Archive for category テーマ

Date: 12月 3rd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その6)

組合せを考えていく場合、とにもかくにもスピーカーを決めるところからすべてははじまる。
特に、このディスク(音楽)を聴きたいための組合せなのだから、
スピーカー以外のものからきめていくことは絶対にあり得ない。

カラヤンの「パルジファル」を聴くためのスピーカーとして、何を選ぶのか。
その前にクナッパーツブッシュの「パルジファル」を聴くためのスピーカーとして、何を選ぶのか。

これに関してはすでに答は出ている。
古今東西数え切れないほどのスピーカーシステムが存在していたわけだが、
クナッパーツブッシュの「パルジファル」ということになれば、
シーメンスのオイロダインしか、私にはない。

オイロダインを2m×2mの平面バッフルに取り付けて、クナッパーツブッシュの「パルジファル」を聴きたい。

オイロダインでクナッパーツブッシュの「パルジファル」というと、
古くからのステレオサウンドの読者の方ならば、
50号の「オーディオ巡礼」に登場された森忠揮氏を思い出されることだろう。

森氏はオイロダインをマランツのModel 7とModel 9で鳴らされていた。
森氏のリスニングルームに響いたクナッパーツブッシュの「パルジファル」について、
五味先生は書かれている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音の〝パルシファル〟をかけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家の〝オイロダイン〟は、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に〝聖餐の動機〟が湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくて〝オイロダイン〟を手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。
     *
「パルジファル」はいうまでもなくワーグナーの音楽である。
その「パルジファル」をクナッパーツブッシュが、バイロイト祝祭劇場で振っている演奏を聴くのに、
シーメンスのオイロダイン以外のスピーカーは、いったいなにがあるといえるだろうか。

Date: 12月 3rd, 2013
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その11)

チャートウェルのステビング、JBLのランシングとは、マーク・レヴィンソンは違っていた。
レヴィンソンは会社をつぶしたり、会社の再建のために自殺をすることなく、
最初に興した会社マークレビンソンを手放したものの、
その後、チェロ、レッドローズミュージック、そしていまダニエル・ヘルツを興している。

レヴィンソンが経営者として優れているのかどうかはこれだけではなんとも言い難いが、
少なくとも「機敏なビジネスマン」であったことは疑いようがない。

ランシングもステビングもエンジニアだった。
レヴィンソンはエンジニアとは呼べない。
だからレヴィンソンは「機敏なビジネスマン」であった(なれた)というわけでもないはず。

JBLにはアーノルド・ウォルフが、ランシング亡きあと、いた。
ウォルフはSG520、SA600、パラゴンなどのデザイナーであり、
のちに社長となっている。

ウォルフのような人がいるということは、
デザイナー(エンジニア)としての純度と、会社を経営していく才は、
ひとりの男の中で両立するものでもあり、
マークレビンソン時代のレヴィンソンが、
「練達の経営者の才能」をあらわしはじめていたからといって、
オーディオマニアとしての純度が失われつつあった、とは必ずしもならない。

たとえオーディオマニアとしての純度が失われていっていたとしても、
それは「練達の経営者の才能」をあらわしはじめたことと関係していることにはならない。
違うところに理由はあって、
たまたま「練達の経営者の才能」をあらわしはじめた時期と重なっていたのかもしれない。

Date: 12月 2nd, 2013
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その24)

理想トランスが実在していたとする。

この理想トランスの二次側は開放(つまりなにも接続しない)の状態で、
一次側のインピーダンスはどういう値を示すか。

巻線比が1:1であっても、1:2であっても、1:10でも、
巻線比に関係なく無限大の値を示す、のが理想トランスというものである。

理想トランスの二次側に負荷を接続する。
負荷となる機器の入力インピーダンスが理想トランスの二次側をターミネイトすることになり、
この二次側の負荷の値と巻線比によって一次側のインピーダンスが測定できるようになる。

