Archive for category テーマ

Date: 11月 3rd, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その13)

オーディオテクニカのウェブサイト内に、
レコード曲の思い出を求めて〈40代・女性〉」というページがある。
11月1日に公開されている。

40代とおもわれる女性がLPを手にしている写真が使われている。
この写真をどう受けとったらいいのだろうか。

盤面に指先で触れている。

オーディオテクニカは、
「レコード曲の思い出を求めて〈50代・女性〉」と
「レコード曲の思い出を求めて〈50代・男性〉も公開している。
こちらの写真では、盤面の縁を両手でもっている。
盤面には触れていない。

なので、あえて〈40代・女性〉では盤面に触れるような写真を撮り使っているのか。
40代の人ならば、
音楽をおさめたメディアといえばCDだった人のほうが多いのではないのか。

LPを知らない人、触ったことのない人もいよう。
だから扱い方を知らない人がいるのは知っている。

その上で、オーディオテクニカは、こういう写真を使っているのだろうか。
それにしても、こういう取り扱い方を載せてしまうのは、いただけない。

オーディオテクニカが、この写真を使っている理由が知りたい。
何も考えずの、この写真ということはないと思うのだが……。

Date: 11月 2nd, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その12)

老化と劣化は同じではない。

その11)で触れている例は、どちらなのか。
そのことを考えてほしいし、
インターナショナルオーディオショウという場で、
アナログディスクが頻繁にかけられるようになっていることはけっこうなことだが、
同時に、CD全盛時に、この人たちは大事なことをどこかに置き忘れてきたのか、
それともアナログディスク全盛時代でもそうだったのか──、
そこで鳴っている音に真剣に耳を傾ければ、わかるはずだ。

Date: 11月 2nd, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その18)

インターナショナルオーディオショウの会場である国際フォーラムは、
ブースの数に限りがある。
そのため出展社の数も限られてしまう。

行くたびに思うことは、
日本インターナショナルオーディオ協議会のメンバーでなければ
出展できないのは仕方ないにしても、そのことによって、
インターナショナルオーディオショウでは聴けないブランドが存在するということ。

たとえばハーベス。
ステレオサウンドでの評価は高い。
けれどハーベスの輸入元であるMプラス コンセプトはメンバーではない。

聴きたいと思っている人は少なくないはずだけど、
いまのところインターナショナルオーディオショウでは聴けないままだ。

私はハーベスの初期のスピーカー、Monitor HLの音には惹かれた者の一人だが、
ハーウッドから現在のアラン・ショウの開発になってからのモデルには感心したことがない。
それでも最近のハーベスのスピーカーは、きちんと聴いてみたいと思うようになっていることは、
別項で以前に書いている。

けれどインターナショナルオーディオショウでは聴くことがかなわない。
ハーベスだけではない、ジャーマン・フィジックスもメリディアンも聴けない。
他にもいくつかあるけれど、すべて挙げることはしないが、
この状況をなんとか解消してほしい、と思う。

スピーカーを開発もしくは輸入していない出展社はある。
そこがスピーカーに、ハーベスを使おうと思ったとしても、無理である。

ハーベスの輸入元が貸し出しを諒承してくれたとしても、
日本インターナショナルオーディオ協議会の規則でそれは無理なのだ。

日本インターナショナルオーディオ協議会のメンバー取扱いのブランド以外は、
持ち込めない、鳴らせないという規則がある、ときいている。
ちなみに講演者の私物は持ち込めるようでもある。

そういう規則があるのもしかたないと思う反面、
なんとかすることはできるはず、とも思っている。

Date: 11月 1st, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(その3)

11月20日にやって来る終のスピーカーのことを、
ちょっとでも時間があると、ついつい考えている。

ステレオサウンド 130号、勝見洋一氏の連載「硝子の視た音」の最後に、こうある。
     *
 そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
     *
フェデリコ・フェリーニの、この言葉が映画の本質を見事言い表しているとすれば、
記録のような物語、記録のような光景、記録のような音を、映画は必要としていない、となるし、
記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しかオーディオは必要としていない──、
となるのだろうか。

