Archive for category テーマ

Date: 10月 13th, 2022
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その36)

このブログを始めたばかりの頃、
2008年9月に、
「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と考えていきたい、
と書いている。

再生音は現象だからこそ、おもしろいし、
オーディオを長く続けているのだ、といまひとりで納得している。

ステレオサウンド 38号に、
黒田先生が八人のオーディオ評論家のリスニングルームを訪問された特集がある。

そこで「憧れが響く」という文章を書かれている。
そのなかに、こうある。
     *
 目的地は不動であってほしいという願望が、たしかに、ぼくにもある。目的地が不動であればそこにたどりつきやすいと思うからだ。あらためていうまでもなく、目的地は、いきつくためにある。その目的地が、猫の目のようにころころかわってしまうと、せっかくその目的地にいくためにかった切符が無効になってしまう。せっかくの切符を無駄にしてはつまらないと思う、けちでしけた考えがなくもないからだろう。山登りをしていて、さんざんまちがった山道を歩いた後、そのまちがいに気づいて、そんしたなと思うのと、それは似ていなくもないだろう。目的地が不動ならいいと思うのは、多分、そのためだ。ひとことでいえば、そんをしたくないからだ。
 目的地はやはり、航海に出た船乗りが見上げる北極星のようであってほしいと思う。昨日と今日とで、北極星の位置がかわってしまうと、旅は、おそらく不可能といっていいほど、大変なものになってしまう。
 ただ、そこでふりかえってみて気づくことがある。すくなくともぼくにあっては、昨日の憧れが、今日の憧れたりえてはいない。ぼくは、他の人以上に、特にきわだって移り気だとは思わないが、それでも、十年前にほしがっていた音を、今もなおほしがっているとはいえない。きく音楽も、その間に、微妙にかわってきている。むろん十年前にきき、今もなおきいているレコードも沢山ある。かならずしも新しいものばかりおいかけているわけではない。しかし十年前にはきかなかった、いや、きこうと思ってもきけなかったレコードも、今は、沢山きく。そういうレコードによってきかされる音楽、ないしは音によって、ぼくの音に対しての、美意識なんていえるほどのものではないかもしれない、つまり好みも、変質を余儀なくされている。
 主体であるこっちがかわって、目的地が不変というのは、おかしいし、やはり自然でない。どこかに無理が生じるはずだ。そこで憧れは、たてまえの憧れとなり、それ本来の精気を失うのではないか。
 したがってぼくは、目的地変動説をとる。さらにいえば、目的地は、あるのではなく、つくられるもの、刻一刻とかわるその変化の中でつくられつづけるものと思う。昨日の憧れを今日の憧れと思いこむのは、一種の横着のあらわれといえるだろうし、そう思いこめるのは仕合せというべきだが、今日の音楽、ないしは今日の音と、正面切ってむかいあっていないからではないか。
     *
この黒田先生の文章と再生音は現象ということが、
いまの私のなかではすんなり結びついている。

Date: 10月 13th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その10)

インターナショナルオーディオショウの、
各ブースのスケジュールが発表になっている。

このスケジュール表ではわからないのは最初からわかっていることなのだが、
私が今年のショウでいちばん関心あるのは、
マジコのM9が聴けるのかどうか、である。

今回オーディオショウに足を運ばれる多くの人の関心は、ここにあるように思う。
価格といい重量といい、どこかに行けば聴けるというシロモノではない。

エレクトリのブースで、M9は聴けるのだろうか。
運搬・搬入、設置の大変さを考えると、M9がなくてもしかたない、と思ってしまうが、
それでも聴きたい気持は、やはり強い。

おそらく聴けるだろう、と勝手に期待している。

スケジュール表をみて気づくのは、柳沢功力氏の名前がないことだ。
昨年のオーディオショウには行ってないので、どうだったのかはわからないが、
今年は、どの出展社のところにもない。