だが現実に存在しているトランスはすべて理想トランスとは呼べない。
二次側をターミネイトしなくても、開放した状態でも一次側のインピーダンスを測れば、
無限大ということは絶対にあり得ない。

実際のトランスはどんなに良質の材料を使って、
どれだけ注意をはらってつくっても、巻線の直流抵抗をゼロにはできないし、
インダクタンスを無限大にもできない。
コアの磁束密度にしても同様だ。

Date: 12月 2nd, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その2)

映画が映し出されるスクリーンの大きさは無限大ではないから、縁がある。
縦と横にそれぞれが縁があるからこそ、映画は成立するものであり、
だが時としてその縁を観客に意識させないようにしたいと考えている制作者もいるのではないだろうか。

船は時にあるららぽーとの西館に新しくできた映画館(TOHOシネマズ ららぽーと船橋)、
私がスタートレックを観てきた劇場は500人ほどの大きさ。
都内にはこれよりも大きな劇場があるし、その劇場のスクリーンよりもサイズとしては小さくなる。

けれど縁を感じたか、ほとんど感じなかった、ということでいえば、
TOHOシネマズ ららぽーと船橋のスクリーンは、大きさ(縁)をさほど意識しなかった。

これが今回はじめて体験したドルビーアトモスがもたらしてくれたものなのかどうかは、
まだなんともいえない。
それでも無関係とは思えなかった。

TOHOシネマズは来年日本橋にもできる。
その後上野、新宿にもできる。
おそらくドルビーアトモスも導入されることだと思う。
そうなってくれれば船橋まででかけなくても、もう少し近くの劇場で体験できるようになる。

最近ではホームシアターを熱心に取り組んでいる人の中には、
映画館よりも自宅の方が音も映像もよい、と感じている人が増えているらしい。

確かに昨日のTOHOシネマズ ららぽーと船橋は質の高い映画館だったが、
それほどでもない映画館があるのも事実で、
ホームシアターのマニアが、映画館よりもよい、と思うのはわからないわけではない。

でも、別項で書いている現場(げんば)と現場(げんじょう)
音場(おんば)と音場(おんじょう)でいえば、
ドルビーアトモスが体験できた映画館は現場(げんじょう)である、とはっきりといえる。

Date: 12月 2nd, 2013
Cate: 表現する

夜の質感(その8)

シノーポリによるマーラーは、当時賛否両論があったように記憶している。
私のまわりにも、どちらかといえば否定的な意見をもつ人がいたし、
そうかと思えば熱狂的に、といいたくなるほどシノーポリの演奏を支持する人もいた。

非常に興味深い、という意味では面白い演奏なのはわかるけれども、
それでも、ここまで……、という気持が多少なりとも湧いてきたことも事実だった。

否定的とまではいかなかったけれど、熱狂的に支持するともいかなかった。
つまり態度保留にしていた。

しかも、ここ十数年、シノーポリのマーラーは聴いていない。
いちどすべて聴いてみよう、とは思っている。
私も歳をとっているし、時代も変っている。
鳴らすスピーカーも変った。
いま、どう感じるかを知りたい、と思うからだ。

バーンスタインのマーラーとシノーポリのマーラー、
当時、このふたつのマーラーを聴いて漠然と感じていたのは、
解釈(interpretation)と分析(analysis)の違いと、その境界の曖昧さだった

クラシックを聴く人は、同じ曲を何人もの演奏家の録音で聴いている。
それはつまり聴いた演奏家の数だけの解釈を聴いているわけであり、
シノーポリのマーラーも、シノーポリの解釈であることはわかってはいる。
わかってはいるけれども、当時、シノーポリの演奏は解釈よりも、
分析的な面が色濃く感じられるような気がしていた。

Date: 12月 1st, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その1)

船橋に出かけて映画を観てきた。
船橋までの距離は約50km。その間にいくつもの映画館があるにも関わらず、
船橋まででかけていったのは、11月22日にオープンした船橋のららぽーとに出来た映画館が、その理由である。

