダーを、
ひとつの筐体に内蔵した、マルチアンプ対応のプリメインアンプ、
Supreme 1を思い出す人のほうが多いかもしれないが、
サプリームは、そのトリオが毎月発行していたオーディオ誌の名前でもある。
サプリームの存在は学生のころから知っていた。
KEFのレイモンド・E・クックとマーク・レヴィンソンが、瀬川先生への追悼文を書いていたことも知っていた。
しかし、当時、書店に並んでいるオーディオ誌はひとつ残らず読んだつもりだったが、
クックとレヴィンソンの追悼文が載っている本は手にしたことがなかった。
サプリームに、どちらも載っていたのである。
「サプリームだったのか……」──、
日曜日の夜、傅さんからの電話で、やっと知ることが出来た。
「あの時と同じ気持ちだ」──
今日、届いた本を読んでいたら、そう想えた。
ちょうど27年前、ステレオサウンドで働きはじめたばかりの私に出来た仕事は、
原稿を取りに行ったり、試聴の手伝いをしたり、
そしていまごろ(2月の半ば過ぎ)は、写植の会社から上がってきた版下をコピーにとり、校正作業だった。
ステレオサウンド62号と63号には、瀬川先生の追悼特集が載っている。
版下のコピーで、読む。
校正作業なので、「読んで」いてはいけないのだが、読者となって読んでいた。
その時の気持ちだった。
読み耽っていた。
気がついたら正座して読んでいた。
44ページしかない、薄い、中とじの本は、「サプリーム」3月号 No.144。
瀬川冬樹追悼号だ。
冗長性について、すこしだけ触れたことがある。
使い手が関与できない所でつけ加わるもの、
聴き手が、己の音を求める過程で、意図してか無意識かによってつけ足される音、
アンプなりスピーカーを開発する者によって、やはり意図してか無意識かでつけ足される音、
これらを冗長性と捉えていいのではないかと、最近考えるようになった。
これらの冗長性が、組合せや使いこなしによって相乗的に作用することもあれば、
互いにそっぽを向いてしまうこともあるだろう。
そして、ひとそれぞれ、どの程度冗長性を必要とするのか、
そしてどのような冗長性を求めているのかは違っていよう。
技術が不完全なままで、そこに人が介在する以上、なにかしらの冗長性は必ず発生しよう。
LNP2L、JC2、ML2Lに共通する、過剰、過激、過敏は冗長性ではないだろうか。
マスターテープにも、そしてわれわれリスナーの手に渡るレコードにも、
演奏者が発した音があます所なくすべて含まれていることは、ない。
まずマイクロフォンがすべての音を拾える位置に置かれるわけではない(そういう位置が存在するのかも疑問だが)。
さらにマイクロフォンがすべて空気振動を捉えて電気信号に変換できているわけでもないし、
マイクロフォンからミキサーまでの伝送経路でも音のロスは若干とは言え生じているし……、
こんなふうにひとつひとつを見ていくと、われわれの手もとにあるレコードになるまで、
いったいどれだけの音が失われ、また色づけや雑音と呼ばれる附加される音もある。
世の中に十全なレコードは存在しない。
しかし、その不完全な記録にも関わらず、そこにおさめられている音楽に感応し、
ワクワクドキドキすることもあれば、感動で涙することもある。
録音のプロセスで失われる音、つけ加えられる音があるということは、そのまま再生のプロセスにもあてはまる。
なにかがなくなり、なにかがつけ足される。
しかも録音の空間と再生の空間は、まったくの別空間であり、時間差もある。
最新録音でも数ヵ月から1年ほどだろうか、古い録音となると、生まれる前の時代の音を聴いている。
それでも、そこで奏でられている音楽を身近に感じたことは、
だれしも、オーディオを真剣にやっていれば、必ずあるはずだ。
同じ場で同じ音を聴いて、ある人は身近に感じ、別のひとは遠くに感じる。
なぜ、そんなことが起きるのか。
マークレビンソンのアンプ、LNP2LにしろML2Lにしろ、共通しているのは、
全体に贅肉を感じさせることのない、硬質に磨き上げられた美が、
過敏なまでに音楽の微妙な表情までも、くっきりと浮き立たせることだ。
さらにML2Lが特に顕著といえるが、低域はソリッドに引き締り、音の緻密さにおいて、
当時マークレビンソンのアンプに匹敵するアンプは、まず見あたらなかった。
マーク・レヴィンソンの繊細な神経によって、過剰なまでに磨き上げられた音を聴いた後では、
他のアンプだと、それがいいことか悪いことかは別として、なにかものたりなさを感じてしまう。