コロナ禍前は、ステラ/ゼファンのブースで、最終日は柳沢功力氏という感じだった。

とにかくスケジュール表にある名前を眺めていると、
ずいぶんかわってきたなぁ……、とおもうだけである。

Date: 10月 12th, 2022
Cate: 所有と存在

所有と存在(その19)

音楽も音も所有できない──、
そう考えるようになって十年以上が経つ。

音も音楽も所有できない、と何度も書いてきている。
一方で、音も音楽も所有できる、と思っている人たちがいる。

私はどこまでもいっても所有できないと考える人間だし、
この考えは今後も変ることはない、と断言できる。

音楽を所有できる、
音を所有できる、
そう考えている人は、美を所有できる、と考えているのか。
そう問いたくなる。

Date: 10月 12th, 2022
Cate: ディスク/ブック

La Veillée de NOËL

スージー・ルブラン(Suzie LeBlanc)の“La Veillée de NOËL”。
今日、知ったばかりのアルバムだ。

といっても今年発売になったCDではなく、2014年12月に発売されている。
八年経ったいま、ようやく知ったところだ。

しかもスージー・ルブランについても、まったく知らなかった。
スージー・ルブランは、1961年10月27日生れ。

なので少なからぬ録音を行っている。
なのに、今日初めて知って、初めて聴いた。

TIDALがなければ聴くことはなかっただろう。

スージー・ルブランの声はとてもいい。
どんな声か、ときかれると、答えにくい。

マリア・カラスのように強烈な個性があって、という声ではない。
柔らかいし、ぬくもりがある。
だからといって腑抜けた声、表現ではない。

スージー・ルブランの声が硬かったり、きつい感じになったり、
反対に芯のない声のようにきこえたりしたら、
それはその人のシステムの音が悪い、といいたくなる。

“La Veillée de NOËL”はMQA(88.2kHz)で配信されている。
スージー・ルブランの声は、MQAで聴いてほしい、と思っている。

スージー・ルブランの声の特質を、MQAはあますところなく発揮してくれるように感じられる。
スージー・ルブランをもっと早くに知る機会はあったのかもしれないが、
いま(今日)でよかった、とも感じている。

MQAで聴くことができたからだ。
変な言い方だが、それほどスージー・ルブランの声(表現)はMQAとの相性がいい。

Date: 10月 11th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その37)

ステレオサウンド 224号、342と343ページ、
山本浩司氏が、ディナウディオのContour 60iの新製品紹介記事を書かれている。

見出しに《誰をも「見るオーディオ」の虜にする魔力が宿る》とある。
当然、山本浩司氏の本文の最後に、
《誰をが〈見るオーディオ〉の魔力の虜になってしまうに違いない》とある。

オーディオアクセサリー 186号、46、47ページ、
小原由夫氏が、パラダイムのPERSONA Bの導入記を書かれている。

見出しに《“見える音”を具現化してくれる》とある。
小原由夫氏の本文冒頭に、
《いつの頃だったか、オーディオ再生において『見える音』を意識し始めた》
とあるだけでなく、
PERSONA Bの音について、
《ペルソナBがもたらす『見える音』は、手を伸ばせば触れられそうなリアリスティックな音のフォルムだ》
とある。

小原由夫氏は、見える音について、
《見える音とはつまり、ステレオイメージの中にヴォーカリストや楽器奏者が明確な音像定位を伴って、リアルに浮かび上がり、それが3次元的なホログラフィックの如く見えることだ》
というふうに説明されている。

山本浩司氏のContour 60iの試聴記には、
《高さ方向のみならず奥行きの深い3次元的な広がりを持つステージが構築される》
とある。

山本浩司氏のいう《見るオーディオ》、
小原由夫氏のいう《見える音》は、同じことをいっていると受けとっていいはず。

そして、これは耳に近い音のことなのだろう。

Date: 10月 10th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その36)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’75」の巻頭座談会、
この座談会で、瀬川先生は、
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》
と発言されている。