Dolby Atoms(ドルビーアトモス)を日本で初めて導入した映画館である。
いまのところここでしかドルビーアトモスは体験できない。
しかもスタートレックを二週間だけ、このドルビーアトモスで上映してくれるとあれば、
ちょうど午前中に船橋に用事が重なったこともあって、出かけて、いま帰ってきたところ。

ドルビーアトモスについてはリンク先を読んでいただくとして、
スタートレックを一本観ただけの感想ではあるが、
映画館の音響とはいえ、トーキーと呼ばれていた時代とは別種の音響であり、
映画館で映画を鑑賞するための音響から、映画を体験するための音響といえる。

こんな書き方をすると効果だけを狙った音響のように受けとめられるかもしれないが、
決してそこに留まっている音響ではなく、
エンディングで流れる音楽を聴いていても、いい印象だった。

そしてスタートレックは3D上映だった。
3D上映とドルビーアトモスの相性は、かなりいいのではないだろうか。
観ている途中で気づいたのは、
通常の上映よりもスクリーンの大きさを意識することがかなり少なかった、ということ。

Date: 11月 30th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その10)

以前のQUAD、つまり創始者のピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステムを揃える。
アンプはコントロールアンプの33とパワーアンプの303、それにチューナーのFM3の組合せ、
もしくは44と405、それにFM4の組合せがあり、
スピーカーにはESLを持ってくる。

CDプレーヤーは66シリーズになり登場したけれど、アナログプレーヤーはなかった。
ずっと以前、フェランティが製造しQUADが販売していたピックアップがあるくらいだ。
このピックアップは、ウィリアムソン・アンプの設計者であるウィリアムソンと
ピーター・ウォーカーとの共同開発といわれるリボン型カートリッジとトーンアームの一体型であった。

QUADのアナログプレーヤー関連の製品といえば、これだけである。
これ以降、なぜだか発表していない。

1970年代の海外のオーディオショウでQUADのブースの写真をみると、
カラードの401とSMEの3009を組み合わせたプレーヤーがあった。

この組合せもいいけれど、QUADのアンプのコンパクトさとはやや不釣合いの大きさのプレーヤーだから、
そういうことのほかに価格的なバランスを含めて考えると、リンのLP12にSMEの3009の組合せが、
よりしっくりとくる。

こういうシステムを組んだとしよう。
ラックもQUADの雰囲気にぴったりあうものを選ぶ、もしくはつくる。

けれど、これで音を良くしたいからといって、
スピーカーケーブルを部屋の真ん中を這うようにしてしまうと、
これはフランケンシュタイン・コンポーネントと言わざるを得なくなってしまう。

Date: 11月 30th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その12)

LS3/5Aをマルチアンプシステム化して鳴らす。
LS3/5A内蔵のネットワークをパスして、
パワーアンプが直接ウーファーのB110とトゥイーターのT27を鳴らすことになる。

LS3/5Aのネットワークはコンデンサーとコイルがひとつずつというような簡単な構成ではない。
15Ωタイプと11Ωタイプとではネットワークの設計に変更がみられるが、
どちらにしても部品点数は少なくないし、それらの部品はすべて一枚のプリント基板に取り付けられている。

それらをすべてパスしてLS3/5Aを鳴らす。

実際に試したわけではないけれど、いわゆる音の鮮度は向上するだろうし、
より細かな音まで聴き分けが容易になるだろう。
他にも部分的には良くなるはずだ。

けれどそうやって得られる音が、
ネットワークを通して鳴らしていたときのLS3/5Aの音の魅力をこえているだろうか。

メリディアンのスピーカーシステムにM20というモデルが、1980年代の終りにあった。
ウーファーはどうみてもLS3/5Aと同じB110である。
これをM20は縦に二本配置して、そのあいだにトゥイーターを置くという、
いわゆるヴァーティカルツイン型であった。
トゥイーターはソフトドームではあっても、T27ではなかった。