だからこそ、マークレビンソンのアンプに対する好き嫌いは、はっきりしていた。
瀬川先生のように惚れ込まれる人もいれば、
黒田先生はナルシシズムを、そこに感じておられたようだし、
神経質過ぎると敬遠する人も少なくない。
LNP2L、ML2L、JC2は、やはり過激なアンプだ。
だから、惚れ込む者は、どこかしら青臭いところが残っているのかもしれない。
ML3Lの音は、穏やかである。
LNP2のところで書いているが、JC2、 LNP2L、ML2Lに共通する過剰さが感じられない。
LNP2だけでなく、JC2にもML2Lにも、ある種の過剰さがある。
その過剰さが過激さにつながっている、と書いた。
JC2のように、音質向上のため、トーンコントロールを省き、モードスイッチの簡略化などを行い、
多少の使い難さも、音のために我慢して当然というスタイルは、
いまでこそあたりまえのことになり、抵抗もなく受けとめられているが、
JC2が登場した1974年当時では、過激ですらあった。
マーク・レヴィンソンは、アメリカのオーディオ関係の人間から、
JC2の使い難さを指摘されて、すこし不機嫌になりながら、
「これ(JC2)は、車に例えるならフェラーリだから」
と答えたという(RFエンタープライゼスの広告に、そうある)。
しかも外部電源にすることで、1Uサイズという薄型を実現したことも、
その後に続くアンプへの影響は、そうとうに大きかった。
ML2Lもそうだ。
片チャンネルあたり400Wの消費電力ながら、出力はわずか25W。
しかもそれまでどのアンプも実現できなかった、2Ωまでの計算通りに倍々で増えていくパワーを可能にしている。
しかも2台ブリッジ接続にすることで、A級動作では大出力といえる100Wも可能としている。
これらのアンプに見られるマーク・レヴィンソンの徹底的なこだわりは過剰であり、過激であり、
そのことが、神経質なまでの、音の過敏さを生み出している。
この過敏さが、ML3Lにない。少なくとも、私は感じとれなかった。
LNP2とJC2を聴けばわかるが、同じ匂いがするといってもいいし、同じ血が流れている印象がある。
ことわるまでもないが、LNP2は自社製モジュールの搭載の方だ。
ML2LとML3Lはどうだろう。似ているところは、たしかにある。でも、どこか血がすこし異る、
異母兄弟、異父兄弟といったところか、もしくはいとこ同士か。
血縁関係にはあるが、少なくとも同じ父母をもつ兄弟という感じはない。
ML2LもML3Lも、登場した時は、どちらもマーク・レヴィンソンの設計と発表されていた。
正式に発表されたわけではないが、ML3Lはトム・コランジェロの設計だと思う。
ML7Lがコランジェロが、マークレビンソン・ブランドではじめて設計したアンプと、当時は言われていたが、
ML2L、ML3Lをレヴィンソンの設計と発表したぐらいだから、鵜呑みにはできない。
回路図が入手できるのであれば回路をみて、それ以上に音を聴いて自分で判断するしかない。
ML2Lは、ジョン・カール設計のJC3をベースに、おそらくコランジェロが改良を施したもの、
ML3Lは、コランジェロがすべてを手がけた、最初のアンプであろう。
2台並べて音を聴いてみると、とても同じ設計者の手によるアンプの音とは思えないことに、
すぐに気がつかれるはずだ。そのくらい、このふたつのパワーアンプの音は、性格が異る。
ML2Lの2年後に、ML3Lが登場する。
200W+200WのAB級のパワーアンプである、このモデルは、ML2L同様、
マーク・レヴィンソンの設計によるものと、当初は発表されていた。
とは言うものの、ML2Lとはずいぶん違う仕上がりだった。
ステレオ構成ということを差し引いても、ML2Lとは違い過ぎる。
LNP2とJC2、コントロールアンプの、この2機種も、構成はずいぶん違うのだが、
イメージには共通するものが流れている。ディテールに対するこだわりは徹底して同じ。
そういう共通するものが、ML2LとML3Lには、ほとんど、というかまったく感じられなかった。
見た目のプロポーションからして、そうだ。
モノーラル構成とステレオ構成という違いがあるのを考慮しても、ML3Lはずんぐりむっくりした感じがつきまとう。
全体に黒を基調として、シャーシー左右にヒートシンク、フロントパネルは電源スイッチのみで、
ハンドルが付けられている。
こう書いていくと、ML2Lと同じことになるのだが、それだけである。ここで止まってしまう。
内部を見ると、さらにML2Lとの印象の違いは濃くなる。