そして記録のような物語、記録のような光景、記録のような音を、
オーディオは必要としていない、といえるのか。

私にとって、今回やって来る終のスピーカーは、
記録のようなではなく、
記憶のような、である。

こんなことを思いながら、11月20日を待っている。

Date: 11月 1st, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その17)

10月28日に行っているので、今日で四日経つ。
インターナショナルオーディオショウで聴いた音で、
YGアコースティクスの小型スピーカー、CAIRNの音は、
やっぱりすごかったなぁ、と印象に残っている。

小型スピーカーとつい書いてしまうが、
小型スピーカーはスモールスピーカー(small speaker)と
コンパクトスピーカー(compact speaker)とに分かれる。

多くの場合、スモールスピーカーなのだが、
今回のYGアコースティクスの小型スピーカーは、コンパクトスピーカーだった、といえる。
それだけの力量を備えているのだから。

YGアコースティクスのコンパクトスピーカーの音を思いだすと、
小型スピーカーの系譜、というテーマで書けるな、と思ってしまう。

といっても書くかどうかは、いまのところなんともいえないが、
別項「あるスピーカーの述懐(その38)」で書いたことの続きは、
どこかで書くつもりでいる。

Date: 10月 31st, 2022
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ヤマハNS1000M・その11)

1979年ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」の巻頭、
瀬川先生の「80年代のスピーカー界展望」に、こうある。
     *
 この一年間に出揃った国産スピーカーの中から、価格別に話題作・注目作を列挙してみる。
 まず、ひとつの目立った現象は、発表後すでに五年を経て、スウェーデンの放送局が正式のモニターに採用するなど、国際的にますます高まるヤマハのNS1000Mを、おそらく狙い撃ちしようと言う意図のみえる価格設定の製品が、各社から発表されたことだろう。たとえば、パイオニアのS933、オンキョーのモニター100、そして前項であげたテクニクスSB10とビクターのZERO7。
     *
ステレオサウンド 54号の特集をふりかえっても、たしかにそうである。
ヤマハのNS1000Mは、すでにロングセラーモデルといえるようになっていたし、
ベストセラーモデルでもあった。

NS1000Mは、108,000円(一本)していた。
1976年発売のソニーのSS-G7(128,000円)も、
NS1000Mを《狙い撃ちしようと言う意図》のあったモデルといっていいだろう。
ブックシェルフ型とフロア型の違いはあってもだ。

なぜ国産スピーカーメーカーは、この価格帯にもっともっと力を入れなかったのか──、
いまふりかえると、そう思ってしまう。

この文章の数年後に、598スピーカーの不毛な競争が始まる。
ほぼ二倍の価格帯、NS1000Mのライバルとなるスピーカーを、各社が力をいれて開発していたら、
日本のオーディオは、かなり変っていたように、いまは思う。

Date: 10月 31st, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その27)

1990年代の、二年弱の時期、
サウンドステージにいくつかの文章を書いていた。

中原柊成のペンネームで発表した文章だ。
三十前後のころである。

若さのせいか、「私」という単語を素直に使えず、
かといって、ぼく、でもないし、ましてオレでもない。
だから、あえて使わずに書いた。

このことを指摘されたことはない。

2008年から始めた、このブログでは「私」を使っている。
抵抗なく使っているのは、齢をとったためなのか。

と感じつつあるので、
2023年1月29日以降は、あえて使わないようにしようかな、とも考えている。

Date: 10月 30th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その17)

JBLで音楽を聴いている人は、ロマンティストなんだ、と。
もちろんJBLで聴いている人すべてがそうだとはいわないし、
現在のJBLのラインナップのすべてを、ここに含める気もさらさらないが、
私がJBLときいてイメージするスピーカーシステムで聴いている人は、
やはりロマンティストだ。