リアリティのある音だからこそ、
こういうふうに感じることができるのではないだろうか。

Date: 10月 9th, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その13)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
純度を高めていったわがまま──、ということをふと考える。

Date: 10月 9th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その15)

(その4)に書いているように、
シャーシーは、タカチのSRDSL8である。
SRDは鈴蘭堂の略で、鈴蘭堂のSL8の復刻版である。

伊藤先生のEdプッシュプルアンプに憧れてきた私にとって、
鈴蘭堂のSLシリーズのシャーシーで不満なのは、
天板の長辺二辺を折り曲げていること。

フラットな天板に、なぜしないのか、とみるたびに思う。
ああいうふうに曲げることで、天板の剛性を確保していることはわかっている。
それでも、垂れ下がっているように感じてしまうから、
天板に関しては、アルミ板を別途購入し、加工するつもりだ。

それにしても、なぜ曲げるのか。
剛性ばかりではないようにも思っている。

マッキントッシュの管球式パワーアンプの影響があってのこと、とも思っている。
MC275もMC240も、天板のこの部分を折り曲げている。

もっともマッキントッシュの場合は、
入出力端子が取りつけられている部分もいっしょに折り曲げていることもあって、
鈴蘭堂のシャーシーに感じるような不満はない。

Date: 10月 9th, 2022
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その10)

一年ほど前、
別項「オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その8)」で、
音元出版のanalogが良くなっていることに気づいた、と書いた。

不満がないわけではないが、期待もしている。
そのanalogの最新号、vol.77に赤塚りえ子さんが登場されている。

「レコード悦楽人Special 赤塚りえ子さん」という記事だ。
「レコード悦楽人」は連載記事で、今回の赤塚さん登場の記事には、specialがつく。

赤塚りえ子さんが登場しているからなのか、
vol.77からの田中伊佐資氏の新連載のタイトルは、
「レ・レ・レ・トーク」である。

レコ好きのレコ好きによるレコ好きのための、とあるから、
それゆえのレ・レ・レなのだろうが、
私くらいの世代だと、やはり「レレレのレー」であり、レレレのおじさんが、
まっさきに浮んでくる。

文藝春秋から「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」のという本が出ているくらい、
レレレ・イコール・赤塚不二夫とレレレのおじさんである。

9月29日から、
フジオプロ旧社屋をこわすのだ!!」展がやっている。
10月30日までの開催予定だったのだが、早くもチケットが完売になったため、
11月3日から11月20日まで会期延長される。

チケット販売開始は10月17日、午前0時から。
詳細は上記のリンク先をご覧いただきたい。

私は10月7日に行ってきた。
最寄りの駅は西武新宿線の下落合。
初めて降りる駅だな、と思いながら、下落合の改札を出て、
あれっ? と感じていた。
来たことある、何度か来ている、と思い出した。

私がステレオサウンドにいたころ、エレクトリは下落合にあった。
フジオプロ(旧社屋)はエレクトリの近くにある。

Date: 10月 8th, 2022
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(自動補正がもたらすもの・その3)

その2)を書いたのは、2018年3月。
いまは2022年10月。

その間に何があったかというと、MQAとの出逢いがあった。
メリディアンのULTRA DACの導入はいまのところ無理だけれども、
メリディアンの218を導入することで、そしてTIDALを利用するようになって、
日常的にMQAがもたらしてくれる音のよさにふれていると、
ここでのテーマについての考えに変化が生じている。

ここでの「自動補正」とはデジタル信号処理によるものだ。
これらの自動補正のオーディオ機器が、これからMQAに対応してくれるのどうか。

技術的にMQAと信号処理は両立できる。
事実、roonはMQAであっても、イコライジングを可能にしている。
詳しい説明は省くが、MQAの折りたたんでいる信号のところではなく、
元の信号のところだけに対して信号処理をかけることで、MQAであることを維持している。

なので自動補正の機器も、同じように信号処理をしてくれればMQA対応となる。
けれど、いまのところ、そういう製品が登場するということは聞こえてこない。

Date: 10月 8th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その9)