M20はウーファーを70W、トゥイーターを35W出力のアンプで駆動するマルチアンプシステムである。

Date: 11月 29th, 2013
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その23)

トランスのことを書いていて、
トランスを信号系に挿入することの、音の上でのメリットについて書こうとしたときに、
頭に浮んできたのは、音に関する形容詞ではなく、
ついこのあいだのインターナショナルオーディオショウで聴いてきたVOXATIVのスピーカーのことだった。

VOXATIVのスピーカーもそうなのだが、優れたトランス(性能が優れているという意味ではない)には、
池田圭氏が盤塵集に書かれているように、音の味と表現したくなるところがある。

音の色ではなく、やはりここでは音の味と表現したくなる要素が、
VOXATIVのスピーカーにも優秀なトランスを正しく使ったときに得られる音にもある。
そして、この良さというのは、いつのまにか忘れられつつあるのではないだろうか。

Date: 11月 29th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(その12)

ステラのブースでの、柳沢功力氏の話は面白かったし、楽しめた。
二時間立ちっぱなしできいていたわけだから、満足していた、といえばそうなる。
けれど、柳沢氏の話がプレゼンテーションだったのか、となると、素直にそうとはいえない。

柳沢氏はプレゼンテーションという意識はなかったかもしれない、
というよりも、たぶんなかったんだと思う。
プレゼンテーションという意識のない話をきいていて、
それを受け手側(私)が勝手にプレゼンテーションとしてどうだったか、と勝手なことをここに書いているわけだ。

では、ステラのブースでの柳沢氏の話は、
柳沢氏自身はどういうつもりだったのか。
講演だったのか。

柳沢氏に依頼したステラの人たちは、どういうつもりだったのか。
講演を依頼していたのだろう、おそらく。

どちらも講演という認識だったのかもしれない。
とすれば受け手側は、ステラのブースでの話を講演としてきかなければならなかったのだろうか。

私には、どうしても講演とは思えない。
柳沢氏の話だけがそうではなくて、ここしばらく、
インターナショナルオーディオショウで講演と素直に書きたくなる話は聞いていない。

といって柳沢氏の話を、デモンストレーションとはいいたくない。
デモンストレーションという言葉につきまとう、ネガティヴな印象は受けなかったからだ。

Date: 11月 29th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その11)

気に入ったスピーカーシステムというのは、たいていそうであるのだが、
他に変え難い魅力をもっているモノである。

たとえばBBCの小型モニターのLS3/5A。
大きな音は出ないし、低域もそれほど低いところまで出せるわけではない。
それでも、このスピーカーシステムに惚れ込んでいる人は、
古いスピーカーシステムにも関わらず、いまも少なくない。

だからこそ復刻モデルがいまも出ているわけだ。

LS3/5Aは万能のスピーカーシステムとは言い難い。
使い手が、このスピーカーシステムのことを理解していなければ、
欠点のほうが多いではないか、ということになるだろう。

実際、インターネットの掲示板で、LS3/5Aが高く評価させれている理由がまったく理解できない……、
そんな書き込みを目にしたのは一度や二度ではない。

それはそれでいい。
わからなければそれでいいじゃいか。
わかる人だけで楽しむモノだから、と思っている。

私もLS3/5Aには惚れ込んだ一人である。
この小型スピーカーをできるだけよく鳴らしたい、と考えていた。

瀬川先生はステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」で、
LS3/5Aに対して、アナログプレーヤーにEMTの928、
パワーアンプにルボックスのA740を組み合わせられていた。

そこまでしたくなる気持は、この小さなスピーカーの魅力にまいってしまった人ならば、
そこまでやるかやらないかは別として、心情的に理解できよう。

価格的に不釣合いの高価なプレーヤー、アンプを持ってくる。
どこまでがLS3/5Aが限界なのかは、そこまで試したことはない。
オーディオ的楽しみとして、試してみたい候補はある。
やはりLS3/5Aよりもずっと高価な組合せとなる。