四年前に、こんなことを書いている。

今年、四年ぶりのインターナショナルオーディオショウで、
各ブースの音、つまり各ブースに置かれているスピーカーを聴いて、
こんなふうに思えるスピーカーはあっただろうか──、
そんなことを、いまおもっているところ。

Date: 10月 29th, 2022
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その10)

以前、別項で書いている。

M20はずいぶん迷った。
買いたい、と本気で考えていた。
買っておけばよかったかな、と思ったこともある──と。

メリディアンのM20はパワーアンプ内蔵のアクティヴ型である。
M20購入に踏み切れなかった理由は、ここである。
まだ二十代なかばの私は、
パワーアンプを選べないアクティヴ型を積極的に求めようとはしなかった。

オーディオマニアの楽しみとして組合せがある。
アクティヴ型スピーカーは、その組合せの楽しみの一部を奪ってしまう──、
そんなふうに捉えていたから、M20の音に惚れ込みながらも手を出さずにおわってしまった。

ソーシャルメディアには、そういう意見を持つ人がいる。

あのスピーカーはいいけれど、アクティヴ型だからね、
パワーアンプが選べないからね──、
そんなことを目にすることがある。

以前の私がそうだったから、その心情はわからないわけではないが、
いまの私はそこにこだわりは、もうない。

210と218とM20の組合せ。
これを想像していると、特にそうである。

目の前にはM20しかない。
210と218はどこかに隠しておける。
操作はiPhoneがあればできる。

そういう環境で好きな音楽を楽しむのは、想像するだけで嬉しくなってくる。

こういう想像は、M20に限らない。
いまではアクティヴ型モデルは増えている。

デジタル入力をもつモデルも多い。
210があれば、それだけでシステムが構築できる。
MQAに非対応のアクティヴ型スピーカーであっても、
210があれば96kHzまでのコアデコードでMQAの音が聴ける。

そのことをちょっとだけでも想像してほしい。

Date: 10月 29th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その38)

あるスピーカーの音を好きになる。
そのスピーカーも好きになる。

スピーカーは道具である。
道具は使い手(ここでは鳴らし手)の力量に応じていってほしいもの。

好きなスピーカーが鳴らし手の力量とともに成長していくということはない。
モノだからだ。

だから鳴らし手は次のスピーカー(道具)を求めるようになる。
好きなスピーカーの延長にあるスピーカーを求めることもある。

たとえばロジャースのLS3/5A。
このスピーカーに惚れ込んだ者がいる。
LS3/5Aはよいスピーカーではあっても、サイズ、開発年代など、
それらによる限界もある。

限界を熟知して使いこなす。それもオーディオの楽しみなのだが、
LS3/5Aの音を、ぐんと格上げしてスケールを増した音を欲するようになったら──。

LS3/5Aの次のスピーカーは同じか、といえば、そんなことはない。
人によって、そうとうに違ってこよう。

ここでも、耳に近い音としてLS3/5Aの次のスピーカーを欲する者と、
心に近い音としてLS3/5Aの次のスピーカーを欲する者とでは、
大きく違ってきて当然である。

Date: 10月 29th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その16)

その他の雑感をいくつか。

行く前からなんとなくそうなるだろうと予想はしていたけれど、
少なくとも私が各ブースをまわったかぎりでは、
今年のインターナショナルオーディオショウでMQAの音は聴けなかった。

今年はアクシスのブースで、
ファインオーディオとFMアコースティックスの組合せの音を聴けなかった。
タイミングが悪かっただけで、たぶんこの組合せでも鳴らしていたと思う。

聴けなかった音は、まだある。
フューレンコーディネイト扱いのBrodmann Acousticsのスピーカーだ。
ベーゼンドルファー・ブランドだった時に聴いて以来、なかなか聴く機会がない。

SMEがきちんとしたかたちで復活していたのは、嬉しいことの一つだ。

Date: 10月 29th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(その2)