今月末に、インターナショナルオーディオショウが開催される。
今年も昨年同様、予約制。

今年も、オーディオ評論家がそれぞれのブースで、講演という名の音出しを行う。
オーディオショウにおけるオーディオ評論家とは、なんなのだろうか。

それぞれの出展社にとっては、オーディオショウでの音出しは、
プレゼンテーションだと思う。

だとすれば、オーディオ評論家はファッションショウにおけるモデルなのではないのか。
新作の服を、来てくれた人たちに対し、より魅力的に見せること、
これがモデルの仕事のはずだ。

オーディオ評論家も同じではないのか。
それぞれのブースに届いた新製品を、どう魅力的に鳴らすのか。

ただ単に製品の解説をするだけならば、出展社のスタッフにできることだ。
オーディオ評論家たからこそできること、
それが今年のインターナショナルオーディオショウで聴けるだろうか。

Date: 10月 6th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その13)

少し前に、心に近い音、耳に近い音について書いている。
結局のところ、ここで語っていることと、
心に近い音、耳に近い音について語っていることは、
私にとって同じことを、別の側面から語っていただけ、である。

リアルな音は、私にとって耳に近い音、
リアリティな音こそ、私にとっては心に近い音。

Date: 10月 6th, 2022
Cate: Jazz Spirit

二度目のナルシス(その5)

昨晩(10月5日)のaudio wednesdayの締めは、
やはりナルシス。

今回で五回目。
いつも坐るところはほぼ同じなのに、
昨晩気づいたことが一つあった。

ナルシスのシステムは、作り付けの棚におさめられている。
真ん中の棚二段にアナログプレーヤーが置かれている。

ステレオ用とモノーラル用とで、プレーヤーの使い分けである。

アナログプレーヤーの下の棚にカセットデッキとCDプレーヤーがあるが、
ほとんど使われていない、といっていい。

一番上の棚にプリメインアンプ。
このアンプの用に、CDが置いてある。
ジャケットが見えるように置かれている一枚があった。

カザルスのバッハの無伴奏である。

Date: 10月 6th, 2022
Cate: audio wednesday

第三回audio wednesday (next decade)

第二回audio wednesday (next decade)は、11月2日。

第一回、二回と同じように地味にやる予定。

Date: 10月 5th, 2022
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その11)

いまの私にとっての、平面バッフルは、
アルテックの604-8Gを取りつけて鳴らす、ということである。

604-8G以外にも平面バッフルで鳴らしてみたいと思うユニットは、いくつかある。
でも、それらのユニットを所有していないし、
どれもすでに製造中止になってけっこう経つモノばかりだから、
ある程度のコンディションのモノとなると、みつける手間も、費用もそこそこにかかる。

604-8Gは手元にあるのだから、てっとりばやく、平面バッフルに取りつければ、
その音を聴ける。

その8)で、audio wednesdayが終ったこともあって、
よけいにアルテックの音が聴きたいのかもしれない、
そんなことを書いてしまったが、
喫茶茶会記のアルテックのユニット構成はA7に近いものであって、
604-8Gとは、同じアルテックということでひとくくりにはできない面、
というか領域があるように感じている。

もちろん同じアルテックのスピーカーだけに、共通する特質はある。
それでも604というユニットは近距離で聴かれることを前提としている。

A7のように中ホール、小ホールで大勢に音を届けるスピーカーというわけではない。
一人で聴くスピーカーといってもよい。

そんなことを書きながらも、
以前、audio wednesdayでかけたラドカ・トネフの“FAIRYTALES”の音のことをおもい出してもいた。

しっとりとみずみずしい音で、ラドカ・トネフが鳴ってくれた。
一人のための歌、という感じで鳴ってくれた。

そういうこともあるからこそ、
よけいに604-8Gはさらに、その感じが濃厚になってくれるのではないか。
そう期待してしまう、と同時に、そのためには──、と考えることも出てくる。