でも、だからといって、LS3/5Aをマルチアンプ駆動で鳴らしたい、とはまったく思わない。

Date: 11月 28th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集、本づくりとは・その4)

結局、「音は人なり」もそうではないのか、と思えてならない。

「編む音」と「織る音」があるからこそ「音は人なり」ではないのか。

Date: 11月 28th, 2013
Cate: audio wednesday

第35回audio sharing例会のお知らせ(マルチアンプをどう考えるか)

12月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

今回のテーマは、マルチアンプシステムに関することです。

以前はオーディオマニアの中の、さらにマニアックな人たちためのものであるというイメージのマルチアンプ。
マルチアンプにはあまり関心はない、という人でも、
パワーアンプ内蔵のアクティヴ型スピーカーを使っていれば、
意識するとしないに関わらず、マルチアンプシステムの音を聴いていることになる場合がある。

D級アンプの進歩・普及もあってか、
マルチアンプ構成のアクティヴ型スピーカーシステムの数は、
数えているわけではないが、増えてきている感じを受ける。

スピーカーシステムの特性を管理・保証するうえでもマルチアンプシステムのメリットは大きい。

いま「マルチアンプのすすめ」という項を書いているところだが、
私自身は、マルチアンプでなければならない、と考えているわけでもないし、
LCネットワークの方がいい、と考えているわけでもない。

どちらにもメリット、デメリットがあるわけだから、
全体のバランスをみて、どちらを採用するかを選択すればいい、と思っている。

いまディヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)の数は減っている、ともいえるし、
増えてきているともいえる。

以前とはマルチアンプシステムをとりまく状況に違いが出てきているようにも感じている。
そうでないところも、もちろんある。

そういったことを含めて、話せればと思っているところである。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 28th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その10)

オーディオの再生系における主役は、スピーカーである、と。
ずっと昔からそういわれてきていたし、そうだと思う。

とはいえ、マークレビンソンが、私にとって全盛期と感じられていた時代、
ちょうどステレオサウンド 53号あたりの時代は、
アンプが主役でもいいのではないだろうか、と考えたことはあった。

53号の瀬川先生の、オール・マークレビンソンの記事は、
カラー口絵をみれば、多くの人が感じることだと想うが、
4343が主役というよりもマークレビンソンのアンプ、それもML2が主役という感じを受ける。

あくまでも4343の限界がどこにあるのかを確かめるための、それを引き出すための企画であるのに、
システム全体が醸し出す視覚的な雰囲気は、アンプこそがオーディオの中心である、
とマーク・レヴィンソンが主張しているような気さえしてくる。

スピーカーをよく鳴らすためにアンプは存在しているはずなのに、
アンプの優秀性・凄さを証明するための存在としてスピーカーが接続されている──、
マルチアンプシステムのあやうさが、まずここにある、といえよう。

Date: 11月 28th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集、本づくりとは・その3)

だからといって、ながく続いている雑誌が「織るもの」だとは限らないし、
短い期間しか続かなかった雑誌が「織るもの」でなかったともいえない。

途中までは「織るもの」だった雑誌もある。
あえてそれがどの雑誌かは書かないけれど。

いま、こういうことを書いているけれど、
私自身、ステレオサウンドの編集者だったころには、こういうことは考えもしなかった。

本づくりを経験して、そこから離れてけっこうな年月が経ち、
こういうことを考えるようになった。

いまの編集者が、本づくりをどう考えているのか、
それを直接聞いているわけではなく、
あくまでもでき上がって書店に並べられている本を手にとっての感想ではあるけれど、
やはり「編むもの」「織るもの」という考えはあると思えない。

ただ「編むもの」だけでは、いい本(雑誌)はつくれない、ということに気づいてほしいだけである。
なにも編集者だけに、そのことを求めているのではない。
その本(雑誌)に書いている人たちにも、である。