11月20日に、やって来る。

とにかく待ち遠しい。
こんなに待ち遠しくおもえるのは、ほんとうにひさしぶりのことだし、
数えるほどしかこれまでない。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その11)

今日、インターナショナルオーディオショウに行ってきたわけだが、
とあるブースでアナログディスクがかかっていた。

かなり高価なプレーヤーでの再生だった。
なのに奇妙なノイズがつきまとった音だった。
パチパチというスクラッチノイズではなく、ジョリジョリといった感じのノイズである。

ずっとつきまっているノイズだから、サーフェスノイズなのだろう。
だとしたら、こんなサーフェスノイズは聴いたことがない。
どう調整すれば(どう調整が失敗すれば)、
こういうジョリジョリといったノイズが出せるのか。

盤の状態がおそろしく悪いのかというと、そんな感じではない。

このブースのスタッフは、誰もこのノイズが気にならないのか。
こういうアナログディスク再生が行われていると、
悪い意味での老いということについて、あれこれ考えてしまう。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その15)

上の階から順番にまわっていたので、
最後は一階のハーマンインターナショナルのブースになる。

別項で書いているマークレビンソンのML50が、JBLのDD67000を鳴らしていた。
別項でML50をパチモンだと書いた。

実機は写真ほどにはパチモン的ではなかったけれど、
中学、高校時代、マークレビンソンに憧れてきた私の目には、
パチモン的に映ってしまう。

ハーマンインターナショナルのスタッフによると、ぎりぎり間に合ったそうである。
ML50も、昨今の半導体不足の影響を受けていて、
本来ならば9月から量産にはいる予定だったのが、いまだ無理とのこと。

ディスクをかけかえながら操作していた人によると、
ML50の音をきちんと聴くのは、このショウが初めてとのことで、
どんな音なのか、楽しみながらディスクを選んでいる、とも話されていた。

この人は、2018年OTOTENの人と同じはずだ。
この人はOTOTENでも感じていたことなのだが、いい感じでディスクを選びかける人だ。
間延したりしない。

あえて名前を出すが、ノアのブースの人とは大きく違う。
ノアのスタッフの人は、毎年、よけいなしゃべりを入れてくる人だと感じてしまう。
音を鳴らすまでのしゃべりが長い。

その内容もどうでもいいことであって、
しゃべるな、とはいわないけれど、もっとテンポよくディスクをかけかえればいいのに……、
そんなことを毎年感じている。

ハーマンインターナショナルの人も司会進行のプロではないのだろうが、
オーディオマニアの気持を、音楽好きの気持をわかっている人なのだろう。

ハーマンインターナショナルのブースを出るとき、
展示されているオーディオ機器を、興味深そうに見ている三人組がいた。
みた感じハタチ前後ぐらいの女性の三人組。

事前予約制なのだから、彼女らも予約しての来場のはず。
少しではあるけれど、違う風が吹きはじめているのだろうか。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その14)

音で印象に残っているのは、もうひとつタイムロードのブースだ。
スピーカーはNodeのHylixa、球体状のスピーカーシステムだ。

ここでの音は、このスピーカーの音ということももちろんなのだが、
ちょうどかかっていたディスクとの相性を含めての音である。

かかっていたのは、Yelloの“The Vanishing of Peter Strong”という曲だった。
曲を検索してくれるShazamがあるから曲名がすぐにわかったけれど、
私はYelloというバンドも知らなかった。

“The Vanishing of Peter Strong”のよさを、
Hylixaは見事なほどに発揮していた、と感じながら聴いていた。

人工的な音響空間の曲のつくりなのだろうが、
目を閉じて聴いている時の空間の認識が、
Hylixaの置き位置と一致しないほどに気持ちよく拡がっていた。

Hylixaというスピーカーの特質をもんとも活かす選曲だと思うし、
“The Vanishing of Peter Strong”ならではの音の世界を、
もっともよく再現してくれたスピーカーでもあったはずだ。

曲とスピーカー、それぞれの特質の相性がこれほどマッチしていたのは、見事。