整然と緻密なコンストラクションではなく、各パーツを接ぐ内部配線が雑然とした印象を与える。
平滑用コンデンサーとの位置の絡みがあるとは言え、2つの電源トランスが斜めに配置されているのも、
コンストラクションの詰めが甘い。十分な検討がなされていない、そんな感じをどうしても受けてしまう。
ML2Lには、製造時期によって細部が異るのは、マークレビンソンの製品としては当然のこととして、
ユーザーの多くは受けとめていることなのだろうか。
私の知る限り、電源トランスが2度変更されている。
最初はEIコア型、そのすぐ後にトランスのうなりを抑えるためにエポキシ樹脂で固めたものがあり、
おそらく中期以降、ケース付きのトロイダルコア型になっている。
出力段のパワートランジスターも、最初はモトローラ製の2N5686と2N5684のペアだったが、
後期のロットには、このトランジスターが製造中止になったあおりで、NEC製のペアに変更されている。
つまりトロイダルコアの電源トランスのML2Lには、トランジスターがモトローラ製とNEC製があることになる。
スピーカー端子も変更されているし、天板も、写真で見ただけだが、まったくスリットのないタイプもある。
おそらく内部パーツも、LNP2LやJC2(ML1L)がそうだったように、頻繁に変更されていても不思議ではない。
むしろ、初期のロットから何一つ変更されていないほうが、マークレビンソンだけに不思議であろう。
どのML2Lが、音がいいのかは、どうしても関心のある人の間では話題にのぼる。
私のまわりにいるひとの間では、
圧倒的にエポキシ樹脂で固めたEIコアの電源トランス搭載のもので、一致している。
山中先生は、このタイプのML2Lを、シリアルナンバー続きで6台所有されていた。
ML2Lの定電圧回路は、ディスクリート構成の、JC3のそれと較べるとかなり大がかりである。
±両電源で、20石以上のトランジスターが使われ、直列に入る制御用のパワートランジスターも、
2パラレルになり、出力アップに対応している。
そして、この定電圧回路の出力電圧は、28Vと、JC3から10Vも高くなっている。
JC3は15W+15Wのステレオ仕様、ML2Lは25Wのモノーラル仕様。
想像するしかないが、マーク・レヴィンソンはJC3の音には満足していたのだろう。
ただ15Wという出力は、彼には少な過ぎたのではないだろうか。
この音のクォリティのまま、さらにパワーを求めるために、
1976年1月のCESでのJC3の展示から、ML2Lの発表までの1年以上の期間が必要だったのだろう。
ステレオからモノーラル構成になり、出力トランジスターも2パラレルから4パラレルに、
定電圧回路も、より大がかりで電圧も、当然高くしている。
ほとんど倍の規模になっていると、いってもいいだろう。
電圧増幅段の回路も、JC3そのままではない。
上下対称回路なのは同じだし、初段はFETの差動回路なのも同じだが、
共通ソースには定電流回路がつけくわえられているし、2段目もJC3そのままではない。
細部をブラッシュアップすることで、出力の増加を図りながらも、
クォリティの維持にとどまらず、より良い音のための工夫がこらされている。
そして保護回路も万全になっていると、以前瀬川先生が、週刊FMに書かれていた。
ML2Lは、動作中に水をかけてもスピーカーにダメージを負わせることはないらしい。
JC3に、保護回路があったのかどうかは、わからない。
ML2LがJC3そのままとは言えない。
ただJC3が基本になっていることは、断言できる。
そして、ML2Lのイメージにもなっている、あの外観をつくりだしたのはジョン・カールである。
JC3を、マーク・レヴィンソンの要求をできるだけ満たすようにつくり変えたのが、
おそらくトム・コランジェロ、その人なのだろう。
JC3が、当時の多くのパワーアンプと大きく異る点は、出力段の電源まで定電圧化していることだ。
通常のパワーアンプでは電圧増幅段の電源は定電圧回路から供給することが多いが、
出力段までとなると発熱量の多さ、設計の困難さから、平滑コンデンサーから直接供給される。
JC3の電源回路は、
15Vの三端子レギュレーターとパワートランジスターによるリップルフィルターを組み合わせたもので、
三端子レギュレーターとアース間には3.6Vのツェナーダイオードが挿入され、
制御用のパワートランジスターのベース・エミッター間の0.6Vの電圧降下分をいれて、18Vになっている。
ML2Lも、前述したように、出力段の電源まで定電圧化している。